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人形者
作者:A   2009/02/06(金) 15:44公開   ID:YzyN.C0uTWM
 今日も同じように満員電車に詰め込まれ、両手を掲げ痴漢に間違われないように怯えながら駅に着くのを待つ。
 目の前で携帯電話をぴこぴこと触る女子高生、ふけがちった油ぽい髪をなでつけたスーツ族、レールのあげる悲鳴に耳を覆いたくなる。
 電車が減速し、慣性の力によって乗客はひしめき合い、そしてドアが開く。
 出口へと人々を掻き分けて進み、階段を早足で進む人の流れにその身を委ね、足早に改札へと向かう。
 大きな川の流れに揺られる葉のように、私は駅出口からはじき出され、小さな店が並ぶ商店街を横目に、そのまま会社へと向かっていく。
 冷え切って乾燥した風が絡みつき、ささやくように耳元で風が悲鳴を細ぼらせ、退屈な日常を一層憂鬱に感じさせる。
 そしてその一日が終わろうと、独り身の家に戻り、つまらないTVを見て、安酒を一杯飲み眠るという変わることのない一日の終わりも。
 同じ毎日に、同じため息で答え、足を速めようとしたとき、ふと小さなアンティーク店のショーウィンドウに目がとまった。
 いつもは気にしたこともない店だったか、そこには小さな子供ほどの人形が飾られていた。
 ガラス越しに見えるその人形は少女のようだった、黒と赤のレースと、模造の宝石がが散りばめられたドレスのスカートを広げ、座っていた。
 私は足を止めてその姿を見入った、迷惑そうに同じスーツ族が私をちらりと見るのがおぼろげにガラスに映る。
 人形を見入ってる自分が恥ずかしいと思ったが、それでも私は見入らずに入られなかった。
 長い髪が腰まで届き、真っ赤なガラス球のような目が寂しそうに、それでいて静かに眠っているようにさえ見える。
 「カラン」という音が聞こえたと思うと、いつのまにか隣に店員と思われる男が立っていた。
「きれいでしょう、関節球体人形で海外のアーティストの作品なんですよ」
 男にそう言われて、私はそちらへと顔向けた。
 きれいに剃りあげられた顎に、きっちりと櫛で撫で付けられた髪、それにワイシャツに上等そうな黒のベストと、
いかにもアンティークショップの店員という男が私に微笑んでいた。
「いや、お恥ずかしい、いい年をしてつい見とれてしまっていた」
 私は言葉通り恥ずかしくなり苦笑した。
 男は“わかりますよ”と言うようににこりと微笑み言った。
「もともとこれは子供用ではないのです、大人向けのドールで、お客様のような大人の方がお求めになられることが多いんですよ」
 大人向けのドールといわれるといかがわしく思ってしまうが、少し恥ずかしさが和らいだ。
「特に最近はSDと呼ばれて、その筋ではちょっとしたブームになってまして、いろいろな服からアクセサリーまで楽しめます」
 私は「なるほどねぇ」と答え、また私はその“ドール”を見た、先ほどとは違いどこか表情が変わったように思えてじっと見る。
 そんな私の疑問に気づいたのか男は言った。
「ドールとは不思議なもので、まるで感情が表情に出ているように感じるときがあるんですよね、このようなドール愛好家方はよく
 自分のドールが笑って迎えてくれるなどおっしゃいますが、このドールは私には寂しそうな顔しか見せてはくれませんでした」
 そう、さっきは確かに寂しそうな顔だった、だが今は……
「けれど今見るとなんだか、嬉しそうに見えますね。お客さんみたいに見てくれる人がいると嬉しいんでしょうかね」
 男は私の思ったことをそのまま口に出すと、ふふっと不思議そうに笑った。 
「いくらだね?」
 気がつくとは私はそう言っていた。
「そうですね……ドールに恨まれるのは怖いので、お安くお譲りしましょう」
 男はそういうとドアを大きく開け、私を店内へと案内した。

 その日はいつもとは違い、学校が終わるのを楽しみにまった少年時代のような、退勤が待ち遠しい長い一日となった。
 私は帰り道にアンティーク店へと向かい、ドールを受け取ると、しっかりと抱えて家へと急いだ。
 お安くと言われた値段は、まったく“お安く”なかったが、後から調べてみると相場よりは安かったようだ。
 2DKのぼろアパートのドアを開け、くたびれた革靴を脱ぎ捨て、包みを慎重にテーブルへと置き、ゆっくりと包装を開く。
 ケースの蓋を開けると、美しい少女のドールがケースの中で、柔らかな布地に包まれていた。
 まるで眠っているようで、私は両手を宙で泳がせたまま抱き起こしていいのだろうか考えあぐねた。
 そんな自分に苦笑しつつ、意を決してドールの腰と頭をそっと支えて抱き起こした。
 白々し蛍光灯がドールを照らし、その真っ赤なガラスのような目が光を返し、まるでドールが今目覚めたかのように見えた。
 私はそんな光の悪戯にどきっとしつつ、そっとドールをテーブルへと座らせてみる。
 髪を直してやり、ドレスを調え、ドールをあらためてめて見ると、なんだかドールは喜んでいるように見えた。
 私はそんな自分の妄想に呆れながらも、時間が過ぎるのも忘れ、じっとドールを見つめ続けた。
 この時すでに私は恋に落ちていた。物言わぬ人形に。
 その事実を認めるのにそれほど時間はかからなかった。
 もう四十になろうとするおっさんが、少女の人形を夜な夜な愛でてるという自体の異常さは分かっていたが、だからどうだというのだろう。
 この先、何年も決まった時間に、決まった場所で、決まった仕事をし、そして決まったようにある日突然この世を去っていく。
 そんな人生の中で、人形を愛しているからと言って何が悪いというのだろうか。
 少女と出会ってからというもの、色あせていた日々はその色を取り戻した、私は救われたようにさえ感じていた。
 生きるということに喜びを取り戻したのだから。
 だが、そんな幸せも長くはなかった。

 会社の健康診断の結果自分が悪性の癌であることが分かったのだ。
「悪性の腫瘍、癌が見つかりました。移転が始まっており、もう治療は難しい状態です」
 そう言われても私は冷静だった。いつもどこか死というものを求めていたからかもしれない。
 だが今は少し心残りがあった。
「先生、私は後どれぐらい生きられるのですか?」
 独り身の私だからだろうか、医者は正直にこう言った。
「そうですね……何もしなければもって一年でしょう」
 一年、そう思ったとき最初に思ったのは少女のドールの事だった。
 別れを言うほどの、家族も親族も友達も同僚もない、けれどあの物言わぬ少女のことだけは考えねばならないと思った。
 私はその足で辞表を会社に出し、そのまま家へと帰った。

「ただいま」
 誰もいない部屋に向かってそういうと、私は部屋の電気をつけた。
 少女は静かに座ってた。
 いつも嬉しそうに迎えてくれる少女だったが、今日は悲しそうに見えた、まるで今にもその真っ赤な瞳から涙が零れ落ちそうにさえ思えた。
 私は確信した少女には、分かっているのだろうと。
「君と暮らすようになってもう一年になるね……この一年本当に楽しかった。私はつまらない人間だ、そしてつまらない人生を歩んできた、
 そんな私のところへ来てくれてありがとう。けれどそれも後一年ほどで終わりのようだ」
 ドールに語りかけるうちに、どっと感情が襲い掛かってくる、数十年流したことのない涙が頬を伝う。
「聞いてほしい、私は後一年で死んでしまう。せめてその間、もうしばらく一緒にいてくれないだろうか、私は君のことを……
 愛してるんだ。このつまらない一生の間で、唯一胸をはって言える、君を心から愛していると」
 嗚咽が漏れ、私は口元を押さえてたまま、震えるように泣いた。
 思い起こすことといえば、少女と過ごしたこの一年の思い出ばかり、新しい服を買い、専用のバックに入れて、旅行に行き、
四季の移ろいを眺め、静かな時間を物言わぬ沈黙と共にすごしてきた。
 一瞬一瞬が頭の中で弧を描くように私の心へと刺さり、ただただ私は耐え忍び泣いた。
「ありがとう……ありがとう……」
 私はそっと少女を抱き寄せてつぶやき続けた。

―― 一年後
 少し薄暗い店内に飾られた人形、男が一人ショーケースに入ったペアの人形を見ている。
「君、このペアの人形はいくらかね?」
 男が店員にそう言った。
「申し訳ありません、そのドールは売り物ではないんです」
 そう言われると男は不服そうに言った。
「金はある、いくらなら売るかね」
 店員は困った顔をしながら言った。
「そうおっしゃられても困ります、ある方との約束で今はお売りできないのです」
 男は納得できずに言った。
「今はと言ったな、それならいつだね?」
 店員はうっすらと微笑み、ドールを見つめるとこう言った。
「そうですね、その少女のドールが寂しそうな顔をした時でしょうかね」
 男は怪訝な顔して少女のドールを見て言った。
「寂しそうも何も、こんな幸せそうに微笑んどるじゃないか」
 店員はうなずき言った。
「ええ、だからお譲りできないんです」
 男は顔を真っ赤にし、怒鳴ろうとしたが、ふっと力を抜いてこう言った。
「ふむ……確かにここにいるのが幸せそうではあるな」
 ショーケースの中で、少女の人形が、スーツを着込んだ中年のような人形に寄り添い、微笑んでいる。
 店員は満足そうに頷き言った。
「ええ、それよりこちらにも良いドールがあるんですがね」
「ほう、どれどれ……」

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