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世界Rの報告書L
作者:犬   2009/06/02(火) 01:03公開   ID:T44fwDX7/.A




 古い石階段を上がる。何十年もの月日を経た、すえた匂いと、灯火でほんのり照らされた長い石階段を上がっていく。
 螺旋のように築かれたその石階段を上っていくと、やがて大きな扉の前にたどり着く。扉にはやや黒ずんだ白銀細工の女性像。質素ながらも丁寧に装飾されている。
 その扉を開けると、そこは夜空に浮かぶ月を眺める一人の王の部屋。三日月のときも、半月のときも満月のときも、新月のときでさえも、変わらず夜空を眺める古い王は、少年が来たことを知るといつも微笑を向けて言うのだった。

「よく来たね。ようこそ私の城へ。――――さぁ、今夜は何を話そうか」

 そうして、少年と王は話にふける。
 良いこととは何か、悪いこととは何か。自分とは何か、他者とは何か。魂や精神とは何か、それがあるとするならばいつ肉体に宿るのか。
 星とは何か。世界とは何か。
 人間とは何なのか。

「僕は人間ではないのでしょうか」

 ある夜、少年が王にそう尋ねると、王は変わらない微笑を浮かべて言った。

「どうしてそう思うのかな?」

「人間の、感情が理解できないからです」

 少年はどこか遠くを見ているような目で、並び立てるように言う。

「どうして人間は不安定なのでしょうか。一つの生命として確立しているのに、生命の本能に相反して自らを殺めるのでしょうか。感情の因果ではなく、感情そのものを共感することが、どうして出来るのでしょうか」

 王は少し困ったように微笑んでから、少年に言い聞かせるように、優しい声で言った。

「私のようなものと長く暮らしていると、それまで築き上げてきた価値観が崩れて無くなる瞬間に遭うことがある。それまでと全く違う物の見方、価値観、感情に思想……しかし君は、幸か不幸か、そういった人間達と比べてとても幼く、そもそもの築いているものも小さく、そして築いたものも少ない。だから……そう、君はすこし私達に似過ぎてしまっているのだろうね」

 よく分からない、といった顔をしている少年の頭を撫でながら、王は言う。

「君は今、人とはすこし別のものの見方を覚えている最中なのだよ。だが決して悪いことじゃない。今は分からなくとも、いずれ君も…………君を、心の底から愛してくれる人が見つかる。そうしたらきっと、すこしだけ、色々なことが分かるようになってくるよ」









『吸血鬼事件』

The_Noble_Red




「あー、帰る帰る。いや本当だ。今日は早く帰れる。…………いや、いつも言ってるってお前」

 とある学校の、とある職員室。忙しなく資料をめくりつつ、首と肩の間に電話の子機をはさみながら、ジャレッド・ガーベイは自分の妻に帰宅時間についての電話をしていた。電話をかけたのは約20分ほど前。内容はいつもより早く帰れるという、彼としてはとてもご機嫌なものだ。しかし、実際に用件を伝えると、6つ年下の彼女にあろうことか皮肉を言われた。やれ、いつもそう言ってるくせに遅いだの、やれ帰ってきても仕事も一緒に持って帰ってくるだの、反論の余地もない話だ。

「そりゃあ確かにその通りだがな、俺だって別に書類仕事なんぞ…………いや書類仕事じゃなくてもだ」

 つい昨年まであんなに可愛かったのに、とジャレッドは心の中でごちた。昔は夜遅くに帰ってもご飯を温めて労わり、気の強そうなツリ目を八の字にするほどの甘えただった。しかし、どうも子どもが出来てから優先順位が、というよりは優先レベルが大幅に変わったらしい。子どもの養育に全力を傾けるようになり、旦那ジャレッドの扱いは今や愛犬ジョニー以下である。
 元エリート軍人として過去あらゆる困難な状況を打破し、何人もの部下に「一生ついていきます」と慕われたというのに、今は嫁の小言一つ言い返せない。部下にはジャレッドは死んだと言って思い出にしてもらった方がいいのじゃないか、とジャレッドは思った。

「俺だって何も好き好んで……おう、それは間違いない。俺も楽しみだ」

 陽気な声と、仕事を終わらせようという必死の形相のギャップが激しい、そんなジャレッドの近くのソファに、一人の男子学生が座っていた。
 縁なしの眼鏡をかけていて、小麦色の肌にシルバーブロンドの短髪がよく映えている。白いシャツの襟に結われた薄いグレーのネクタイには黒と赤いラインが入っており、今年度における高等部1年生であることを示していた。
 学生は資料を流し読みのようにパラパラとめくりながら、静かに時間を持て余していた。

「そう、そうなんだよ…………じゃあ6時半には帰るから。おお、それじゃあな」

 ようやく電話が終わったのか、ジャレッドは電話を置いて小さくため息をついた。ソファに座る学生が顔を上げる。

「電話は終わったのですか、少佐」

「ああ、やっとだ。早く帰るという用件一つ伝えるのに20分だぞ。喋ってる暇があったら帰った方がいいと思わないか、レナード?」

 帰り支度を始めたジャレッドに、レナードと呼ばれた学生は言った。

「説明はして頂けないのでしょうか」

 すると、ジャレッドは睨み殺すような双眸をレナードに向け、響くような低音で言った。

「貴様…………今貴様に時間を浪費することで、娘が初めて歩く決定的瞬間をもしも見逃したとしたら、一体貴様どうするつもりだ」

「まだ6ヶ月です、少佐。歩きません」

「何を!貴様!俺は8ヶ月で歩き始めた!ならコレットちゃんは6ヶ月で歩けるかもしれないだろ!?」

「意味不明です少佐。そして今はそれについて議論するより、早く説明を済ましてしまうべきであると具申します」

 ジャレッドは苦虫を噛み潰したような面持ちで、筋骨隆々の体をイスに下ろした。

「チィ…………貴様には絶対、娘はやらんからな……」

「わずかでもそのつもりがあったのなら残念です。では説明を願います」

 レナードはひらひらと資料の一枚を波立たせる。
 ジャレッドが重量級の格闘家だとしたら、レナードは中量級のそれのような体躯だ。スラリとした長身だが、年の割りに筋骨逞しく引き締まった体をしている。そしてそれに見合った運動能力があり、知識は豊富で頭も切れる、ジャレッドが今まで見てきた中でも掛け値なしに有能な人材だ。
 そんなレナードに対し、ジャレッドは頭をかきながら言った。

「……貴様は俺の人生の中で、おそらく最も可愛くない部下なのだろうな」

 ジャレッドはレナードの対面側のソファに座り、レナードと同じ資料を広げた。そして、傍らに置いてある、羅針盤のような円状の置物のスイッチを押した。
 すると、ジャレッドとレナードの間の空間に光線で描かれた、学校の三次元の見取り図が描き出された。

「二度説明はせんから一度で聞け。今回貴様に内偵してもらいたいのは――――」





(――――吸血鬼事件)

 長い廊下を廊下を歩きながら、レナード・シュルツは先ほどジャレッド・ガーベイと打ち合わせた内容を再考する。
 類型としては女生徒連続暴行事件。共通項は被害者の首筋に2つ並んだ刺創があること。既に5人以上被害者が出ており、全てちょうど今のような人通りの多い放課後、数分以内に犯行を終えていること。そして首筋への刺創以外に外傷はなく、体液の付着もなしで今のところ手がかりはなし。
 まさしく霧のように現れて襲い、霧のように消える、吸血鬼のような事件だ。

(だが、吸血鬼ではない)

 レナードはつと立ち止まり、人気のない女子トイレへと入っていく。
 そう、吸血鬼ではない、何故ならば、レナードは本当の吸血鬼を知っている。

(経口摂取など不衛生極まりない)

 女子トイレの中で、一人の女生徒が倒れていた。服装から見て中等部2年生、血の気がなく顔面蒼白だ。首筋からは血液が二筋、鮮やかな赤色をして流れていた。
 レナードは女生徒を助け起こし、具合を見るが、顔色ほど悪くはなさそうだった。ショック症状による血圧低下で、傷は浅く、出血自体も少ない。
 そして、出血具合から見てほんの1〜2分前に襲われたようだが、確かに傷口に唾液などの体液は確認できなかった。特定されるのを恐れたのだろう、吸血鬼を連想させる犯行を何度もやっているわりに、薄弱な精神性の人間であるようだ。

(目星をつけて来てみたが、一足遅かったかな)

 今から走り回っても無駄だろうとレナードは判断する。しかし、実際の犯行直後の現場を見れたのは大きい。魔力の残り香も濃厚だ。明後日までに解析できるだろう。
 レナードは保健室に救護を頼もうと、ポケットの携帯電話に手をかける。しかし、つと、状況の保全が先だろうかと思い直す。被害者の少女は特に一刻を争う重篤ではないし、次を防ぐためには手がかりの取得に回るべきではある。魔力の残り香なんてすぐに霧散するのだ。
 そしてその点で言えば、不意に他人が入ってこないようにもすべきだ。この状況を目撃されれば、吸血鬼を探すはずが、自分が吸血鬼扱いをされてしまう。

(混乱は避けたいな。追跡が困難になる)

 そう思い、レナードはドアを封鎖しようと考えたが、一足遅かったようだ。不意に女子トイレのドアが開いて、少女が一人、入ってきた。
 レナードとその少女の目が合い、そして次の瞬間――――









「あのさー、リーザ。さっきの授業に出てた問題、ちょっと教えてくんない?」

 中等部2年生のAクラス教室。その最左列の前から三番目の席に座っていたエリザヴェータに、一人の男子クラスメイトが話しかけてきた。
 時間は3時限目の休み時間。次の授業もこの教室でやるとはいえ、次の授業まで残り10分もない。

「いいよ。どのへんかな?」

 エリザヴェータがどう言うと、男子クラスメイトは小さく「よっしゃ」と言い、後ろを向いて手招きした。他の男子がわらわらと寄ってくる。

「助かるわー。や、ほんとあの先生の授業ってよく分かんないんだよなー。ある意味聞いてても仕方ねーよ。どのみち分からん」

「そんくせあれだ。質問は受け付けないだろ。毎回授業内容の小レポートだろ。あれほんとに教師か?」

「他のクラスでも、アイツの授業の日は遊ぶヒマがないらしいぞ。まぁその点、うちのクラスは賢い子がいるから違うよねェ」

 エリザヴェータは困ったように笑った。

「そんなこと…………」

「人間は進化して脳がでかくなったって言うけど、ありゃあ嘘だろ。リーザなんてこーんな小さいのになー」

 男子生徒は持ってきたイスに座り、手でエリザヴェータと自分の頭の位置を比べる。その男子生徒はそれほど背が高くなかったが、それでもエリザヴェータと10センチ以上の開きがあった。
 実際、エリザヴェータは小柄で華奢な少女だった。痩せているというよりは骨格から細身であり、肩幅も骨盤も手足も、クラスの女生徒と比較しても大分細かった。そしてエリザヴェータは赤毛の長い髪を二つ、三つ編みにしておさげにした色白のジンジャーだったが、髪は子どものように細くて艶のあるストレートだ。そのせいで、中等部2年生の13歳である今でも、たまに小等部の子に校舎が違うと注意される。
 エリザヴェータは黒縁の眼鏡のつるをいじりながら、困った表情のまま言った。

「もう、小さいのはいいよ。それより、あんまり時間ないんだから。聞きたいのはどこ?」

 すると、本題を思い出したように男子生徒達から質問が飛んでくる。本当に理解できていないのか、エリザヴェータが見たところ約半数は根本的にどういう内容かを誤解しているようだった。そのため丁寧に質問に答えていると、3人目の質問に答えた時点でチャイムが鳴ってしまった。
 エリザヴェータはまだ本質的なところへの理解が不十分だと思ったが、男子生徒達はおおよそ掴めたと思ったのか、「だいたい分かった」と言って席に戻っていった。

「ありがとな。また分からんとこ教えてくれ」

「あ、うん…………」

 手を振られたのでエリザヴェータが手を振り返すと、最後の男子学生も席に戻っていった。
 男子生徒を見送るその視界の端に、数名の女性とが疎ましげにエリザヴェータを見ているのが見えた。

「…………」

 エリザヴェータはなるべくやわらかい表情を意識しながら、女生徒達の方に視線を向けた。彼女達はエリザヴェータを見ていなかった。不自然なまでに、見ないようにしているようだった。
 困ったように笑いながら、エリザヴェータは教壇の方に視線をうつし、教書を取り出して教師が来るのを静かに待った。






 昼休みになって、昼食の時間になる。
 男子生徒の半分はかき込むように持参の弁当を平らげて体を動かしに外へ出て行き、残り半分は集まって談笑していたり、勉強していたりしている。
 女生徒はそれぞれ円卓状に机をくっつけて話をしている。エリザヴェータ一人を、除いて。

「…………」

 固まっている女生徒のグループは、エリザヴェータから遠くはない。空いていても机一つ分であり、エリザヴェータを真ん中に5グループぐらいが囲んでいる。
 しかし、エリザヴェータはそのうちのどのグループにも所属していない。たまに話しかけられるが、二言三言だけだ。

「…………」

 弁当を食べ終えてからしばらくして、エリザヴェータは席を立った。途端に、女生徒達の一部が席を引いて道を作った。エリザヴェータは無言でそこを通って教室の外へ出た。
 そして、廊下を歩いて、人気のない方へ歩いていく。円弧を描き、100m以上もある長い廊下だ。ずっと歩いて校舎の端の方まで来ると、やがて小さなトイレが見えてくる。人通りはほぼない。
 エリザヴェータは女子側のトイレの扉を開けた。
 開けると、中には、鏡があった。
 何の変哲もない、手洗い場にある鏡だ。
 エリザヴェータは鏡を通り過ぎ、2つある個室のうちの、片方のトイレに入った。そして、背中に隠していたサンドイッチを取り出して、袋を破き、食べ始めた。

「…………」

 少し前に、嫌味を言われたのだった。エリザヴェータは小柄で華奢であるが、細身である。そのわりに食事量は、部活動に明け暮れる活発な男子のそれに近い。それなのによく太らないねと。
 エリザヴェータとしては反論のしようはあった。エリザヴェータだって、部活動する男子と同じかそれ以上に、ほぼ毎日体を動かしている。食事だって、三食は多く食べるが間食はほとんどしない。紅茶や珈琲に砂糖をどばどば入れるような真似もしない。元々太りにくいだとか、そういう体質・体型はあったとしても、それなりの自助努力はしているのだ。
 しかしエリザヴェータの反論は、全く受け入れられなかった。そのとき少し体を動かしてるからと言ったところ、賢いから勉強せずに運動する時間あっていいねと言われ、寝る時間が少し遅いからと言うと、そのわりに肌が綺麗でいいねと言われ、昼休みが終わるまで嫌味は続いた。さすがに女子グループの壁の中でも、不穏な空気に男子が気づいたのか軽く声をかけると、今度はエリザヴェータへの無視に走った。男子の心象があるからか、無難でどうでもよく当たり障りのない話を、たまに振ってくるのを除いて。

 エリザヴェータはサンドイッチを食べ終えると、トイレの個室から出て、鏡の前を通った。ふと、鏡に映る自分を見ると、薄い微笑が張り付いていた。適当に波風立たないよう笑って誤魔化すようにしてから、少し癖になっている。

「…………はぁ」

 エリザヴェータは鏡の前に行き、眼鏡をはずした。瞳の印象を弱くする厚めの黒縁眼鏡の下にあったのは、気の強そうな青い瞳<ブルー・アイ>だった。

(らしくない)

 眼鏡をはずした自分の顔を見ると、エリザヴェータは常日頃そう思うようになっていた。
 事実、エリザヴェータは人当たりがよくおとなしい少女ではなく、生来気が強い方で言葉遣いもあまり上品とは言えなかった。しかし中学校入学時に親元を離れてここに来たときに、周囲と馴染むためになるべく人当たりがよく、なるべくおとなしく、言葉遣いも悪くないように振舞おうとした。だが結果として、状況は少しずつ悪い方へと転落していくばかりであり、今はもう完全に悪い状況となってしまった。

 エリザヴェータはこうなってしまった原因は、自分がハーフだからだと思っていた。
 この国は諸外国と異なり、異人種に対して寛容だ。代表的な犬人、猫人はもちろん、歴史的に迫害や奴隷の扱いを受けてきた羊人でさえ、衣食住や就労は当然として基本的人権に関しても特に規制はない。そのためこの国では異人種はそれほど珍しいわけでもなく、異人種を見る目も差し障りないものだ。
 しかし、ハーフとなると話は別である。異人種間によるハーフはそもそも生まれ難く、また生まれてもほとんどが体に異常があったり奇形だったり生殖機能が減衰するという歴史的な統計から、人権等の規定には何も問題ないものの、人の風当たりはどこか強いのだ。
 エリザヴェータはおそらく、他にも自責を含めて多少の理由はあるにせよ、それが大きな原因なのだろうと思っていた。


 しかし実際のところ、それはほとんど勘違いであった。
 根幹としてこの国は、そしてこの国の人間は異人種に寛容であるようにとしている。ハーフの存在自体が“生まれてきうるもの”であるという認識は小等部で教育されているし、移住者に関しても強く説明される。人間である以上は誰しも多少のわだかまりはあるにせよ、おおっぴらに批判の対象にすることは逆に批判される元になり、悪ければ裁かれるのだ。
 エリザヴェータが女生徒に嫌われる原因はハーフであることそのものではなく、異国生まれのハーフがとんでもなく有能であることだった。
 ハーフはそのほとんどが体に異常があったり奇形だったりする。しかしエリザヴェータは人よりかなり小柄で華奢であるものの、そういう身体的な問題はほぼない。それどころか男子生徒の大半は(彼らそれぞれの好みを踏まえた上で、それでもその大半が)エリザヴェータは間違いなく美少女であるという認識だった。それも、圧倒させたり隷属させるようなものではなく、人を惹きつけるような、ずっと表情を眺めていたくなるような愛らしいタイプの造形だ。それに加え、子どものように艶のある細くストレートという珍しい赤毛は、陽光の下でとても美しい色彩を見せる。その美しさと愛らしさが、そしてまたそれに惹かれる男子生徒からの人気が、女生徒の強い妬みとなっていたのだった。
 だが、エリザヴェータにはその自覚は露ほどもなかった。エリザヴェータの故国、世界唯一の亜人国家では、生まれつき備わったものそのものより、それによって何を為したかが大事という文化だったのである。もちろん容姿について人気が付くことはあるが、それはあくまで自助努力によって磨いてさらに美しくなることをしている場合であり、ただ美人であるだけでは見向きされない。ある意味でとてもシビアな文化だ。
 そしてその点で、エリザヴェータはその努力をほとんどを運動能力や勉学に置いていた。特に年幼い小等部の頃は異性の差が曖昧だったのもあったため、同世代に褒められるのは常に容姿ではなくそれらのことだったのである。
 しかし、その運動能力や勉学への才能と努力は、この国に来てさらに印象を悪くした。つまるところは、才能があまりにも高すぎたのである。エリザヴェータは完全な天才だった。

 GATE機関。
 エリザヴェータが通う中等学校が所属する、幼稚園から大学までの一連の教育機関の略称だ。
 正式名称は「Gifted And Talented Education」。つまり、学術的または芸術的あるいはその全般において才能を示す者達、いわゆるギフテッドやタレンテッドと呼ばれる天才を育てるための機関だ。そのため、この門という略称のこの機関は、その実、非常に狭い門としても知られている。何故ならば、下は数千人に一人、上は数百万人に一人という天才達が入学対象なのだ。言い換えればこのGATE機関を卒業できれば、少なくとも国に、場合によっては世界に認められた天才という証明になる。したがって入学倍率は目も眩むほど跳ね上がる。受験シーズンにはGATE機関付近のホテルは満杯になり、張り詰めた空気と共に、ある種のお祭り状態になるのが風物詩として知られている。
 そのGATE機関に、エリザヴェータは中等部受験を受けて、昨年から通っている。

 もちろん、ここでいう天才は学術的または芸術的なものであるため、必ずしも全員が数学の高度な問題ができるわけではなく、高校生になっても中学レベルの数学で悩むものも少なくない。そのため、そういった特定の才能が顕著に現れている生徒向けに、特別クラスがいくつも編成されている。そしてその時点で現れている才能ではなく、潜在的かつ純粋な才能の高さが評価されるため、特別クラスの開設と廃止は毎年のように行われる。そのため中には3学年通して1名だけというクラスも存在する。
 エリザヴェータが所属しているのは、最もオーソドックスかつ最も難易度の高いクラス。つまり、全般的に才能を示す者達のクラスだ。
 しかしこのクラスは、全てのクラスの中で最もアタリハズレが大きい。故郷で神童や天才ともてはやされてきた何万もの子ども達を審査してきたベテランでさえ、小等部時点では秀才なのか天才なのかの差が付きにくいからである。そして実際の絶対数を言えば、当然ながら天才の方が数少ない。そのため中等部までは、むしろ天才が秀才の中に混じる形となる。
 そして、繰り返しになるが、エリザヴェータは満場一致で推薦された、疑いようのない天才だった。


(頑張っても誰も褒めてくれなくて、本気を出すと嫌がられる)

 次の時間は体育だ、とエリザヴェータは思い出した。そろそろ着替えに戻らないといけない。授業内容は確かマラソン。周回遅れ(全員)にするたびに睨まれるからある程度手を抜かないといけない。かといって手を抜きすぎるとまた睨まれるし、教師にも不真面目だと注意される。
 エリザヴェータは眼鏡をかけ直す。自分の容姿に対する女子のウケが悪い(だが磨いていないことではない)らしいということを察して、印象を弱くするために購入した伊達眼鏡だ。エリザヴェータとしては両親の仕送りをそんな形で使うことへの葛藤すらあったのに、風評はなぜかさらに悪化した。

(本当に、らしくない)

 居た堪れなさを感じながら、エリザヴェータはトイレを出て行った。




 放課後になって、エリザヴェータは一人校舎の中を歩いていた。よそのクラスの男子生徒に呼び出された、その帰りだ。
 話の内容は、かいつまんで言えば愛の告白。

「…………はぁ」

 今までも数十回とあった。だがそのたびにエリザヴェータは、からかわれているのか、罰ゲームか何かだと思っていた。それは女生徒の評判が圧倒的に悪い中であったからだし、小柄で華奢でキレイになる努力もたいしてしておらず、運動能力や勉学にも周囲をうかがっては手を抜いているような自分に魅力はないと思っていたからだったし、そういった儚げな姿への男子生徒の保護欲が理解できなかったからでもあった。さらに、告白が入れ替わり立ち代わりで連続だったり、2回目3回目と回数が多かったりしたことも誤解へと拍車をかけていた。そして色々気にするあまり断り方が下手になり、押しが弱いことも男子生徒への誤解へと拍車をかけていた。

「…………はぁ」

 2回目のため息をついた後、ふとエリザヴェータは西日でまぶしい採光窓から校庭を見おろした。部活動をしている生徒の姿が、あちこちに見えた。部員と一緒に楽しそうに、あるいは真剣に練習や競技に励んでいる。
 いいなぁ、とエリザヴェータは心の底から思った。自分もあそこに混ざりたい、力の続く限りの全力で、何よりみんなと一緒にと。
 
「…………」

 しかし、おそらくそれは出来なかった。体を使うような部活動は、そのほとんどが男女別になっている。そしてエリザヴェータは、自分の運動能力に対しては正当な認識があった。その認識からすると、どの部活に入っても、一ヶ月以内にエースナンバーを取れるのだ。
 それは、今のこの境遇を考えると、どう考えても角が立つ行動だった。それに部活の顧問をしている教師からの誘いは既に全て断っている。教師は歓迎するだろうが、部員達は「いまさら何を」という心持ちになるのだろう。

「…………はぁ」

 エリザヴェータは未練に後ろ髪を引かれながら、窓から立ち去る。そして、思考を切り替える。
 今、エリザヴェータは『吸血鬼事件』といわれる事件について調べていた。詳しいことは知らなかったが女生徒が狙われ、その首筋に犬歯で噛んだかのような刺し傷が付けられるという事件らしい。理由は分からないが、まだ警察などには連絡がいっておらず、学内で処理するつもりらしい。
 この件に関して、エリザヴェータは直接的にも、間接的にも関わりがなかった。ほとんど縁を切られているが学内の知人が狙われたわけではないし、クラスメイトも全員無事だ。エリザヴェータ自身も当然被害にあっていない。だから逆にそのために、エリザヴェータがこの事件について知っている情報は、あちこちで噂しているのを聞き取った程度のものである。
 それでもこの事件を調べているのは、名誉回復あるいは汚名挽回のそれであった。女生徒が狙われ教師も手を焼いているこの事件をどうにかできれば、少しは仲良くできるのではないか、そんな淡い希望だった。

(次は…………)

 人気のない教室の中を確認すると、エリザヴェータは今までとは違う方向へと歩き出した。
 そこかしこから取得した情報を統合すると、どうも吸血鬼事件は放課後、帰る生徒がいる人通りの多い中でわずかに生じる、人気のない時間と場所で起きるらしい。犯行時間はわずか数分。狙いすましたかのような手際だ。そのためエリザヴェータは、巡回という行動に出ることにした。今ある情報だけでは具体的なことができないというのもあったが、少なくとも犯行への防止にはなる。被害者も出ない。そう思ってのことだった。

 エリザヴェータは、それまでに得た情報からの分析結果から、次に最も犯行が行われる確率が高い女子トイレを目指した。幸か不幸か、エリザヴェータの体格は小柄で華奢なものだ。エリザヴェータをよく知る者でなければ、十中八九は力ずくでどうにでもできると思うはずである。そして、それこそ突然マウントポジションを取られて手足を封じられでもしない限りは、エリザヴェータは最重量級の格闘家だろうと相手ができるだけの自信があった。


 そして、エリザヴェータは目的の女子トイレの前に立ち、ゆっくりと扉を開けた。
 トイレの中には首筋から血を流した女生徒を抱いた男子生徒がいて、エリザヴェータはその男子生徒と目が合い――――


 夕焼けの陽が差し込む中、レナードとエリザヴェータは出会った。




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■作者からのメッセージ
犬です。
本作は、元はシルフェニアのバックグラウンドで進行してる気がする、リリース・ゼロという世界を舞台としたオリジナル作品のプロローグの一部のネタ出しです。
リリース・ゼロは私の中では、亜人や吸血鬼といったファンタジー要素を含んだ現代魔法世界、といった感じで捉えています。
たぶん実際は違います。

本作は才能あるけど育ちのせいで若干精神が違うところにあるまるでダメな男(略してマダオ)の主人公Aと、同じく才能あるけど周囲に馴染めない中で精一杯頑張るチビッ子な主人公Bが、事件を通して知り合い、普通分かるようなことも分からず色々悩みつつも恋だとか愛とかを知り、小難しくイチャつきながら「天才」から「人並み」に成長していくらしい物語です。

当然、執筆速度的にどう考えてもニートにならないと完成は無理なので、これだけ投下しました。
あぁ、また半年経ちそうです。がんばります。

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