翌日、俺達は早速、依頼人のファーニスさん宅に向かった。
数人の村人がいたが、少しは熱が引いたという事で面会することが出来た。
ファーニスさんは、銀髪耳長の美青年という奴だ。
変わり者としてエルフの里を追い出され、流れ流れてやってきたという風聞からは想像できないほどに洗練された所作、言葉づかい。
やはりこの辺り事情がありそうではある。
パーティリーダーとしてティアミスが前に進み出たとき、少し驚いたような顔をしたものの、表情を戻し歓迎の挨拶をしてくれた。
「ベッドの上から無作法だと思うが、許されよ」
「いえ、体調を崩されているのです、しかたありません」
「そう言ってくれると助かる」
「はい、それでその……」
「ああ、娘……リールーは妻(エリーズ)と山菜取りをしていたらしい。
その途中はぐれてしまって妻は捜したが見つからなかったという」
「失礼ですが……なぜ奥さんは今家にいないんですか?」
「妻は……リールーがいなくなってから探しまわったが見つけられず、神に祈ることにした。
私は冒険者に依頼を出すことにしたわけだが、感覚の違いかね?
しかし、その後、妻は食事を作りにしか帰ってこない」
「……ファーニスさんのそんな姿を見ても、ですか?」
「間違いではないよ。夫より子が大事という考えは」
そう、言うとファーニスさんは力なく笑う。
もしかしたら、エリーズさんが娘の事で心神喪失状態に陥っていると考えているのかもしれない。
実際ありうる話だ。
「もしかしたら、彼女も後ろめたいのかもしれないね。エルフ族とソール教団は昔から仲が悪いから……」
「精霊戦争……」
「それだけじゃないよ。元々エルフは自分たちこそ最も優れた種族だと傲慢に考えているものが多いし、
ソール教団もまた自分たちこそ神に選ばれた存在だと考えているからね。
精霊戦争も結果的に両者の鼻っ柱の高さがぶつかっただけの事さ」
その言葉を当のエルフから聞くとは思わなかったのだろう、ティアミスは目を大きく開けて驚きを表情に出している。
瞬間、俺の頭に直接イメージと共にラドヴェイドの言葉が響く。
イメージは血で血を洗うような大量の殺戮、何千、何万という命が失われていく光景……。
『精霊戦争というのは1800年ほど前、人類と精霊達がこの大陸を開拓する主導権を巡って起こった戦いだ。
最初は単なる利権問題だったが、種族間の不満が爆発し妖精族対人類という空前の大戦へと発展。
当時の魔族の過激派がそれに便乗して軍を動かしたことで両者は手を結びうやむやのうちに戦いが終わった。
結果残ったのは、人族、妖精族、魔族それぞれの不和、それゆえに不干渉を条件に皆戦いを終わらせたがった』
殺戮の光景は吐き気を催してもおかしくないものだったが、段々とみ慣れてきたのかそれとも現実感が薄かったのかとりあえず落ち着いていられた。
俺はそのまま心の中でラドヴェイドに呼び掛ける。
だとすればそれにソール教団はどうかかわっていたんだ?
『ソール教団は元々唯一神の元、全ては平等だと言うものだ。
最近はいろいろと神とつながる役職等を決めて上下関係にうるさくなっているがな。
ソール教団にとって別の神は容認する事は出来ない、唯一にして絶対の神以外は神ではないのだ。
そのあたり、別の宗教と折り合いはつかない。そして、エルフをはじめとする妖精族は精霊をあがめている。
特に、上位精霊は神に近い力を持つ者も少なくなく、妖精たちはソール教団の唯一なる神も精霊の一種だと断じた。
元々亜人種を良く思っていなかった奴らは率先して亜人を宗教的な敵と定め狩り殺して行った。
もちろん、妖精族もやられるばかりではなかった、結果双方被害は甚大になり魔族の介入に対して両者は一時的に手を結ぶしかなかった。
だが、両者は覚えている、エルフは長寿ゆえまだ戦争に参加した者もいる、教団は精霊戦争の主力だったエルフ族を魔族に次ぐ異端としている。
実際エルフのはぐれ者達がダークエルフとして魔族の仲間入りしているからな、教団にとっては格好の大義名分でもあったらしい』
なるほど、しかしそこまで殺伐とした理由があるとは……。
人間と妖精達が仲良くとはいかないという事か。
『一概にそうとも言い切れない、最近は融和も進んでいる。エルフ以外の種族ならソール教を信仰している者もいる。
また、ソール教団も歩み寄りの意思を見せ、他種族を司祭にしたり、他種族の自治政府と法国との同盟等も行っている。
まあ、これは最近宗教を排除しようとする傾向のある3大国に対抗する意味合いも強いが。
エルフも今は小規模ながら人族との交易をしているし、教団とつながるものもいないわけではない。
ただまあ、表立ってはいないがな』
なるほどな……しかし、ソール教か……。
最初のイメージでカルトっぽさが匂っていたが、一概にそうという訳でもないという事か。
しかし、どちらにしろエルフと人族の因縁は深そうだ。
それでも、そういう関係であるなら少しは動きようがあるかもしれない。
(なあ、ラドヴェイド)
『なんだ?』
(例の洗脳効果とやらに俺達は抵抗できないのか?)
『万全の状態なら魔王に状態異常は効かないのだが、今の魔力ではな……』
(そうか……)
『30分が限度だろう』
(……ッ! それを先に言え!)
ならば、少しは対策も取れるかもしれない。
そんな事を考えている間にも話し合いは進んでいたようで、とりあえず捜索を始める事になった。
彼女らが山菜取りを行っているのは、モンスター等がいない比較的安全な山脈の一つだった。
村からも近いその山脈だが幾つかある山の中で彼女らが山菜を取りに行く山は3時間ほど歩く必要がありそこそこ遠い。
村の中でそれぞれに割り当てがあり、どの家が山のどのあたりの山菜を採るのかは決まっている。
そうしないと入ったはいいがそこは既に取りつくされていたと言うような事態になりかねない。
まあ、そもそもそう言う決まりは自然と出来てくるものだし、
彼女らは外から来たエルフの家と言う事で新参なのだから遠くになるのは仕方ない。
問題の娘ことリールーの姿を見失ったのはヨモギに似た植物であるタモヤをとっていた頃らしい。
リールーを見失ってから今日で3日目、歩けるなら自力で戻ってきている頃だ。
つまり、可能性としては、足等に怪我をしたか、出られない場所にいる、もしくは誘拐、監禁された、後は、既に死んでいる。
それら全ての可能性が存在している。
「タモヤの生え具合、それにちぎった跡等からすると、この辺りが彼女らがいた場所のようじゃの」
「何かわかりますか?」
「いや、まだよくはわからんがこうして取った跡を見て行けばある程度ならリールーとやらの動きも追えるかもしれんの」
「足跡は……、うん。タモヤをかき分けた跡があるからある程度わかるね」
「とりあえず痕跡を追ってみましょう。ただ、彼女らは何度もここに来ていたはずだから場合によっては複数の痕跡があるかもしれない。
その辺りの見分けは難しいと思うけど、手分けする事になるかもしれないわよ」
「モンスターが出たらどうするんだ?」
「もしもの時は大声で呼べばいいわ。とはいえ、この山にモンスターは殆ど生息していないはずだけどね」
「了解」
とはいえ、俺やウアガは痕跡を探すのは得意とはお世辞にも言えないため、
ティアミスと俺、ウアガとニオラドのじいさんの2チームに分かれる。
俺はティアミスの後ろについて行きながら、周辺を警戒する役目だ。
実際、俺には草を摘んだ跡や足跡を見つける事は難しく、任せっぱなしになっていた。
「どうやら、もう少し先まで足跡が続いているみたいね」
「母親と娘の足跡って見分けがつくのか?」
「絶対とまでは言えないけど、娘のほうはまだ幼いわ。最もハーフエルフだから20くらいの年齢かもだけどね」
「そうなのか……」
「こういう作業は神経使うんだから。シンヤもしっかり警戒しときなさいよ」
「了解」
実際、山に入ってからの彼女の動きはおっかなびっくりなところもあったが、技術そのものはそこそこのようだった。
森の中を歩く時同様今一手慣れていないのが彼女らしいと言うべきか。
それでも、俺よりはマシなので余り人の事は言えない。
「ねぇ」
「ん?」
「あの母親どう思う?」
「エリーズさんの事か?」
「うん」
「確かに少しおかしいと思わなくもないが。夫がああ言っているんだ、きっと心労が影響しているんだろ」
「本当にそう思う?」
ティアミスは唐突に俺に向き直ると真剣な表情で俺を睨む。
言いたい事はわかる、しかし、ラドヴェイドから聞いた情報を口に出すわけにもいかない。
そもそも、ラドヴェイドはあの神父が魔道器を使って洗脳をしていると看破したわけだが、
それは所詮魔力の流れから判断したに過ぎず、証拠があるわけじゃない。
更には下手をするとソール教団に指名手配を受けてしまう可能性すらある。
こんな場合は冒険者協会も庇ってくれないだろう。
それをティアミスに話すのは色々とまず過ぎる。
「その辺あまり深入りしないほうがいいかもしれないぞ」
「それって、教団のことよね?」
「ああ……」
「私、ああいう宗教ってあまり好きになれないの。排他的っていうか……」
「俺もそう思うよ、だけどそう言う考え方は少数意見なのも事実だ」
「そうね、それはそう。ファーニスさんがあえて教会の事を避けるように話してたのも多分その事を自覚してるから」
「だろうね」
「でも、奥さんは明らかにおかしくなってるわ」
「否定はしないが、教会が何かしたという証拠はない」
「うん……」
「それよりも今はリールー嬢の捜索が優先だ。場合によってはそれで奥さんも元に戻るかもしれないしな」
「そうだね」
ティアミスはまだどこか不満が残っているようだが、それ以上はつっこんでこなかった。
教会を疑うには証拠も足りないし、実際ソール教団の権威の強さも知っているのだろう。
ぽっと出の俺なんかよりずっと。
そもそも、俺の場合はもしかしたら、誘拐のほうにも教会が関わっているのではないかという気すらしていた。
もちろんこちらは全く根拠がないため、保留中である。
話しながらもティアミスは捜索を続けていたらしく、川のほとりまでやってきた。
「……まずいわね」
「川の向う側までいってるのか?」
「分からないわ。川がある事で地面が石ばかりになって足跡がなくなってるしね」
「それは……とりあえず川の向こう側に足跡がないか確かめるしかないんじゃないか?」
「そうだけど、真正面の川を渡った可能性は低いわ、かなりの川幅だし、つまり上流か、下流に行ったって言う事。
そのうえ、渡ったのか戻ったのかもわからない」
「戻る?」
「そう、上流か下流に行った後、また後ろに引き返した可能性もある」
「……あり得ないとは言えないな確かに」
しかし、そうなると両側の足跡を上流から下流まで一通り探さねばならないと言う事になる。
その上、この足跡が最新であるという根拠もない。
このままでは、八方ふさがりになってしまう。
手掛かりは……ん?
「なぁ、あれって……」
「シッ!」
ティアミスに口を塞がれ茂みに連れ込まれる。
体格差があるってのに、勢いでやられてしまった。
まあそれはともかく、川の向う側に小汚い服を着た男が数人、斧や剣、槍などのオーソドックスな武器を持って現れた。
あれを見たら山賊くらいしか思いつかない。
明らかに、そう言う風体をしている。
「ちっ、お頭もさっさと村を襲っちまえばいいのによ」
「何言ってやがる、今の俺達の人数じゃ自警団でもいたら壊滅しかねないんだぜ。そりゃ慎重にもなるっての」
「そりゃあまあ、予定が大きく崩れたからな……しかし、お頭もあの情報どこから得てるんだか」
「しっ、めったな事言うもんじゃねぇぜ。お頭の耳に入ったら殺されるかもしれねぇ」
「まさか、今俺達のうち誰かでも減ったら困るのはお頭だぜ?」
「まあな、あれだけやられちまっちゃ……いくら大金が入るってもな」
そんな話をしながら向う岸を歩いて行く山賊達。
今の話を聞く限り、人数は少ないのだろう、いくら多くても20人はいまい。
村の自警団の組織できるレベルがその程度だからだ。
ましてやストミナの村の事を指しているのなら、もっと少ない10人前後しかいない可能性もある。
しかし、それでも俺達の倍以上。
正面からやり合うにはかなりきつい。
だが、今の感じからすればリールーを攫ったのは彼らである確率はかなり高い。
「行ったみたいだな……どうする?」
「一度、ウアガ達と合流しましょ。その上で調査を続行するわよ」
「だが、相手は山賊だ……小規模らしいとは思うがそれでも10人以上いたら俺達の手には負えないんじゃないか?」
「そんなの、やってみないとわからないでしょ!」
「……わかった、とりあえず合流しよう」
教会から魔道器を奪うのも難易度が高いが、あくまで俺は自分の身に危険が及ばない範囲でちょっかいを出す予定と言うだけの事だ。
しかし、山賊はモンスターとは違う、人間だ。
下手をすると人間どうしの殺し合いに発展しかねない……。
それだけじゃない、こちらよりあちらのほうが人数が多いのはほぼ確実だ、偵察に来ていた男たちが3人、ボスが1人で最低4人。
しかし、偵察にボス以外の全員が出るはずもない、最低でも偵察に出る人数より多くの人数が残っているはずである。
その事も考え併せると、一番最低に見積もっても7人。
それでもほぼこちらの倍の人数となる。
俺達の戦闘者としての質が相手を大きく上回っているならそれもいいかもしれない。
しかし、簡単に計算して見ても、相手がチンピラレベルだとして、パーティ4人のうちウアガはそれより確実に強い。
ティアミスは難しいところだが少しは強いだろう、俺は……残念ながら好くて同レベルというところ。
ニオラドのじいさんはいくらなんでも戦力外だろう、回復用の薬を用立てたり、後は刺激物を投げつけるといったところか。
つまり、ウアガが盾になって3人防げたとして。
ティアミスが2人、俺とじいさんががんばってそれぞれ1人を受け持たなければ7人に対抗できない。
もしも8人以上集まっていたらお手上げだ。
そんな事を考えているうちに、パーティの合流地点まで戻っている。
そこには既にウアガとニオラドのじいさんが来ていた。
「ほうほう、つまり、ワシらのパーティだけで何人いるかわからない山賊を倒すと言うんじゃな?」
「そうよ。正直成功できるとは限らないけど、各個撃破でいけば十分何とかなるはず」
「確かにの、ウアガよ、おぬし何人までなら引き受けられる?」
「俺は相手が並の山賊なら2人同時に相手にしてもなんとかなるとは思うが」
「フム、では一度に戦えるのはせいぜい5人じゃな。むこうのアジトにいる人数が5人以下ならいいがのう」
「それは……」
「ティアミスよ。山賊が幾ら少なかろうとアジトには10人はいると見るべきじゃ。
我らだけでは返り討ちにあうのが関の山よ」
「でもッ!!」
「まあ待て。何もやらぬとは言うておらん」
「どういう事?」
「ようはじゃな。山賊の壊滅が目的ではないじゃろう? もしも、奴らに娘子が監禁されておったなら助け出すのが目的じゃ」
「ええ……そうだけど」
「ならばいい方法があるぞい」
「方法?」
「まあ、任せておくがよい」
「ニオラドがそこまで言うなら……」
ティアミスを言いくるめてしまったニオラドのじいさん。
薬を使って山賊を嵌めるとなれば幾つか思いつく事もないではない。
しかし、それは現在人の俺の知識としてだ、この世界の薬師が出来る事はよくわからない。
「ではまず、おぬしらにはこういう草を集めてもらうぞい」
そう言って懐から取り出したのは、しなびた草だが、葉が特徴的な草だった。
六角形をした葉というのは初めて見る。
ニオラドのじいさんが言うにはこの周辺に生えているはずらしい。
何に使うかもわからず俺達はその草を探し始めた。
実際、見つけるのはさほど難しくはなかった。
それらの草はやたら背が高かったからだ。
「まあ、楽でいいが……どのくらい集めればいいんだか……」
「そうじゃの、とりあえず背負っていけるだけ取ってくるんじゃ」
「へーい」
そうして一時間ほど、結構な量の葉を持ち帰ったが、ニオラドはそれを刷り潰して何か別の粉と混ぜている。
かなり水分が出ているはずなのだが、その粉を混ぜると不思議と水分が飛んでいるようだった。
そして、粉から緑色の色素が抜けてだんだん白っぽくなってくる。
本来、こういうのはすり潰したものを煎じて薬湯にするか、晒して日干ししてからすり潰すかのどちらかのはずなのだが。
まるで日干しした後のように乾いた粉が出来てきた。
その辺り、やはり魔法の世界と言ったところなのかもしれない。
「さてと、次はじゃな。この葉を持ってきてくれるかの?」
「こりゃまた変わった葉だな……だがここらに生えているのか?」
「川の近くにあるはずじゃ。こっちは逆に背が低いので好く草むらの中を探すのじゃぞ」
「りょーかい」
そう言う感じで今度は暫く別の草(今度はクローバーを少し大きくしたようなもの)を探して持ってくる。
それもまた、ニオラドのじいさんはすり潰す。
しかし、今度はそれだけではなく、少し火をつけてすぐに消した。
これも水分を飛ばしているのだろうか?
それだけではないのかもしれないが……。
その後、こちらは数種類のハーブと思しき枯れ葉をすりつぶし、粉に混ぜる。
2種類の粉を作り出したニオラドは準備万端だとニヤリという感じの嫌な笑いで応じ俺達を引かせた。
だがこれを使えば上手くいくというニオラドの考えはまだよくわからない。
「これで十分じゃろ」
「それで、その2種類の粉は何に使うんだ?」
「それは使ってみてのお楽しみじゃ」
じじいのウインクは胸糞悪くなるものがあったとだけ言っておこう……。
早速俺達は、川の手前の草むらまでやってくる。
だが、川の手前で待機という訳にはいかない、奇襲するにしても、その香の効果範囲に誘い込むにしても気付かれたら終わりだ。
援軍を呼ばれる可能性もあるし、そうでなくても騒ぎを聞きつける可能性もあった。
そのため、多少濡れるのを覚悟で川を横断し、
その上でじいさんに持たされた香を片手に、もう一方の手に葉っぱのうちわという情けない格好で敵を待つ。
というか、なんで俺にこんな役目を……。
ともあれ、それから一時間ほど、いい加減じれてきた頃になって、ようやく見張りが現れる。
また3人組みのようだ、もしこの香が効かなければ俺は多分捕まるか、殺される。
俺はその事に気づきおぞけを振るう。
だが今さら後には引けない、道の風上になる場所に潜んだのは動かなくても済むからだ。
とりあえずぱたぱたと葉っぱのうちわを動かし、袋の口から取り出した香を飛ばす。
俺は持ってきていたタオルで口元を覆っているが少し不安だ。
恐らく香の効果はかなり強力なものだろう、自分にかかったらシャレにならない。
暫く粉を飛ばしていると、いつの間にか聞こえていた会話がとぎれとぎれになり、そしてパタリと音がした。
俺は少しだけ顔を出して通路側を見る。
そこでは3人の見張りが仲良く眠っていた。
「よし、成功じゃな」
「凄い効果ですね……」
「まあ、相手も元々気を抜いていたようじゃったしな。頭に血が上っている相手には全く効かないのじゃが」
「なるほど」
どちらにしろ、このままにしておくわけにもいかない。
俺は武装をはぎ取ってから持っていた予備のロープ(前のクエストでの失敗を胸に複数持つことにしている)で木に縛り付ける。
剣と斧と槍を持っていたがどれも錆びついているので使い勝手は悪そうだ。
「しかし、ニオラド……凄い香を作れるんだな」
「なあに、ワシにとってはこの程度朝飯前よ」
「それで、こいつらどれくらい寝てるんだ?」
「これくらい吸い込んだなら半日は目を覚まさんじゃろうな」
「それはよかった」
ともあれ、その偵察の山賊は放置し、慎重に奴らのきた道を引きかえす。
それ自体は簡単なものだった、足跡を隠す気もないらしく、何度も歩いて踏み固められた道を進むだけでよかった。
山賊のアジトはお定まりというか何と言うか、洞窟を改造したもののようだった。
中はうかがい知れないが、外からは洞窟にしか見えない、とりあえず2人の門番がいるのは少々困る。
そして、入口付近の岩陰からまたお香をぱたぱたと仰ぎ門番を眠りにいざなう。
「全部これだけで済ませられれば楽なんだけどな……」
「そう言う訳にも行かんよ。この香は効き目も強いが、揮発性が高い、
袋から出してほんの少ししか効果を発揮できる時間がないんじゃよ。
その間に鼻孔か口から侵入出来ねばこの粉はただのホコリと同じじゃ」
「へぇ、よくそんなのが袋の中にあるだけで長持ちするんだな」
「その袋はかなり厳重に空気を遮断するからの、せいぜい出す時の穴から入る空気以外は殆ど届かん」
「なるほど」
「まあ、そこでじゃ。もう一つの袋の出番となるわけじゃな」
「今度はどんな効果なの?」
「ここで、焚き火でもすればわかる事じゃよ」
「焚き火?」
言われて仕方なく俺達は周辺の枯れ枝等を集めて火をつける。
その間ウアガは中から人が出てこないか警戒し、ティアミスは門番達を武装解除して縛りあげていた。
俺はその間にどうにかこうにか火を起こす事に成功した。
因みに少し入口から離れた場所で携帯用の火打石を叩いていたのである。
時々高い音が鳴るので、中まで聞こえていないかビクビクものだったが。
木の棒を使った火の付け方なら音はさほどでもないだろうが、慣れていないと数時間かかるため、とてもお勧めできない。
それに、門番の交代時間になれば確実に気付かれる、それまでに全て準備を済ませないといけなかった。
幸い、中にいる山賊には聞こえていなかったようで、入口でのたき火は上手くいった。
正確には、洞窟入口を毛布で覆って煙が外に逃げにくくしている。
張り付け作業はニオラドのじいさんと俺だった。
小間使いみたいだな、俺……。
にしてもニオラドのじいさんも用意がいい、かなり粘着性の高い接着液を持っていたお陰でこういう小細工ができた。
「後は奴らが出てくるのを待つだけじゃ」
「出てくるって……まさか!?」
「何、大したものじゃない。鼻がツーンとして目から涙が止まらなくなる煙じゃ」
「あー、って捕まってる人間が本当にいたらどうするつもりだ!?」
「そりゃま、暫くは鼻がツーンとして涙が止まらなくなり、喉もつらくなるが、別に健康に害はない。
山賊を倒してから優々と助けに行けばいい」
「……その辺は諦めろってか?」
「その通りじゃな、我らの安全と、人質の安全の両方を確保する策なのじゃ、多少人質から嫌われるくらい我慢せい」
「へいへい」
一種の催涙ガスってわけか……そりゃたまらんだろうな。
それでも、一応身構えて俺達は待っていた、すると10分もしないうちに山賊どもが飛び出してくる。
それを俺達は落ちついて迎え討ち、あっという間に制圧した。
中にいたのは10人、つまりあわせて15人いたと言う事だ。
まだ全員と言いきれるものじゃないが催涙ガスを始めて食らったなら飛び出してくるしかないはずだ。
何せ出てきた奴らは皆青い顔をして目を押さえ、鼻を掻きむしったり、咳を連発していた。
大抵はウアガが適当にどついて気絶させるだけで決着がつく。
更に10分待ち、煙が引いてきた事を確認して俺達も踏み込む、もちろん口元にはタオル装備が必須だ。
奥に進むと、まだ煙が晴れていないのだろう、少し鼻がツーンとしてきた。
タオル程度じゃ濾過出来てないと言う事だろう、とはいえ今はほかにどうしようもないんだが。
「こりゃ本当に全滅かね?」
「多分そうじゃない? でもニオラドびっくりするほど応用の効く薬師なのね」
「まあの、これでも冒険者をしている期間が長い、何が戦いに役に立つのかは知っているつもりじゃ」
「これは私よりニオラドにパーティのリーダーを任せた方が良かったかしら」
「そうでもないぞい、戦闘が不得手なのは事実じゃからの。戦闘指揮などとてもできんよ」
「それはわかるけどね」
そんな感じでかなり進むと、大きな部屋にたどり着いた。
だが、俺達はもう全員倒したという油断があったのだろう、扉を開けた後両側を確認するのを怠った。
結果、ウアガがいきなり昏倒させられていた。
額から血を流して……。
そう、一人だけ俺達と同じように口元に布を巻き、どうにかこの場でとどまり続けた男がいたのだ。
もちろん、目からは大量に涙を流し、鼻水もたれっぱなし、口元もひく付いておりとても戦いができるような姿には見えない。
しかし、確かに目の前の男はウアガを昏倒させている。
持っているのは長めの棍棒、両手を開いて槍のように構えている。
恐らくは、あれは元々武器じゃないのだろう、たまたまひっつかんだと言う感じを受けてならない。
しかし今の俺には、そうウアガが倒れた事で一人前衛となった俺にはかなりつらい事実だった。
俺はショートソードを構え直し、棍棒による攻撃を受ける。
だが、棍棒の攻撃は受けたショートソードを通して手がしびれるほどだった。
それだけじゃない、手足がしびれて麻痺したように動かない、煙の影響かと一瞬思ったが足が震えているのだ。
そう、俺は目の前で血走った目に涙や鼻水を垂れ流し、巻いたタオルの下からわかるほど咳き込んでいるこの相手が恐ろしい。
その時唐突にわかってしまった事があった。
実力云々じゃない、俺は殺されることが怖いのだと、傷つけられる事を恐れているのだと。
もちろん思考を切り替えなければと思いはした、しかし、一度ビビってしまった思考はなかなか元に戻らない。
手足も震えが止まらない。
オークの時はもうちょっとマシだったと思ったが、考えてみればオークはこれほど執念を燃やして襲ってこなかった。
人は恐ろしい……、オークならこんな奇襲はかけてこなかったろうし、こちらの気の緩みまで見分けられなかっただろう。
それに、どう考えてもボロボロなのに、既にウアガを倒し俺を追い詰めている。
それは、人の持つ執念の形なのだろう……。
何度目かの攻撃を受け、とうとう俺の持つショートソードは弾き飛ばされてしまった。
早く逃げなければと思うが足が満足に動かない。
「シネェェェェェェ!!!!」
もう駄目かと思ったその時……目の前の男は唐突に倒れ伏した。
背後から一撃をもらったらしい、前のめりに倒れている。
俺は視線を上げて山賊を倒した何かに目を向ける。
そこにいたのは……ドラクエに出てくるような青い神官服の女性。
神官衣の下に着ているのはワンピースなので正確には同じというわけではない。
しかし、ふんわりとした衣服の上からでも分かるくらいの我儘ボディ。
勇者パーティの回復役、淡いブルーの髪も慈愛に満ちた微笑みも変わらぬその女性は、
ハーフエルフと思しき少女を背後に庇って俺達を見つめている。
その名をフィリナ・アースティアという……。