<QWERTYナンバー製作に当たっての構想及び草案 三頁目>
@生まれ変わった不死身の肉体 A7つの力を備えた思考可能な機体 Bこれまでの拠点防衛用ではなく、敵拠点、もしくは拠点奪還の任務遂行を重点に置いた機体設計
Cマザーブレインもしくは人からの指令を受理不可能な状況においても任務を完遂できる柔軟な思考
Dこれまでナンバーごとに特化して持たせていた役割を、同ナンバーチーム内に割り振ることで連携のとり易さを優先
E思考プログラム以外のシステムはこれまでのものを流用
Fただし、一般市民の目に触れる任務も受け持つ為、これまでのインベーターの姿を摸倣したものではなく、一目で人類の味方だと判別できるような外装を
G8番目の刑事的な H外装は騎士の姿を採用
以上。
これまでの案を受け(Pro.イチジクの案を除く)QWERTYナンバーの機体は人間近い思考プログラムを搭載することとする。
骨格は大幅に変更し、人間の成人を基本とする。
特化した9の役割を同ナンバー内で持たせることで少数精鋭でのチーム作りを目指すこととする。
装備自体はこれまでのものを流用し、コストを抑えることとする。
少数精鋭ゆえに敵拠点・敵陣の中枢のみの撃破、取り残された人命の救助などの任務を負うことが多々予想される為、重装備状態の外装でも人の形を大きく外れないこととする。
外装は黒のギャンベゾン調の装甲の上に、黒と金を基調としたプレートアーマーを装着した騎士の姿をイメージとする。
甲冑を着込んでいるというよりは、肌の上に直接フィットして装着されて、人間のような体つきが見て取れるようにすることとする。
敵である金属生命体の攻撃方法は骨格が変形したブレード状の武器、重量ある巨体からの殴打が主であるため、プレートアーマーの外観はゴシックアーマーを見習い角度をつけて正面からの攻撃を逸らし、損傷を抑える。
また、パレードアーマー、もしくはゲームなどに出てくるような装飾性をもたせることとする。
アーメットヘルムの眼部はスリットではなく、これまで同様黒色のバイザーを使用する。
より詳しい構造設計は別紙で通達する。
なお、開発チームはPro.イチジクの参加を断固として拒むことを厳命する。
彼の腕は認めるが、人類にはまだ早すぎる。
47年目 4月7日 第5司令部 North Star A
エリア47
アジア圏内に位置するそのエリアは、
世界地図の大半を埋め尽くす危険色の赤でべったりと塗られたほかと同じく、
50年以上前から不可侵地域で、
今は戦場だ。
人はなんにでも名前をつけたがる。
森羅万象に。
子供に。
無機物に。
現象に。
空想に。
名は体を表すという言葉があるが、実際にその通りだろう。
名前を付けることによって、体を決める。
体を。すなわち器を。
器は境界だ。
名付けによってその存在を確かなものとする。
二元論ではこの世は語れない。
しかし人間は二元論の眼鏡をかけている。
故に。
二元論ではないがための曖昧さを名付けで律し、己の常識の理解範囲内に収めるのだ。
そして支配するのだ。
名前を付けることによってその存在の範囲を、実際よりも小さく、あるいは大きく区切ることによって、それ以上、それ以下での行動を禁ずる。
鶏が空を飛ばない鳥を指すように。
亀が兎には勝てないことを足を持つことを指すように。
水が透明な液体を指すように。
その存在を区切り、支配下におく。
自分は人ではないが、この状況に整合性を持たせるため。
また。
この状況を支配するために、見習って名前を付けるとしよう。
基地のほぼ中心にある、基地にとって一番重要な部屋。
そこからハブのように、あるいはヤマタノオロチのように伸びている、人間用にしては少し大きめの通路。
通路は通路だ。
他に呼びようもない。
なので、番号をつけて表そう。
自分がいる通路を1の通路とする。
隣にいるのは寡黙な
028と、冷ややかな舌鋒を持つ
022。
時計の針を兎のように追いかけて2の通路。
024、
026、
029。
寡黙人のアイアンとジャイガンターを同じ通路に配置しなかったのは、二人の持つ役割が似通っているからではなく、あの無言空間に耐えられるものが仲間内では誰もいないからだ。
その気まずさは苦労性のジャックでもダメだったらしく、以前そういう組み合わせをしたときに、後で泣きつかれてしまった。
1の通路とほぼ真反対にある3の通路には、
021、
025、
023。
自尊心の高いクォーターと皮肉屋のウィルを組ませたのは冒険だったが、癒し(強制)系のクロムサムが緩衝(強制)材となっているようで、うまくいっている。
俺たちは機械だ。
人によって造られ、人に設計された思考回路をなぞる。
本来ならば、これほどまでに色濃く性格が出ることはない。
だが、プロフェッサー・イチジクによって組まれた思考プログラムを搭載している俺たちは違う。
欠点と評する者も、革新と捉える者もいる。
実際のところがどうなのかは、俺たちには判らない。
ただ────
「負傷!
024負傷!!」
「アイアン、シールドを展開してジャックを退かせろ! オーバーナイン、二人の援護! キャッチ、ここはいいからお前も行け!!」
金属製の壁と床に反響する砲撃と破壊音を切り裂いて、耳に飛びこんできた悲鳴じみた声に、怒声を返す。
────このような判断ができるのは、俺たちだけである。
俺の指示が終わるよりもはるかに早く。
右腕のシールドを展開したアイアンが、騎士甲冑を模した装甲に大穴を空けて倒れたジャックの前に出る。
アイアンはその身を盾とし、左腕で動けないジャックを抱える。
合理的な思考を好むと自しか認めないアイアンらしい行動だ。
大抵の攻撃はそのぶ厚い装甲で無効化してしまうアイアンであるが、その分移動速度を犠牲にしている。
アイアンの脇から、セイバーを持ったオーバーナインが跳び出し、アイアン──正確には負傷したジャック──を狙う照準を己に向けさせる。
囮役。
オーバーナインは機動力が高いとはいえ、最も危険な役柄だ。
また新たな負傷者を出しては意味がない。
だから、リスクを減らす。
敵陣の中に孤立する形となってしまったオーバーナインを背後から襲おうとした敵の一体が銃撃に体勢を崩し、続けざまに撃ち込まれた連射に生命活動を停止する。
「援護おせえよ、キャッチ」
「お前を援護する気などさらさらない」
連射性能の高いバスターを両腕に装着したキャッチ。
口の悪さとは反比例する狙いのよさで、オーバーナインの隙を埋めるように銃撃を叩き込む。
オーバーナインの挙動と紙一重の位置を裂いていく銃弾だが、決してオーバーナインに当たることはない。
オーバーナインも背後からの銃弾を気にすることなく、自由に敵を切り裂く。
任務前にケンカをしていたとは思えないコンビネーションだ。
普段からこうだと助かるのだが。
その状況を視覚ではなくレーダーで捉えながら、俺も別の通路から向かってくる敵の先頭にマシンガンの銃弾を叩き込む。
027がハッキングをしかけている転送ポート集中制御装置があるこの部屋は、実に合理的なことにいくつもの通路と繋がっている。
通路は人間が通ることを目的として造られているためそこまで広くないが、機材や大型のロボットを運ぶことも考えられているので、敵もあまり詰まることなく向かってくる。
多く伸びた通路のうち、敵が出現しているのは三つだ。
占領された基地を奪取するために送り込まれた部隊は自分たちQWERTY部隊第二分隊だけではないが、一番早く基地の中心、管制室に辿り着いたのが自分たち第二分隊なので、それ以外の部隊は足止めに撤している。
当初の作戦どおりだ。
問題は予想よりも敵の数が多かったことだ。
そして。
「ニーナ、突破は可能か!?」
制御装置の防壁プログラムが強化されていたことだ。
そのために作戦予定時間よりも時間がかかっている。
後は転送ポートを開放し、本部に待機している本隊をこちらに送ってもらえば自分たちの任務は終わりだという最終段階だ。
その間に他の部隊が突破されると、一気に敵がなだれ込んでくることになる。
これ以上敵が増えたらさすがに一人あたりの許容量を越える。
ジャックの戦線離脱によって状況はさらに悪化している。
最初の配置とは違い、今は1の通路に俺とジャイガンター。2の通路にオーバーナインとキャッチ、3の通路は変わらず、ウィルとクォーターとクロムサムだ。
だがクロムサムはジャックの損傷修復のために一時戦線を外れなければならない。
通路の奥にある管制室にいるのがニーナだ。
敵の死体が足下に転がる中を、一人で任務に当たっている。
時間がかかれば負傷が増える。
替えのきく機材で固めたバリケードも限界である。
この作戦の成否はニーナにかかっているといっても過言ではない。
そして自分はニーナなら可能だと考えたからこそ、このような作戦を立案したのだ。
「予想よりも堅いけど、パターンを解析したらワケないわ! あと35秒待って!」
「了解っ!」
革新的とはいっても未だに他ナンバーと同じく男女の区別が薄い俺たちの中では、唯一女性と判別できるニーナが常にある快活さで威勢よく言葉を返してくる。
信頼は疑いから始まるが、信じたからには疑いが差し挟まる余地は無い。
35秒。
短くはない。
だが。
ニーナが35秒というのなら、それ以上縮めることは不可能であり、長くなることもないだろう。
だから俺も、35秒を持ちこたえるための作戦を立てる。
「ウィル! 情報をこっちに回せ!!」
アイアンとジャックが無事に戦線離脱したのを確認しながら、別の三つめの通路を防衛しているウィルに指示を下す。
「了解、隊長!!」
「・・・・・・・・・・・・」
隊長という単語に思うところがないでもないが、今は封殺する。
ウィルは索敵や情報処理に優れた固体だ。
もちろん情報処理に一番優れているのはニーナだが、発揮される場面が違う。
ウィルは『場』の情報処理に優れているのだ。
次に優れているのは自分だ。
ウィルと自分の間に擬似的なシナプスを形成し、演算処理能力を一時的に底上げをする。
そこにウィルが持っている全隊員分の演算データを打ち込み、空間を数式化する。
数字と記号の先、
=で導き出されるのは未来。
世界が広がるような感覚。
体は確かにここにあるのに、俯瞰からの風景で全体を捉える。
自分が分裂したような気分。
自分がこの俯瞰の世界のなか、どこにでも存在するような錯覚。
あるいは。
どこにも存在していないような幻想。
無限に存在する自己と原点が消失する自己の狭間。
見失いそうな自分の意思で、手を伸ばして答えを掴む。
タイムは残り約32秒。
全員で生き残る・・・・・・!
「クロムサム、マガジンが空になるまで掃射後、ジャックの応急修復に向かえ! アイアンはそのままウィルの援護! クォーターはオーバーナインの回収と指定するポイントに吸着式爆弾をしかけ、キャッチと共にポイントを攻撃し天井を崩せ! オーバーナインは指定する敵の足止め! ウィル、足止めする敵はわかるな!? アイアンは4秒後に指定するポイントにミサイルを撃ち込んで天井を崩せ! ジャイガンターは3秒後に指定するルートでブレスト砲を照射!」
矢継ぎ早に、一気に指令をとばし、それぞれに秒よりも細かく正確なカウントダウンタイマーとポイントマーカーを送る。
クロムサムは隊で唯一修復技能を備えた機体だ。もちろん設備が無いこのような場所での修理は高が知れているだろうが、ジャックの損傷具合を視る限り重傷ではあるが重体ではないので間に合うだろう。
アイアンも傷を負っているが、装甲が並ではないので損傷は軽微だ。
クォーターは隊で一番飛行能力が優れた機体だ。
飛行とはいっても戦闘機のように飛べるわけではないが、利用できる空間の範囲が増えるということはアドバンテージを優位に得ることができる。
宙を飛ぶクォーターに掴まり掴まれながら、同じように宙を移動するオーバーナインは視界内に表示されている敵のマークが表示されている箇所に赤色のセイバーで斬を入れていく。
セイバーが届かないところにいる敵には、同じマーカーが視界内に表示されているキャッチが正確に撃ち抜いていく。
もちろん反撃も食らうが、直撃する弾や近接武器による攻撃はセイバーの軌道で打ち消され、無視できる程度の損傷に収まっている。
通路の途中、敵群の只中を抜けたあたり。
その天井に吸着式の爆弾を空いている手でしかけ、クォーターはオーバーナインを連れて部屋の中に飛び込んでくる。
「キャッチ!!」
「わかってる!」
瞬時にキャッチが放った銃弾が爆弾を撃ちぬき、派手な爆発をあげさせる。
建物の構造、材質、密室性、それによる爆風の広がりと衝撃の伝わり方を計算された位置に仕掛けられた爆弾の爆発は、天井を大きな瓦礫のままに崩れさせ、二つ目の通路を塞ぐ。
三つ目の通路はアイアンのミサイルによって、俺がいる一つ目の通路はジャイガンターによる両腕からの砲撃で軌道上の敵を融かしながら崩れた。
もっとも、一つ目の通路は熱放射による砲撃によってなので、天井部分が丸まま落ちてきたといったほうが正確だが。
ともかく。無事にすべての通路を塞ぐことができた。
あまり取りたくはなかった手段だが仕方がない。
今までたった十機で持ち堪えられたのは、道が敵の体格に比べて狭いからだ。
つまり一度に襲ってくる敵の数が限られてくる。
一度に100体余りを相手にするような事態がなくなるのだ。
加えて、通路が一本道だということもある。
通路自体はこの部屋からハブのように伸びてはいるが、その通路自体は一本道だ。
横道からの奇襲を警戒する必要がなくなる。
だが天井を崩してしまうと、その利点が崩れてしまう。
天井が崩れたことによって、その空いた穴からの増援・奇襲。
もしくはより大型の敵の出現。
だが、今は少なくとも前方からの攻撃をある程度防ぐことが出来た。
残り約26秒。
それくらいならば、なんとかなるだろう。
楽観に基づく希望的観測ではない。
イレギュラーを要素として含まない場合の演算に基づく、たしかな答えだ。
イレギュラーは式に要素として入れるだけ無駄だ。
イレギュラーは出現するだけで全てを狂わせる。
イレギュラーは含まれるだけで全てを停止させる。
対策は意味をなさない。
対策の外側を回って中心を突いてくるのがイレギュラーだ。
あるいはワームホールを通るように、いつの間にか中枢に出現している。
全≠フなかに不明瞭な異物として気づかぬ間に含まれている。
万全万策を打ち崩すものだ。
できることといえば、イレギュラーをイレギュラーであると早期に認識し、被害を最小限に食い止めるだけである。
QWERTYナンバーの機体がすぐに生産中止となったように。
「え、ウソ。なにこれ・・・・・・?」
だが。
「どうした、ニーナ?」
「それが、その・・・・・・プロテクト、突破できちゃったんですけど・・・・・・・・・・・・」
イレギュラーが悪いものばかりだとは、限らないようだ。
「なに? 早いな。何かあったのか?」
天井のバリケードは厚く、こちらまで届く敵の攻撃が少なくなったため、先よりかは落ち着いて話しをすることができる。
隊全体がすこし後退したというのも要因の一つであろうが。
ともかく。
ニーナの報告は冷静に判断する必要がある。
ニーナはまだ戸惑いが抜けていない口調で応えた。
「いえ、その。わたしにもよくわからないんですけど・・・・・・。とにかく急に転送ポートのプロテクトが解除されたとしか」
「敵の罠という可能性は?」
「いえ。考えて確認しているのですが、それらしい様子は」
「ないのか」
「はい」
ニーナの言ったことを整理する。
ニーナの言葉を疑うのは愚行であるので最初からしない。
大した原因もなく、敵の罠でもなく、いきなりプロテクトが解除されたと。
「イレギュラーだな」
まさしく。
これ幸いとホイホイ転送ポートを使うには不確定要素が多すぎる。
ニーナからデータを受け取り、一緒に式を確認する。
「これは、転送にかかるプロセスが一部省略されている・・・・・・?」
「しかし原因はわからず、か」
ニーナとともに悩んでいる間に、思考ソースの一部を割いて本部と連絡を取ってみる。
もちろん、転送ポートの回線を介してだ。
これで少なくとも危険か否かはわかる。
「本部、こちらQWERTY部隊第二分隊隊長ナンバー020。転送ポートの解放を確認してくれ」
『────────────』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・了解。負傷者がいるためこれより本部に帰還する」
言葉ではなく送られてきた音の暗号信号を読み取り、返事をする。
俺の言葉も自動的に暗号化され、音として伝わっているはずだ。
現在の各部隊と敵の状況をデータとして送ってから通信を終える。
それと1テンポずれて、部屋の中心にある転送ポートが光り始める。
転送ポートといっても外観は単純で、5センチ程度の円座が床と天井にあり、その中間にメビウスの輪のような形状をしたリングが漂っている。
複雑なのはそれを制御する装置のほうである。
浮かんでいるリングは下から上へ、上から下へと回転しながら移動し、それに伴って光が強くなる。
「転送、完了しました」
ニーナが言うのと同時に、リングがもとあった装置の真ん中で止まり、転送ポートの中に人影が現れる。
管制室にある転送ポートはかなり大型で、一度に30人を転送することができる。
今回は当然ながら、その定員一杯まで人影があった。
エリア47に区分されている国らしく、鎧武者の外観をした機体である。
さすがというべきか、細かいところまで造り込まれている。
隊長であろう、長刀を背負った鎧武者がリングに触れ、リングの帯を収納させて円座から出る。
転送ポートはすぐにまた次の部隊を連れてくるべく光りだす。
「QWERTY部隊第二分隊、ご苦労であった。後は我らに任せよ」
「ああ。後は頼む」
素早く配置について敵を殲滅していく鎧武者に感心しながら、隊長と言葉を交わす。
「QWERTY部隊第二分隊、撤退するぞ!!」
予定よりも16秒早いが、問題はあるまい。
号令に、仲間は鎧武者の援護をしながら後ろに下がる。
アイアンはクロムサムと共にジャックの体を支えながら、後退してくる。
やがて、転送ポートから本隊の第二陣が姿を現す。
この基地内の他の転送ポートでも同じように本隊が転送されてきているだろう。
作戦は成功だ。
管制室の転送ポートは待機状態で光を収める。
予定だと、自分たちが撤退する番だからだ。
隊員たちが入っていくのを確認してから、本部のベースに座標を設定し終えたニーナと一緒に転送ポートの円座に乗る。
帯を収納して、円座の弧を描くように腰の高さで浮いている球体に触れ、リングに戻す。
統合情報原理発展学の理論に基づいて設計され稼動している転送ポートの発する光は強くなり、自分が丸裸に剥かれていくような錯覚に襲われる。
ベースの転送ポートの力場といくつもの中継点を挟みながら、管制室の転送ポートの力場とが結ばれる。
体が情報素に還元され、力場を介してベースのポートに転送される。
引っぱられるような感覚の中、
────××××────
助けて、と。
聞こえた気がした。
騎士がいた。
太陽の輝きと、
夜の静謐をその身に纏った騎士だ。
精霊に祝福され、
人に愛されて産まれてきた。
決められたことだったのかもしれない。
決まっていたことだったのかもしれない。
彼が勇者となることは。 無駄に権力を誇示するために無駄にお金と人を使って無駄に装飾過多に建造したという、無駄ではないかもしれない神殿。
頑丈で美しい白を持っている、非常に高価な石で造られた神殿のその床には、国史上でも最大級の魔法陣が描かれていた。
描いたのはわたしだ。
こればかりはいかに上の役職に就こうとも自分でしなくてはならない。
使うのは新品のチョーク。
使用済みでは話にならない。
まずは世界を区切るための巨大な円。
その円に触れるように、術者が入るための小さな円を描く。
北に一つ。
南に一つ。
東に一つ。
西に一つ。
それぞれの円の中にはもう一つ円を描き、外周と内とに分ける。
小さな円には典型的ながらも悪性を廃する火≠意味する上向きの三角形を。
その意味を崩さぬように三角形の内部に安定を意味する横線を引き、その間に
炎のルーンを刻む。
単純ではあるが、単純であるからこそ意味を重複することによって効果を得やすい。
円の外周には地の星と、
炎の神の名前、そして
盾のルーンを刻む。
中心の巨大な円の内には、次元を越えるための菱形を二つ組み合わせた八芒星を。
八芒星の内部には不可能を可能にする願いを込めた七芒星を。
八芒星の両横には不安定・活性化を表す縦線を引く。
縦線の外には、効果を得たいルーン文字を刻む。
勇敢・勇気を示す
雄牛のルーン。
閉ざされた門・茨を示す
氷の巨人のルーンを逆位置に配置することによって、その突破を。
召喚を補助するための移動を示す
乗り物のルーン。
災難を示す
嵐のルーンには逆位置が無いため、描き順を逆にすることで逆を意味させる。
盾のルーンと
人間のルーンを続けて描くことで人を守る意味を。
戦いを示す
男性のルーンと勝利を示す
太陽のルーンで戦いに勝利できる強き者を。
円の外周には十と二の正座のシンボルを逆位置で描き、太陽ではなく月の女性性と安定を意味させる。
最後に、全てのルーン文字の秘められた意味を暴露させるための『怒れる恐ろしき者』の名前と、同じ意味を持つ
アンザス神のルーンを水の星の方角に刻む。
術者は当然ながら四人。
サークルを閉じてからは円の内には入れないので、術者は既に魔法円の中に入っている。
三角形の二線の間に。ルーンを消さないように。
術者の内、わたしを含めた二人は人族。
もう二人は精霊族だ。
四人とも女性である。
人と精霊では使用する魔の属性が異なるため、通常は同じ儀式に参加することはないが、この場合はそれでいい。
次元の扉をこじ開けようというのだ。
ただの転移魔法とは違う。
安定だけを求めていては成功しない。
もちろん。
(失敗する確率のほうが高いけど、ね)
なにぶん、前例の無いことだ。
全てが未知数である。
異世界の生物を召喚しようとした例は、それこそ子供に聞かせる昔話の元となっている時代から数多くあるが、その全てが失敗に終わっている。
しかもそんな失敗の前例しかない召喚の為の魔法陣を描くのに与えられた時間がたった三日ときた。
大陸中の魔導書を読み解いても完成させられるかどうか怪しいというのに、これでは一冊読むので精一杯である。
(失敗しそうねー。これは)
描いたわたしが言うのもなんだけど。
わたしでさえそう思っているのだ。
他の者はいわずもがな。
術者の三人は顔面蒼白。
失礼にも程がある、とは言えないのが辛いところ。
神殿内の他の者も似たり寄ったりだ。
必死で祈りを捧げている者。
アクロバティックな祈祷を捧げている者。
手の平に何か文字を書いてそれを飲み込んでいる者。
瞑想しながら浮かんでいる者。
鼻や口や、果ては頭から煙を出している者。
寿命が十年縮みそうな舞を披露している者。
人間ピラミッドをつくっている者。
逆さまで自ら磔になっている者。
自分の葬式の準備をしている者。
いそいそと腰ミノと篝火の準備をしている者。
うん。
どれも冷静さを失っている。
彼らから見れば、わたしは冷静であるように見えるのであろう。
他人から見た自分と自己評価はいつだって食い違うものだ。
わたしはただ、冷めているだけだ。
成功するように魔法陣は描いた。
渾身の作だ。
でも。失敗してもいいと思っているわたしがいる。
異世界からの戦士の召喚。
馬鹿馬鹿しい。
自分の国を守るのに、世界すら違う者に頼ろうとする。
わたしたちでは守れなかったのだ。
わたしも貼ってあった湿布の如く王宮でヌルく過ごしてきたわけではない。
幾度も見てきた。
弾けとぶ人。
焼き尽くされる妖精。
自分の建てた家の下敷きになって潰れている人。
庇った子供ともども黒焦げになった親子。
涙を流せる子供はまだいいほうだ。
いくつもの意味のない争いを見てきた。
今回はまだいいほうだ。
報告を信じる限り、死者はあまり出ていない。
それでも、村を滅ぼされた者や、生活の全てを失った者もいる。
なんとかしなくてはならないのは、確かだ。
ましてや。
再来である。
(でも、そのなんとかがこれじゃあね)
わたしが内心でどう思っていようと、儀式は始まる。
笛が鳴り響く。
国で一番正確な時計が、一の日と二の日の狭間を示したことを知らせるための笛だ。
これもまた無駄な演出であることは言うまでも無い。
言うまでもないので口にはしないが。
口にするのは別の言葉。
意思ある言葉。
意味ある言葉。
呪いの、言葉だ。
パピプペポは少なめで。
「捧げるはその身体」
魔法円に光が走る。
『捧げるはその身体』
神殿内にいる全員が復唱する。
魔法円に走った光が安定する。
息を吸い込む。
唱えてしまったからには、口にしてしまったからにはもう止められない。
言葉はそれだけで魔術だ。
鎧もなにも関係なく人の隙間に入り込み、楔を打ち込む。
決して外れぬ、逆鉤のついた楔。
善い悪いは関係ない。
言葉とはそういうものだ。
口に出すだけで、意味があり、意思を持つ。
目を閉じる。
脳裏をよぎるのは差し出された大きい手。
かつて共に過ごした仲間たち。
そして。
死だ。
多くの。
無意味の。
理不尽な。
感じたのはなんだったのか。
心に残ったのは────。
魔を込めて、言葉にする。
「貫くはその槍。吊るすはその馬の木。差し出したるは双眼の片割れ。誑かされし王の触れし詩の一節の。必然の兼言を」
ルーンが輝き、意味を持つ。
魔法陣の全ての記号が意味を持ち、複合する。
『貫くはその槍。吊るすはその馬の木。差し出したるは双眼の片割れ。誑かされし王の触れし詩の一節の。必然の兼言を』
復唱によって、暴かれた魔法陣の意味が世界に影響を与えだす。
円の内側の空間が軋む。
光が直進しない。
景色が歪む。
直線上の魔法陣の中にいるはずの術者の姿が見えない。
見えるのは鼻で笛を吹いている者だ。笛なしで。
中心の大きな魔法陣だけが鮮明に見える。
円の内側に暴走寸前まで溜め込まれた魔力が循環し、さらに増幅する。
いまにも陣を内側から食い破りそうなその魔力の奔流を、外周の月の記号が抑え込む。
防御の魔法陣が干渉を受け、鐘を打ったような音が響く。
音は衝撃を伴って拡散し、脳を揺さぶる。
(呪文を唱え終わる前からこれとはね・・・・・・。自分の才能が恐ろしいわ)
脂汗と苦笑いを浮かべながら、震える肺に空気を押し込んで、結びを口にする。
「暴き、通じ──────為れ!」
『暴き、通じ、為れ!』
────────────────────────────────────
「っ!」
一瞬。
いや、
一瞬よりも短い時間だけ、意識をもっていかれてしまった。
(あ、ぶないわね)
危うく体が消し飛ぶところだった。
大規模な魔術の典型的な失敗例にお仲間入りするところだった。
プライドをかけて断らせてもらおう。
神殿内の他の者たちも似たようなものだ。
逆さまで貼り付けになっている者だけはまだ意識が戻らないようでぐったりとしているが、原因がどっちかわからない。
数時間前から逆さまだったから。
(それはどうでもいいとして・・・・・・)
防御の陣も敷いてあるし。
死にはしないだろう。
魔力さえ供給してくれたらそれでいい。
問題はこちらの魔法陣だ。
(ちょっと、やばいかな・・・・・・?)
防御のための魔法陣は早くも悲鳴を上げている。
中心の魔法陣にはまだなにも現れる気配がないというのに。
根性のないことだ。
他の三名も顔色は蒼白を通り越して真っ白に紅潮している。
(それじゃあ、ちょい気合い入れますか・・・・・・!)
魔法陣の中で循環している魔力のリズムと、自分の中の魔力の流れのリズムを同調させ、歯車のようにさらに魔力を増幅させる。
自殺行為のような増幅の仕方に、他の者も死人のような顔をしながら一歩遅れて後に続いてくる。
巨大な魔法陣のと同じスピードで体内で魔力を循環させているのだ。
内側から体が破裂するかもしれない。
良くて、だ。
本当に死んじゃうまで頑張ってもらうとしよう。
神殿はマナが溜まりやすいようにするためと、太陽を表す円に近づけるために三角形を二つ重ねた────つまりは六芒星の構造をとっている。
その溜まりに貯まったマナが魔力として中心の魔法陣に集まっていくのを感じながら、その魔力に指向性を持たせる。
イメージするのはカラスだ。
これはそのまま生贄を運ぶものともなる。
生贄は知識だ。
だからこその異世界からの召喚だ。
未知の知識を
喚び寄せる。
充ちる魔力によって神殿内が闇に閉ざされる。
光が届かない。
自分が立っている魔法陣の外は一切見えなくなる。
一人ぼっちだ。
焦り。恐怖。期待。緊張。
周囲にあった感情が届かなくなる。
最初からそうであったようだ。
ここにはわたししかいない。
他には誰もいない。
わたし一人だ。
わたしの居場所はこの光り輝く足下の魔法円の範囲だけ。
他には見つからない。
他には見えない。
この真っ暗な闇の世界で一人きり。
暗い暗い暗い暗い暗い。
暗い記憶が沸きおこる。
暗い路地。
暗い空。
暗い顔。
暗い毎日。
それでも暗黒ではなかった。
黒くはなかった。
仲間が一人消えた。
──黒い穴が空いた。
妹分が目の前で喰われた。
──黒い闇に覆われた。
いつもいがみ合っていた奴が踏み潰された。
────黒い涙が流れた。
抗争していた隣のグループのリーダーの首が牙に挟まっているのが見えた。
────黒い嗚咽が漏れた。
次の標的は私だった。
────黒い水が流れた。
黒い痛み。
黒い景色。
黒い記憶。
黒い傷。
黒い黒い黒い黒い黒い。
口から零れた黒い言葉は何だったか。
(──────××××)
思い出すよりも早く、闇が破れた。
いや。
闇が吸い込まれていっている。
巨大な魔法陣の中心に。
神殿を覆っていた暗く黒い闇は、半球の形状を保ったまま体積を縮めて、密度を濃くしていく。
(成、功・・・・・・?)
前例がないので判断できない。
ただ、荒れ狂っていた魔力がひどく落ち着いているのだけは見て取れた。
「あ・・・・・・・・・・・・」
誰かが声を漏らした。
黒い半球から光が一筋、天に向かって伸びた。
また一筋。二筋。
半球と同じ円を描くように光は天に走っていく。
そして筋が輝く円となったとき────
盛大に爆発した。
「なっ・・・・・・!?」
爆風。
爆炎。
阿鼻叫喚。
なんと見事な三段ジャンプ。
膨大な魔力の爆発は防御の魔法陣をあっさりと打ち砕く。
「あっ、くぅっ・・・・・・
盾のルーン」
漏れる声を噛み殺しながら、必死に防御の魔術を組み直す。
それでも魔法円で区切られた空間を突き破り、神殿の壁に叩きつけられて崩れ落ちる。
煙が染みる目をなんとか開けて、状況を確認する。
ムチウチのように痛む首を軋ませながら顔を上げる。
粉みじんになった魔法陣の中心。
拡散した魔力によって歪むその中心。
騎士がいた。
濃密な魔力の残滓が漂う中、天井に空いた穴から差し込む太陽の光に祝福された騎士。
パレードアーマーのような金色の鎧は、マルドルの涙のように光り輝いている。
首をわずかに椎に傾けて空を見上げる様は、昔話の挿絵そのままだった。
「────────っ」
息を呑む。
見惚れた。
他の倒れていた者達もしだいに起きだし、感嘆の声を上げる。
ささやきはやがてどよめきとなる。
「おお! 見ろ、成功だ!」
「勇者だ! 勇者が召喚された!!」
「なんと美しい御姿だ! これならばきっと魔王などすぐに!」
「戦闘力100万、だと・・・・・・!?」
「我らにも希望の河が流れ込んできたぞーっ!」
無能どもが好き勝手騒いでいる中、わたしは痛みと疲労でボイコットを訴える体に鞭をいれて、騎士の前へと進み出る。
騎士もわたしの接近に気がついたようで、顔をめぐらせ見つめてくる。
黒曜石のような目当を見返しながら、わたしは問う。
「汝、世界を救う者か」
彼は──────
転送完了の際にいつも感じる、戦闘の疲労とは明らかに違う気だるさで転送が無事に終了したことを知る。
スリープ状態になっていたセンサー類を再起動させる。
時間はそれほどかからない。
電流が疾る速度と同じだ。
その僅かな時間の間に、違和感を感じた。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・?)
回復した視界に映ったのは、荘厳な雰囲気を漂わせる石造りの建築物だった。
清水の舞台を取り壊すが如く大胆な模様替え。
無駄な才能が無駄に洗練した無駄な骨折りの無駄しかないホログラム。
本部のベースとはどのような可能性を考慮しても一致しない。
それに他の隊員たちもいない。
自分だけ違うところに転送されてしまったのだろうか?
確率はかなり低いが、ありえない事ではないらしい。
それにしては周囲に転送装置が見当たらないが。
ともかく、現在の位置を確認する。
広域通信を試みながら、周囲をセンサーで把握する。
建築物は全体的に白い石で建てられているようで、自分が立っているところを中心として罅割れや崩れが広がっている。
周囲には時代錯誤な服装をした者たちが大勢、壁に張り付くようなかたちで倒れている。
倒れている男女全員に打ち身があったり、軽い火傷があったりするが、命に関わるものではなく無視できるレベルだ。
意識レベルも問題はない。
じきに目を覚ますだろう。
燃焼物や可燃物は周りに無いので、これ以上の被害を心配する必要もない。
そうなるとなぜ火傷をしているのかがわからない、が。
男女比は男が圧倒的に勝っているが、どれも時代も地域もちぐはぐな格好をしている。
女は男と比べるとマシだが、白い布製の、言い表すなら神官服のようなものを身につけている。
ここで先ほど感じた違和感の正体が判明した。
センサーの類に微妙なノイズが混じるのだ。
邪魔されているというほどでもない。
だが、空気中に大量に散布している未確認の粒子があらゆる放射線を乱反射させるのだ。
短い周波なら問題はないのだが、弱い線は散らされてしまう。
しかもその粒子は、そこに確かにあるはずなのに計測できないという、
幽霊みたいなものだ。
グレムリンという言葉がぴったりくるかもしれない。
未確認粒子は危険性が無いと判断し、ひとまず観測を諦める。
同時に広域通信も諦める。
原因は不明だが、どことも繋がる様子がない。
念のためシステムをチェックするが、異常は見当たらない。
本当に、周囲に通信を経由する施設が無いようだ。
考えられないことだが。
よほどの田舎だろうか。
現在位置も不明なため、古典的な方法だが星の位置から割り出すことにする。
天井に空いたきれいな円形の穴を見上げる。
崩落の可能性は無さそうなため無視していたが、考えてみればおかしな穴である。
ぱらぱらと細かい瓦礫の破片が落ちてきているので、建築の段階にはなかったと見える。
むしろついさっき空いた穴か。
スポットライトのように自分を照らす太陽光を届けるその穴から、星を見る。
(・・・・・・・・・・・・なにか、おかしい)
星の位置は自分が持っているデータと同じものだ。
現在位置は北欧の辺りとわかる。
だが、なにかがおかしい。
まるで星がすぐ近くにあるような感触だ。
手を伸ばせば掴めそうな。
そしてまたひとつ、おかしなことを発見した。
倒れていた者たちが起き出したのだが、その口から出てくる言葉に聞き覚えがないのだ。
言語データベースには200以上の言語が広辞苑並みの詳しさで登録されているが、そのどれにも一致しない。
最も近い言語体系を持つのはアイスランド語か。
会話する際の表情。
その受け答え。
母音・子音の発音。
それらを元に翻訳を開始する。
翻訳は数秒で終わった。
精神の乖離を疑わせるような言動をする者が多くいたので、予想よりも時間がかかってしまった。
新しい言語体系をデータベースに登録し終えた時、一人の女性の接近に気が付いた。
整った顔立ちを、茶がかかった黒髪で包んでいる女性。
武装はない。
危険度はゼロ。
顔面の筋肉と喉の動きから察するに、何かを言おうとしているようだ。
彼女の目を見る。
まともな話が出来るかどうか確認するためだ。
怪我のために錯乱しているかもしれない。
彼女はしっかりと、自分の目を────目に相当する箇所を見つめ返してきた。
とても意志の強そうな瞳だ。
彼女はゆっくりと、薄い唇を開いた。
「わたしを世界の保存はあなたのするのですか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
登録した言語体系の翻訳プログラムに致命的なミスを発見。
ミスを訂正し、再翻訳する。
「汝、世界を救う者か」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「いいや、人類を守るものだ」
その言葉を打ち消すように。
────ドッッッオオオオオオオオオオオオオオオォォン 爆音と、そして悲鳴が空気を震わせた。
足下の罅割れを致命的なものとしてしまう勢いで床を蹴り、外に出る。
神殿に使われているものよりは安価そうな石で建てられた、長方形に近い形をした同じような家屋が並んでいる街並み。
道は舗装されておらず、踏み固められた土が露出している。
道は家にいる者全員が外に出てきたかのように人で一杯であり、皆、白を基調とした厚手の布製の服を身に纏っている。
事実、家から慌てて飛び出してきたのであろう。
人々は逃げ惑っている。
恐怖に彩られた顔の群れの向こう。
それを見て俺は絶句した。
紫色の夜空を背景に、悪夢のようなものが浮かんでいた。
蛇のような太い尾。
蜥蜴のような胴体。
鰐のような顔と牙。
蝙蝠のような巨翼。
虎のような鋭い爪。
「あ、あれは」
後を追ってきたらしい、先ほどの妙な問いをしてきた女性がいた。
険しい顔で、空に浮かぶ化物を見つめている。
「幾度も我が国を苦しめてきた邪竜・ニーズヘッグです!!」
指差して言う彼女に、俺はふと気になったことを聞く。
「竜? 竜は蛇が大きくなったような生物のことだろ? あれは蜥蜴が大きくなったようなものだからドラゴンと云うべきじゃあないのか?」
一般的には同じ訳として使用されるが、竜とドラゴンは別物だ。
言語が違えば国が違う。
国が違えば文化が違う。
文化の差は訳しても埋まらないのだ。
俺の、自分で言うのもなんだが重箱の隅をつつくような指摘に彼女は数秒指を差したまま固まり、懐から慌てて紙面のようなものを取り出す。
紙に書かれているのであろう文面を血走った目でなぞる。
顔をがばっと上げ、瞳孔が開きぎみの目のままで先ほどのリテイクのように、
「あれは、幾度も我が国を苦しめてきた邪ドラゴン・ニーズヘッグです!!」
「なんだ、その台本のようなものは!!」
紙を指差して問い詰めるが、彼女はそれをさっと懐に隠してしまった。
「細かいことは気にしてはいけません。気にすることをやめるとなんだか幸せになれるような気がしてきませんか?」
「探求こそが人類の発展の歴史だ!」
「ほ〜ら。うにょろうにょろ〜」
「そんなアスファルトに焼け出されたミミズのように指を動かしても無駄だ!」
「ちっ。こんな美人が誘惑──もとい催眠してんだから引っかかれよ。堅物め」
「舌打ちをしたな!?」
「そんなことより、今は邪ドラゴンでしょう」
ほらほらと彼女に背を押され、邪ドラゴンとやらに向き直る。
ドラゴンは口から炎を吹いている。
たしかに、これ以上被害が広がる前に片付けたほうがいいだろう。
竜にしろドラゴンにしろ、機械仕掛けではないようなので本物ということになる。
彼女の言葉から、こういった、俺からすれば空想上の生物と分類されるものは以前から存在していたようだとわかる。
(ここは、どこなんだ?)
今更な疑問が胸に沸き起こる。
だが、ここがどこであろうと俺がすべきことに変わりはない。
目の前で転んでしまった女の子を助け起こして、母親の下へと走らせる。
(俺は、人を守るだけだ・・・・・・)
ドラゴン、ニーズヘッグは体長20メートルの巨体だ。
翼を広げたその姿は空を完全に覆っている。
目は爬虫類らしくぎょろりと半ば飛び出しており、たしかに邪に感じる。
蜥蜴のサイズのぎょろりなら可愛いものだろうが、ドラゴンのぎょろりでは恐怖である。
口元は血液らしきもので汚れている。
スキャンするにはいささか距離が離れているため、全長から体重や骨格、鱗の硬さなどを予測する。
「霧多き氷≠フ叫びの泉に住まうと伝えられている邪ドラゴンの一種です。この太陽の国、ソール・ダグもたびたび襲われましたが、その体表は非常に堅く、落城用の投石器『イタイノトンデッケン』でも効果は薄く、追い返すのが精一杯でした」
気になる名称はさておき、ドラゴンの体表には彼女の言うとおり傷が幾つも走っている。
だがどれも鱗の表面をひっかくだけに終わっている。
「わたしたちが隊列を組んで一斉に攻撃すればなんとか撃退できるかもしれませんが・・・・・・・・・・・・召喚で力をほとんど使い果たしてしまいました」
彼女は顔をうつむかせて、拳を握る。
顔に浮かんでいるのは後悔などではないだろう。
自分の、届かない力に腹を立てているのだ。
だが、俺なら、救える。
自分が持つ武装。
それも遠距離用の武器であれを倒すのは確かになかなか難しい。
近づくには相手が巨大すぎる。
あの巨体を浮かしているにしては翼がほとんど動いていない。
周囲には例の未確認の粒子が大量に見られるので、それがなんらかの作用を及ぼしていると推察される。
あの巨体を浮かしている気流の流れを考えると、自分の飛行能力ではまともに飛ぶことは出来ないだろう。
効果がありそうな武装はただ一つ。
この距離でもこれなら届くだろう。
補給ができる基地がまだ確認できていないのであまり使いたくは無かったが仕方ない。
節約も拘りすぎれば倒錯してしまうのだ。
俺は右腕を前へ、ニーズヘッグへと突き出し、左手で支える。
右腕の情報場の連結を紐解き、マトリクスを書き換え、手首から先を砲門とする。
ダイヤモンドなどの鉱石を喰らって生命活動を行う金属生命体に有効な、運動エネルギーを付加した熱電子をマイクロ波と同じ周波で圧縮して照射する兵器。
028と同じ装備だ。
もちろん出力はいくぶん劣るが、金属生命体ですらない相手には十分すぎる。
ドラゴンも逃げずに残っている俺達に目をつけたのか、その口内を一際炎の色に燃え上がらせる。
女性が焦った顔で空に文字を描くように指を動かし、早口になにかを呟く。
それよりも早く、俺はブラスト砲の準備を終わらせる。
ドラゴンは首を一度大きく上にもたげて、振り下ろすと同時に巨大な炎球を砲弾の如く飛ばしてくる。
問題はなにもない!
「ターゲットロック、射線クリア、周囲クリア・・・・・・発射!」
砲門から深紅の奔流が溢れ出し、炎球を容易く散らせながら真っ直ぐにドラゴンの円筒のような腹へと突き刺さり、体表を弾け飛ばしながら融かしていく。
耳をつんざく苦悶の轟きを聞きながら、腰を落として衝撃に耐える。
ドラゴンを二分するように右腕をゆっくりと上へ動かす。
赤の波がドラゴンの胸元まで達したとき────
ゴッッ ドラゴンは爆発し、四散した。
火球を生成する器官にでも引火したのだろう。
残った下半身は炎に包まれながら静かに落下していった。
「す、すごい・・・・・・」
後ろで女性が気の抜けた声で漏らすのを拾う。
俺はドラゴンが完全に生命活動を停止しているのを確認してから、女性に向き直る。
驚き、呆気、憔悴、安堵、そしていくばくかの怖れ。
彼女の顔にはいくつもの感情がない交ぜとなって浮かび沈みを繰り返していた。
そしてなぜか、暗然とした目をしている。
彼女はゆっくりと俺に近付き、そっとその手で頬の部分に触れてきた。
まだ放熱が完全にすんでいない右腕を隠すために半身になる。
「あなたは、」
今にも泣きそうな顔をして、彼女は消え入りそうな声量で言う。
「あなたは、本当に、勇者のように、強いんですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
俺がどのように返すべきか悩んでいると、彼女はさっと後ろに退き、先までの弱弱しい表情を消す。
「失礼しました。わたしは王宮魔導師のスクルドと申します。あなたは────?」
王宮。
魔導師。
聞き返したい単語は先ほどからいくつも彼女の口から生まれ続けているが、彼女の、人間からの問いを無視するわけもいかない。
「俺は欧州群所属QWERTY部隊第二分隊隊長、コードナンバー020」
「おうしゅ・・・・・・? クワー・・・・・・?」
こちらが素なのだろう。
畏まった顔を忘れて、女性としてどうなのかというくらい思い切り眉根を寄せる。
彼女が理解できないことはなんとなく予想していたので、俺は言い直すことにした。
「ニードだ。
020でいい」