植物というものは、思っているほど弱くない。雨風に晒され、灼熱の太陽の下で立派な葉をつけている。
そう思っている植物学者のネズ、大学を首席で合格し大好きな植物を日夜研究している。
今彼は休日の日曜日を利用し町をとぼとぼぶらついていた。軒並み出店でもしているのか通りは馬車と人の海だった、中には教会にミサをしに行く人もいた。
ネズは教会を見て神父が布教活動をしているのを見て自宅に足を向ける。必要な買い物は済んでいるしなにより彼は教会とか宗教が嫌いなのである嫌いと言っても公衆に恥じない程度の知識はある。
彼が宗教を嫌うのは自分の父親が神ばかりにすがり働こうともせずただ神の慈悲ばかりを求めていたからだ。
そして何より彼には教会を避ける理由がもう一つある。
自分のアパートの部屋に戻る。鍵を開けると、
「おかえり!! ネズ!!」
中には一人の少女がいた。外見は九歳ほどで髪は黒いが太陽の反射では黒緑に見える。そして左耳に若葉のようなものが挟んでいた。この葉は一見すればアクセサリーにも見えるが実際は違う、髪の毛をかき分けると頭皮から直接、茎が伸びているのだ。この植物少女にネズはローズマリーという名を与えた。
彼女を最初見たときネズは驚いて椅子から転げ落ちてしまったくらいだ。
同時に彼女は悪魔憑きとして教会が火あぶりの刑にされてしまう。無論、かくまっていたネズもまた悪魔の使いだとかなんとかで処刑されてしまう。
彼女との出会いは実に三年前になる。
三年前ネズはスラム街に迷い込みもとの町に戻るときの境目のゴミ捨て場にたまたま視線が行きローズマリーを見つけたのだ。当初は衰弱しておりなんとかして助けようとして自分の家に連れ込み風呂に入れ、温かい食事を与えて帰らせる予定だったのだが、彼女が普通の人間ではないことが分かり学者であったネズは一年間だけ観察を試みたのだが、紆余曲折あって三年も経ってしまった。
「ちゃんと留守番してか?」
「うん、ちゃんと留守番できたよ」
彼は「そうか」と短く切りベットに寝そべった。
日曜日は休日、この日くらいは少し神様って奴を敬う。
ネズはおしゃべりな方ではない。うるさいのが苦手だ。
脇にローズマリーが添い寝する、ネズの部屋は大きくないしベットを買うほど裕福ではない、少しほかの家より少し美味い飯が食える程度の稼ぎでしかない、それも植物の研究に使ってしまうから胸が寒くなることがしばしばある。
彼は歩き疲れたのかそのまま眠ってしまった。
目が覚めるとローズマリーがお腹を空かせたのか唸っていた。
ため息をつきながらキッチンに立ち買ってきたベーコンを焼きそれをパンの上に乗せ、野菜のトマトとレタスをのせ皿に盛り付けてテーブルに置く。
体の小さいローズマリーはナイフで四つに切り分け食べやすく加工してあるものを渡す。
よほど空腹だったのかパクパクとパンを胃袋に納めていく。
町を歩き回ったかいがあったなとかネズは思っていた。
食事を終えネズはスケッチブックを取り出す。
「ローズ、そこの椅子に座れ」
「うん、いいよ」
ちょんと椅子に座りじっとする。
鉛筆を握りローズマリーを見つめながら輪郭を描いていく。
ネズは学者になる前から絵を描くのが趣味で知り合いが言うには画家顔負けの腕前らしい、人に見せる事もないのでそういうのに興味はなかった。
濃淡の差で影、表情、雰囲気を書き表していき細部に少し修正を加え一息ついた。
「もういいぞ」
ネズはなかなかうまく描け気分がよかった。
スケッチブックを机の上に置き窓の外を見る。
外は夕暮れのオレンジ色の光が街を包み幻想的だった。
ネズはスケッチブックに手を掛けたが引っ込めた。街の絵を描こうと思ったがローズマリーがうまく描けて十分だなと思っていた。
「キレイだねネズ」
「……そうだな」
その風景を堪能して日曜日は幕を下ろした。
目が覚めると朝だった。
白衣を棚から取り出し寝ぼけたようすで仕事に向かう。
「いいか、夕方には帰ってくるから大人しくしていろよ」
「うん、わかった早く帰ってきてね」
ドアを閉め階段を下りる。
「さっきの子は娘かい?」
ネズは面倒な奴が来たなと思いながら振り返る。
「娘じゃない、親戚の子だ、いろいろあって預かってるんだメリッサ」
短めのクリーム色の髪にスタイルの良い体つき、ドレスのような服を着た女メリッサはであった。
ネズはおしゃべりでおせっかいで、何より宗教の教えを忠実に従う犬のような彼女が不得意であった。
「大変ね……そうだ、帰ってくるまで私が面倒見てあげようか?」
「ありがたい話だけど遠慮しておく、あの子も面倒見られなきゃいけないほど幼くない」
宗教に従順なあんたがローズマリーの秘密を知ったら教会に突き出すだろ、だから嫌なんだよ。わかれよバカ、いや待て、あんたがわかったら困るから分からなくていいバカ。
「そうよね、じゃあ時々様子を見に行くくらいならいいでしょう」
「まぁ、そのぐらいなら構わないが」
メリッサも頷いてわかったと言った。
「そういえばあの子の名前は?」
「ローズマリー」
そう言い放って時間も押していたし仕事場に向かった。
町は朝から活気にあふれ賑わいをみせていた。石畳をカツカツとネズは歩き仕事場である植物を研究している施設に行く。
この施設の研究員だけが持っている裏口のドアの鍵を使い開け通路を右に曲がり関係者以外立ち入り禁止と書かれている扉を開ける。
中には数種類の研究用植物と白衣を着たまま机に突っ伏している男、そしておびただしい量の書物があった。
「おい、コブシ起きろ朝だぞ」
椅子を思いきり蹴飛ばす。
慌てて飛び上がったのはコブシ、ネズの同僚で古い付き合いになる。彼はネズとは違い植物の研究員ではない。
「ネズか……てっきり研究長かと思ったぜ」
寝癖の付いた髪に頬にはペンの跡がくっきり残っていた。
ため息をつきながらネズは白衣に着替え、コブシの前に座る。
「何か分かったことはあるか?」
「ああ、ローズマリーちゃんの頭の葉っぱには薬用向きの成分が含まれているみたいだぜ」
コブシの専門は植物ではない彼の専門は毒物である。
彼は生まれつき才能があり記憶している毒の数は数百種類、性質からなにまで完全に記憶している。
「どんな成分だ?」
「解毒作用、主に蛇の毒、出血毒と神経毒を解毒する物だ。ラットで実験したけど人間でも致死量を注入した後、葉の成分を抽出した液体を入れたらピンピンしやがった。あと研究結果がこれな」
コブシは苦笑いを浮かべながら紙の束を渡す。
「そうか」
ネズは結果を受け取り立ち上がった。
植物のプランターを運んでくるとスケッチを始めた。
これがネズの仕事、植物をスケッチし図鑑に載せるそのためネズは絵が日に日に上手くなっている。
最初は落書きで書いていたのを同僚が見つけスケッチ担当になった。
「相変わらずの天才ぶりだな。いっそ画家になれば?」
「オレは絵で何かを伝えたいわけじゃない好きで書いているだけだ」
コブシはネズの数少ない友人の一人、おしゃべりだがいつも雑学と毒と話ばかりするが不思議とこいつと話していても不快な気分にならない。
それはきっと彼の話す内容が為になる話ばかりであるからなのだろう。
そして何よりコブシも宗教や神が嫌いである。神父に恋人を奪われさんざん楽しんだ挙句、恋人を悪魔の使いだとか言われて無残な姿で殺されたらしい。
「そういえば、ローズマリーちゃんは一人で大丈夫なの?」
「それが、メリッサに見つかった」
ネズはため息をついて言った。
「あちゃ〜、よりにもよってあの堅物宗教女にばれたのか、頭の草は?」
コブシはメリッサの事をそう呼んでいる。
「大丈夫だ気づかれていない……今のところは」
「そうか、やっぱりオレの家で預かるか? ついでにお前も来いよ」
「わかったそうするよ」
次々とスケッチを描いていく
終わった頃には、外は真っ暗だった。
やや早歩きでアパートに帰り部屋の鍵を開ける。
ドアを開けて異変に気付くのに時間はいらなかった。
いつものようにローズマリーの出迎えがないからだ
焦りを募らせながら部屋の奥に行くとそこにローズマリーはいなかった。
代わりにスタイルのいい見覚えのある女性が立っていた。
「あの子、ローズマリーでしったけ、悪魔憑きなので教会に保護してもらいました。まさかあなたがそんな人だとは思いもしませんでした」
「メリッサ……」
「明日、教会前で公開処刑があるそうです」
メリッサは眼が座り、ネズを軽蔑した目つきで見ていた。
「チッ!!」
ネズは部屋を飛び出し街を駆け行コブシの家に向かった。
玄関を破壊する勢いで叩いた。
「どうした、こんな遅くに」
のんきに欠伸をしながら顔を出した。
「教会に見つかった」
眼を見開いたコブシはドアを開き中に入れた。
リビングのソファーに腰を掛けると真剣な面持ちで時間ばかりが経過する。
「お前はどうしたいんだ?」
低い声でコブシは言った。
「助けたいに決まってんだろ!!」
かっとなって大声になる。
その表情見てコブシ安心した表情を見せた。
「そっか、じゃあ話と行こうか」
それからコブシと朝になるまで話合いは続いた。
人々が昼食を食べているであろう正午、教会で悪魔憑きの少女の処刑が始まった。
大勢の見物客がアリのように群がっていた。
神父が聖書を読み上げ、十字に吊るされたローズマリーの足元に火を放とうとした瞬間、彼は処刑台に上がった。
「なんだ、君は危ないから降りていなさい」
「私は植物学者です」
神父はローズマリーを見ていた表情をぐるりと変えネズに言った。
「神父よ、この子を殺してはいけません」
「なぜだ、これは悪魔憑き、証拠に頭から草が生えている」
顔からしてこの神父は穏やかな人間らしい、悪魔憑きだから処刑するという教会の教えを忠実に守っているだけでしかない。
「その草の葉の形に見覚えはございませんか?」
神父はローズマリーの頭についている葉を目を凝らしてみる。
「ふむ、何の葉だか私にはわからぬ」
ネズは心の中でニヤリと笑う。
「これはブドウの葉です」
もちろん、ウソである。ネズが植物学者ということをアピールさせその先入観で相手を騙す。
「ブドウ……はっ!!」
神父は何かを理解したのか驚きの表情だった。
「「我が神の血液はブドウ酒、その源はブドウ。そしてこの少女の葉はブドウの葉、つまりこの少女は神の比護を生まれながらに受けた子なのです」」
観衆に向かってネズは大声で叫んだ。
観衆はネズの思惑通りローズマリーの処刑をバッシングし始めた。
「神父、処刑を止めましょう」
「そうじゃな……」
ネズは神父からナイフを受け取りローズマリーを降ろす。
ローズマリーが何か言おうとしたが指を立てた。
「神父よこの神に魅入られた子を観衆に見せてやりたいのですが……」
「構いません、ここから降りてじっくりと観衆に見せなさい」
ローズマリーを抱え処刑台を下りる。
だがまだ問題があった。
ローズマリーを神の庇護がなんとかいって処刑を止めることに成功したが取り戻したわけじゃない。ここを一周したらまた教会はローズマリーをネズから引き離すだろう。
コブシもさすがにここまで考えていない。おそらくオレたちに出来ることはもうないだろう。
最後の時になるかもしれないローズマリーとのひとときを噛みしめていた。
「へぇ〜君が神に愛された子供か……」
そう言っているのは顔を隠し、全身をローブで隠し馬車に乗った男が言った。
いきなり片腕でネズごとローズマリーを馬車に乗せそのまま走る。
男は馬車の中にある箱から液体の入った瓶を取り出し投げ捨てた。
瓶が割れると鼻に激痛が走った。
毒物の一種なのだろう追跡されないようにするための工夫なのだろう。
馬車は町を抜け森の中に入った。
黒装束の男は顔を隠していた布を取りローブを外した。
「作戦成功っと」
男の正体はコブシだった。
「お前か、てっきりオレは……」
「まぁまぁ」
なだめるようにコブシは言った。
「じゃあオレは帰る、後は話どおりに行け」
馬車から飛び降りコブシは歩きなが手を振っていた。
「ネズ、私一人でお留守番できなかった……」
ネズはローズマリーを抱きしめ少し涙をこぼし
ローズマリーはうれしそうに笑った。
オレの名前はネズ、元植物学者だ。今は行商をしながらローズマリーの面倒を見ている。
オレの選択肢これでよかったのだろう。
オレの物語を終わらせるときのセリフはきっとこうだろう。
「ずっと一緒に居てやる」