1984年深夜
アインツベルンの城の一室で切嗣は一人煙草を飲んでいた。
薄暗く光と言ったら煙草の火とドアの隙間から零れる僅かな明かりだけ。
冷たい大理石でできた火のない暖炉に座ったまま、身じろぎもせずただ切嗣は時折煙草の灰を石畳の床に落とす時以外じっと眼はドアの向こう側を見ていた。
窓のない部屋からは城の外は覗けないが、アインツベルンの城の外は吹雪いており、時折隙間から入ってくる外の冷たい空気が切嗣の頬をなでた。
そうこうして切嗣が今日三本目の煙草に手を伸ばそうかと思った時、ドアの外から足音が聞こえてきた。
反射的に身構えようとする切嗣であるが、足音の何とも言いようのない無為乾燥な響きから従者のホムンクルスが来たとわかり、そっと煙草の吸殻を石畳に置き足の裏で火を消した。
火を消し終わると同時に、誰もあけることのない扉が重苦しい音を立てながら外の風と共に暗い部屋の中に松明の明かりが入ってきた。
ドアをあけ部屋の中に入ってきた女のホムンクルスは無表情に無感動に切嗣にお辞儀をし彼の子供が生まれたことを伝えた。
切嗣は人形の顔に一瞥もくれることなく、そのままただ黙って部屋を出るような促す。
彼にとって道具が生んだモノが例え自分の子種から来たものであり、アイリスフィールと結ばれた時点でアインツベルンが出した契約に沿ったまでであり、その結果には何ら感慨も興味も抱かなかった。
従者のホムンクルスが部屋を出て、再び扉が重苦しく閉ざされると切嗣は胸ポケットからもう一度煙草を取り出し火をつけた。
可愛らしい。
それはアイリスフィールがこの世界に誕生して初めて抱いた感情であった。
聖杯の器として作られ、聖杯の器としての機能以外を削ぎ落とすことで一種の大理石でできた彫刻を思わせる調和をもった女が初めてできた我が子を腕に抱き頬笑みを漏らす。
その感動は確かに美しいものであり、普通の人間ならばだれしもが抱いてもいい感情。
しかし、その感動にも一抹の暗い影が潜んでいるのもまた同じである。
彼女の夫いやアインツベルンに聖杯をもたらすべく契られた契約は彼女に赤子をもたらしたがしかし夫と子供の父親まではもたらさなかった。
生まれたばかりの我が子の顔を人に見せたいと思うのは当然の行為であり、また、生まれた我が子の顔を見たいと思うのも等しい。
が、夫衛宮切嗣を呼びに行った従者から帰ってきた答えは予想はできた事とはいえ、彼女に不安を抱かせるのに十分であった。
切嗣は確かに良い夫良い父親良い男性ではないのかもしれない。
しかし、だからといって我が子の父親ではないと誰が言える。
この子が生まれたのも切嗣がいたからであり、その契りをアインツベルンが衛宮切嗣に令呪をもたらすための行為と割り切るなどアイリスフィールにはどうしてもできなかった。
素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する
――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!
朗々と召喚の詠唱の声がアインツベルンの城にある大聖堂で鳴り響く。
右手を翳し、台座に触媒の剣が置かれ、切嗣は自身の力が抜けると同時に確かな手ごたえを感じた。
最初アインツベルンのアハト翁が提示した条件のうちアインツベルンが用意した触媒を使って召喚を行うことと決まっていた。
それは根なし草の衛宮切嗣が聖杯戦争のための英霊を召喚するに足る触媒を保持していると考えられなかったからであり、またアインツベルンが衛宮に対する配慮でもあった。
しかし、召喚用の触媒を一目見た切嗣はこれを断り、代わりに自分が用意した触媒を使って召喚を行うといった。
切嗣にとって例え英霊であろうともそれは聖杯戦争を勝ち抜くための道具であり、その道具を使って満足に戦うためにも他人が用意したものを使うなどナンセンスであり、それは衛宮切嗣のルールに反する事でもあった。
全ては契約を履行するための手段であり、そこに手を抜くことなどあり得たい事だ。
無論アインツベルンも衛宮の断ったことを不当に感じ、怒りを露わにするものもいた。
が、そこは衛宮切嗣という男とその名前の存在が彼らの軽挙妄動を抑制した。
さすがに自分たちのフィールドであれ、得体のしれない殺し屋相手に喧嘩を売るなど返って思わぬ怪我をするもとだと思ったからだ。
切嗣はそんな彼らを傍目に触媒を用意しそれをもとに召喚を成功させようとしていた。
術式を組み込んだ水銀が輝きを増し、魔力があふれながら切嗣は確かにそれが人の形を取るのを見た。
が、同時にオーバーロードした魔力が一気に大聖堂内部に飛散しとっさに頭をかばった切嗣はその決定的瞬間を見逃してしまう。
しばらくし、拡散した魔力が霧となって覆っていたのが晴れ術式のちょうど中心部に一人の男の姿が浮かび上がる。
英霊というのにはその姿から発する空気はある種禍々しく、が同時に腰に下げた一本の剣の輝きの神秘さがこの男がこの世ならざるものであると物語っていた。
『そなたが我がマスターか』
召喚したサーヴァントの口が僅かに動き、聖堂内に響く。
この世ならざるものの化身、英雄にして英雄ではないもの、決して称えられることのないもの。
アサシンのサーヴァントがこの世に現界した瞬間であった。