義范視点
花が咲き乱れる春の季節。俺はいつもの通り書類仕事に追われていた。
だが今日は少し違った。俺の元に何進大将軍の使者が来たのだ。
「付近の将軍招集命令?」
「はい。主な将軍だと皇甫嵩将軍、朱儁将軍、陳蕃将軍、鮑信将軍などが呼ばれています。董承将軍も何進大将軍の御屋敷へと参上するようにと…。」
「何の用かは聞いているか?」
「最近急増している賊の討伐についての会議をなされるそうです。それ以上は聞いておりません。」
「ふむ…。」
やはりここの所多すぎる賊の発生に何進大将軍も気が付いたか…去年よりも明らかに分かるほどその手の話はよく聞く。今年は異常だ。
しかし原因は何だ?飢餓が多く発生した訳でもなければ、災害が各地で起こった訳でもない…かと言って賊の発生に規則性や統率性は無いようだし…。
はっきりとした扇動者像も掴めない…。一体何が起こっている?
そこまで考えて思考を打ち切る。
とりあえず招集に応じればいいだろう。何進大将軍は霊帝陛下の皇后、何皇后によって取り立てられたものの、本来はそのような事を望んで大将軍になった訳ではないらしいからな。宦官共と違って至極まともな会議だろう。お人よしで、戦争経験どころか知識も無い。何進大将軍も自分の器では無理だと考えてはいるのだろうな。
野心も実力も無くて高い位に就くのは相当大変だ…仕事が多いからな。あの十常侍とも付き合っていかねばならんし。俺は心の中で何進大将軍の幸運を祈った。
どうか、生を全うできますように、とでも。
そんなささやかな祈りをして、使者には
「分かった。俺も今日はそこまで仕事は無い。喜んで参上しましょうと伝えてくれ。」
「分かりました。それでは失礼します。」
そうして使者が下がると同時に入れ違いに部屋に入って来た者がいる。見覚えのある顔だ。
「おお…帰ってきたか。今回は遅かったな。」
「はい、今度の情報はとても面白いと思います。」
「ほう…ならば聞かせてくれ、司馬懿…いや闇脚。」
「はっ。」
このやや背の高い男の名は司馬懿仲達。真名を闇脚と言う。
漢の名士、司馬氏の息子で幼い頃からかなりの才覚を持っていた天才だ。ただとても極端な天才で、他の兄弟とは違って謀略や政治関係の勉強ばかりをしていた為に「司馬の異才」と呼ばれている。鬼才とも言えるな。
俺とは昔馴染みの関係で、俺の頼みで各地の情報を探らせている。時には宮殿内の情報も探らせている。これはかなり危ない仕事だがそれでも余裕でこなすこいつにはいつも恐れ入っている。ただ、少しめんどくさがり屋なのが玉に傷だが。
その闇脚はいつも通りの真面目くさった顔をして情報を纏めた書簡を俺に渡す。いや…俺も人の事は言えないか。
それを受け取って書簡を順に読んでいく。
その中に気になる記述があった。
(ここ数カ月で出現し始めた主な賊に、配下全員が頭に黄色い頭巾を巻いた奇妙な賊がいくつも?何だこれは?)
最近の賊の急増に何か関わりがあるのか…?その奇妙な賊の出現箇所を見てみると当初は北側から、徐々に南に広がっている。
その範囲の広さは刑州北部どころか、既に刑南まで広がっているようだ。
長沙の孫堅もここの所、反乱を鎮めるのに手間取っており、これほどだと最早無視出来るような問題ではないと俺も思った。
「…闇脚。」
「はい。何でしょうか?」
「悪いが早速仕事だ。この書簡の中にある黄巾の賊達の情報を調べてきてほしい。」
「やはりですか。面倒ですね。まあ予想はしていましたが。それにおそらくその事で大将軍様に呼ばれたのでしょう。」
「…いつもの事だが何故知っている?お前にはその事は言っていないはずだが。」
「私の情報網を舐めてはいけませんよ。ふふふ…。」
闇脚はそう言ってにやにやと不気味に笑う。
ああ、相変わらずだ。天才とは本当に扱いづらいものだ。
「…まあいい。それじゃ、さっさと行け。」
「はいはい、分かりました。それでは失礼します。」
そう言ってやれやれと肩を落として闇脚は部屋を出た。
「………はぁ。」
ひっそりと一人溜息を吐く。今日も太陽は雲に隠れる事なく輝いていた。
火と夕焼けが街並を照らす夕方の頃、俺は自分の馬に乗ってゆっくりと何進大将軍の屋敷へと向かっていた。
特に急ぎの用でも無かったので、ゆっくりと馬の脚を進める。
洛陽の街を見渡すと街中は人や商人の声で賑わい、陰りはあるが笑顔な者達が多かった。
しかしその光景を見られるのも後は長安くらいだろう。
今や漢は腐敗し、存亡の危機に陥っている。
汚い役人は自分の懐を肥やす為に税金を釣りあげ、賄賂を贈り、出世していく。
これではますます世は乱れてしまう。
だがこれを止められないのも現状だ。奴らの背後には十常侍がいる。うかつに動けない事など分かり切っている。
今はただ耐え忍ぶだけ。時が来るまで。
そう考えて歩いていると、ふと一人の役人と目が合った。
まだ若く小さい。されど初春より少々年上の美しい凛とした大人びたような少女だ。頭には合っていそうで、悪趣味とも取れる髪飾りを付けている。その者は俺を見るなり礼をした。
俺自身は悟られぬように慌ててそれに目を離して無言で通り過ぎる。何かに恐れるように。
何故だろうか?あの少女を見たらとてつもない恐怖、それと敵意、殺気、憎しみを抱いた。
馬鹿な。あの少女とは初対面だ。なのに、なのにどこかで会った事のあるような、懐かしさを感じる。
そしてあの目。底が見えない。何処までも深く、そして広く熱く燃え広がっている。
そこから天才並み才能の高さ、我欲の大きさが分かる。天下を獲らんとする野心の塊だ。だがそこからはもう一つ見えたような気がした。
―――――心の底の寂しさが。
そこから自分の寂しさを紛らわせんが為に、自分の欲を満たさんとするような我儘で、寂しがり屋な姿が自分の妄想で頭の中に映り…消えた。
あの者は必ず大成する。戦でも治世でもその人としては余りあるほどの器で、世の中に出るだろう。
そう思わずにいられなかった。出来れば声をかけて、いつもの通りに推薦か勧誘させたかった。
だが、出来なかった。むしろ早くあの場から通り過ぎたかった。
あれは危険すぎる。自分の体が僅かに恐怖で震えた。かの者への謎の恐怖と、その才能故の恐怖。その両方に押しつぶされて、出来なかった。
馬の足をゆっくりと、されど少し早めにさせて何進大将軍の屋敷へと急いだ。逃げるよう細々と。