<プロローグ>
『現在地 不明 視点者
黒髪 蒼』
目が覚める、薄暗い洞窟の中、小鳥のさえずりがかすかに狭いその場所で反響する。身体が思うように動かないのはまるで、何年もそこに眠り続けていたかのようだった。
そっと目を開けると、わずかに太陽の眩しい光が差し込んでいる、洞窟の方角と太陽の向きから、朝なのだろう。
いつまでもこうしていたいが、薄暗い洞窟の中で食料を得ることは出来ない、仕方なく起き上がり、空っぽの胃袋の中に何かを詰め込むべく、まず身体を起こした。
頭がぼんやりする、きっと世界は彼を置き去りにして緩く廻っているだろう。そんな気さえした。
「さぁて、朝飯でも獲りに行くか」
枕元に置いてある、サバイバルナイフを腰に携え洞窟を駆け出した。
自然にあふれたここでひっそりと暮らすただ一人の少年、髪は白く、瞳は血液のような深紅の双眸が縦横無尽に生えた木々の間を瞬く間にすり抜けた。
彼の名前は
黒髪 蒼、幼い頃からたった一人で生活し、毎日を自由に暮らしている。
彼一人で基本的には生活しているが、厳密に言えば人との交流は時折ある、蒼の住むこの緑豊かな大地は人が住むには適さない風土、危険生物が生息しているため蒼以外はあまり人の出入りはないが調査を目的とした集団は蒼には良心的に接してくれる、この周辺を熟知している蒼は地図の代わりでもあり、安全に調査などを進められるからである。
「え〜と、朝飯はどうするかな……」
森を抜けると、開けた土地が見える、中央には大きな汽水湖があり湖底は海と繋がっている、蒼の食糧はここで獲れるエビやカニ、魚、貝類を獲り、日々の糧にしている。なにより、辺り一帯が全て森の為か良質な栄養価の高い水が土壌から流れ出る、そのため、ここの生物は異常に巨大化すると蒼は調査団から聞いた事がある。
蒼は視線を落とし、ゆっくりと潮だまりの中を覗き込む。海と繋がってるためか、潮の満ち引きがあり、誤って浅瀬にいると潮が引いて帰れなくなる間抜けな生物を蒼は探していた。また汽水湖の周りは塩害に強い植物が長い年月を重ね進化しており、独自の生態系を生み出している。
「こいつなんか良さそうだな……よっと」
静かに水の中に手を入れ、そっと異様に大きいエビを捉える、慣れた手つきで気配を消しながらエビの背中を掴むと勢いよく水面から取り出す。
尾を激しく動かし最後の抵抗を見せるが容赦なくその命を奪われた。
「さて、朝飯はこれでいいとしてと……あ、しまった貯水が無くなってたんだ」
蒼は新鮮なエビの殻を強引に引きはがすとその肉厚な身を口に放り込んだ。
「命に感謝していただきました」
『現在地 ドイツ ルクセンブルク 視点者 アーク』
黒い髪に黒い瞳、視線の先にはずっしりと重く、漆黒の銃口からは7.62mm口径の弾丸が放たれ、距離にして700mの狙撃を可能とするPSG1が彼の腕に抱かれていた。
彼の名はアーク、もちろん本名ではない、年齢は17歳だが10歳のときには既に銃を持って戦場を駆けまわっていた。
近接戦闘、銃撃戦、狙撃、奇襲、強襲、全てにおいて彼は逸脱した才能を持ち、戦闘に関しては群を抜いている。中にはアークを死神、悪魔の子とも呼ぶ奴が少なからずいる。傭兵をやっているが、才能を買われ今はアメリカの犬となりこき使われている。
アークはPSG1の感触を確かめながら銃身を握り込み、スコープを覗く。その先には銃を持ち女性を盾にしているテロリストの男がいた。それ以外にも数人の男がいたがいずれもSP。しかも先ほど犯人の要求で全員部屋から出て行かされた。
距離にして約400m。
「HQ、こちらアーク、ターゲット確認、いつでもいけます」
耳に付けた無線にアークは消えそうな声で呟いた。
『HQより発砲を許可、人質はアラブの石油王のご令嬢だ、傷一つつけるな』
低い声がイヤホンを通じてアークの耳に伝わった。
「了解」
ご令嬢が人質に取られるという、最悪の事態になす術もないSPの連中の沈黙を破り、一発の銃弾が火花と炸裂音を辺りにまき散らした。
眉間を弾丸が貫き、脳みそと鮮血が辺りに飛散し、令嬢の頬を紅の生暖かい液体が汚した。
「HQ、ターゲットを沈黙」
アークはテロリストの最後の痙攣を確認するとそう言った。
『了解、これより帰還を命ずる』
万が一に備え400mをダッシュし瞬く間にご令嬢のいる部屋にたどり着くと武器をサイドアームのハンドガンMk23に切り替えドアを蹴り飛ばした。
視界を土煙が立ち込めたが、一か所からしか物音がしないことから令嬢の一人だけと断定した
「お怪我はございませんか?」
丁寧な言葉でアークは令嬢に話しかけた。
「ええ、大丈夫よ」
令嬢は固い笑顔を見せた。
『ミッション、終了だ、迎えを出す』
「了解、オレは今日で契約の終わりだ、またフリーランスの傭兵に戻る、もう軍には顔を合わせないだろう」
アークは窓際に腰を掛け無線の音声を静かな心境で聞いている。
『惜しいな、お前みたいなやつ、滅多にいないし軍にいた方が収入も安定するぞ?』
「
『大統領の娘』に追いかけられてんだ、万が一でもスキャンダル記事を書かれたら面倒だ」
『とか言って、本当は気があるんだろ?』
茶化すように無線の先の同僚がトーンを変え言った。
「……黙れ、ヘリが来た」
『現在地 日本 神奈川県 視点者
斬谷 海樹』
海樹は平凡だった、いつも通りの日常、朝七時には必ず鳴る目覚まし時計、起きれば母が作る温かい朝食が待っている。
今日も憂鬱な気分で目覚まし時計を止め、欠伸をしながらのんびりと、学校の制服に着替えていた。制服のネームプレートが鏡に反射し、海樹は顔をしかめた。
海のように大きく、大地に根を生やす大樹のようになってほしいという親の願いからつけられた、名前だったが本人はあまり好きではなかった。
体格は中肉中背、容姿も至って普通、強いて言うなら少し癖のある焦げ茶色の髪、
「大地とか海斗とか、そういうネーミングセンスは無いのかよ……」
小言を吐きながら、ブレザーの襟を整え一階に下りて行った。
リビングは味噌汁の風味のある香りが立ち込めている。
「おはよう、母さん」
「かいちゃん、おはよう〜、月曜日なのに早いわねえ〜」
海樹の母がのんきにテーブルに肩肘をつきながらテレビを見ていた。
テレビにはたびたび起きる、世界のバイオテロニュースがテロップになっており専門家が訳の分からない政治の状態、テロ組織の状態、色々なことを討論している。
「昨日は早めに寝たからね」
海樹は箸でふっくらとしたご飯を口に運んだ。
「最近は、一昔あったゲームみたいな事が本当に起きてるわね、母さんが子供のときによくやってたゲーム、何だったかしら……」
「バイオテロ、本当に報道みたいにゾンビみたいなのになるのかな?」
ニュースの映像からはゾンビがうめき声を上げながら檻から手伸ばしている映像が流された。
「もしかいちゃんがなっても、かいちゃんは、かいちゃん、母さんはあなたがあんなのになっても味方だからね」
「そっか、でもまぁ、日本でテロなんか起きるわけないか」
海樹は据え膳を空にすると、静かに立ち上がり、リュックを背負いリビングを後にしようとする。
「いってらっしゃい、遅くなるときは連絡してね」
「わかった」
そう言って、海樹は一軒家の自宅を後にする。
いつも通り玄関を開けると、太陽の光が視界に差し込めた。
「おはよう、海樹」
にっこりと海樹にほほ笑みかけた。
「詩織、おはよう……」
右足に目が行き、不意に海樹は申し訳なさそうに目を逸らした。
姫川 詩織の右足は事故によって不自由になった。
チェーンソーが右太ももに食い込み肉が抉り取られるという大惨事だった。それ以来、歩行に障害が出ており、最新の再生医療で歩けるまでになったが、医者に完治はしないと宣言されていた。
海樹が目を逸らしたのは言うまでもなく、その事故は自分が原因であったからだった。幼い時、田舎の祖父の家に詩織を連れて遊びに行ったとき、好奇心でチェーンソーのエンジンをかけ、台から降ろそうとしたときバランスを崩して細かい刃が詩織の右足を奪った。
詩織の両親も本人も海樹を許しているが、詩織を見るたびに罪悪感がよみがえってくる。
以来、海樹はせめてもの罪滅ぼしに詩織のそばにいて支えるように、守れるように努力している。
その罪滅ぼしは、今日も日常のように続いて行くだろう――――
そして、彼らの物語は今、交差し錯綜する――
『Lost Serenity』