寒さも厳しくなってきたアムドゥスキアの浮遊大陸にて、アキトは今日もダーカーを殲滅すべく愛刀を片手に駆け回っていた。
アキトにとって四季など関係は無い。
宇宙の敵が寒くなってきたからといって攻勢を弱めることがないように。
アキトもただ、己に課せられた責務を果たすべく刀を振るう。
バイザーの下の瞳には一点の曇もなく、躊躇も無く。
そうして周囲一帯のダーカーを殲滅したアキトは一息吐いてヤシャと呼ばれる刀を鞘に収めた。
ふとそこで後方に気配を感じ、だが敵意は感じられなかったため構えずゆっくりと振り向く。
そこには普段ならば考えられない人物が立っていた。
「ねぇ、アキト?」
「クーナか…なんだ?」
クーナと呼ばれた少女は、いつもならば始末屋としての格好をして惑星に降り立つものだが、今日は何故かシップでアイドルとして活動する時のままだ。
そのことに違和感を抱かずにはいられなかったが、アークスとして動いているのではないのだろうと内心で己を納得させる。
当の本人はそのことを全く意識してないのだろう。
若干顔全体を桃色に染めながら、上目遣いでアキトを見つめていた。
(何だ、この状況は…?)
アークスとして動いている時は沈着冷静で、アイドルとして活動している時はニコニコと笑顔を振りまく少女、それがクーナだ。
だが、どうしたことか。
今眼の前でもじもじと体を揺らし、人差し指を突き合わせている様はまるで普段の彼女からは想像できないものである。
―――風邪だろうか?
確かにそう考えると彼女の顔が赤い理由も、普段ならば考えにくい惑星内でのアイドルの格好も納得が行く。
(六芒均衡が風邪じゃな…)
ここまで来た理由はわからないが、熱があるのは確かだろう。
アキトに何か用があったのは間違いないだろうが、体調を整えてからでも遅くはないだろう。
緊急の要件ならば別のルートで連絡が来るだろうし、恐らくは私用だろうと判断。
一旦シップに戻るかと思い、口を開こうとするが先を越されてしまう。
だが、相手の口から飛び出してきた言葉にアキトはつい眉を顰めてしまう。
「アキトはクリスマスって空いてないの?」
「…何?」
一体何を言い出すのかと思いきや。
それよりもそんな単語を耳にしたのは久しぶりだ。
そもそもアークスとして戦う自分には縁のないものである。
「いきなり何を…」
「い、いいからっ。―――ねぇ、空いてるんだったらクリスマスライブの後、食事でも行かない…?」
心地よい温度の風が二人を横切る。
少女はアキトから目を離さず、アキトもまた少女の真剣な眼差しから逃げることは出来ないと見つめ返す。
この状況の意味を理解できないながらも、アキトは少女の意思を汲み取って軽く息を吐いた。
「まさか天下のアイドルから食事に誘われるなんてな。
―――少し待ってくれ、確認する」
「う、うん…」
マントの下から手を出してモニターを展開する。
黒のハーフグローブを嵌めた手を動かし、自身の行動スケジュールを確認する。
シャオからの任務依頼は今のところ来ていない。
ルーサーを倒したことだし、今しばらくは内部の改革に力を入れているのは知っている。
だからこそこうして一人でダーカーを殲滅しに来ているわけだ。
「…大丈夫だ。クリスマスなら空いている」
「そ、そっか。じゃぁ約束! ライブが終わったらいつものところに来てね!」
顔の赤いまま、はにかんだ笑みを浮かべるとクーナは霧のようにその場から消え去る。
言い逃げの展開にいつものクーナとは全く違うなと頬を掻き、スケジュール帳に予定を打ち込んだ。
◇
『―――まだ立ち上がるのか! 何が貴様をそこまで動かす!』
『…他の連中のことなんて知ったことじゃない。シオンも、アークスも関係ない。
俺は、昔からお前みたいな奴が死ぬほど嫌いなんだよ、このクズ野郎が…!』
青年は倒れなかった。
許せなかった。
人の命を弄び、己の欲望のために他の者を何とも思わないその姿勢が。
他者を道具と決めつけ、人の痛みを最期まで理解しようとせず、己だけが正義だと疑わないその在り方が。
―――まるで、昔の自分を見ているようではないか。
「―――っ」
自室のベッドから勢い良く体を起こしたアキトは、荒い呼吸のまま左手で額を覆った。
あの姿は復讐を成し遂げようと暴走していた己自身の姿ではないか。
「…くそ、嫌な夢だ」
もう何年も前のことをこうしてまた思い出させるとは、つくづくルーサーという男は不快な存在だった。
ベッドを後にしてシャワーを浴び、自宅を出てアークスの拠点に向かう。
夜の市街地をバイザーにスーツ姿で歩いていると、多くの男女が笑い合いながら過ごしているのが目に入る。
そこでようやくクリスマスというものの過ごし方を思い出したアキトは、自身のここ数年の生き方を振り返って自嘲を浮かべていた。
復讐を遂げたあと、ナデシコCを作ったネルガルの月基地を敢えて襲撃し、テロリストとして処分させる。
拙いやり方ではあったが最善であっただろう。
アカツキにかばってもらい続けるのにも限界があるし、自身の体にも限界が近づいていたのは理解していた。
だからこそ、テロリストとして処断されるのがネルガルにとっても自身にとっても正しいあらすじだったのだ。
だが、今はこうしてシオンに助けられ、ルーサーを倒すための駒として動いて彼を倒した。
おかしなものである。
死ぬために動いたはずなのに、どういうわけか今はこうして世界を守るために戦っている。
波瀾万丈もいいところではないか。
「なぁ…ユリカ…」
ショップエリアのステージを見下ろしながら、アキトはいつもクーナが立っている場所で彼女の歌声に聞き入る。
彼女の声は優しく、そして聴いていて心が安らかになってゆく。
だからこそハドレッドも彼女の歌を今際の際に望んだのだろう。
「…羨ましいよ、お前が」
そんな死に方で、終わりたかったと。
◇
「ねぇ、アキト?」
「…どうした?」
「どうしたじゃないよ。今日はずっとぼーっとしてるし。何かあったの?」
「…いや、何も」
コンサートの後、食事を終えた二人は市街地の奥に設置されている小さな展望スペースにやってきた。
だが、アキトの心ここにあらずといった様子に、クーナは不満げに頬を膨らませた。
「これからどうするんだ、君は?」
「いきなり何?」
「まだ自分のこれからの生き方は決められないか?」
展望台の床や壁全体は透明になっており、まるで宇宙に漂っているかのような気分に陥る。
その端にある透明の長椅子に腰掛けて黒い宇宙を眺めながら、アキトは何かを確かめるように問いかけた。
「…んー…まだわかんないかな。皆のために歌うのも嫌いじゃないし、アークスとして戦うのも悪くないし。
―――アキトはどっちがいいと思う?」
「…そうだな。俺は戦ってほしくはないな」
「え、どうして?」
「クーナの戦う姿より、歌を聴くのが好きだしな」
隣に腰掛けたアイドルの頭を撫でながら笑みを向ける。
クーナはアキトのことを詳しく知らないが、アキトはクーナのことをよく知っている。
同じような境遇にあったからこそ、クーナには人並みに笑っていてほしいと思った。
「そうなの…そうなんだ、えへへ…」
「なんだ、急に…?」
「なんでもないっ」
心底嬉しそうに笑うクーナの心が読めず、アキトはつられて苦笑を浮かべる。
展望スペースの電灯が付けられていないため、クーナの顔が真っ赤になっているのをアキトは気づかない。
だが、右横に腰掛けた彼女が体を寄せて潤んだ瞳で見上げてきたところでようやくその意図を理解した。
「アキト…ありがとう」
「…何が?」
「私を、見つけてくれて」
誰にも気付かれぬまま、アイドルとして、始末屋として自分が曖昧なまま生きてきた。
だが、アキトはクーナという少女を、そのどちらもが彼女であるとありのままを肯定した。
どちらでもあることを許してくれた。
ルーサーの言いなりとして利用され、血に染まった彼女を何の躊躇いもなく受け入れてくれた。
「…俺は、昔の女を忘れられないほど情けないやつだぞ」
「今はいいよ。部屋に飾ってある写真の人でしょ?」
「何で知ってる…まぁそうなんだけどな」
クーナの肩に右手を回し、体を向き合わせる。
若干緊張を帯びた相手を安心させるようにバイザーを取ってぎこちないながらも心の底から笑ってみせた。
「えへへ…嬉しいな…」
「…君は、もっと笑え。今まで泣いた分、これから一杯笑っていいんだから」
「アキト…」
笑いながら涙を流す少女にはどんな想いを抱えているのだろうか。
アキトにはその全てを読み取ることは出来ないが、その笑顔が嘘ではないことだけははっきりと理解できる。
「「ん…」」
だから、今は目の前の少女の笑顔を守ろうと思う。
守れなかったものが一杯あったから。
零れ落ちたものがお互い、数えきれないほどあったから。
二人の唇が重なった瞬間、流星が駆けていった。
<了>