『おい、その物騒なモンしまえ。人間の小僧』
そびえるようにして僕の前に立った一匹の翼竜(ワイバーン)から、そんな野太い声が聞こえて来た。
その全身を彩るのは燃えるような真紅。
鋭い爪の生えた屈強な二足が根を張るように地を踏み掴んでおり、両腕と一体化した双翼はとても広く、片方だけでも僕を余裕で覆い隠せるほどだった。
爬虫類特有の縦線状瞳孔を持った鋭い黄緑色の眼差しに映るのは、よく見知った少年の顔。髪のところどころが跳ねた癖っ毛で、それなりに整ってはいると思うがどこか貧乏そうな雰囲気を感じさせる顔立ち。――僕だ。
僕は背後に幼い男の子を庇いつつ、ワイバーンに向かって短剣を構えていた。
しかし短剣を握る両手は隠しようがないほど震えており、膝もカクカク笑っていた。
ワイバーンの瞳に映る僕の顔も、歯の根が合っていないビビリ顔だった。
『……んなビビんなくても、別に取って食いゃしねーよ。人間は骨ばっかで全然美味くねーって、ワイバーン仲間の間じゃ大不評だからな』
再び、ワイバーンの長い顎(あぎと)から、そんな人間臭い言葉が野太い声で発せられた。
――なんだこれは。
ワイバーンが、喋っている。
これは僕の声ではない。今僕が必死で守ろうとしている後ろの男の子の声でもない。
夕日のあかね色に染まった空の下。広葉樹が無数に乱立したその町外れの森には、今、僕と男の子以外に人間は誰ひとりいなかった。
ならば、この目の前のワイバーンが喋っていると考えるのが自然な流れだろう。
――いやいやいや。全然自然じゃないでしょ。
人間がしゃべれるのは、唇や歯や舌や顎が、言葉をしゃべるのに最も適した形になっているからだ。その他の生物の口で言語を話す事は物理的に不可能である。
『おい、聞いてんのかよ人間』
なら、この声はどうやって説明をつければいい。
博学とはいえない僕の頭じゃ、この異常事態の裏付ける理屈なんか――
「……あ」
――考えついた。
そうだ。一つだけある。
ワイバーンが喋る――この非常識なことを可能にしてしまう要因が。
……そして、それを裏付けるかのように。
遠巻きから僕らの様子を伺っている、大小様々なモンスターの群れ。
『何かしら?』『ワイバーンのマルタだ』『マルタ?』『あの発情ワイバーン、また何かやらかしたのか』『人間と睨み合ってる?』『人間』『人間よ』『人間だわ』『オスが二人』『一人は剣持ってる』『もしかして、私たちを殺しに来たのかしら』『いや、あの大きい方のオスを見ろ。どう見てもビビってる』『そうだね』『あれなら襲って来ないんじゃない?』『警戒する理由ゼロね』『というわけだ』『とっとと撤収するとしよう』
その群れの中から、いくつも重なり合った音声が押し寄せてきた。
「うぐっ……!」
常軌を逸した現象に、僕は思わず頭を押さえた。
間違いない。これはあの『天恵(スキル)』のせいだ。
話は――今から数時間前にさかのぼる。
正午の日光が、下界を照りつけている。
長蛇の列が、開け放たれた神殿の入口に向かって伸びている。
僕――ルイス・ブルーノは、その列の中に並んでいた。
入口の奥からはしきりに眩い光が一度発せられ、それからすぐに一人若者が出てくる。
それらのプロセスを何度も繰り返しながら、ゆっくりと長蛇の列が減っていく。
出てくる若者の表情は男女問わず様々だ。
ある人は大喜び、ある人はニコニコ、ある人は半笑い、ある人はしょぼくれ顔…………百面相が僕らの横で繰り広げられていた。
――僕は一体、どんな表情を浮かべる事になるだろうか。
長蛇の列を作っているのは、僕を含め、みんな一五歳を迎えたばかりの若者たちである。
今行われているのは、『天恵授与の儀』。
僕たちの住むこの国では、一五歳からを成人とする。
そして現在行われているこの『天恵授与の儀』は、いわば成人式。
この国で信仰されている神様【唯一神】が、これから世の荒波にもまれるであろう若者たちの生きる助けとなるよう、『天恵(スキル)』と呼ばれる特殊な能力をプレゼントする儀式なのだ。
『天恵(スキル)』とは、決められた特定の動作・行為・概念などに、プラスアルファで特殊性を追加する能力。
例えば、僕の友達のお兄さんには【呼吸】のスキルが与えられた。このスキルを手に入れた友達のお兄さんは、地上だけでなく水中でも呼吸ができるようになった。今では、漁師として立派に活躍している。
このように、スキルは常識的な事象の中に「非常識」を混ぜ込むことで、普通の人間では絶対にできないような事も行えるようにする能力なのだ。
……話を戻そう。
この並んでいる若者たちは、これからそのスキルをもらおうとしているわけだが、もらえるスキルは任意ではない。ランダムだ。決定基準はそのままの意味で「神のみぞ知る」である。
そしてそのスキルの中にも、当たり外れというか、凄いものと平凡なものが存在する。
さっきから僕らの横を通り過ぎている人たちは、神殿の中でスキル授与を終えた帰りである。
笑顔の人はいいスキルをもらったのだろう。そしてショボンとした顔の人は……お察しということで。
……おっと。こんなふうに解説してる間に、僕は神殿の入口まで随分近づいておりました。
「うわー、もうすぐだー……」
緊張してきた僕は、まるで寒いのを我慢するように手をこすり合わせる。
一体どんなスキルをもらう事になるんだろう。
いいスキルもらえるかな?
もし変なスキルだったらどうしよう?
ポジティブとネガティブの狭間(はざま)を行き来するように、僕は悶々としていた。
「……あ」
その時、僕より前の列に、見知った人物を見つけた。
――思わず目が釘付けになるほど、美しい少女だった。
そのふわふわとした金髪はシルクのようなまばゆい光沢を放っており、触ったらとても気持ち良さそうだ。人形のように整った目鼻立ち、ターコイズブルーの虹彩を持った澄んだ眼差しからは、柔和さと侵すべからざる気品を同時に感じさせる。
折れてしまいそうなほどほっそりとした体型だが、女性として出るべき部分はちゃんと出ており、着ているエンジ色のドレスを内側から膨らませている。
セシリー・べディングフィールド。僕の住む町に居を構える貴族の娘である。
容姿良し、頭良し、家柄良し、性格良しと、三拍子どころか四拍子も揃ったスーパー美少女。
彼女とは、初等学校に通っていた頃からの知り合いだ。でも、話をした事はほとんどない…………僕が恥ずかしくて。
そう。僕はべディングフィールドさんの事が好きなのである。
でも、口説いたりなど、具体的な行動をとった事は一度もない。
ていうか、無理。
そもそも目を合わせただけで恥ずかしいし、何より、僕のような平凡な男が彼女に近づいていいのだろうか、そう思ってしまうのだ。
――言い訳ばっかだな、僕。
でも、これでいいのかもしれない。
彼女のような素敵な人の隣は、超絶素敵な男しかきっと似合わない。それこそ、名門貴族生まれの男子くらいでないと。
だから、僕のような平凡な人種は、遠くから眺めているくらいの立ち位置にいる方が良いのだ。
うん。我ながら情けないね。
でも、見てるだけで楽しいのは事実だもん。しょうがないじゃん。ああ、今日も綺麗だなぁ。
が、その時だった。
後ろを振り向いたべディングフィールドさんと目が合った!!
途端、顔面が火を近づけたようにかぁっと熱くなった。
やばいやばい変な奴だと思われる早く目をそらさなくちゃ。テンパって固まる僕。
そんな僕に対して、べディングフィールドさんはなんと――微笑みかけてくださいました。
緊張しまくっていた心が一転、十二分に満たされた気分になる。
ああ、やばい。笑いかけてくれただけなのに凄く幸せな気分。
うん。なんだか楽しくなってきた。
ポジティブシンキングでいこう! きっと今日は伝説の英雄もびっくりな良いスキルをもらえるよ!
ゲンキンにも上機嫌になった僕は、その後も着々と神殿との距離を縮めていった。
やがて――その時は訪れた。
「次の者、前へ」
一つ前の若者への儀式を終えた神官は、僕の番が来たことを告げる。
「はい」
僕は返事をし、神殿の中へ入った。
途中、僕の一つ前に儀式を終えた人とすれ違う。その顔には困惑が浮かんでいた。変なスキルでももらったのだろうか。
僕はさらに進み、最奥にある水晶製の三角錐の前にたどり着く。声の主である神官もそこにいた。
この三角錐の水晶は、【唯一神】が人間界に干渉するために必要な霊媒の代用品だ。人間を霊媒にすると、その人は【唯一神】の力に肉体が耐え切れず死んでしまう。なのでこういった道具を使うのである。
【唯一神】は、別に人間に対して直接話しかけてくるようなことはない。
しかし、存在としては確かに、いる。
理屈ではなく、感覚で誰もが分かる。その空間一帯を包み込むほどの、大いなる存在感として。
そしてその存在は、神殿とその周囲でのみ実感できる。
【唯一神】は、大地のエネルギーの出入り口である『龍穴』の上でなければ地上に存在できない。この神殿は、その『龍穴』の上に建てられたものだ。
「【唯一神】の御前である。控えなさい」
僕は恭しく床に跪いた。
神官はおごそかに続けた。
「君は今日、心身ともに成熟した男子となった。以降、その自覚をゆめ忘れず、世の歯車の一つとして真摯に身を尽くすと誓うかね?」
「誓います」
これは決まり文句だが、僕ははっきりとした声で返事をした。
「ああ、偉大なる全知全能の神よ! この健気な信徒にお恵みを与えてください!」
芝居がかったような神官の言葉とともに、三角錐が白くフラッシュした。
体の芯に何かを埋め込まれるような、奇妙な感覚。しかし奇妙なだけで、痛みも不快感もない。
そして、
「立ちたまえ」
神官の声に従い、僕は立ち上がった。
そして、その手に示された方向――三角錐を見る。
半透明の水晶の中には――【会話】という単語が浮かんでいた。
「成人おめでとう。あれが君の頂いたスキルの名だ」
神官はねぎらうような優しい口調で教えてくれた。
――【会話】スキル。
べディングフィールドさんの素敵な笑顔のおかげでポジティブ全開だった僕は、【剣術】スキルとか、【槍術】スキルとか、【魔法】スキルとか、そういうカッコイイ奴が来ることを予想していた。
でも、【会話】スキルって何ぞや。
――神様、これ、どうやって使えばいいんですか。
【唯一神】は答えてくれない。ていうか、神様は喋らない。
スキルの具体的な能力は、自分自身で気づくしかないのだ。
でも、【会話】だよ? 剣や魔法のようにカッコイイものじゃない。
ただ、人と話すだけ。
そこに追加される能力といったらなんだろうか。
コミュ力がアップする?
それとも、早口言葉が上手くなる?
もしくは、女の子を口説くのが上手くなる?
――うわ。どれもなんかしょぼい。
「あ、ありがとうございます」
僕は引きつった笑顔で、神官と、その後ろにおわす【唯一神】に頭を下げた。
帰りに僕が浮かべた表情は――しょぼくれ顔だった。