ユーチャリスの一角、周囲を円形で覆われたドームの様な空間の中に一人の少女の姿があった。
 少女の肌には薄っすらと光を放つ、神経の様なラインが浮かび上がっている。
 画面に映し出されていく高速の文字。少女はゆっくりと閉じていた瞳を開いていく。

「アキト、ユーチャリスノ点検オワッタヨ」
「そうか。ご苦労様、ラピス」

 少女は名前を呼ばれると、無表情ながらもどこか嬉しそうにする。
 僅かな違いなので普通の人は気付かない程度ではあったが、確かにそこには喜びの色があった。





紅蓮と黒い王子 第2.5話「アキト、苦シイヨ」
193作





 黒の兄妹がユーチャリスに乗り込んでから半日あまりがたった。
 ユーチャリスの修復も動ける程度には完了し、出航の準備を進めていた。

「しっかし、本当にでけえ乗りモンだな」

 キタン達から聞いたこの世界の現状を考えれば、この艦はこの星の人達にとってはオーバーテクノロジーの塊と言える。
 正式名称ナデシコ級試験艦ユーチャリス。アキトの世界においても、後発に当たる最強戦艦ナデシコCのプロトタイプとなった艦であり、度重なる改修の結果、グラビティブラスト四門、無人兵器であるバッタを搭載し、ラピスのコントロール下によるワンマンオペレーションシステムを確立した強力な戦闘艦となっている。
 荒廃し、ガンメンと言う人型兵器を除けば、文明のレベルが後退しているとも言えるこの世界にとって、ユーチャリスはただ珍しいと言うだけの艦とは言えなかった。

「アキト。出航ノ準備出来タヨ」

 出航の準備が整った事を確認すると、ラピスはアキトに確認の意味で問いかける。
 気になるのはユーチャリスと共に飛ばされたはずのもう一つの機体、アキトのブラックサレナである。
 ブラックサレナはこの世界のガンメンとは全く違うコンセプトで作られた高機動人型兵器だ。
 誰かの手に渡るのはまずいだけでなく、あれはアキトにとって……

「サレナハ探サナクテイイノ? ギリギリマデ、バッタ達ニ探索サセテモ……」

 アキトの支持の下、ユーチャリスの復旧作業を優先でさせていた為に、ブラックサレナの発見は遅れていた。
 この艦がここにある以上、この砂漠のどこかにサレナも埋まっている可能性が高い。
 だが、昨日の獣人の仲間がいつ来るとも知れない現状で、これ以上この場所に留まることは危険が大きいとアキトは考えていた。

「いや、出航する。サレナは確かに必要だが、今はこちらも戦う力がない。仲間を連れてこられた時の方が危険が大きい」

 それにこの広大な砂漠からサレナ一機を探すのは並大抵なことではない。
 現状では取り得る手段も時間も無さ過ぎた。

「アキト……ウン、出航スルネ」

 ラピスは、アキトにとってサレナがただの機体ではなく、とても大切な物だと言う事が分かっていた。
 出来ればアキトの為にもサレナを見つけたかったが、今はアキトの言うことの方が正しいと言う事も理解できていた。
 ここでブラックサレナの回収を引き延ばしたとしても、何かがあった時に傷つくのは他ならぬアキトだ。
 それが分かっているだけに、ラピスは最後に首を縦に静かに振ると、相転移エンジンの出力を上げる。
 ゆっくりと、艦体を覆っていた砂を振り落としながら上昇するユーチャリス。

「うわっ! すげえ、飛んでる! 空を飛んでる!!」
「マジで、こんなでっかいのが動くとはな」
「うわ……すごいです」
「凄いわね〜」

 ユーチャリスが動き出すと歓声をあげる黒の兄妹。

「アキト。座標ノセット終ワッタヨ」

 ラピスは、キノンから聞いたアジトの位置から座標のセットを終えると、自動航行モードに切り替える。
 キノンから聞いた情報や、黒の兄妹が持っていた古い地図を参考に、簡易衛星を打ち上げ修復作業と平行して周囲の地形のデータをラピスは取得していた。
 出来るだけ、アキトが危惧している不安要素は自分が潰して行かないといけない。

「獣人タチニ見ツカラナイヨウニ、索敵モードデ少シ遠回リモシテルカラ、今ノ速度ダト到着予定ハ三日後ダヨ」

 報告を済ませると、寄り添うようにアキトの傍にきてマントを掴むラピス。
 そんなラピスの頭を、アキトは優しく撫でる。
 少しくすぐったそうにしながらも、嬉しそうにするラピスの姿がそこにあった。

「三日か。まあ、遠回りしてそん位なら早いぐらいだぜ。ここまで来るのに一ヶ月は掛かったしな」

 そう言いながら、アキトのようにラピスの頭を撫でようとするキタンだったが、ラピスはアキトの背中に隠れてしまう。
 まだ、アキト以外に上手く心を開けていないラピスにとって、アキト以外の人物は男性女性問わず、警戒する相手だったのだが、キタンにはそんな事情は良く分からない。

「なんだ? そんな照れなくてもいいじゃねえか」

 腑に落ちないながらも、どこまでもプラス思考なキタンだった。






「ラピスちゃん、こっちの服も着てみようか?」

 艦が出航して半日あまり、ここまで特に問題なく進んでいる。
 一緒に艦で生活する以上、ラピスにとってもアキト以外にも接する機会が多くなる。
 最初は戸惑いながらも、ラピスは黒の兄妹に出来るだけ接するようにしていた。
 アキトを困らせたくなかったと言うのもあるが、彼女達には自分に向けられる悪意が感じられなかったと言うのも大きかったのだろう。
 だけど、1つだけ問題があるとしたら――

 キタン――何でもプラス思考に物事を捉えることが出来る単細胞。
 キヤル――兄同様少し単純なところあり。男勝りで少し子供っぽい。
 キノン――落ち着きがあると言うより、引っ込み思案。たまに凄い暴走をする。

 そして――

「ほら、この白いワンピースもよく似合うわ」

 キヨウ……さん。どうして私は彼女だけさん付けで呼んでしまうのか、これだけは永遠の謎だった。
 正直、苦手な人だけど嫌いになれない。
 この中で一番落ち着いていて、大人なのは彼女だと分析する。
 でも、私を着せ替え人形みたいに玩具にするのはやめて欲しい……ラピスは心の中からそう思っていたのだが、それを口にすることは出来なかった。

「やっぱり、ラピスちゃんは何着ても可愛いけど、白が特に似合うわね。これならダーリンもきっとイチコロよ」

 ――ピクッ! 先程まで無表情でキヨウにされるがままだったラピスに思わぬ反応がある。
 アキトに気に入ってもらえる。それはラピスにとって嬉しいことで、どんな事よりも優先されると言っていい重要事項だった。
 お洒落と言った物に特に興味が無かったラピスだが、服だけはかなりの数を持っていた。
 まだ、この艦がネルガルにあった頃、ラピスを着せ替えしようと某会長と会長秘書が沢山置いていった物が、ラピスの私室のクローゼットには大量に納まっていた。
 それによって某会長に対して、ラピスが苦手意識と嫌悪感を持ったのは言うまでも無い。

「イチコロ?」
「そう、ラピスちゃんにメロメロになっちゃうってことよ」

 ラピスの脳裏に邪な妄想が過ぎる。
 膝の上で頭を撫でてもらう、一緒にお風呂で流しっこする、ベッドで手を握って寝てくれる。
 妄想とは言っても、ラピスの願いというのはまだ可愛いものだ。
 もっとも、アキトにとってそれが天国か地獄かと言えば、話は別なのだろうが……。

「アキトガ、メロメロ」

 これによりラピスがキヨウに陥落する事となる。
 こうして、ラピスとキヨウによるアキト包囲網は確実に迫っていた。






「アキト、まだ何かやってるのか?」
「……はい、食事はとってるみたいですけど、ずっと何か調べ物をしてるみたいで」
「兄ちゃん、何かしらないのか?」
「いや、俺にもさっぱり。でも、月を気にしてたみてえだから、月の事でも調べてんじゃねえのか?」
「つき?」

 キタン、キヤル、キノンの三人は、ずっと部屋に篭ったまま調べ物をしているアキトを心配して、部屋を覗き込んでいた。
 薄暗い部屋で、モニタを見ながら、物凄い速度で文字や映像を追っていくアキト。
 そんな、張り詰めた空気が、他者の立ち入りを禁じている。

「何やってるの、アンタ達?」

 後ろからやってきたキヨウとラピスに、思わず驚く三人。
 キヨウは腕を組みながら、また三人がアキトの邪魔をしているのではないか?
 と疑っている様子が見て取れる。

「なんだ、キヨウか。驚かすんじゃねえ」
「……まあ、いいわ。そんな事よりもちょっと見てくれない?」

 そう言ってラピスの肩を掴み、三人の前に押し出すキヨウ。
 淡いピンクのリボンが添えられた白いワンピースを着込み、オシャレに着飾ったラピスの姿がそこにあった。

「うおっ! か、かわいい……」
「……ラピスちゃん、綺麗」
「ぬうっ! くうっ!! 俺はロリコンじゃないロリコンじゃないロリコンじゃない……」

 どこか壊れ気味の男が一匹いたようだが、全員、そのラピスの姿に感嘆の声をあげる。

「可愛いでしょ。じゃ、次はダーリンにも見せないとね」

 キヨウがそう言いながら軽くウインクをすると、ラピスはアキトに見せると言うことに対して照れているのか、頬を少し赤くする。

「いや、でもアキトの様子がおかしくってさ」
「何か調べ物をされてるようですが……」

 キヤルとキノンの言葉を聞いて、少し落込むラピス。
 出航してから、ラピスは一度もアキトに会っていなかった。
 アキトが何かを自分に隠して調べていることをしってはいたが、それを邪魔をする気にもラピスはなれなかったからだ。

「キヨウサン、アキトノ邪魔ハ駄目」

 アキトにこの姿を見て貰えないのは残念だが、自分を遠ざけてまで何かをしているアキトの邪魔をすることは、ラピスにはとても出来ない。
 ラピスの気持ちを察したキヨウは、そっとラピスの手を握ると笑顔で答えた。

「そうね。ダーリンには後でゆっくりと見てもらいましょう」

 そう言うとラピスの手を取って部屋を後にするキヨウ。
 それに続くように慌てて後ろについて行くキヤルとキノン。

「俺はロリコンじゃないロリコンじゃないロリコンじゃない……」

 その場に残されたのは、ショックで少しおかしくなった男だけだった。






 その日の夜――ラピスはアキトの帰ってこない寝室で、一人布団に包まって考え事をしていた。

 アキトは私に名前をくれた。アキトは私に外の世界を見せてくれた。アキトは私に居場所をくれた。
 私はアキトにたくさんの物を与えてもらった。
 だから何かを返したくて、私はアキトの目になり耳になり手足になることを望んだ。
 私はアキトの物。私はアキトの一部。アキトの望みが私の望み。
 でも、本当にそれはアキトの為なのだろうか?
 違う……きっと私の自己満足だ。
 アキトもそれを分かって、私の傍にいてくれる。
 そして家族だと言ってくれる。

 ――私はアキトに助けられてばかりだ。

 ラピスの目に薄っすらと涙が浮かぶ。
 こんな感情が自分に芽生えるなんて思わなかった。
 まだ、表に出すことはなくても、ラピスの中には確かに感情が芽生えていた。
 それはテンカワアキトへの想いとなって。

「アキト、苦シイヨ」

 その悲痛な言葉は、誰に聞かれる事なく闇へと消えていった。








 ……TOBECONTINUDE









 あとがき

 193です。
 ミクシィに載せていた二話の補足話。
 向こうに雑記したのを、改訂を入れてシルフェニアに投稿しました。

 本編と合わせて読んで頂けるとよいかと。
 外伝的なこっちの話には挿絵は付けてませんが、そのうち機会があれば追加するかも知れません。
 今はこれで勘弁を。



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