――シトレイユ城
 首都を一望できる高台にあり、喫水外の檻で囲まれ、数十に上る聖機人により防備を固められた『難攻不落』とも言われる大国最大の城塞。
 シトレイユ皇国の政治や経済、その全権を担う国の中枢。
 その大国の宰相ババルン・メストの執務室も、この居城の中にあった。

『よろしかったのですか? 彼や貴族達の勝手な行動を許してしまって』
「構わん。どちらにせよ、予定に大きな狂いが出てしまっていることは確かだ。このままでは計画の遂行もままならん」

 部屋の主以外、誰もいない執務室。重厚な作りの椅子に腰掛け、ババルン・メストは通信機である男性と話をしていた。
 立体映像に映し出された人物。背中まで伸びる艶やかな金色の長髪に、柔らかで端正な顔立ち。一見、線の細い優男のようにも見えるが、男の瞳には精悍で強かな光が宿っていた。
 名はユライト・メスト。彼は今年二十六歳、来年五十歳を迎えるババルンとの歳の差は二十三と倍近くも離れているが、ババルンとは歴とした血を分けた兄弟であり、ダグマイアの叔父に当たる人物だ。
 今は聖地の学院で教師をやっている彼が、兄であるババルンに連絡を取っているのには、ある理由があった。
 そう、ダグマイアの帰国と、シトレイユの貴族達の不穏な動きについてだ。

『しかし、彼に何かあっては、国際問題になりかねませんよ?』
「噂通りの人物であれば、ダグマイアや有象無象の貴族如きに、どうにか出来る相手ではあるまい」

 ユライトの心配をババルンは一蹴する。その鋭い眼光は、ユライトの全てを見透かすかのように厳しく輝いていた。
 兄と弟、協力関係にあるとは言っても、ババルンは勿論、ユライトも互いに利用し合っているだけで、お互いを完全に信用しきってはいない。
 そもそもババルンには例え身内といえど、心を許せる相手などこの世に存在しなかった。
 自らも優秀な聖機師であり、しかも聖機人の修理や開発を手掛ける『聖機工』と呼ばれる技師でもあるババルンにとって、信じられるのは自分の力のみ。
 大国の宰相としての地位や力も、彼は長い年月を費やし、己の実力と才覚だけで勝ち取ってきた。
 目的のためであれば、息子や血を分けた弟ですら、駒の一つとして利用することを厭わない。

 だが、そうでもなければ、この大国の宰相は務まらない。
 ただ、野心があるだけでも、知略に長けているだけでも駄目。必要なのは高い判断力と先見の力。
 利用できるものは利用する。目的の妨げになる者、邪魔になる者は例え身内といえど排除する。
 自分にも他人にも厳しく、人間らしさを捨て、徹底して余計な情を切り捨てることで、為政者に相応しい決断をする。
 ババルン・メストとは、そういった臆病なほど慎重で、冷徹なまでに現実的な考えを持つ男だった。

「手は考えてある。後僅かというところまで漕ぎ着けたのだ」

 自分と同じく利用できるものは全て利用し、邪魔となる者を尽く排除してきた太老の実力を、ババルンは決して過小評価などしていなかった。
 寧ろ、僅か一年でここまでの頭角を現し、ハヴォニワだけでなくシトレイユにまで大きな影響力を及ぼし始めた太老の力に、畏怖すら感じていた。
 今までであれば、それでも対岸のこと、と静観し様子を窺う程度に留めるつもりだったババルンだったが、資金源の一つであった大商会の倒産という事態を受け、状況は一変してしまう。このままでは時を待たずして、長い歳月を費やし密かに進めてきた計画が頓挫する可能性が出て来たからだ。

 ババルンの計画を磐石なものとするためには、シトレイユ皇国は必要不可欠なものだった。
 そのために宰相の地位を得て、ここまで準備を進めてきたというのに、正木商会の出現、正木太老の登場によって、これまで地道に積み重ねてきた地盤が揺らごうとしている。
 計画の日までにシトレイユの実権を完全に掌握するつもりでいた彼の企みは、たった一人の男によって阻まれようとしていた。

「難敵には違いないが、小僧一人に計画の邪魔をされる訳にはいかん」

 計画の修正を視野に入れつつも、ババルンは計画をより確実なものとするために策略を巡らせていた。





異世界の伝道師 第82話『渦巻く陰謀』
作者 193






【Side:ラシャラ】

「それでラシャラさん。どう言う事か、きちんと説明してくださるのかしら?」
「う……勿論じゃ」

 マリアに説明を求められることは覚悟していた。
 太老が引き受けてくれたとはいえ、そもそもこの出張は太老にゆっくりと療養してもらうために企てたこと、それを態々負担を強いるような公式の行事に参加させるなど、本末転倒もよいところじゃ。
 太老の負担を考え、父皇との謁見だけで済ませるつもりが、貴族達が騒ぎ立てた所為でこんな事になってしまい、自分の不甲斐なさを心苦しく思う。

「まあ、こんな事になるのではないか、とは思っていましたけど」
「太老は有名人ですから……」

 マリアも大体の事情は察していたようじゃった。ユキネも補足するように、その話に頷く。
 太老の評判を考えれば、今回のこともある意味で予想された範疇の出来事。
 もっとも、そうは言っても貴族達を抑えきれなかったのは、我や父皇が力足らずだったからに相違ない。
 こうなることが分かっていながら、何もすることが出来なかったのだから――

「お兄様のことですから、全て察した上で話をお受けになったのでしょうけど」
「うむ……太老のことじゃから心配は要らぬとは思うが、警戒しておくに越したことはない」

 太老のことじゃから、恐らくは事情を察した上で引き受けてくれたのじゃろうが、それでも我が何もしない、と言う訳にはいかない。
 あの太老のことじゃ、心配は要らぬとは思うが、万が一ということもある。
 当日は我も目を光らせるつもりではいるが、警戒を強める意味でもマリアやユキネにも注意しておいてもらうに越したことはない。

「ですが、何を企んでいるのでしょう? お兄様に何かあれば、ハヴォニワとの国際問題になりかねませんよ?」
「そこは我も考えておった。易々とやられるような太老ではないし、直接的な手に出れば困ることになるのは奴等の方じゃ」

 ハヴォニワの重鎮の一人である太老を傷つけるような真似をすれば、間違いなく国際問題になる。
 下手をすれば、ハヴォニワとの全面衝突になりかねないと言うのに、今回のことは不可思議でならなかった。
 かと言って、太老を一目みたいなどと言葉通りの意味とは到底思えない。
 何かを企んでいることだけは確かなのじゃが、それが何か分からない以上、こちらも対策を講じようにも手の打ちようがない。

「何れにせよ、事はシトレイユだけの問題に止まりません。ラシャラ・アース、分かっていますわね?」
「こ、心得ておる! 我や父皇とて、今ここでハヴォニワと問題を起こすのは本望ではないからの」

 マリアの鋭い視線が突き刺さる。何だかんだ言っていても、太老のことが心配なのじゃろう。
 万が一にも太老の身に何かあれば、マリアは決して我を、シトレイユを許さぬじゃろう。
 ハヴォニワとの戦争も覚悟せねばならぬ、と我は推測していた。

(全く、厄介な問題を引き起こしてくれるものじゃ……)

 この事態を引き起こした貴族達や、その背後にいるであろうババルンに恨み言の一つでも言いたくなる。
 一触即発の状態になりかねない、という現状もそうだが、太老との関係を深めようと色々と考えていた予定が、今回のことで全て一時保留となってしまった。

(何を考えておるのか知らぬが、余りに迂闊すぎる)

 今のハヴォニワが、シトレイユよりも劣っていると軽んじるのは大間違いじゃ。
 確かに国力ではシトレイユが勝っているが、ハヴォニワにはシトレイユにない強い団結力がある。
 いざ戦争になった場合、現状に置いても確実に勝てるという保証がある訳ではない。
 どちらにせよ、こちら側も甚大な痛手を被ることは目に見えておった。

(それだけは確実に回避せねばならぬな)

【Side out】





【Side:太老】

 幾ら俺の体力があるとはいっても、二日も貫徹はやり過ぎだ。
 しかし、そうでもしなければ覚えられるはずもなかった。付け焼刃のダンスが通用するほど社交の場は甘くない。

(見る者がみれば、一発で分かってしまうしな……)

 余り下手で目立っても、一緒にいるマリアに恥を掻かせてしまうことになる。
 そのこともあって、必死に練習した。特訓や訓練と名の付くもので、ここまで頑張ったのはいつ以来のことだろうか?
 俺にしては、よく頑張った方だと思う。その甲斐もあって、どうにかマーヤから『合格』の一言をもらうことが出来た。

「長年、皇室にお仕えし、色々な人物を見てきましたが、ここまで上達が早い生徒は太老様が初めてです。
 まさか、本当に二日で一通りマスターなされるとは思いもしませんでした」

 褒めてくれるのは嬉しいが、こっちも必死だったので当然だ。
 マーヤは知らないだろうが、彼女が寝ている間もマリエルやユキネに無理を言って付き合ってもらって、夜通しで練習してたんだ。上達しないはずがない。
 しかし、今回はさすがに疲れた。デスクワークと違い、ダンスの練習ってのは肉体労働だ。
 そんなものを殆ど休みなしで二日も続ければ、幾ら体力があるといっても限界がある。
 今更ながら、自分でもチートな体だな、と実感する二日間だった。

「マーヤさん、どうもありがとう。さすがに一人じゃ無理だったし、講師役を引き受けてくれて助かったよ」
「勿体無いお言葉です。私は自分の職務を全うしたに過ぎません。
 それに今回のことに関しては、貴重な体験をさせて頂いた、という点では私も太老様に感謝しています」

 俺が頭を下げて礼を述べると、マーヤがそんな風に礼を返してきた。
 皇室の侍従長で厳格な人物だという評価は変わっていない。しかし、その能力は長年の経験に裏付けられた確かなものばかりで、俺も感心させられるものがあった。
 俺も頑張ったが、やはりこんな短時間で人並みにダンスを身に付けることが出来たのは、マーヤの的確な指導があったからだろう。
 そのことに関しては、感謝してもしきれない。ラシャラもマーヤには頭が上がらないと言っていたし、シトレイユ皇も全幅の信頼を置いていると言う。その理由も、今になってみればよく分かる。
 二日間のダンスの特訓を通して知ったことは、安っぽい表現ではあるがマーヤが凄い人物だということだ。

「ラシャラちゃんのお願いとは言っても、マーヤさんが時間を割いて見てくれたからダンスを覚えられたのは確かだしね。
 何かお礼がしたいんだけど、欲しい物や、望みがあったら言ってよ。俺に可能な範囲でなら何でも聞くよ」

 ラシャラが気を利かせて寄越してくれたとはいえ、俺から何の礼もなしと言う訳には、さすがにいかないだろう。
 ラシャラには後で何か返すことを考えるにしても、実際に講師を引き受けてくれたマーヤにも礼をしないと俺の気が済まない。

「では、不躾なお願いですが、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 少し思案した後、マーヤはそう尋ねてきた。
 礼をしたいと言ったのに、その対価に聞きたいことがあるなど、本当に欲のない人だ。
 何を聞かれるのか? とちょっとドキッとしながらも、俺は小さく頷き、マーヤの質問を待った。

「ラシャラ様のことを、太老様はどうお考えなのですか?」
「…………は?」

 意味が分からず、俺は少し思案する。
 どう思っているか、と問われれば良い子だと思っている。
 自分の意志をしっかりと持ち、為政者に相応しい度量も兼ね備え、知略にも長けている。何よりも優しい子だ。
 マリアと同様、皇族として生まれた義務や責務を自覚し、一生懸命頑張ろうとしている姿は、大人でも感心させられるところがある。
 少し子供らしくない、と思うところもあるが、彼女の背負っているものを考えれば、それもある意味で必然と言える。

「優しくて良い子だと思うよ。それに確固たる意志をちゃんと持ってるし、為政者に相応しい知略と度量も兼ね備えている」
「……よく見ておられるのですね」

 この場は、言葉を濁したり茶化すような場ではない、と俺は感じた。
 マーヤの真剣な表情、その向こうに感じられる慈愛に満ちた優しい温もり。それは、ただ主君を思う気持ちとは、どこか違う気がした。
 きっと、ラシャラのことを幼い時から見てきたマーヤだからこそ感じた、不安と心配だったのだろう。
 確かめたかったのかも知れない。見極めたかったのかも知れない。
 正木太老――この俺という人物を。

「一国のお姫様にいう言葉じゃないかも知れないけど、敢えて言うなら家族のような存在かな。
 行き場のなかった俺に居場所を与えてくれたマリア。それと同じくらい、大切な存在だと思ってる」

 だから、嘘偽りのない今の俺の本音をマーヤに語る。
 幼いながらも自らの力で運命を切り拓き、懸命に生きるラシャラの生き方に、俺は感銘を受けていた。
 一生懸命すぎて心配になることもあったり、多少無茶なところがある分、目を離せないところはある。
 だが、そんなところも含めて、俺にとってマリアと同じくらい大切な存在だ。
 本当の妹のように大切に思っている=Aという言葉に嘘はない。

「その御言葉を聞いて安心しました。どうか、このマーヤからもお願いします。
 ラシャラ様のこと、よろしくお願い致します」

 深々とお辞儀をするマーヤ。
 言われなくても、ラシャラを裏切るような真似をするはずもないのだが、ここまで丁寧に頼まれると照れ臭くなる。
 気恥ずかしさを誤魔化すように指で鼻を掻き、マーヤの言葉に俺は首を縦に振って答えた。
 ここに来て気付いたことがある。ラシャラは臣下によく恵まれている、と。

(少し心配してたんだけど、これなら――)

 どれだけ立派に見えても、彼女はまだ幼い。
 本来なら、両親の愛情が恋しい年頃だ。だが、生まれ持っての立場が普通の少女としての幸せを、そんな彼女から奪い去っていた。
 手にした権限と、それに伴う対価。その支払った大き過ぎる対価は、あの小さな体にどれかの重荷となっているのだろう? 正直、俺には想像もつかない。
 それでも、弱音一つ吐かず、皇族としての誇りと確固たる意志を持ち、ラシャラは懸命に毎日を生きていた。
 沢山悩み、失敗を繰り返して、これから大きく成長していくのだろうが、当然、悲しいことや挫折を経験することもあるだろう。
 それでも、マーヤのような大人が傍にいてくれるなら、彼女は道を踏み外さずにやっていける、そんな確信めいた予感があった。

 いや、これは俺の願いだったのかも知れない。

 こんな俺でも力になれるのなら、マリアやラシャラ――少女達が成長するまで見守っていてやりたい。
 マーヤのラシャラを思う気持ちの一端に触れ、俺はそんな事を考えていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.