【Side:ババルン】

 シトレイユ皇が事故に遭い、意識不明の昏睡状態にあるという報告を受け、さすがの儂も驚きを隠せなかった。
 今回の事は、儂が仕掛けた企みではない。そもそも、この時期にそんな事をすれば、真っ先に疑われる事になるのは儂だ。

「一体何者の仕業だ」

 考えられるのは、シトレイユ皇の事を快く思っていない宰相派の貴族達。
 特に、正木商会の所為で多大な不利益を被った者達が一番怪しいと考える。
 太老に策を仕掛けようとしたが、それも尽く失敗に終わり、焦ったバカな貴族共がシトレイユ皇へと標的を変え、早まった行動に出たのかもしれない、と儂は推察した。

「……面倒な事をしてくれたものだ」

 シトレイユ国内の事であれば、太老も迂闊に手を出しては来れぬと思うが、奴には正木商会という手札がある。
 それに、底知れぬ男だ。他に隠し玉を持っていても、何ら不思議ではない。
 皇が不在となれば、後継者を擁立する動きが当然起こるだろう。
 そうなれば、一人娘であるラシャラ姫が皇位を継ぐ事は間違いない。
 問題は、その後のシトレイユの実権を誰が握るかだ。

 以前であれば、シトレイユ皇を暗殺する事には、確かに大きなメリットがあった。
 明主として名高いシトレイユ皇の愛娘ラシャラ姫は、確かにあの両親≠フ血を継ぐだけあって類稀ない知略と才気に溢れ、為政者に相応しい度量を兼ね備えた前途有望な少女だ。
 しかし、それでもまだ十一歳。何の実績もなく、義務教育も終えていない年端も行かぬ少女に、国を任せられる者など居もしない。
 そうなれば、シトレイユ皇亡き後、国の実権を握るのは宰相である儂しかいない。
 シトレイユの情勢が一年前のままであれば、今回の事件は儂に有利に働いただろう。

 ――しかし、今は違う

(正木商会と、そしてあの正木太老があの娘の背後についている限り、そう思い通りにはいかぬな)

 正木商会シトレイユ支部のオーナーを務め、それによりもたらされた膨大な利益を利用して、ラシャラ姫は父親の権威に甘える事なく、自らの存在と重要性を国内に示した。
 皇族派と呼ばれる貴族達は勿論、国民の中にもラシャラ姫を支持する者は決して少なくない。
 事実、正木商会の登場により、市場は活性化し、雇用は増え、人々の生活水準も目に見える形で向上している実績があるからだ。
 逆をいえば、シトレイユ皇がいなくなり、ラシャラ姫が皇位を継いだとしても、皇族派の勢力を削ぎ落とすばかりか現状は何一つ変わりはしない。
 いや、寧ろ、こちらに不利に働く可能性の方が高い、と儂は考えていた。

 国皇が事故に遭い、幼くして皇位を継ぐ事になったラシャラ姫。国民達は当然、不運な姫に対し、同情的な関心を寄せるだろう。
 皇族派も、シトレイユ皇が何者かの策略で事故に遭わされたとしれば、儂や宰相派の貴族達を疑ってくるのは間違いない。
 敵意、恨み、怒り、そうしたモノは強い共感を生み出し、高い結束力を作り出す。
 そうなってしまえば、今以上に、皇族派の結束力を突き崩すのは容易ではなくなる。

 それに一番厄介な問題は、今回の事で必要以上に強く警戒されてしまった事だ。
 結果的に正木太老を敵に回してしまい、最悪な道筋を作ってしまった事になる。

「覚悟を決めねばならぬかもな」

 直ぐに仕掛けてくる事はないだろうが、太老との正面衝突は避けられないだろう。
 最も敵に回したくない、最強最悪な人物が敵となった。
 だが、今の手札で、奴と正面から争うのは得策ではない。
 準備が不十分な状態で仕掛ければ、その先に待っているのは確実な敗北だけだ。

 シトレイユ皇国を手に入れ、その力を利用して計画を推し進めるつもりでいたが、正攻法で国の実権を掌握する事は今となっては不可能。
 警戒されているであろう現状を考えれば、ラシャラ姫の暗殺などといった愚策は取れない。

(仕方あるまい……計画の大幅な修正をせざる得まい)

 何れにせよ、計画の日まで息を潜め、力を蓄える必要があった。

【Side out】





異世界の伝道師 第93話『お祭前日』
作者 193






【Side:太老】


 早いもので、シトレイユにきて一週間が経った。三日後には予定通り、ハヴォニワに帰国する予定となっていた。
 前日に送別会をしてくれるという話なので、丸一日自由になるのは今日だけ。
 それもあって、俺はあるサプライズを企画していた。

「観光ですか? ですが、私達が仕事を休む訳には……」

 マリエルと侍従達に丸一日の休みをプレゼントし、今日は一日シトレイユ観光でも楽しんでもらおうと考えたのだ。
 こっちに来てからと言うもの休む暇もなく、俺の代わりに彼女達は商会に釘付けになり、ずっと仕事をこなしてくれていた。
 この一週間、彼女達が頑張ってくれたお陰で、支部の設備確認や、改善点の指導、本部に持って帰る書類や資料の整理は殆ど終わっている。
 残った仕事くらいであれば、俺一人でも十分にこなせる程度の仕事量だった。

「このくらいなら俺一人でも大丈夫だから、これはお願いじゃなくて主人としての命令だと思ってくれていい」

 こうでも言わないと、マリエルは絶対に首を縦に振らないだろう、という事は分かっていた。
 少し卑怯ではあるが、雇用主の命令≠ネら耳を貸さない訳にはいかないだろう。
 折角、シトレイユ皇国に来たというのに、仕事ばかりで何一つ楽しみがないのは可哀想だ。
 十分過ぎるほどに頑張ってくれたのだから、少しくらいご褒美があってもいいだろう、と俺は考えていた。
 そのための休み、今日は仕事を忘れて目一杯楽しんできて欲しい。

「……分かりました。ご命令なら仕方ありません」
「これ、少ないけど皆で分けてくれる?」
「そ、そんな! このような物まで頂く訳には――」
「これは正当な報酬だよ? 出張手当だと思ってくれていいから」

 遠慮するマリエルに、そう言って無理矢理、金貨の入った袋を押し付けた。
 元々これは出張手当≠ニして、後日、彼女達に支給する予定の物だったので、単に手渡すのが少し早くなっただけの事だ。
 真面目なマリエルの事だ。仕事という事で、大して身銭を持ってきていないはずだ。
 それに、彼女達の家庭の事情も、マリエルの村を見た時から大体は察していた。
 給金の殆どを実家に送り、手元には最低限生活をしていけるだけの金しか残していない。

(マリエル達には感謝してもしきれないくらい頑張ってもらってるからな)

 街に行くというのに、財布を気にしていては楽しめないだろう。
 予定よりも、少しだけ出張手当に色をつけてあるが、それもほんの心遣いだ。
 今は、久し振りの休日を、彼女達に楽しんで欲しかった。


   ◆



 マリエル達を見送り、俺は彼女達の代わりに、残っている仕事を黙々とこなしていた。
 とは言え、本当ならマリエル達がやる事ではなく、俺が最初からやっていなくてはいけなかった仕事だ。
 それも殆どはマリエル達がやってくれていたので、後残っている仕事と言えば、最終確認くらいのものだった。

「太老様、紅茶を淹れましたので、一息入れられては如何ですか?」
「ん? もう、そんな時間か。それじゃあ、もらおうかな」

 久し振りに真面目に仕事に励んでいると、気付けば三時間余りが過ぎていた。昼頃から始めたので、そろそろ夕方になる。
 俺の仕事のペースを考慮してか、丁度いい頃合を見計らって、御茶の準備をしてくれるエメラ。
 さすがに部外者の彼女に商会の仕事を手伝わせる訳にはいかないが、従者としての仕事は十二分にこなしてくれていた。
 マリエル達が商会の仕事に懸かりきりになり、彼女達が忙しいのを察してか、こちらが恐縮してしまうくらい、俺の身の回りの世話を焼いてくれていた。
 正直、ランの必要性を疑うほどの有能振りを、昨日から発揮してくれている。

「あれ? そう言えば、ランは?」
「ランさんなら、マリア様を手伝って明日の送別会の準備をされています」
「ああ、こう言うお祭騒ぎが好きな奴だしな……」

 ランの姿が見えないのでエメラに尋ねてみると、ある意味で予想通りの答えが返ってきた。
 従者としては今一つだが、こう言う時は人一倍率先してやる気を出すような奴だ。
 大方、面白そうな匂いでも嗅ぎ付けたのだろう。

「でも、準備って一体何をしてるんだろ? エメラは何か聞いてる?」
「いえ、ラシャラ様が明日来られるという話しか」

 エメラも、何も聞かされていないらしい。マリアが何の準備をしているのかが、未だに分からない。
 昨日、その事を尋ねてみたのが、『当日を楽しみにしていてください』と言って何も教えてくれなかった。
 午前中にアンジェラの姿を見掛けたので、ラシャラも一枚噛んでいる事は確かだが、一体何を企んでいるのか?

(……大体、あれは何に使う気なんだ?)

 支部前の広場に設けられた特設ステージ。今も、明日に向けて準備が進められていた。
 俺達の送別会をしてくれるのは嬉しいが、歓迎会の時といい、色々と手の込んだ催し物ばかりを飽きもせず思いつくものだ。
 シトレイユのお国柄なのだろうが、この国の人は何かと理由をつけて、集まって騒ぐ事が好きなようだった。
 所謂、お祭好きな人が多い。国皇からしてあれだし、ある意味で納得行く話だが――

「マリエル達も楽しんでくれてるといいけど」

 無理矢理追い出したはいいが、他の侍従達はともかく、真面目なマリエルの事だ。
 仕事が気になって、余り楽しめていないのではないか、と少し心配していた。
 ランみたいになれ、とはさすがに言わないが、マリエルはもう少し力を抜く事を覚えた方がいい。
 真面目すぎるというか、周囲の忠告も聞かず、人の何倍も頑張りすぎてしまうところに、俺は不安を抱えていた。

 ――それは彼女の美点であり、唯一の欠点でもある

 世の中、上手くは行かないものだ。
 そう言う意味では、ランとマリエルはある意味で対極にいると言える。
 そしてエメラも、真面目で堅物なところはマリエルに良く似ていた。

「太老様は、いつもこの様に使用人の事を気に掛けておられるのですか?」
「ん? マリエル達の事?」
「はい、それにランさんの事もです」

 エメラの質問に少し思案する。
 ランの場合は、どこかでまた悪さをしていないか、と心配なだけだ。
 少し目を離すと碌な事をしないというのは、これまでの経験で痛いほど良く分かっている。
 マリエル達への考えとは、少しどころか百八十度違うものだろう。

「まあ、仲間だしね。一緒に生活してる以上、家族みたいなもんだし」

 とは言え、エメラの言うとおり、気に掛けているのは間違いではない。
 マリエル達は今更語るまでもなく、ランも俺の大切な仲間だし、身内だと思っている。
 根はそれほど悪い奴ではない事は分かっているし、あれはあれで面白いところもあるから、俺は嫌いではなかった。
 親しみやすいと言う点では、今のところランが一番、俺に合っているのだろう。

「家族……ですか」
「よく変り者≠セ、とか言われるけどね。でも、雇用主と雇用者という関係以前に、一人の人間でしょ?
 してくれた事に感謝するのは当然だし、気になる相手の事は心配もするさ」

 マリエル達に感謝しているのは本当だ。ランの事も、『悪さをしていないか』といつも心配でならない。
 しかし、何故エメラがこんな事を急に聞いてきたのか? と少し疑問に思った。
 考えられる事は一つしかないが、やはり、まだあの事件の事≠気にしているのだろうか?

「気になってるのって、ダグマイアの事?」
「……はい。私は従者としては失格ですから」

 そう言うエメラの表情は、今までに見た事がないほど悲しげな愁いを帯びていた。
 しかし、こう言っては何だが、エメラが気にするような事ではない。
 従者として主の事を、それだけ忠実に思っているという事なのかもしれないが、あれはどう考えてもダグマイアが悪い。

「エメラが気にする事じゃないよ」
「ですが……」
「大貴族の嫡子だから許される。男性聖機師だから許される。そういう考えがあるから、余計に増長させる原因になる」
「……ダグマイア様が甘えていると?」
「権力の使いどころは間違えてるね。本当に自分が正しいと思うのなら、貴族や聖機師と言う前に、ダグマイア・メスト個人として、きっちりと責任を果たすべきだと俺は思うよ」

 ババルンに迷惑を掛けて、親の七光りで威張り散らかしているようでは話にならない。
 聖機師である事にプライドを持つのは勝手だが、それを言い訳にして、何をしても許されると言う訳ではない。
 エメラが気にするのも分かるが、ダグマイアの失態はダグマイアが責任を取らなければ意味がない。
 ここで誰かが庇うような真似をすれば、いつまで経ってもダグマイアはその事に気付かないままだろう。

 中途半端な優しさは、時として残酷な結果を残す事もある。
 本当にダグマイアの事を思うのなら、ここは冷たくても厳しく接するべきだ、と俺は考えていた。
 ババルンも、その事は分かってくれたはずだ。

「ダグマイアの事を思うのなら、もう一度よく考えて見てくれる?」
「……はい」

 エメラは有能な人物だが、どうにも優しすぎるようだ。結果的にその優しさが、ダグマイアを甘やかしていたのだろう。
 結局のところ、更生出来るかどうかは、ダグマイアの問題。
 ババルンやエメラがどれだけ心配したところで、ダグマイアにその気がなければ意味がない。
 何れにせよ、後はメスト家の家庭の問題だ。赤の他人の俺が口を出すような話ではない。
 ダグマイアの事を心配する二人の事を思えば、出来ればその事に気付いて欲しいと思うが、内心では『難しいだろう』と俺は思っていた。

(何か切っ掛けでもあれば別だろうけど……)

 考えられる方法としては、貴族ではなくなる、もしくは聖機師でなくなる。
 何の後ろ盾もなく、権力さえ失ってしまえば、良いも悪いも変わらざるえなくなるだろう。

 しかし、現実的な問題として、どちらも難しい。
 貴族の方はともかくとして、男性聖機師というのは、それだけ貴重なものだという事だ。
 どれだけバカでも、国が貴重な男性聖機師を手放すとは考え難い。
 どちらかというと、これから反抗期の息子を抱え、苦労する事が目に見えているババルンの方が心配だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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