【Side:林檎】

 太老様が樹雷を出発されてから五日が経つ。そろそろアカデミーに到着されている頃だ。
 私はというと、経理部の娘達と一緒に財団を設立するための準備に追われていた。
 以前に水穂さんが、神樹の酒の模造品を販売するために立ち上げた会社を仲介業者に使い、そこから神樹の酒を市場に卸す事になった。物が物だけに年間の出荷量は制限する事になるが、それならば価格の安定化を図る事も出来る。それに、財団の運営資金に関しては、既に十分過ぎるほど基準を満たしていた。
 鷲羽様から送られてきた太老様のMMDに預けられている個人資産の一部が、中堅規模の財団の総資産を軽く上回るほどの額を有していたからだ。

「この調子なら、一ヶ月ほどで必要な手続きを終えられそうですね」
「資金繰りの心配をしなくていいですからね。それだけでも随分と楽ですよ」

 彼女の言うとおり、運営資金の問題が一挙に解決した事が大きかった。
 報奨金や神樹の酒だけでは、樹雷全土をカバーするためには不足していた資金の問題が、太老様の個人資産一つで全て解決してしまったからだ。これでも全額ではなく、資産の一部を割り当てただけだというのだから、正直驚きを隠せない。
 太老様が十五歳という年齢で、密かに哲学士として活躍されている事は知っていたが、まさかあの歳でそこまでの資産を有しているとは想像もしていなかった。
 鷲羽様であれば、決して不思議な額ではないが、並の哲学士が一年や二年で稼ぎ出せる金額ではない。
 ましてや、その金額ですら莫大な資産の一部に過ぎないというのだから、太老様の保有するパテントの凄まじさが窺える。これらの事からも、太老様が銀河で最高クラスのパテントを有す、現在最も勢いのある哲学士である事は、疑いようがなかった。

「林檎様! 大変です!?」
「どうしたの?」
「じ、実は桜花様が家出を――」
「……家出?」

 仕事場に慌てた様子で飛び込んできた侍従に、桜花ちゃんが残していった、という書き置きを手渡された。
 屋敷の掃除をしていると、これが居間の机の上に置かれていたらしい。

「林檎様……何と書かれていたのですか?」
「アカデミーに遊びに行く、と書かれてますね」
「それって……」
「太老様を追って行ったのでしょうね」

 さすがは、あの夕咲様の御息女と言うべきか、本当に驚くべき行動力だ。しかし、どうやって誰にも気付かれず、樹雷から出たのか?
 アカデミーに向かったという事は、船が必要になる。だが、連絡船に乗ろうとすれば正規の出国手続きが必要となり、誰にも気付かれずに樹雷を出る事など不可能だ。以前に太老様が行方不明になった時と同様、不可解で成らなかった。

(皇家の樹との親和性の高さは、穂野火の件でも明らか……だとすれば、皇家の樹が味方をした?)

 桜花ちゃんと一緒にいた船穂と龍皇の姿が頭を過ぎる。
 第一世代、第二世代の樹の端末が揃っているのであれば、ありえない話ではなかった。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第35話『アイリの計画』
作者 193






【Side:太老】

 アイリ所有の小型宇宙船に到着した俺と水穂は、秘書の案内でアイリの居る理事長室へと招かれ、書類に埋もれた執務机の椅子に腰掛けるアイリと向かい合っていた。
 体育館のような広大な広さを持ち、多種多様な観葉植物で彩られたそこは、理事長室というより宇宙に浮かぶ温室といった方が正しいように思える。

「久し振りね。太老くん、おまけに水穂も」
「おまけ、って……それは酷くありませんか? アイリ理事長」
「あら、ごめんなさい。別に、いつものように『母さん』って呼んでくれても構わないのよ。水穂ちゃん」
「今は、公務中ですから。アイリ理事長も、ちゃんと仕事をしてください」

 水穂をオマケ扱いするアイリもアイリだが、散らかった書類の山を見て、皮肉の籠もった言葉を返す水穂も水穂だ。
 アイリと水穂、久し振りの親子の対面は、どこかギスギスした雰囲気から始まった。
 お互いに笑顔だが、心の底から笑っているように見えない。鬼姫の副官に、銀河アカデミーの理事長。親子とはいえ、それぞれの立場がある以上、公的な場では他人行儀なのは仕方がないにしても、余り仲が良さそうには見えなかった。
 有能でも悪ふざけが過ぎるアイリと、いつも、その悪ふざけの後始末に苦労している水穂。
 鬼姫の副官という立場と苦労を考えれば、水穂の気持ちも分からなくはない。その事からも、大体の構図は読み取れた。ようは、水穂とアイリも、俺と鷲羽(マッド)のような関係なのだろう。

「太老くんが宇宙に上がった、って嬉しいニュースがあったというのに、一度も私に連絡をくれないし……」
「仕事で忙しかったんです。それに、あんな隠し撮り≠催促するような連絡に、返事をする訳がないでしょう?」
「隠し撮りなんかじゃないわ! アルバム! 成長記録よ!」
「本人の許可無く撮影した物は、全部隠し撮りっていうんです! 全く、瀬戸様といい、母さんといい……」

 何だか耳にしてはならない怪しい単語を聞いた気がするが、ここは聞かなかった振りをしておく方が精神衛生上よさそうだ。
 悪ふざけが過ぎるという話では、鬼姫も、鷲羽(マッド)も、アイリも大差がない。遊びも仕事も楽しくやるのは結構だが、それに巻き込まれた方は堪ったモノではなかった。水穂が頭を抱えるのも無理はない話だ。
 この点に関しては、激しく水穂の考え方に同意する。これは、その『悪ふざけ』と言う名の理不尽に振り回された事がある者にしか分からない。

「では、早速例の物≠フ引き渡しをお願いしたいのですが?」
「ああ、ええっと……アレね。実は、まだ最終調整が終わって無いのよ」
「報告では、『完成している』とありましたが?」
「その予定だったんだけど、最後の最後で点検漏れがあってね。今、急ピッチで調整に入らせてるから、もう少し待って欲しいのよ」

 怪しい。明らかに何かを隠している時の顔だ。アイリの不審な言動を察知した水穂も、訝しい表情を浮かべていた。
 しかし、まさか哲学士の工房に無断で立ち入り調査を行う訳にはいかない。哲学士の工房といえば、機密の塊のようなものだ。その持ち主である哲学士が許可をしない限り、例え一国の元首といえど中に立ち入る事は許されない。
 ましてや、アイリは見た目はこんな風でも、現アカデミー最高の哲学士と呼ばれる存在。その哲学士の工房ともなれば、国家機密レベルの情報が満載で、宇宙最高クラスのセキュリティで守られた堅固な要塞と同じだ。

(ここは、素直に従うしかなさそうだな)

 アイリに『待ってくれ』と言われれば、こちらは素直に従うしかない。水穂もその事が分かっているからこそ、何かを隠している事が分かっていながらも、黙って話を聞き、様子を窺っていた。
 ここで追及をする事は簡単だが、最悪の場合、それでへそを曲げられでもしたら、そちらの方が厄介だ。
 大の大人がそのくらいで……と思うかもしれないが、哲学士という変人どもは、そういう子供っぽいところがあるので質が悪い。
 その中でも、鷲羽(マッド)とアイリはぶっ飛んだ、変人を代表する人物だという事を忘れてはいけない。

「では、どのくらいお待ちすればいいのか、聞かせて頂けますか?」
「五日、いえ……三日待ってもらえないかしら? その間に完璧に仕上げておくから」
「……三日ですね。分かりました」

 少し予定と違ってしまったが、三日くらいなら待てない事もない。引き取ってくるようには言われたが、期限の指定はされなかった。
 鬼姫の事だし、こうした事態も憂慮していたのかも知れないが……。

「では、これで失礼します。三日後にもう一度、こちらに伺わせて頂きます。太老くん、行きましょう」
「あっ、ちょっと待って!」
「……まだ何か?」
「泊まるところとか決まってないんじゃないか、って思って。こちらの都合で待たせるのだから、そのくらいは面倒を見させて」
「いえ、結構です。長居をするつもりはありませんから、三日くらい街でホテルを取れば済む事ですし」
「だ、ダメよ! 今は、どこの宿泊施設も……そう、GPアカデミーの入学シーズンと重なって旅行客で満杯でね! 今からいっても部屋なんて取れないわよ!」

 凄く怪しかった。確かにGPアカデミーの入学シーズンは、その生徒以外にも同行した保護者や親族が、観光やビジネス目的で長期滞在する事が多く、多くの人で賑わうような話は、俺も以前に聞いた事がある。
 しかし、これだけ広いアカデミーの全ての宿泊施設が満員になるなんて事が、ありえるはずもない。
 そんな嘘をついてまで、俺達を引き留めようなんて……何かある、と言っているようなものだった。

「水穂さん、どうします?」
「断るのは簡単だけど、そのくらいで諦めるような人でもないのよね……」
「それじゃあ……」
「一先ず、話を受けておくしかないわね。何を企んでいるか分からないし、太老くんも気をつけて」

 アイリに聞こえないようにヒソヒソと小声で相談を交わし、取り敢えずアイリの申し出を受けておく事にした。
 ここで断って裏でコソコソと何かをされるよりは、まだ今の内に話を合わせておく方がマシ、と水穂も判断したのだろう。
 厄介な相手だが、警戒を怠らなければいいだけの話だ。とはいえ、その警戒の裏を掻き、意表を突いてくるのが、この手の人物の一番厄介なところだった。

「話はまとまった? それじゃあ、これが目的地までのマップね」

 アイリが手元のボタンを押すと、水穂の端末に目的地までのマップが転送されてくる。地図とは言っても、こちらでは実際に地図を持ち歩く訳ではない。ナビ付きの電子案内図だ。
 全ては樹雷と同じように個人別にID管理がされているので、面倒な事は全て機械が全自動でやってくれる。
 ここ一ヶ月の生活で慣れた光景だが、やはり地球とは何もかも違うのだと思い知らされる瞬間でもあった。

「それじゃあ、またね。太老くん、水穂」

 笑顔のアイリに見送られながら、理事長室を後にする俺達。
 あの笑顔……やはり、何かを企んでいる事だけは、間違いなさそうだった。

【Side out】





【Side:水穂】

 瀬戸様から伺っていた話では、既に受け取る品は完成している、という話だったが、実際には聞いている話と違っていた。
 母さんのあの様子では、本当に完成していないのか怪しいが、今は素直に従っている振りをして様子を窺うしかない。
 取り敢えず、三日という約束は取り付けた。話は、それからでも遅くはない。問題をややこしくするよりはマシだ。
 足掻けば足掻くほど、状況が困難であればあるほど、あの人達はその状況を楽しむ傾向にある。
 瀬戸様や母さんとの上手い付き合い方のコツは、無駄に反抗的な姿勢を示して相手を喜ばせない事だ。

「それじゃあ、アイリ理事長≠フ用意してくれた宿泊施設に向かいましょうか」
「本当に大丈夫かな?」
「盗聴器や隠しカメラはチェックして、私が全部外すから心配はないわ。あの人達の癖は把握してるしね」

 実に巧妙に隠すものだと感心するが、それを普段から見ている私には通用しない。しかし、それが分からないほど母さんは愚かではない。あの様子から察するに、隠し撮りだけが目的ではないはずだ。
 それ以外に何を企んでいるかが問題だが、目的の中に太老くんが絡んでいる事だけは確実。昨日の海賊の件で、それでなくても太老くんは疲れているのに、そこに加えて、あの母さんの悪巧みに巻き込まれれば、疲れを癒すどころか疲労は蓄積されるばかりだ。
 今の彼は、肉体的疲労よりも、精神的疲労の方が心配だ。見た目は大丈夫そうに見えても、あんな事があった後では安心は出来ない。
 何としても太老くんだけは、あの非常識な母親の悪ふざけから守らないと、と固く心に誓っていた。

「でも、三日か……船の荷物を転送してくれるように、手配して置いた方がよさそうね」
「ああ、着替えとかも必要ですしね」
「それじゃあ、手続きを済ませて、先にご飯でも食べに行きましょうか。急いで向かう必要もないのだし」
「いいですね」

 母さんが何を企んでいるかは分からないが、三日の休暇を得たと思えば悪い話ではない。
 今回、瀬戸様からは『品物を受け取ってくるように』と、それ以外に何も指示を受けていない。こうなる事を見越して期限を指定なさらなかったのかもしれないが、太老くんを休養させるには丁度良かった。
 まあ、この状況すら瀬戸様が意図的に作りだした可能性も考えられるのだが、そこまで考えていたらキリがない。もう一つの瀬戸様の目的から察するに、私を太老くんに同行させたのは、彼の護衛も兼ねているのだと考えていた。
 だとすれば、『剣』か『盾』か……この場合は監視兼護衛役に『剣』がついてきている可能性が高い。尾行されている気配は一切感じ取れないが、間違いなくどこからか見張られているはずだ。
 母さんだけでも厄介なのに、瀬戸様まで本気で動いているとなると、余り細かい事を気にしても意味がない。疲れるだけだ。

「行きましょう。太老くん」
「はい、水穂さん」

 今、私が考えるべき事は、太老くんの身の安全だけ。
 母さんが何を企んでいようと、瀬戸様の思惑がどこにあろうと、やるべき事は決まっていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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