【Side:華琳】

「桂花、やっぱり別の下着にするわ。選んでくるから、そのままの格好で待っていてくれるかしら?」

 桂花の脱いだ服の入ったカゴを素早く試着室から抜き取ると、それを持ってその場から離れる。これは私を策に嵌めようとした罰だ。
 男が生理的に受け付けない。それが原因で太老を嫌悪しているというのであれば、あの子には身を持って理解させなければならない。自分の立場というものを――

(これで理解出来ないようなら、残念だけど……桂花はダメね)

 人の価値は平等ではない。命もまた然り。人は皆平等など、甘い理想。現実を何一つ直視する事が出来ていない愚か者の絵空事に過ぎない。
 力のある者が奪い、力のない者を虐げるのがこの世界の摂理。力の弱い物は強い者に殺されるか侵されるか奪われるか、またはより強い者に命と身を預け縋るしかない。
 それが現実。争いのない世界など存在しない。ましてや私達の生きる世界とは、そういう物だ。
 国の矛となり盾となり手足となって働く兵達や、そして文官と武官も全ては『国』という巨大な化け物を動かすための歯車の一つに過ぎない。

 そして国とは、そうした弱い民達を守るために存在する鎧のようなものだと私は考えていた。
 私達は民の命と血で生かされている。私の服も食べ物も、あの城も全て、彼等の税によって支えられている物だ。
 民は税というカタチで私達から安全を買い、それを代償に私達は命懸けで彼等の生活を守る。
 だからこそ、私達には失敗が許されない。大勢の民の命と生活を預かる以上、『出来なかった。ダメでした』では許されないのだ。

 優先すべきは私情ではなく『王』であり『国』だ。『王』が無能であれば『国』は腐り、『国』が強くなくては民の生活も守れない。その『国』のために働いている人間を、多くの民に慕われ貢献している者を策に嵌め蔑ろにするという事は、国家への反逆と同じくらい罪深い事だ。
 大事なのは国にとってどれだけ有益で必要とされる人材であるかどうか。
 価値――その一点に置いて、軍師とは言え文官の一人に過ぎない桂花の存在価値は正木太老に遠く及ばなかった。
 私が『正木太老』を曹孟徳の客人であるといった理由。それを個人的な感情から理解出来ないというのであれば軍師である前に、私の家臣たる資格はない。
 桂花は確かに私の覇道に必要な有能な人材ではあるが、その妨げになるようであれば容赦なく切り捨てるつもりでいた。
 時として非情な決断に迫られる事がある。その必要な時に現実から目を背けず決断する事――それが王に求められる最大の資質だ。
 決断するべき時に機会を逃し迷うようでは優れた為政者とは言えない。
 私は覇道を行く者。兵の命と民の生活を預かる責任が、この曹孟徳にはあった。そのために私は常に現実を見る。夢や理想を語るだけでは、この世界は何一つ変わらない。誰一人救えないと分かっているからだ。

「華琳様。遅くなって申し訳ありません」
「それで、太老は連れてきたの?」
「それが……」

 秋蘭の様子のおかしさと太老の姿が見えない事に気付き、作戦は失敗したのかと考えた。
 しかし――

「いやああぁぁ――っ!」

 桂花の悲鳴が店の外にまで聞こえる大きさで甲高く響いた。
 ――まさか既に店の中に? と私は頭を働かせ、直ぐに桂花の元へと走る。
 しかし、その現場に到着して直ぐに私の思考は停止した。

「来ないで、バケモノ!」
「誰がバケモノだ。このような絶世の漢女を捕まえて、そのような暴言を吐くとは許すまじ……」
「まあ、待て。相手は気が動転しているだけだ。それよりも早く服を――」
「いやーっ! 見るなぁぁ!」

 確かに男は居た。しかも二人。
 一人は筋肉質のフンドシ姿のおかしな風体の男。もう一人は赤い髪に白い上着を纏った、これも少し変わった感じの男。
 前者は男というより、桂花が動転するのも無理はない形容しがたい生き物だった。
 いや、そもそもこんな生き物がこの世に存在する事自体が驚きでならない。『男か? 女か?』と問う以前の話だった。

「はあ……やはり、こうなったか」
「秋蘭知ってるの? あの二人を」
「はい。実はここに来るまでに知り合いまして……大きい方が卑弥呼、もう一人を華佗と言います」

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第10話『本物の化け物』
作者 193






【Side:華佗】

 俺の名は華佗。五斗米道の流れを汲む医者だ。
 突然だが、俺には万物の気を読む力がある。ある目的を果たすため曹操の城に向かっている途中、凄まじい気を発した不思議な男に出会った。
 その存在感だけで圧倒されてしまいそうになるほどの強大な気。いや、生命力とでも言うべきか。人間の姿をしているが、それが普通の人間で無い事は一目見れば分かる。それが正木太老――噂に聞いていた『天の御遣い』だと知ったのは、その直ぐ後の事だ。

「なるほど、事情は分かったわ」
「誤解が解けたようで何よりだ」

 天の御遣いと偶然に出会い、どうしても気になって声を掛けた後の事。
 自己紹介を交わして間もなく、大通りを歩いていたご婦人が大切な荷物を盗人に掠め取られ、それに気付いた俺と卑弥呼は直ぐにその盗人の後を追い掛けた。
 その後を天の御遣いと、その仲間と思われる桜色の髪の少女も追うように飛び出した。
 表通りを真っ直ぐに進み、素早い動きで盗人を追い掛ける少女はともかく、建物の屋根の上を飛び跳ねる俺と卑弥呼の後を同じく屋根の上へと飛び乗り、当たり前のようについてくる天の御遣いの身の軽さに若干の驚きを覚えつつ、俺達はそのまま盗人を追跡した。

 しかし、その途中――偶々、着地地点となった店の屋根が抜け落ち、俺と卑弥呼はそのまま落下。
 そこが女性物の下着を売っている店だとは知らず、更には落ちた場所に裸の女性がいるなどと予想がつかず、あの騒ぎに発展したと言う訳だ。
 幸いにも、盗人は天の御遣いと少女の手で捕縛されたと言う話だったが、こちらは陳留に到着したばかりだというのにとんだ災難に見舞われてしまった。
 とはいえ屋根の修理費を請求されはしたが、問答無用で捕らえられなかっただけ、まだマシだったと言える。

「それで、私に用があるという話だったけど?」
「それなのだが――」

 事情説明を要求され城へと連行された俺は、謁見の間で曹操直々に事情聴取を受けていた。
 曹操の脇には彼女の側近である夏侯淵と、先程店で泣き喚き素肌を晒していた荀イクという少女が控えていた。
 どうやら彼女は、この国の軍師殿であったらしい。人は見かけによらないものだ。
 今も俺を親の敵を見るような目で睨み付けている。事故とはいえ、裸を見られたのだから当然といえば当然だが正直勘弁して欲しかった。

「太平要術の書?」
「うむ。曹操殿が所持していると噂に聞き、ここまで来たのだが」

 太平要術の書は単なる古書ではない。使い方によっては人心を惑わし、世界を争乱へと導く危険な代物だ。
 中に書かれている内容もそうだが、あの書は持ち主の夢や理想といった心に作用し、主を争乱の元凶へと導く不思議な力がある。過去幾度と争いの火種となり、時代の闇から闇へと彷徨い続けていた禁断の書。俺が危険視している一番の理由がそこにあった。
 我が師匠の言葉、そして五斗米道の教えに従い、それを封印するために俺は旅をしていた。
 曹操を尋ねてきたのも彼女が本当に太平要術の書を所持しているなら、それを譲って貰い封印するためだ。
 曹操にその事を伝え、太平要術の書の危険性を説明するが、返ってきた答えは予想もしていなかったものだった。

「確かに持っていたけど、ここには無いわ」
「無い?」
「ええ、賊に盗まれたの。もう半年以上も前の事よ」
「盗まれた……それでは……」
「その盗賊達は追跡し既に討伐した後だけど、問題の古書は出て来なかった。無知な盗賊に薪にでもされたか、落城の時に燃え落ちたのか、何れにせよ私の手元には無いわ。残念ながらね」

 直ぐにバレるような嘘を吐く人物ではない。だとすれば、彼女の言っている事は真実なのだろう。
 しかし本当に燃え尽きていればいいが、誰かの手に渡っていた場合、やはり悪用される危険が高い。
 とはいえ、折角手にした手掛かりを無くしたも同然。あてにしていた曹操も知らないとなると、本当に打つ手がなかった。

「でも、太平要術の書がそんなに危険な代物だったなんてね。迂闊だったわ……」
「だが、これで手掛かりを完全に失った。後はあれが本当に、この世から消えている事を祈るばかりだが……」
「私もきちんと確認をした訳ではないし保証は出来ないけど……でも、確認する手立てが無い訳ではないわよ?」
「なっ! それは本当か!?」
「ええ、可能性としては薪にされていない。燃やされていないとすれば、誰かに売りに出されたと考えるのが普通でしょ? その手の情報に強い人物に頼めば簡単な事よ」
「確かにそれはそうだが……それは一体?」
「あら、あなたもよく知っている人物よ」
「まさか……」
「正木太老。商人達を束ねる商会の主なら、きっと頼りに成るはずよ」

 曹操の言うとおりだった。確かにエン州を中心に勢力を拡大し、影響力を強めている『正木商会』の噂は俺も耳にしている。
 数多くの商人が在籍し、エン州だけでなく他の州を行き交う行商人にまで影響力を及ぼしている商会の主なら、その手の情報に強い可能性が高い。少なくとも、俺が闇雲に大陸中を歩き回って探すよりはずっと効率的と言えた。
 しかし、曹操の狙いが分からない。確かに太平要術の書の事を聞いたのは俺の方からだが、ここで天の御遣いと呼ばれている男を俺に紹介する理由が彼女にはない。
 彼女の態度や様子から察するに、曹操と天の御遣いが懇意にしている事は明らか。
 ただ友人を紹介してくれた、というのであれば分からなくもないが、知り合ったばかりの俺に曹操がそこまでする利点は――

「あなたは医者なのでしょ? 華佗の名声は私も聞いているわ。怪我人や病人を治療して回っている医者。それがあなたでしょ?」
「確かにそうだが……曹操殿も、どこか悪いのか?」
「そう、見える?」
「いや、至って健康そうに見えるが……敢えて言うなら、少し疲れている様子だな。心労が溜まっているのでないか?」
「あら、よく見ているじゃない。満更、あの噂も嘘ではないようね」

 自分が噂ほどの人物とは思っていないが、それを言うなら陳留の曹孟徳の名声も耳にしている。
 民からの信頼が厚く、とても優秀な為政者だという話だが、確かに目の前の彼女を見ているとその話も納得が行く。

「簡単よ。私の誇りの問題。あの男に借りを作ってばかりはいたくないの」
「それは俺に『天の御遣いに協力しろ』という事か?」
「それはあなた次第よ。でも、あなたの目的に近い場所に太老が居る。そしてあなたは目的を達成するためにも、商会を離れる訳にはいかない。これだけで理由としては十分でしょ?」

 俺を天の御遣いに引き合わせる事は、そのままエン州の民のためになる。曹操はそう考えているのだと察した。
 そして俺が役に立てば、引き合わせた曹操の評価も高くなる。彼女が望んでいるのは文字通り、天の御遣いとの対等な関係なのだろう。
 本当に食えない御仁だ。どこまでも先を読み、最善の一手を打ってくる。目的のために利用できる物は何でも利用する。
 そうした貪欲さと柔軟さが彼女にはあった。だが、それだけに言葉だけの相手よりも信用が置ける。
 こちらが裏切らない限り、彼女もまたこちらを裏切る事はない。それが覇を唱える曹孟徳の誇りと生き方なのだ。
 噂に違わぬ英傑。その小さな身体に、まさに覇者と呼ぶに相応しい才覚と度量を兼ね備えていた。

【Side out】





【Side:太老】

「いけるな、この店の料理。特に、この豚肉の餡掛け料理が絶品だ」
「でしょ。ボクのオススメの店なんだ。他にも幾つかあるんだけど、また案内するね」
「その時はよろしく頼むよ」

 盗人を追い掛けて丁度良い具合に腹を空かせた俺達は、季衣の案内で一軒の食堂に足を運んでいた。
 華琳と秋蘭、それに桂花の三人は、華佗という男と一緒に用事があるとかで先に城へと帰ってしまった。

(華佗って、あの五斗米道の華佗だよな)

 やっぱり俺の知っている原作とは色々と違うようだ。ここで華佗が登場するなんて話は聞いた事がない。
 それに目の前の男。いやオカマ?

「ふむ。ここの飯はなかなかに美味いな。女将、茶のお代わりを貰えるか?」
「は、はい! ただいま!」

 もう何と表現していいか分からない、形容しがたい格好をした目の前の生き物。名前を『卑弥呼』という。あの貂蝉と双璧を成す、『真・恋姫†無双』の異色キャラクターだ。華佗について行ったかと思えば、いつの間にか俺達の輪に加わり、こうして食事を共にしていた。
 それ自体は別に構わないのだが、さっきから店員や客の視線がこっちに集まって来て……目立って落ち着かない。
 引き締まった褐色の筋肉。白のフンドシに紺色の上着。髪型がまたありえない邪馬台国ヘアー。更には∀ガン●ムを彷彿とさせる上下逆さまの立派な白髭。これだけ特徴的な人物は大陸中探したところで二人といない。いや、変態という意味では双璧のもう一人が居たか。
 一般人から見れば、どちらも立派な変態だ。そんな事をさすがに本人には言う勇気はないが――

「卑弥呼、そっちの皿を取ってくれる?」
「うむ、これだな。太老」

 まあ、それに話してみれば、それほど悪い奴じゃなかった。見た目がかなり変態なだけだ。
 姿や言動さえ我慢できれば、決して友達として付き合えない相手ではなかった。
 知り合って半刻にして、今では名前を呼び捨て合うような仲だ。

「お兄さん、随分と馴染んでますね。この状況に……」
「ん? 悪い奴ではなさそうだしね。人を見た目で判断しちゃダメだぞ」
「まあ、言っている事は凄く正しい気がするのですが……お兄さんはやはり変だと思います」

 風の言うように我ながら順応が早いとは思うが、それほどおかしな事とは思えない。
 確かに外見も中身も変態な卑弥呼だが、どっかの根が奇人変人な連中よりはマシだ。
 ようは慣れの問題だ。個性だと思えばいい。これがその人物にとっての普通なのだと分かれば、段々と気に成らなくなってくる――

「どうしたのだ? 太老。そんなにジッと見詰められると照れるではないか。い、いかんぞ、儂にはもう心に決めたオノコがおるのだ」

 頬を染めて恥じらう卑弥呼が気持ち悪かった。

【Side out】





【Side:桂花】

 今も目を瞑ると筋肉の化け物の姿が脳裏を過ぎり、背中に冷たい汗が流れ身震いがする。
 見知らぬ男に裸を見られた、という事よりもそちらの驚きの方が大きく、嫌悪感や羞恥心といった感情の全てが吹き飛んでしまった。
 以前に正木太老を化け物と例えたが、それは間違いだった。自分が如何に無知であったかを教えられた気分だ。
 あれは、今日見たあの筋肉オバケはそんな物ではない。私は本物の化け物≠今日初めて知った。

 極めつけは華琳様に言われた言葉が、私の胸の中に強く残っていた。

『桂花。分かっていると思うけど、太老に今後手出しする事は禁止するわ。彼とは公私共に仲良くなさい。これはお願いではなく命令よ』

 そうしなければ用済みとばかりに冷たい視線を投げつけられ、私には選択権が無かった。
 私の浅はかな考えなど、華琳様には全てお見通しだったのだ。
 華琳様の家臣で居るためには残された道は一つしかない。例えどれだけ嫌でも、あの男の顔色を窺い媚びなくてはならない。
 手を出すなと言うだけならまだしも『公私共に仲良くしろ』だなんて、華琳様の言い付けといえど拷問とも取れる苦痛だった。

「ううぅ……何でこんな事に……」

 当分はあの化け物の夢にうなされて眠れそうにないし、挙げ句には男と……それも一番嫌悪している正木太老と仲良くしないといけないなんて、もう最悪としか言いようがなかった。
 それに華琳様は、いつものようにお仕置きをしてくださらないばかりか、ご自身の寝所へ私が近付く事も禁止された。
 それだけに華琳様がどれほどお怒りかが窺える。ここで拒否すれば、私は今度こそ間違いなく華琳様に捨てられるだろう。
 全てはあの男の所為だ。しかし、もう私にはどうする事も出来ない。今回と同じような行動に出ればその時点で軍師を解任され、私は処罰される事になると分かっているからだ。

「まずは華琳様の信頼を取り戻さない事には……」

 閨にずっと呼んで頂けないかもしれない。そればかりか華琳様の考え一つで、いつ首を切られるか分からない状況だ。
 不本意であったとしても、正木太老と仲の良いところを華琳様に見て頂く以外に方法はない。それ以外に反省している。心を入れ替えたと証明する術がなかった。

「はあ……取り敢えず開発計画。それに協力して……」

 今はひたすらに自分の仕事に打ち込む事でしか気持ちを落ち着かせ、不安を紛らわせる方法が無かった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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