【Side:流琉】

「――では、これで今日の講義は終わります」

 週二回実施されているお料理教室。私はそこの講師をさせてもらっていた。
 そんな私の名前は『典韋(てんい)』。真名は『流琉(るる)』。背が低くて身体も小さいが、これでも正木商会の幹部に名を連ねさせて頂いている一人だ。
 太老様が商会を興し、新しい農業の方法を近隣の村々に伝えて回っていた際に知り合い、その時に偶然口にした天の料理に感動を覚え、それからはずっと太老様の下で料理の勉強をさせてもらっていた。
 このお料理教室も、技術開発局が開いている講座と同じで太老様の発案で開催されているものだ。
 主な目的は天の料理を人々に伝え、世に広める事だそうだ。

 太老様のやり方は斬新というか、私達とは考え方その物が大きく違う事が分かる。
 技術は勿論、料理にしても本来は徒弟制が普通で、師から弟子へ技術を伝え秘匿するのが常識と私達は教えられてきた。
 だが、ここはそうではない。知識とは共有する物。学びたい者には門戸を開き、誰にでもその機会が与えられる。
 図書館が良い例だと思う。書物は高価な物で、学を学びたいという志があっても経済的な理由から断念する者も少なくない。
 だがここに来れば、基本的な読み書きや算術を誰でも教えて貰え、更には図書館で本を読むのも自由。
 商人や豪族から寄贈された貴重な本や、太老様が執筆された天の知識が記された書物が読み放題とあって、連日大きな賑わいを見せていた。
 このお料理教室一つを取っても、受講希望者が多すぎて今の状態では半年先まで予約が取れないほどだ。

「お疲れ様です。料理長」
「稟さん、その呼び方はちょっと……。それに、これが私の仕事ですから」

 太老様の知識から天の料理を再現し、こうして料理人達に伝えていくのが私の仕事だ。
 それ以外の時間は、主に商会の大食堂で料理人として働いていた。
 周囲からは『料理長』などと呼ばれているが、周りは年上のそれも腕の立つ料理人の方ばかりで、最初の方はかなり恐縮していた。
 今では大分そう呼ばれるのに慣れもしたが、気恥ずかしいというか、やはり名前で呼ばれる方がしっくり来る。

「では、流琉。少し話があるのですが、よろしいですか?」
「はい」

 稟さんは、風さんと並び称され『御遣いの片腕』と呼ばれている正木商会きっての参謀の一人だ。
 私の所属は食品開発局。役職はそこの局長という事になっていて、形式上では太老様直属の配下という扱いなる。
 役職上は稟さんや風さんとも対等の立場という事になっているのだが、やはり商会を興す前から太老様と行動を共にされ、その活動を陰から支えて来られた古株のお二人を前にすると緊張してしまう。
 他にも様々な部署があるが、お二人は幹部の中でも別格。誰からも一目置かれるほどの存在だった。
 太老様が留守にされている時は、商会の代表は稟さんが務められている。実質、商会の次席とも言える御方だ。

「行軍用の食事ですか?」
「何か考えて置いてもらえないか、と思いまして。缶詰のように日持ちのする物を」

 缶詰とは自警団の遠征討伐の際に支給されている糧食の一つで、行商人にも評判の食品だ。
 技術開発局の協力が無ければ加工が難しいため、今のところ正木商会でしか製造されておらず、その数も限られているため市場には余り流れて来ない。果物や魚、肉料理など色々な種類があって、飽きが来ないのも特徴の一つだった。
 今回の賊討伐に際しても、糧食の一部としてかなりの数が用意されていた。

「それなら、丁度良いのがあったと思います」
「本当ですか?」
「はい。今、技術開発局と相談しながら進めている計画があるので、カタチになったらお知らせしますね」
「助かります。さすがに仕事が早いですね」

 太老様が事前に用意してくださった、天の知識で書き記された料理の調理法の数々。
 その中に、レトルト食品と言うのとインスタント食品と言うのがあった。
 どちらも鍋で具材を温めたり、湯を注ぐだけで食べられるという画期的な食品だ。
 保存期間も長く、遠征任務にも向いているという事で、缶詰に並ぶ新しい食品にならないかと考え、開発が進められている物だった。

「いえ、これも太老様のご指示でしたので」
「なるほど、さすがは太老様ですね。常に先を見通しておられる」
「あの……やはり今回の賊討伐が終わったら、それで終わりじゃないんでしょうか?」
「残念ながら……。太老様も、先の事を見据えて指示されたのかと」

 分かっていたつもりでも、その話を聞くと辛かった。
 美味しい物は、食べる人の心豊かにしてくれる。食べた人が思わず笑みを溢したくなるような、そんな幸せ一杯の料理を作りたいと私は頑張ってきた。
 でも、時たま耳に届いてくる地方の噂が、私の胸を締め付ける。
 ここエン州は曹操様の治政や太老様の活躍もあって、農民から庶人に至るまで州民は比較的裕福な暮らしが送れている。
 街には仕事が溢れていて、仕事をすればまず食い外れる事がない。明日の食事に困るといった心配もない。
 だが河南では餓死者まで出るほど状況は困窮しており、他の地方でも似たようなもので庶人は食い繋ぐだけで精一杯の状態だと聞く。
 その上、匪賊の横行により、略奪の危険にまで晒されているのだ。
 曹操様が如何に優れた為政者であれ、他の領の内政に干渉できないのは分かるが、私達ばかりこんな贅沢な暮らしをしていていいのだろうか、そんな考えばかりが頭を過ぎっていた。

「太老様を信じられませんか?」
「そんな事はありません! 太老様は私達の村も救ってくださいましたし……」

 稟さんの言葉を強く否定する。太老様の事を信じられなかったら、私はきっとここには居ない。
 太老様が居なかったら、私達の村も今ほどの収穫には恵まれず、食べる事で精一杯の生活を強いられていたかもしれない。
 農業一つとっても、太老様がもたらしてくれた天の知識は私達の生活を豊かにし、状況を一変させてしまった。
 それはどこの村も同じだ。だからこそ太老様は慕われ、皆、感謝を抱いている。

「なら、私達を信頼して任せてくださっている太老様のために、私達の出来る事をやるだけです」

 稟さんの言葉がスッと胸に入ってくる。

「確かに全員を救う事は難しい。今の私達の力では、その救える数にも限度があるでしょう。でも、いつかきっと大陸中の人々が飢えに苦しまず、美味しい料理を食べて笑える時代が来ます」

 稟さんが誰よりも太老様の事を信じているのが、その言葉からも伝わってきた。
 商会の皆が知っている太老様の悲願。『平穏な世界』『より住みよい世界』を夢見て、私達は太老様の下に集っている。
 夢のような話。だけど天下太平の世を、太老様なら必ずもたらしてくれる、と誰もが信じていた。

 私に出来る事は太老様を信じ、料理を作る事くらいだ。
 でも、本当にそれだけでいいのか?
 盗賊から親友と一緒に村を守ってきた私は、料理だけでなく武にもそこそこの自信があった。
 最初、太老様に声を掛けられた時は、自警団に組み込まれる物と思っていただけに、面接と試験を受けて、いつの間にか食品開発局の局長に治まっていた事には驚いたくらいだ。

 ――無理に戦う必要はない。何事も適材適所。料理が好きなら、流琉は自分の好きな事をやっていればいい

 それが、太老様が私に仰ってくださった事。私自身、その言葉に甘えていなかっただろうか、と最近になって思う。
 今回の討伐にも、私には声が掛かる事はなかった。
 戦いとは縁のない食品開発局に勤めているのだから、それは仕方のない事だ。
 でも、新しく商会に加わった少女が討伐任務に同行する、という話を聞いて余計に――

 私だけ後で守られてばかりでいて、本当にそれでいいのだろうか?

 そんな風に考えるようになっていた。

「あの、稟さん。一つ頼みがあるのですが……」

 今の生活に不満がある訳ではない。だからと言って、戦いが好きな訳でもない。だけど、私には普通の人には無い力がある。
 ただ皆さんのように私も、もっと太老様の役に立ちたい。そう、私は考えていた。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第19話『食品開発局』
作者 193






【Side:太老】

「糧食の積み込み、終わりました。こちらが帳簿になります」
「ご苦労さん」

 兵士から手渡された糧食の帳簿を見て、最後の確認に目を通す。
 今回は華琳の部隊と足並みを揃えて行軍するため、話し合いの結果、糧食に関しては商会が一手に担い用意する事になった。
 義勇軍の参加を依頼したのは華琳なので、糧食の費用は華琳が全て持ってくれるという話だったが、そうしたのにも一つの理由があった。
 商会が保有する自警団の糧食は缶詰を始めとした保存食が大半で、味が良く種類も豊富な事から兵士達の間でも評判が良い。
 別々に糧食を用意して、まさか糧食の質を義勇軍と本隊で差をつける訳にはいかない。食事の質や味の善し悪しはそのまま士気に直結する重要な問題なので、そこに差があれば兵の間で不満が募る事は容易に想像が付く。
 そこで自警団が口にしている食事に目を付けた華琳が、商会に遠征軍全ての糧食の数を揃えられないかと打診してきて、こちらが一手に引き受ける事になったのだ。

 僅か一ヶ月しか猶予が無かった事もあり、数を揃えるのは確かに大変だったが、凡そ一万人が二ヶ月食べていけるだけの糧食とも成れば大きな取り引きとなる。
 商会を興してから、これほど大口の取り引きは初めての事で、食品開発局もてんやわんやの大忙しだった。
 だが残念ながら缶詰に関しては、これ以上の大きな取り引きは今のところ不可能と言わざるを得ない。
 現在のところ、缶詰は技術開発局の協力無くして加工が不可能なので、正木商会しか取り扱う事が出来ない。
 そのため、今は州内の分を賄うので精一杯なのが現状だからだ。

 生産ラインを拡大しようとするなら、何よりも人手と金が必要となる。
 そして缶の原料となる金属などの資源。それに中身の原材料となる食材や調味料の確保が重要だ。
 農地の開拓や家畜の飼育。それに狩猟だけでなく漁業にまで手を広げ少しずつ進めているが、市場に対応出来るだけの供給を得られるまでには、まだ最低でも一年は掛かるだろう。
 安定した供給を見越せば、二年、三年の期間は考えないと行けない。
 それでも諸侯の目には留まるはず。こういう物がある、という宣伝にはなると考えていた。

「数の方は予定通り問題ないようだな」

 皆が頑張ってくれたお陰で、糧食の方は予定通りの数を揃えられたようだ。とはいえ、やはりかなりギリギリだった。
 陳留の郊外に予定されている施設が完成すれば、もっと多くの生産が可能になるはずだが、無い物ねだりをしても意味が無い。
 陳留に拠点を移したとはいっても、生産拠点の一つとしてあの要塞都市は利用するしかなかった。

(やはり、あそこを落とされる訳にはいかないな)

 州境という事で多少危険ではあるが、河北との貿易拠点として考えれば、あそこにはまだまだ使い道がある。

「太老。糧食の最終報告をまだ受けていないのだけど」
「ああ、それなら丁度確認が終わったところだ。これからそっちに報告に行こう、と思ってたところだから丁度よかった」
「そう、私にもその帳簿見せてくれる?」

 俺から帳簿を受け取って、書かれている内容に目を通す華琳。華琳はいつもこうやって、全ての最終確認に目を通す。
 他にもやる事があって忙しいだろうに、完璧主義というか、自分の目で確認をしないと納得が行かないらしい。
 ここ一ヶ月、華琳が休みを取っているところを一度として見た事がない。殆ど休み無しで働き詰めの理由も、その完璧主義に原因があると言って間違いではなかった。
 何でも出来る完璧超人であり過ぎるために、あれもこれもと何でも自分で確認して指示を出していく。
 参謀の荀イクや、秋蘭が少しでも華琳の負担を減らそうと頑張っているが、本人がこの調子では余り意味が無かった。

「問題ないみたいね」
「ちょっといいですか、華琳さん」
「……何よ? 急に畏まって。気持ち悪いわね」

 訝しげな視線を向けてくる華琳。
 人が心配して言っている、というのに物凄く失礼だった。

「ちゃんと休んでるのか? 皆、心配してたぞ」
「睡眠はきちんと取ってるわよ」
「でも、全然休みは取ってないだろう?」
「仕方が無いじゃない。今はそれどころじゃない事くらい、あなただって分かっているでしょ?」

 まあ、忙しい理由も分かる。特にこれだけの遠征ともなれば、準備だけでも相当に重労働だ。
 だからと言って普段の政務を疎かに出来るはずもなく、華琳の仕事も数を増すばかり。
 しかし俺が言いたいのはそこではなく、華琳の場合はなんでも一人で抱え込んでしまうので、そこを心配しているのだ。
 一つ仕事が終わったと思ったら、直ぐに別の仕事を見つけてきて机にかじりついている。一体、幾つ同時に仕事を抱えているんだ、と心配になるほどの仕事振りだ。
 城の文官よりも、商会の会長を務めている俺よりも、間違いなく華琳の方がずっと多くの仕事をこなしている。
 だからと言って、俺と違って私生活がだらしなくならないのはさすがだとは思うが、秋蘭達が心配するのも無理はない話だった。

「よし、決めた。華琳、移動中くらいは馬車で休め」
「……は? ダメに決まってるじゃない。遊びではなく軍の遠征なのよ?」
「馬上じゃ疲れなんて取れないだろう?」
「それでも大将の私が一人だけ馬車の中なんて、士気に関わるじゃない」
「そんな事で士気が落ちる奴なんて、義勇軍にも曹操軍にもいないよ。馬に乗るなら、指揮する時だけで十分だろう?」

 華琳の言いたい事も分かるが、それで体調を崩されても困る。
 幾ら華琳が睡眠を取ってるから大丈夫、とは言っても、あの仕事量からじゃ疲れが溜まっていないはずがない。
 実のところ秋蘭にも、『華琳様を休ませて欲しい』と頼まれていたのだ。
 家臣の言葉では届き難くても、盟友の言葉なら無碍には出来ないだろう、と。

「でも……」
「あー、もう! 素直に忠告くらい聞いとけ!」
「ちょっと、太老!? こら、降ろしなさい!」

 グダグダと駄々をこねる華琳を抱きかかえ、華琳の部屋の方へと足を向ける。

「まだ、装備品の最終確認が終わってないのよ!」
「そんなのは秋蘭がやってくれる。荀イクだっているんだ。少しは家臣を信用して任せろ。それとも、自分の家臣が信用できない、と?」
「うっ……そんな事は……」

 納得は行っていない様子だが、家臣が信用できないのか、と言われて言葉を詰まらせる華琳。
 信用していないはずがない。それに秋蘭達が、華琳の事を心配しているのも分かっているはずだ。
 ただ、ちょっと素直じゃないというか、真面目過ぎて完璧主義であるが故に手抜きが出来ず、不器用なだけだ。
 もっと周りに甘える、頼る事を覚えた方が楽になるというのに、華琳にはそれが出来ない。
 華琳の長所であり、唯一の欠点とも言える部分だった。

「よし、そこまで嫌がるなら仕方が無い。なら、行軍中は俺が華琳の馬に乗ってやろう!」
「……はあっ!?」
「俺が馬の手綱を握ってれば、移動中も少しは休めるだろう? ああ、風みたいに肩車してやってもいいぞ」
「兵士の前で、そ、そんな恥ずかしい真似が出来るはずないでしょ!?」
「じゃあ、こんな風にずっと抱きかかえててやろうか?」

 今の華琳は俺の両腕に抱きかかえられ、所謂お姫様抱っこといった姿勢にある。
 行軍中ずっと恥ずかしい体勢で衆目に晒されるのと、馬車の中で大人しくしているの、どちらがマシかなど考えるまでもない。
 俺は、こう言われれば確実に後者を取るだろうと考えていた。

「……それでいい」
「……は?」
「一緒に馬に乗るので妥協してあげる、って言ってるのよ!」

 何、言ってるんですか? 華琳さん?
 普通そこは断固拒絶して、素直に馬車に乗り込むところでは?

「……自分の言った事には、ちゃんと責任取りなさいよ」

 顔を逸らし、ボソッとそんな事を口にする華琳。何故だ。何故、こんな事に……。
 まさか敢えて馬車ではなく、恥ずかしさを我慢してまで一緒に馬に乗る事を選ぶとは……そこまで馬車に乗るのが嫌だったのか?

「後……心配してくれて、ありがとう」
「どう致しまして、お姫様」

 結局、その日は残りの作業を秋蘭達に任せ、華琳は大人しく自分の部屋で休んでくれた。何故か、俺まで付き合わされたが……。
 荀イクは何か言いたそうだったが、秋蘭は華琳が休みを取ってくれた事で喜んでいた。無理矢理にでも休ませて、正解だったと思う。
 しかし華琳を策に嵌めたつもりで、逆に嵌められたのが正直痛かった。
 俺はこの後、華琳と一緒に羞恥心に耐える事になる。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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