【Side:桂花】

 二十万を超す黄巾党の本隊を目指し、集まった諸侯の数は凡そ十五万。

 有名なところで河北の袁紹(えんしょう)。幽州の公孫賛(こうそんさん)袁術(えんじゅつ)の客将、江東の虎と謳われた孫堅(そんけん)の娘、孫策(そんさく)
 そして寡兵なれど義勇軍を率い数々の武功を上げてきた劉備(りゅうび)と、同じく天の御遣いの名で商会を興し民からの絶大な支持を得ている正木太老(まさきたろう)
 最後に器量、能力、兵力、そして財力の全てを兼ね備え、誇り高い覇王の名で知られる私達の主、曹操(そうそう)こと華琳(かりん)様。

 これだけ名のある将と兵が揃えば、本来であれば互角どころか圧勝できるほどだ。
 相手はどこかの盗賊団や豪族、そして食い詰めた農民の集まりだ。正規の訓練を受けた諸侯の兵に敵うはずもない。
 だが、太平要術の書の存在がある限り、私達は迂闊に動く事が出来なかった。

「斥候からの報告は?」
「やはり、華琳様の読み通りのようです。黄巾の本陣は不気味なほど静まり返っており、まるで人形のように虚ろな目をした見張りが居たとか……」

 はっきり言ってしまえば、目の前の得体の知れない敵が不気味で動けなかった。
 それは諸侯達も気付いているはずだ。
 だからこそ誰一人動かず、他の諸侯の出方を窺いながら息を潜めていた。

「この状況では誰も動かない……いや、動けないか」

 苦々しげな表情を浮かべ、そう口にする華琳様。ここに陣を張り三日。他の諸侯だけでなく、私達も動けないでいた。

 顔を合わせた事もない軍が、足並みを揃え連携を取るのは容易な事ではない。
 相手が烏合の衆で数の上では互角に近いとしても、油断がならないのはそのためだ。
 勝つだけなら難しくは無いかも知れないが、諸侯が求めている物を考えれば尚更、手を取り合って協力すると言う訳にはいかない。

 諸侯が求めている物、それは名声と言う名の実利だ。

 この場に居る諸侯は、黄巾党本隊の息の根を止めたという名声が欲しくて集まって来ている。
 自分達だけでは本隊を叩くのは難しいと理解しながらも、他人に奪われたくない名声が欲しいと考えていた。

 ならばどうするか、答えは簡単だ。
 周囲を警戒しつつ他の諸侯が動き出す時期に同調し、足並みを揃えて参戦すればいい。
 一応の足並みを揃えつつも、隙を見て敵の大将を討ち取り名を上げる。誰もが漁夫の利を得ようと画策していた。

 だが、それは想定範囲の出来事だ。諸侯もそれが分かっていて、ここに集まっている。
 しかし、ここで予期せぬ問題が一つ浮上した。敵の様子が不気味と言って良いほど、おかしかった事だ。
 静まり返った敵の本陣。そして生気の宿らない虚ろ気な賊徒達。
 その何とも言えない不気味さに、諸侯は攻めるべきか、今少し静観すべきか、対応に戸惑っていた。

「ですが、この膠着(こうちゃく)状態も保って数日の事かと」

 そう、早くて後五日。少なくとも十日以内には諸侯も痺れを切らせ動き始めると私は考えていた。
 その理由は私達が遠征軍という事にある。そう、一番には糧食の問題だ。
 今、私達が保有している糧食は凡そ十日分。これは補給をあてにして帰りの分を計算に入れないでの数字だ。
 それは他の諸侯とて同じ事。帰りの事も考えれば、余りここで時間を掛けたくはないはずだ。

 ここまで来て、手ぶらで帰るような真似が出来るはずもない。ならば、数日以内に必ずどこかの部隊に動きがあるはずだ。
 不気味なほど静まり返った敵本陣。様子のおかしい賊。敵の策かも知れないという考えが頭を過ぎって離れない。
 少し頭の回る軍師であれば、その予期せぬ事態を恐れ、出来る事なら自分達から動き出したくはないと考えるはずだ。
 ならば、先に動いた諸侯の動きに乗じて、静観していた諸侯達は必ず連動してくる。
 最初に動いた諸侯の軍を盾に様子を窺えばいいし、誰が動くにせよ、一軍だけでは敵全てを相手取れるはずがないからだ。

「でも、こちらにとっては好都合でもあるわ。今はギリギリまで静観して、後は太老が上手くやってくれるのを信じて待つだけ」
「はい」

 太老が成功すれば、この戦いは一気に好転する可能性がある。
 だが、逆に失敗に終われば、待っているのは一人残らず全滅させるまで終わらない殲滅戦だ。
 そうなった場合、私達も大きな被害を覚悟しなくてはならない。
 重要且つ危険な任務だが今回の任務の特徴から考えても、少数精鋭でそれが可能な部隊となると太老の義勇軍を置いて他になかった。
 今はあの男に頼るしかない。華琳様のためにも、そして多くの犠牲者を出さないためにも――

「後方部隊から連絡。後、五日ほどで補給部隊が到着するとの事です」

 兵の報告で一先ずほっと胸を撫で下ろす。これで少なくとも私達の方は糧食の問題を気にせずに済む。
 後は作戦の成功を祈りつつ、状況が動くのを待つばかりだ。

「補給部隊に華佗様、卑弥呼様。それに張三姉妹が同行されているとの事です」
『は?』

 その思い掛けぬ報告に、私と華琳様は声を上げ、目を丸くして驚いた。
 補給部隊だけでなく、そこに華佗と卑弥呼。それに何故、張三姉妹まで一緒に来て居るのか?

 決戦開始まで後数日。陳留を出発して、一ヶ月の時が経過しようとしていた。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第25話『孫家の姫君』
作者 193






【Side:華佗】

 張三姉妹が補給部隊に同行すると言う話を聞かされ、俺と卑弥呼(ひみこ)も何かの役に立てないかと同行させてもらう事にした。
 彼女達の使命感溢れる一言に心を打たれたからだ。

『え? 華佗(かだ)も来るの? わ、私達はアレよ! 仕事よ、仕事! これは重要な任務なのよ!』

 張宝(ちょうほう)殿に聞かされた戦地への慰安訪問。遠征中の兵士のために興行に赴くとの話だった。
 商会の広報活動という彼女達の仕事の内容は聞かされていたが、こんな慈善活動まで行っているとは知らなかった。
 張宝殿によれば、これも正木殿の教えらしい。俺は、その行為に素直に感心させられた。

 危険がある事を承知の上で戦地に赴き、人のために尽くすというのは並大抵の覚悟ではない。
 直接戦ったりする事は出来ないが、それでも自分達に出来る事、自分達にしか出来ない事がある。
 そう当たり前のように口にし、行動できる彼女達は立派に正木商会の一員なのだと思わせられた。

「卑弥呼。俺の我が儘に付き合わせてしまってすまない」
「水臭いぞ。だぁりんの向かうところ、例え火の中、水の中であろうと儂はついていく覚悟だ。だぁりんとあの者達は儂が命に代えても絶対に守ってみせる」
「ありがたい。しかし、命に代えてなどと言わないでくれ。卑弥呼も大切な仲間なんだから」
「だ、だぁりん。儂の身体の事をそこまで心配してくれるとは……安心せよ! この身体はだぁりんだけの物だ! ましてや敵に捕まって、あーんな事やこーんな事などされて喜ぶ儂ではない。儂の心はだぁりん一筋。漢女の想いは一途なのだ!」
「そ、そうか? 何だかよく分からないが、とにかく気をつけてくれ」

 卑弥呼が護衛として一緒に来てくれたのは心強い。彼、いや彼女が一緒なら、想定外の事態にも直ぐに対応できるはずだ。
 俺は医者だ。病人、怪我人を治すのが仕事であり、そのために俺は五斗米道を身につけ医者になった。
 正木殿に世話に成った恩を返すのであれば、今をおいて他にない。戦場であれば、怪我人も少なくないはずだ。
 それでなくても怪我人が居ると分かっていて、張三姉妹だけを危険な場所に向かわせ、自分だけ安全な場所でのうのうとしている事など出来ない。
 今は商会でお世話になっている身。ならば、その商会のために力を振るうのは当然の事だ。
 それに――

「この胸騒ぎ。思い過ごしであればいいのだが……」

 陳留を出発してからずっと感じていた胸騒ぎ。目的地に近付くにつれ、その胸騒ぎは段々と大きなモノになっていた。
 あちらで、何か良くない事が起こっている。禍々しい気配を感じ取りながら、俺は言い知れぬ不安を胸に戦場へと向かう。
 ただの思い過ごしであればいい。そう願いながら――

【Side out】





【Side:太老】

 華琳達と分かれ、別行動を取り始めてから五日目。

「随分と山奥に入ってしまいましたが、こちらで道はあっているのでしょうか?」

 訝しげな表情を浮かべる凪。重要な使命を帯びた任務の最中に迷子になりました、とか言える雰囲気ではなかった。
 黄巾党の本隊が根城にしている城は、高い城壁に阻まれているばかりか崖を背にしており、左右は狭く大軍で攻めるには無理がある。
 全軍を展開できるのは前面のみで、攻めづらく守りやすいという厄介な城だった。
 そのため、奇襲を仕掛ける場所を確保しようと敵に見つからないように山道を迂回し、敵城の後方にある崖上に向かっていた俺達だったが、それが裏目に出て迷子になっていた。

(まずいな。どうにかしないと……)

 普段から訓練で命綱無しのロッククライミングを体験しているような連中だ。うちの団員ならあのくらいの崖、闇夜に乗じて身体一つで降りるくらい訳がない。
 侵入が成功したら城内に火を放ち、騒ぎに乗じて内部から城門を解放。
 それに合わせ華琳の部隊が正面から攻める手はずとなっており、その隙に別働隊が太平要術の書を確保すると言った計画を練っていた。
 タイミングは諸侯が動き始めた時。そろそろ現場で待機していないとまずい。
 目的地に近付いているのは確かだが、どう行けば目的地に辿り着けるのか。そうして頭を悩ませていた時だった。

「きゃああ――っ!」

 森に木霊す、甲高い女性の悲鳴。
 周囲を警戒しながら直ぐ様、陣形を整え、警戒態勢に移行する団員達。
 普段から商隊の警護などで実戦慣れしているだけあって、行動が素早く的確だ。

「太老様!」

 声のした方角、森の奥へと視線を向け、俺の方へ確認を取るように視線を向けてくる凪。
 やはり状況からして、放って置く事は出来そうもないようだ。

「仕方ない。凪、一緒について来い! 他はここに待機。真桜(まおう)沙和(さわ)、後の事は任せた!」
「了解や」
「お任せなの」

 作戦行動中の単独行動は御法度だが、この状況で大人数で動くのは得策ではない。
 俺と凪なら、この中で一番機動力があり個人の戦闘力も高い。先行して様子を探ってくるのには一番向いていた。

 真桜と沙和に部隊の方を任せ、俺と凪は声のした方角に急ぎ向う。
 草木の間を潜り抜け、かなりの速度で疾走する俺の後をピッタリとついてくる凪。
 勝仁との修行の山籠もりや、剣士や魎皇鬼と裏山を駆けて遊んでいた俺に付いて来られるとは、正直驚きだった。
 ちゃんと確かめた事は無かったが、訓練の成果がちゃんと出ているようだ。

「放して! ヤダ!」
「どこから入り込んだんだ、この小娘。オイッ! お前達、他にも仲間が居るかもしれない、そこら辺を――」

 見知らぬ少女の手を掴み、捕らえようとしていた男の姿を発見した。
 その周囲には二十人ほど同じような格好で剣を片手に武装した、山賊のような男達の姿が見受けられる。

(さすがに見過ごせないか)

 凪に視線で合図を送ると、俺は直ぐに様子を窺っていた木の上から飛び降り、少女の手を掴んだ男の前に飛び出した。

「――なッ!」

 着地と同時にブワッ、と風が巻き起こり、木の葉が宙を舞う。
 思考する時間すら与えるつもりはない。
 目を見開き驚愕の表情を浮かべる男の鳩尾に、姿勢を低くし捻りを加えた掌底を抜き放った。

「ガハッ!」

 余りに突然の事に目の前の男には何が起こったのか、分からなかったはずだ。
 白目を剥き気を失った男の手が少女から離れた事を確認すると、理解が追いつかず呆然とする少女を強引に抱きかかえ、近場の木の上に飛び上がった。

「え、ええ!?」
「悪いけど、ここで少し大人しくしててくれる?」
「あ、え、うん」

 少女を木の上に残し先程の場所に飛び降りると、凪が既に半数以上の賊を退治し終えた後だった。
 瞬く間に倒されていく山賊達。凪の手や足から放たれる気弾と大木すらへし折る破壊力の攻撃を前に、先程まで数で優位に立っていた山賊達の表情からは余裕の色が消えていく。
 目の前の理解の追いつかない状況に恐れを抱き、涙と鼻水で顔を崩し悲鳴を上げながら、大慌てで逃げに出る男達。

「凪、一人も逃がすな! 仲間を呼ばれると厄介だ!」
「はい!」

 狩人と獲物の力関係。その後の展開は一方的なモノだった。


   ◆


「黄巾の布。恐らくは、黄巾党本隊と合流しようとしていた山賊の群れかと思います」
「やっぱりか。ここで捕まえて置いて正解だったな」

 敵は予想通り、黄巾党の一味だった。本隊に合流する途中で諸侯に見つかるのを避け、森の中を移動していたようだ。
 その後、近くにコイツ等の仲間が集まっている野営地を発見し、部隊を率い合流した真桜達と共にそこを強襲、制圧した。
 で、捕らえた山賊の方は真桜達に任せ、俺と凪は、もう一つの問題の方と向かい合っていた。

「えっと、尚香(しょうこう)ちゃんだっけ?」
「シャオでいいよ。太老」

 えへへ、と笑みを浮かべ、シャオと名乗った少女はそう答えた。
 左右を結った桜色の髪の毛に薄い褐色の肌。華琳よりも更に小さなその身体を、甘えるように俺に擦り寄せてくる少女。
 名前を『孫尚香(そんしょうこう)』、真名を『小蓮(しゃおれん)』と言うそうだ。そう、名前からも分かると思うが間違い無い。
 母に『江東の虎』と呼ばれた英傑を持ち、上に同じく『江東の麒麟児』で名高い孫策、孫権と言った二人の姉を持つ孫家のお姫様だ。
 そのお姫様が、どうしてこんな森の中で山賊に襲われていたのか不可解でならない。その理由を尋ねようとすると――

「うっ……それは……」
「何か言い難い事?」
「…………」

 言葉を詰まらせ、俯いて黙りこくってしまうシャオ。余程深い事情があるのか、どうにも言い難い事のようだ。
 まあ、本人が話す気になったら話してくれるだろうし、これ以上は深く追及しない事にした。
 凪は不満そうだったが森の中に一人、怖い思いをして震えている少女を責め立てたくはない。
 それに孫家の内情に深く関わる密命とかだったら、巻き込まれる事は必至だ。これ以上の厄介事はごめん被る。

「でも、どうしようか……孫策軍の陣に送り届けてやりたいけど、俺達も作戦行動中だしな」

 シャオを送り届けるために護衛に人数を割く余裕が俺達には無い。
 捕らえた山賊達の見張りに人数を割かなくてはならない事も考えると、作戦の遂行にギリギリの数になるため、正直戦力が心許ない。

「一緒について行っちゃ、ダメ? お願い! 絶対に邪魔はしないから!」
「危険です! 遊びではないのですよ!」

 一緒に行きたいと話すシャオ。それは危険だと咎める凪。
 凪の言っている事は正しいし気持ちも分かるが、本気でどうしたモノか考えさせられる。
 今から孫策軍の本陣に送り届けようにも護衛に割く数の問題もあるし、それまでに黄巾党本隊との戦いが始まってしまう可能性が高い。
 それに――

「お願い! 私も連れてって!」
「……分かった」
「太老様!?」
「今は任務優先だ。凪も分かってるだろう?」
「それは、確かにその通りですが……」

 今のシャオを見て、ここに置いていく方が危険だと判断した。ここまで言うからには何か深い事情があるのだろう。
 勝手な行動を取られるよりは、目の届くところに置いておいた方が安心できる。

「ただし、シャオも俺達のいう事をちゃんと聞く事。勝手な事をしないのが条件だ」
「うん。太老の言うとおりにするよ」

 それに幸いにも、賊から得た情報で崖の位置も判明し、何とか間に合いそうだった。
 今は作戦の成功を優先する方が重要だ。この作戦の成功に多くの兵の命が懸かっているのだから、絶対に失敗は許されない。
 凪も渋々ではあるが、その事を丁寧に話すと納得してくれた。

「……分かりました。太老様の指示に従います」

 凪はいつも言っている事は正しいのだが、融通が利かないというか真面目過ぎるのが玉に瑕だ。
 真桜と沙和の方が、もっと臨機応変に対応できる柔軟性を持っている。部隊を指揮させれば、あの二人の方が凪よりも優秀な理由がそこにあった。
 個人技なら凪に敵う者は居ないのだが、凪の場合、その実直さが持ち味の一つであり欠点の一つになっていた。
 とはいえ、今回ばかりは凪のいう事にも一理ある。事情があるとはいえ、孫家のお姫様に傷を負わせる訳にはいかない。
 可能な限り、気を配って置くに越した事はない。見た感じ、かなりのじゃじゃ馬っぽいしな。

「……太老。シャオの話、聞いてくれる?」
「ん? 話してくれる気になったのか?」
「うん。シャオのお願いを真面目に聞いてくれたのは太老だけだから、太老に聞いて欲しい」

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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