【Side:太老】

 黄巾党が解体され、早一ヶ月。
 あの戦いの後、残された山積みの問題を前に想像以上の激務に襲われ、俺達は睡眠時間を削って執務に取り組む日々を送っていた。
 あの後、朝廷の使者が俺達が帰ってくるのと行き違いに陳留の城にやってきたらしく、華琳宛てに『西園八校尉』という大層な肩書きと予州・青州を含む、エン州周辺の領地の支配権を置いていったらしい。
 前者は予想通りの展開。後者はぶっちゃけてしまうと、自分達で管理できないなら褒美として征伐に参加した諸侯に管理する者の居なくなった領地を分け与えてしまおう、という身も蓋もない話だった。

 黄巾の乱で賊との交戦を恐れて尻尾を巻いて逃げ出した連中を、見捨てられた側である民が快く受け入れてくれるはずがない。
 良くも悪くも黄巾の乱は漢王朝の力の無さを浮き彫りにした。ここで無理を押し通して再び反乱でも起こされたら厄介だ。
 結果、死んだ連中も生き残った連中も、自分の城に帰れず中央に残る以外に道がなかった。

 自分達で上手く抑えられないから、それを褒美とする事で責任と面倒事を全て諸侯に丸投げしてしまおう、という腹積もりだ。
 戻って来た俺達にその事を説明しながら、華琳は怒りを通し越して呆れてすらいた。その気持ちは俺も痛いほどによく分かる。
 華琳と荀イクは黄巾党の件で滞っていた政務に掛かりきりになり、俺達は俺達で従来の商会の仕事に加え華琳から依頼された仕事の二つを抱え込み、まさに猫の手も借りたい忙しさを体験していた。
 大量の書簡に埋もれながら、中央に居る連中に怨嗟の声を届けてやりたい気分で一杯だった。多分、それは関係者全員の総意だと思う。

 そして、その忙しさの大きな原因となっているのが、元黄巾党の連中だ。
 黄巾党は確かに大きな罪を犯したが、その大半は食い潰れた農民の群れだ。そしてその原因は漢王朝にあると言っても過言ではない。
 騒ぎに乗じて私利私欲に走った盗賊や山賊、それに加担した豪族は当然の如く問答無用で処刑されたが、残された農民達を全て処刑するなんて真似が出来るはずもなかった。
 その数、実に数十万。処刑するにしても、数が多すぎる。結果、行き場を失った彼等の処遇が一番の問題となった。

 朝廷は然る事ながら、どの諸侯もそんな手間と金の掛かる面倒事を自分から引き受けたくない。
 郷里に送り返す案が妥当とされたが、それを袁紹や袁術を筆頭とした諸侯が拒否。ようは一文の得にもならない食い潰しをこれ以上増やしたくない、そこでまた賊にでも身を落とされたら厄介だ、と言うのが本音にあった。
 そこで名案とばかりに口を開いたのが袁紹だ。
 袁術を始めとした諸侯や中央の宦官と結託し、投降してきた黄巾党の大半をエン州に難民として押しつけてきたのだ。

 当然、その事に華琳も抗議したが、相手は聞く耳持たずといった様子で『原因を作った人物が責任を取るのが筋』と無茶苦茶な暴論を振りかざす始末。黄巾党が殆ど無傷で投降した理由を作ったのが俺達だとし、そして黄巾の乱の責任の一端は正木商会にある、としてきたのだ。
 これに逆らえば、今度は俺達を対象に征伐命令が下されそうな雰囲気が漂っており、黙って受け入れる他なかった。
 黄巾党との戦いで一番多くの兵を失い損害を被ったのは袁紹軍だったという話なので、その意趣返しのつもりだろうか?
 周囲の言葉にまんまと乗せられた感が否めないが、それにしたって心の狭い事この上ない。
 その上、相手が華琳だった事もあり、余計にそうして意固地になっている可能性も高いが、こちらとしては迷惑極まりない話だった。

 それに彼等の言い分を後押しする要因が、俺達の方にもあった事が正直痛かった。
 黄巾党の敗残兵と領民達の意向もあって、俺達の支配下に加わりたいと彼等自身が望んでいた事も、袁紹の提案を後押しする要因の一つとなってしまっていた。
 その結果、支配地域こそ広めはしたものの、そこは連中が自分達で管理できないから手放した土地で、挙げ句には食い潰れた農民数十万という規模の難民を俺達は押しつけられる結果となり、これまで以上に大変な問題を抱える事になった。

 本当に、世の中何があるか分からない。
 商会の活動や華琳の治政がそれだけ多くの人達に受け入れられている証明でもあるが、その結果が今の俺達を苦しめる結果へと繋がっているのだから皮肉な話だった。

「太老様。少し休まれた方がよろしいのでは?」
「そうは言っても一人だけ休めないよ。少なからず責任も感じてるしね……」

 稟は心配して言ってくれているのだろうが、今回ばかりは俺だけ手を抜いて休んでなどいられない。
 確かに客観的に見れば俺達は被害者と言えなくは無いが、俺が原因の一端を握っていた事には変わりない。
 袁紹の言っている事は確かに言い掛かりのようなものだが、思い起こして見ると満更関係のない話とは言えないのだ。
 俺という介入者(イレギュラー)が存在した事により起こった歴史改変(アクシデント)とも言える出来事。ならば、俺に責任が無いとは言えない。少なくとも、華琳達に本来背負わなくても良い苦労を背負わせてしまっている可能性がある。
 その所為で商会の皆に迷惑を掛け、華琳達が休みも無しで忙しく働いているというのに、まさか当事者である俺がサボる訳にはいかなかった。

「しかし、本当によろしかったのですか? あれほど天の知識と技術を必要以上に使われる事を躊躇っておられたのに……」
「その必要な時だと思うけど? 今のこの状況は」
「それはそうですが……」

 稟の言いたい事は分かるが、その必要な時に直面していると俺は考えていた。
 幾らエン州が豊かになっていきているとは言っても、あれだけ大量の難民を受け入れ、更には疲弊した領地の再興まであるのだ。
 この世界の知識と技術だけで、正攻法でやっていけるはずがない。
 その事を華琳が分かっていないはずがないし、厄介事をこっちに押しつけた張本人達だって、それが可能とは考えていないはずだ。
 しかし、物事にはイレギュラーが存在する。その最大のイレギュラーと呼べる人物が俺だ。
 知識、技術、そして歴史を知る、という事は全てに置いて相手よりも優位に立つ大きな力となる。

 そして何を隠そう、俺の持つ知識には地球の技術すらも玩具に見える白眉鷲羽の知識と技術≠ェあった。

「あちらがその気なら、こちらにだって考えがある。やり方なんて、他に幾らでもあるってところを見せてやるよ」

 ここからは遠慮無しだ。好き勝手やって、俺を本気にさせた事を後悔させてやる。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第31話『本気宣言』
作者 193






【Side:雪蓮】

 南陽に帰った私達を待っていたのは袁術に対する言い訳だった。
 私達は全員、袁術の監視下に置かれている。それは末の娘である小蓮とて例外ではなく、今回の勝手な行動の理由や太老に身柄を預けてきた説明をしなくてはならなかった。

「どうだった? 袁術の方は?」
「太老の言うようにしたら、呆れるほど簡単だったわ。本当に、私達のしてた事って何だったのかしらね……」

 袁術への説明を終わらせ、屋敷に帰ってくるなり冥琳にそう尋ねられた。
 袁術とのやり取りを思い出し、張り合いが無いと言うのはこういう事を言うのだろうか、と深くため息を漏らす。
 やり込めたのだからいう事はないのだが、太老に言われた通りにするだけで、まさかあんな風に上手く行くとは思いもしなかった。
 相手が馬鹿過ぎて、自分がそんなのの客将に甘んじていると思うと、現実が悲しくなるほどだった。

 私が袁術の客将に甘んじているのは現在(いま)を生きるため、来るべき未来に向けて息を潜め、力を蓄えるためだ。
 母、孫堅に率いられ嘗ては荊州近くまで領土を広げていた私達だったが、孫堅が倒れた事で内乱や逃走が相次ぎ、衰退を余儀なくされた。
 領土と力を失った私達に残された道は袁術に降り、その監視下に身を置く事。それ以外に選択は残されていなかったからだ。
 生きてさえいれば呉の再興はなし得る。その日まで、例え泥を啜ろうが恥辱に塗れようが生きていくと心に決めた。

 そしてその時は間近に迫ろうとしていた。
 時代は大きく動こうとしている。あの天の御遣いの存在がその最たる例だ。
 漢王朝という巨大な龍は落ち、群雄割拠の時代へと突入しようとしている今、私達の望む好機は必ずやってくる。
 そう、今少しの我慢。今はその時に向けて力を蓄え準備を進める時だと、私は自分に言い聞かせ我慢に我慢を重ねて耐え忍ぶ日々を送っていた。

「袁術が大の蜂蜜好きなのは知っていたが、まさかそんな事で納得するとはな……」
「呆れちゃうでしょ? でも、太老の言うとおりにしたら、疑いもせずに納得して逆に感謝されたわ」

 実は袁術が贔屓にしていた蜂蜜農家が黄巾党の被害を受け、壊滅的な状況に陥っていたらしい。
 しかも運の悪い事に中央の宦官や袁紹の口車に乗って、後先考えずに黄巾党の残党をエン州に難民として全部送りだしてしまった物だから、今度は貴重な知識と技術を持つ働き手の大半を失ってしまった。
 彼等の大半は元農民や酪農を営んでいた者が殆どで、その中には袁術が楽しみにしていた蜂蜜農家を営んでいた者達も混ざっていたのだから、これほど間抜けな話はない。自分達が邪魔者扱いして追い出した者の殆どは、これまで自分達の暮らしを支えてきてくれた大切な労働者だった訳だ。
 結果、袁術は三度の飯よりも大好きな蜂蜜を制限される羽目になり、まさに自業自得、散々な結果に涙する事になったと言う訳だ。

 それに賛同した他の諸侯も愚かとしか言いようがない。
 今は良いかもしれないが結局その行動は一時凌ぎにしかならず、将来を見据えれば大きな失敗をした事になる。
 金や物は取り返せるが、一定の知識と技術を持った働き手を一から育てるのは至難の業だ。その全てを失った訳ではない、とはいえ彼等は自分達の手で自分達の首を絞めた事になる。
 私達も、さすがにこの話を聞いた時には呆れてしまった。

 私が袁術に言った事は簡単だった。正直に話したのだ。正木商会との関係を築くために小蓮を差し出した、と。
 そして商会との取り引きが上手く行けば、今まで通り荊州に行商人がやってくる事になり、蜂蜜も手に入ると言ってあげただけだった。

 ――袁術相手なら蜂蜜で釣れば簡単

 と、別れ際にこの案を授けてくれたのは太老だった。
 幾ら何でもそこまで馬鹿じゃ……と思っていたのが底なしの馬鹿だったのだから、これ以上言うことは無い。
 民が食べる物がなくて苦しんでいる中、自分の蜂蜜の事ばかり考えているのだから、これほどの大馬鹿者はいない。
 正直、怒りを通り越して呆れてさえいた。それが余計に自分の置かれている状況を情けなく感じさせる原因に繋がっていたのだ。

 孫呉の再興がどうこうと言う以前の話で、袁術の悪政から民を解放してやるのが一番重要な事なのだと思わせられた。
 このままでは、第二、第三の黄巾党がここ河南から出ても不思議では無い。
 袁術を倒し独立を果たしたところで国が疲弊しきっていては、その隙をつかれて他の諸侯に襲われれば一溜まりもない。
 そうなれば、袁術が他の権力者に成り代わるだけの話で何の意味も無い。ここ河南が置かれている状況がまさにそれだった。
 元凶を絶つだけでは意味が無い。その先を見据えて行動する事こそ重要なのだと再認識させられたくらいだ。
 これも、太老のお陰と言えなくはないだろう。だからこそ、今は取れるべき行動を出来るだけ取っておく。

「でも、これで堂々と商会とやり取りが出来るわ。問題は色々と面倒事を押しつけられた太老の方だけど……」
「心配は要らないだろう。このくらいで音を上げる男ではないさ」

 何だかんだ言って、冥琳も今のこの状況を楽しんでいると言った雰囲気が感じ取れる。
 普通であれば、あんな無茶を押しつけられて対応できるか否かと問われれば、出来なくはなくても難しいと答えるのが普通だろう。
 しかし、あそこには曹操が居る。そして太老とあの商会であれば難なくこの困難をやり遂げ、逆に好機に変えてしまうのではないか、という予感が私にはあった。
 そうなった場合、先にも述べた通り、損をするのは貴重な労働力を奪われた愚か者達の方だ。
 特に元農民と言うのが大きい。太老がエン州を中心に行っている方策の幾つかを聞いているが、噂通りに彼等を上手く使いこなす事が出来れば、この状況は一気に好転するはずだ。
 人手はある。土地もある。資金も商会という大きな後押しが存在する。足りないのは時間だけだ。
 そして、それを補って余りある物。それが天の知識と技術。これが彼等の命運を分ける結果に繋がると予想していた。

「それに上手くすれば、民の心をこちらに惹きつける重要な一手になるやもしれん」
「蜂蜜欲しさに招き入れて、それが大きな失敗になるとは考えもしていないんでしょうね……」

 曹操が太老を盟友としたのは、何も太老を気に入ったからだけではないと私達は見ていた。
 ようは、太老を敵に回したくは無かったのだ。戦わなかったのではない。戦えなかった。それが、私と冥琳の共通の見解。
 民の心と経済、その両方を手中に収めている太老と敵対するという事は、賊や諸侯を相手にするのとは訳が違う。
 単に力でねじ伏せられない相手だけに、これほど厄介な相手はいない。そしてその求心力の要となっているのが、あの商会の存在だと私達は考えていた。
 冥琳が太老を敵に回したく無い、と言っている一番の理由がそこだ。

「甘い蜜ではあるけど、毒にも成り得る妙薬ってところかしら」
「それを毒とするか、薬とするかは私達次第だがな」

 民が求める者はいつも単純。それは飢えること無く、平穏に生きられる世界。生活の安定であり、平和な世の中だ。
 それを護るのが国であり、私達の役目だと思っているが、それを他に与えてくれる者が居るとすれば果たしてどうだろうか?
 正木太老とはそう言う男、そう言う存在だ。天の御遣いとは、本当によく言った物だと感心させられた。

 太老の力を借りるという事は、私達にとっても毒になりかねない厄介な問題だ。
 しかし手段を選り好み出来るほど、今の私達は恵まれている訳ではない。
 呉の再興と庶人の救済。その両方を成し遂げるのであれば、毒と知りつつもそれを食らう覚悟が必要不可欠なのだと考えさせられた。

 結局のところ私達は、私達を慕って付いてきてくれる呉の民を見捨てる事など出来ない。
 ここで百の民を見捨てたからといって、その先、万を超す大勢の民を救える保証は何処にもないからだ。

 私達が袁術に抱いている感情。母孫堅から継いだ志。この大陸の在り方を憂う想い。呉の再興を想う願い。

 どれ一つ切り捨てる事の出来ない私達の悲願の結晶だ。
 そのために必要な力が目の前にある。そこに可能性があるのであれば、私はそれに賭けてみたい。
 直感と言ってもいいが、私は自分のこの選択を信じていた。

「私の勘じゃ頼りない?」
「軍師としては返答に困るところだが、長い付き合いだからな。親友としては疑っていないさ。それに主君の選択を確実な物とするために考え、手段を講じるのが私達の役目だ」
「あなたなら、そう言ってくれると信じていたわ」
「信じているね。そう思うのなら、普段からもう少し私のいう事も素直に聞いてくれると嬉しいのだけど? 雪蓮」
「うっ……それを今ここで言う?」

 孫呉再興に向けて、私達は大きな一歩を踏み出した。
 後には二度と引き返せない道を進み始めた以上、どんな事があっても必ず成功させるしかない。
 願わくば、この選択が私達にとって、そして呉の民にとって最善であらんことを祈るばかりだ。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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