【Side:太老】

 ニンジン問題は、何とか解決の目処がついた。俺が行った策とは所謂『抱き合わせ商法』という奴だ。
 よく深夜のテレビショッピングなどでやっている――

『今、テレビを購入すると最新の録画機が付いてくる!』

 あれを模倣したに過ぎない。不人気が原因だったりして在庫を多く抱え、余った商品を売り捌くのに良く用いられる方法だ。
 これが意外と騙される人が多く、お得と思って手を出すと痛い目に遭うなんて事は日常茶飯事だ。
 一般的には違法とされる行為だが、時と場合、条件次第ではその限りではない。
 まあ、今回のは明らかに現代の日本では違法とされる行為に抵触するのだが、ここは異世界、古代の中国だ。
 そんな法律も無ければ縛りも存在しない。きちんとした手順に則った契約である以上、違法かどうかなど問題ではなく騙された方が未熟だったと言うだけの話だった。

「太老様、こちらの準備は整いました」
「それじゃあ、始めるか」

 で、俺は今、何をしているかというと、今日は訓練生の卒業試験を実施するため、街から程近い山林に来ていた。
 普段は凪達に一任しているのだが、今回の試験では明命に協力してもらい、俺と明命の二人で行う事になった。
 明命が協力したいと申し出てくれたのもあるが、先程話したニンジンの輸送と時期が重なってしまったため、生憎と凪達正規団員の手が空いていなかった事が理由として大きかった。
 まあ、他にも明命に依頼した理由があるのだが、そこは追々話すとしよう。

 それに凪達の事を理由に試験の時期をずらすと、それだけ実戦への投入時期が遅くなってしまう。
 交易路の確保、そして販路の拡大に伴い、自警団の役割はより重要な物となっている。
 商団の警護に当たる団員の数には限りがあるし、使える人材は少しでも早く正規部隊に編入したいというのが本音だ。

 だからと言って、数ばかりを増やして団員の質を下げるような真似は出来ない。
 うちの商会の売りは『安全に迅速に確実に』をモットーとしているため、盗賊や山賊に襲われて荷物を奪われたら、これまでに積み重ねてきた信用はガタ落ちだ。
 そのため、中途半端な実力しか持たない人材を自警団に編入させる訳にはいかなかった。

「内容は簡単。俺と周泰が鬼、お前達が逃げる役だ」

 試験の内容は至極簡単なものだ。俺と明命が鬼、謂わば襲いかかる側。そして訓練生達は逃げる側だ。
 彼等には今から幾つかの小隊に分けて散ってもらい、半刻ほど経ってから俺達は彼等の後を追う。捕まったり気絶させられると失格だ。
 勿論、反撃をしてはいけないというルールはない。
 彼等の勝利条件は簡単。俺達を気絶もしくは捕縛するか、一定時間逃げ切るだけだ。
 但し、この山林から出る事は禁止。その上、山の中には俺と明命が仕掛けた罠がこれでもか、と言うくらい仕掛けてある。
 その罠を回避しつつ、俺と明命の攻撃を退けなければならない。これは、言うほど簡単な事ではない。

「何だ。そのくらい簡単なのだ」
「フフッ、言ったな。鈴々」

 今回の参加者は愛紗と鈴々を始めとした桃香のところの志願兵を主体とした者達だ。
 全員ではないが、それでも今回の試験の参加者は百人を超える。
 この三ヶ月、厳しい訓練と簡単な実地研修を乗り越えた彼等は、こうして試験の場に姿を現した。

 しかし、簡単に合格できると思ったら大間違いだ。
 彼等はようやく試験を受ける資格を得たに過ぎない。この試験に一回で合格できる割合は、実に三割を切る。
 俺達にやられたからと言ってそれで失格と言う訳では無いが、罠の回避率や攻撃を退けた回数、それに逃げ延びた時間も評価対象となるので、合格をもぎ取るのはなかなかに難しい。
 ただ腕に自信がある。強いというだけで、この試練を乗り越えられると思ったら大間違いだ。
 高い判断力と柔軟性、そして何よりも咄嗟の決断力が要求される非常に難易度の高い試験だった。

「これより、卒業試験を開始する!」

 別名『虎の穴』と称される正木商会自警団の訓練卒業試験。
 俺の経験から用意された数々の罠と、局地戦を得意とする選ばれた鬼の手≠ゥら逃れられるかどうか、それは彼等次第。

 こうして、悪魔の試験は開始された。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第35話『卒業試験』
作者 193






【Side:愛紗】

 ――ドサッ!
 また一人やられた。気配を感じ取り、背後を慌てて振り向くもそこには襲撃者の姿は無く、気絶させられ横たわった兵の姿があるだけだった。

「クッ! まさか、半刻と保たずにここまで数を減らされるとは……全員、警戒を怠るな! 円陣を組んで周囲を警戒せよ!」

 正直な話、鈴々の言うように油断していた。判断を見誤っていたと言った方が正しい。
 相手はたったの二人。こちらには私と鈴々が居る上に、兵は厳しい訓練を乗り越えた百を超す精鋭ばかりだ。
 それが半刻と経たずに全滅の危機に晒されるなど、想像もしていなかった。
 私の率いる小隊だけで、既にそれだけの被害を受けているのだ。鈴々はともかく、他の小隊は既に全滅している可能性が高い。
 落とし穴から始まり、何処からともなく飛んでくる矢に、捕獲網、更には坂道を転がってくる大岩など様々な罠に襲われ、あっと言う間に数を半数に減らされてしまった。

 そして、体力的にも精神的にも消耗したところに、この奇襲だ。
 森の中と言うだけあって、死角が多く相手の動きが読み難い。
 じわりじわりと仲間の数を減らされている状況に、兵達の間にも焦りと疲労の色が見える。
 しかも、やられたら最後――

『先走っちゃいました、てへ』

 などと顔に巫山戯た落書きをされるという始末。この程度ならまだマシな方だ。
 中には『十円禿げ』や『包茎野郎』など身体的特徴を卑下した、かなり酷い物もあった。
 最悪な事に試験前の太老殿の説明では、この墨は洗ってもしばらくは落ちない特殊な墨という話だった。
 この落書きを付けたまま街に帰らなくてはならない事を考えると、かなり屈辱的な罰だ。

 ――ドサッ、ドサドサッ!
 ほんの一瞬の出来事だった。考え事をしていた隙に、立て続けに倒れる兵達。
 その一瞬で気絶させただけでなく、ご丁寧に顔に落書きを残して去って行くその手際の良さに、戦慄を覚えずにはいられなかった。

「遂に、私一人になったか……」

 戦場でさえ、ここまで一方的な状況に追い込まれた事は一度としてなかった。
 手強い。剣を交え、ただ武を競うのとは違った難しさを私は感じ取っていた。
 同時に激しい憤りを感じる。正々堂々と剣を交えるのならまだしも、罠を仕掛け、気配を消して不意打ちばかりを狙ってくる相手に武人としての誇りなど感じられない。
 これは誇りを懸けた武人の戦い方ではない。卑怯な暗殺者の戦い方だ。
 太老殿は何を考えて、このような試験を私達に与えられたのか、その真意を計りかねていた。

 ――ガサッ
 ほんの僅か、意識を集中しなければ聞こえないほど小さな葉の擦れる音が立つ。

「――ッ! そこか!」

 いつでも抜き放てるように構えていた偃月刀を、音のした方角に向かって勢いよく突きだした。
 僅かでも反応が遅れれば、次に地面と口づけを交わすのは間違い無く私自身だ。
 鋭く、速い、渾身の一撃。手応えは確かにあった。

 ――ズシャッ!

 得物の切っ先が、何かに突き刺さる感触を得た。
 だが次の瞬間、突き刺した対象を見て、私は目を見開いて驚かされる。

「これは!?」

 それが、私が最後に口にした言葉となった。
 墨で『ハズレ』と書かれた張り紙と、人のカタチを模した大きな丸太。それが、私が最後に目にした物。
 死角から放たれた強い衝撃を最後に、私の意識は暗闇の中へと沈んでいった。

【Side out】





【Side:太老】

 後からじっくりと観察させてもらったが、明命……凄いな。
 ゲリラ戦では、まさに敵無しの強さ。瞬く間に小隊を潰したかと思えば、あの愛紗ですら相手になっていなかった。
 自警団の訓練に自発的に参加していた事もあって、実は明命が飛び抜けて優秀な事は報告からも知っていた。
 本人の希望あってこそだが、今回の襲撃役に明命を起用したのもその成績が深く関係していた。

 卒業試験で実施している『虎の穴』だが、これは過去に俺が白眉鷲羽に嵌められた経験を基に考案した多数の罠を設置したものだ。
 オリジナルはあちらの世界に置いてきた俺の発明品≠ニして存在しているのだが、これには幾つかの難易度が設けられておりレベルEからSまでが存在する。
 卒業試験で用いられている物は、オリジナルに換算するとレベルCに相当する物だ。これでも一度の試験で三割残れば良い方なのが現実で、レベルCと言っても侮る事は出来ない。
 それをなんと明命は、こちらで再現可能な最高難易度レベルAの全罠を攻略するといった偉業を成し遂げていた。
 レベルAは俺を含める自警団の正規団員の中から選ばれた精鋭三十名と、選りすぐられた罠百種から逃れなくてはいけないという、まさに地獄のような試練。
 あの凪ですら、レベルBが最高到達記録だというのにレベルA攻略だ。これがどれほど凄い事か、想像してみて欲しい。

 その事からも、明命が如何に優れた素質を持っているか、分かって貰えると思う。
 どんなに武に優れた一騎当千の将であったとしても、こうした想定外の局地戦に持ち込まれた場合、本来の力を発揮する事は難しい。
 同じように局地戦に特化した工作員でなくては、今の明命に対抗する事は出来ないだろう。

「あっ、またやられた……」

 遂に鈴々一人になってしまった。俺の出番が無い。実はこの試験には裏があって、明命の試験も兼ねていた。
 俺はあくまで明命のサポート役。十ほどあった小隊の内、俺が担当したのは離れたところを移動していた三つだけで、他は全て明命が一人で仕留めていた。
 恐るべき明命の実力、そしてその実力を得るまでに至った執念は凄まじい。
 シャオを護れなかった事が余程悔しかったのか、あれ以降、鍛え直して欲しいと明命は俺に頼み、自警団で最も過酷な訓練を要求してきた。
 俺がデスクワークに励んでいた頃も、凪ですら辛いと苦痛を感じるほどの訓練に耐えていたという話だ。

 その際、俺が調合した我が家秘伝の栄養ドリンクを飲み続けた明命は、僅か三ヶ月で以前とは比べ物にならない実力を身につけるに至った。
 ああ、ちなみにこの栄養ドリンクだが、うちの正規団員の連中は全員が訓練前に必ず飲んでいる。ちょっとした体力増強剤だと思ってくれていい。
 精製できる数に限りがあるので、正規団員にしか配給されていないが効果のほどは推して知るべしだ。
 黄巾党征伐で名を挙げ、『天軍』とまで呼ばれるようになった連中の実力を考えれば分かると思う。
 商会設立当時から活躍している連中に至っては、才能や技量こそ一騎当千の武将に及ばないまでも、実戦経験の豊富さや過酷な訓練に耐えられるだけの体力と身体能力の高さには目を見張る物があった。
 小隊規模で連携を組めば、例え相手が愛紗や鈴々クラスの一騎当千の武将であろうと互角以上に戦えるはずだ。

 その中でも一番過酷な鍛錬に耐え、最初から正規団員と同じ条件で訓練を続けてきた明命の実力はご覧の通りだ。
 凪が春蘭と互角に戦えるまでに実力を飛躍させたのも、(ひとえ)にその訓練とドリンクのお陰と思ってくれていい。
 一応、鷲羽(マッド)直伝の薬剤の知識は、俺の頭の中に全て入っている。これはその中の一つだ。
 他にも様々な種類があるのだが、ここで使っているのは鍛錬の効果を飛躍的に高める程度の物、と考えてくれて問題ない。
 オリジナルに比べると材料の問題で多少効果は落ちるが、それでも十分過ぎる効用があった。
 多分だが、俺が幼少期に飲まされ続けていたドリンクはこれの完成型だ。鷲羽(マッド)の事だから、それだけでは無いと思うが……。

「おっ、終わったみたいだな」

 鈴々が猫の鳴き声を真似した明命の罠にまんまと掛かり、得物を奪われ意識を奪い取られてしまったところで試験は終了した。
 時間にして一刻ほどで全て片付いた。決して鈴々達が弱い訳ではない。この場合、明命が強すぎるのだ。
 正面から正々堂々と戦えば、鈴々達にも勝機はあるかもしれないが、明命のフィールドで戦って勝ち目などあるはずもない。

 とはいえ、それは言い訳にしかならない。常に最大限実力を発揮出来る状況など限られているからだ。
 自警団の主な仕事は商団の警護だ。地の利が無い場所で賊の襲撃を受ける可能性が高い仕事である以上、常に万全な状態で戦える事などまず殆どと言って良いほどない。
 大抵の場合、罠を仕掛けられ待ち伏せされている事が殆どだ。だからこそ、こうした試験や訓練を設けていた。
 ただ腕が立つだけの奴なら幾らでも居る。しかし商会の自警団には、想定される最悪の事態への対処力と、臨機応変な判断力が求められる。
 商団をあらゆる障害から護りながら、荷物を安全に届ける事が如何に大変で難しい事かを考えれば、この試験は必要不可欠だった。

「明命は合格として、他の連中はもう一度鍛え直しかな? 腕はそこそこ立つみたいだけど、判断力が甘すぎる」

 何人か惜しい奴も居たが、合格点には届いていない。
 正直な話、最後まで残りはしたが鈴々は素直すぎる。武が優れているだけでは、実戦では簡単に罠に嵌められて死ぬ事になる。
 愛紗も同様だ。セオリーに忠実過ぎるが故に行動が読みやすい。あれでは、明命に『罠に嵌めてください』と言っているようなものだ。
 今回のような状況の場合、武人らしく正々堂々、という考え方は足を引っ張る材料にしかならない。

「他はなんとかなるかも知れないけど、あの二人は厳しいな……」

 今回の事でよく分かったが、鈴々、愛紗の二人の戦い方はうちの自警団のやり方とそりが合わない。
 良くも悪くも春蘭タイプ。正々堂々と戦う事をよしとする生粋の武人には、うちの商会の戦い方は受け入れ難いものらしい。
 凪も馴染むまでに相当の時間が掛かったが、そうしなければ護れない物、実現できない事があると知り、ようやく納得してくれるようになったくらいだ。
 凪の場合は早い時期から商会に居たため、ここまでに現実的な部分をかなりその目で直に見てきた事も大きかった。

「取り敢えず、様子見とするか。後は本人達次第だな」

 武人の誇りを否定するつもりはないし腕が立つ事は認めるが、今のままでは商団の警護など重要な仕事にはだせそうにない。
 暫くは簡単な任務や街の警備だけを任して様子を見る事にした。変われるかどうかは本人達次第だ。

「はあ……ままならないものだな」

 やはり何事も思うようにはいかないものだ。
 改めて、人を使う事の難しさを噛み締めしめていた。



「で、明命……胸に何か恨みでもあるのか?」
「え? そんな事はありませんよ!?」

 墨で顔に『突進馬鹿』と書かれた鈴々はまだいい。それよりも愛紗の方だ。
 顔に大きく『おっぱい勝ち組、許すまじ』と書かれた愛紗を見て、さすがに不憫に思えてならない。

(絶対に個人的な恨みだよな。これって……)

 豊満な愛紗の胸と、未発達な明命の胸を比べて悟った事は一つだけだ。

 ――乳の恨み、恐るべし

 明命の前で胸の話題は出来るだけ避けよう、と心に決めた瞬間だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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