【Side:太老】

 俺宛に届けられた一通の手紙を目にして、俺は固まっていた。

『やっほー! 太老、ちーが居なくて寂しく枕を涙で濡らしてないかなぁ? ちーは太老が居なくて寂しいけど頑張ってるよ!』

 もう、誰の手紙かなど言うまでもないと思うが、地和から手紙だ。
 彼女達のファンの間では有名な『地和語』と呼ばれる物で綴られた怪文書。それが俺の手元に届けられたのは今朝の事だった。
 現在、彼女達は黄巾の乱で最も大きな被害を受けた青州を中心に地方巡行に出掛けている。
 今回の興行は、新しい土地で農耕地の開墾を頑張っている人達の慰労と、新しく華琳の支配下に加わった地方の村や街を周り支持者を増やす事を目的としたものだ。

『漁港の視察があって青州に来るんだよね。そこで、なんとちぃ達は気を利かせて、太老の視察の時期と港町での興行を合わせてもらいました!』

 ドンドンパフパフ〜、とその後に文章が続いていた。それを見て、頭が痛くなる。
 俺の視察の日程が早まった原因が、目の前にぶら下がっていたからだ。

 青州は北を渤海(ぼっかい)、東を黄海(こうかい)と隣接していて、大小様々な港があり漁業が盛んな土地としても知られている。
 これまで華琳の治めている土地は海とは程遠い場所に位置していた事もあり、海産物や塩などは交易に頼っている部分が大きかった。
 そこで青州が華琳の勢力地へと加わった事を機に、漁村部を中心に塩の生産と漁業のテコ入れを行い、商会の新事業として活性化できないかと考えたのだ。
 この時代、塩は貴重品だ。料理には欠かせない調味料である事は言うまでもなく、軍食といった保存食にも塩は多く使われる。
 そのため、何よりも先に俺達が取りかかったのは、農耕地の開墾と青州の復興作業だった。

 そんな中、青州へと派遣した商会の者達から連絡が入ったのが、遂先日の事だ。
 復興の目処が立ち、塩の生産体制が整い、漁業が再開した知らせを聞いた俺は、近い内に青州へと視察に向かう予定をしていた。
 だが、予定していた視察の日程が何の前触れもなく突然早まったために、ここ数日、俺は睡眠時間を削られ書類整理に明け暮れていたのだ。
 よもや、その原因が身内にあるとは知らず、俺は眠いのを我慢して仕事に励んでいたと言う訳だ。

 はっきり言おう。全然、気を遣っていない。物凄く迷惑な話だった。
 どうしてこいつ等のする事は、いつもこう急すぎるのか……。
 思いつきだけで動いている証拠だ。

『そう言う訳で、太老達をぎゃらくてぃか☆大☆歌謡天国にご招待しちゃいまぁす! 一番の特等席を空けとくから、皆できてねー!』

 ちーほーより。はぁと、と文章の最後に添えられていた。ようは公演を見に来いと、そういう事だ。
 ちなみに『ぎゃらくてぃか☆大☆歌謡天国』の『ぎゃらくてぃか』というのは特に意味は無い。
 何か派手そうな天の言葉を教えて欲しいと頼まれた時に、それっぽい言葉を綴った『天の言葉大辞典』というのを手渡して、そこから地和が適当に選んだ言葉に過ぎない。
 いつの間にか、その辞書を元にして『地和語』なんて物が出来ていた時には驚いたが、これがまた一部では大ヒットしていた。
 本当に何が流行るか分からないものだ。

「見に行かない訳にはいかないだろうな……」

 俺の予定を調べ上げ、ここまで根回ししてくるくらいだ。
 権力やコネの使い道を間違っている気がするが、これで見に行かなかったら後で何を要求されるか分からない。
 大方、天和は口八丁で丸め込まれ、人和は無理矢理協力させられた、いつもの黄金パターンだと考える。

「はあ……行くしかないか」

 地和の事だ。無視すれば、どんな無理難題を吹っ掛けて来るか分からないので、後の事を考えると無視は出来なかった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第36話『役萬姉妹の招待状』
作者 193






「あれ? 荀イクも行くの?」
「華琳様のお供よ。それと、あなたと同じで私も視察を兼ねているの」

 視察に赴くのは、俺、華琳、荀イク、護衛に季衣と親衛隊から編成された二十名ほどからなる小隊だけだ。
 春蘭も一緒に行きたそうな顔をしていたが、まさか全員で城を空ける訳にもいかず、仕事が残っている秋蘭と留守番になった。
 うちの商会も荊州との交易が本格的に開始して、そちらの商団の警護に人員を割かれているために動かせる団員に余裕が無い。
 そのため、凪と沙和はそちらに掛かりきりになってしまい、真桜達技術開発部も各署から入る注文をこなすのに忙しい日々を送っていた。

 荀イクが同行する理由は話を聞けば理解できた。
 塩が貴重品だという話はしたと思うが、塩は専売制となっていて基本的には上が完全に取り仕切っている。それは海沿いに面した何処の州も同じだ。
 華琳との話し合いは、商会が生産と流通を請け負う事で一応の決着がついているが、城の重要な収入源の一つである以上、何もかもを商会に任せきりと言う訳には彼女達もいかない。
 これは信用している信用していないという話ではなく、公正な取引を監視するという意味で重要な仕事だ。
 報告書にあった現地調査と復興状況の確認。そして、塩の生産体制の確認が今回の主な視察の目的だ。
 直にその目で確認したいという華琳と、その相談役として荀イクが同行する事になったのが、ここまでの経緯だった。

 はっきり言って、華琳の相談役なんて仕事を春蘭がこなせるはずもない。
 季衣は華琳の親衛隊に所属しているため同行するのは当然だし、そうなってくると護衛役として春蘭は必要無い。
 相談役や状況確認だけなら秋蘭でも荀イクの代わりは務まるだろうが、荀イクを城に残して春蘭を抑えられるとは思えず、結果的に今回の編成となったと言う訳だった。
 荀イクはご機嫌な様子だが、逆に春蘭が悔しがるといった結果になっていた。相も変わらず、華琳のところも何かと大変そうだ。

「今回は、太老だけなのね。従者どころか、護衛も連れてきてないの?」
「皆、忙しいからね。華琳も行くって言うし、そっちに便乗させてもらおうと思って」

 商会の自警団を動かすと経費が掛かる。俺一人で行ってもいいのだが、それは稟や風に怒られるので俺が後で困る。
 なので経費節約のため、華琳に便乗させてもらおうと考えたのだ。
 団員の数にも限りがあるし、経費を節約できるのならそれに越した事は無い。第一、華琳の親衛隊が同行するのに、うちの自警団は必要とは思えない。最近では、うちの正規団員ほどでは無いとは言っても、それを基にした調練を受けているのだ。実力的にも申し分無い。
 ここは華琳の領地だ。盗賊や山賊が居ないとまでは言わないが、圧倒的に他の州に比べて少ない。
 視察に行くだけなのに、仰々しく武器を持った兵士を大勢引き連れていくのも、おかしな気がしただけの話だった。

「はあ……不用心ね。もうちょっと自分の立場を自覚した方がいいわよ」
「これでも、自覚しているつもりなんだけど……」
「腕に自信があるのは知っているけど、気をつけなさい。あなたを狙っている者も多いのだから」

 呆れた様子でため息を漏らしながらも、俺の事を心配して注意してくれる華琳。
 今も躍進を続ける大商会の代表だ。これでも、結構な金持ちに数えられる一人だという自覚はある。
 脅して金品を奪うなり、誘拐して金を要求するなり、確かに山賊や盗賊からすれば、俺は鴨が葱を背負って歩いているようなものだ。
 お年玉を沢山もらって玩具を買おうと街まで繰り出したらカツアゲにあった、と言った事態にならないように注意してくれているのだと理解した。
 例えはアレだが、確かに注意しないといけない事だと思う。華琳のいう事は一々尤もだ。
 まさか、自分が組織のトップになるとは思ってもおらず、これまで大金を持った事など無かっただけに自覚が足りていなかったようだ。

「心配してくれてありがとうな。大丈夫、華琳も俺が護ってやるよ」
「なっ!?」

 自覚はしたが、金持ちが狙われるというのなら、華琳も同じように危ない。
 毎回、視察の度に親衛隊が付いてくるのは、華琳が襲われないように誘拐されないように警護の役目を担っているからだ。
 心配してくれるのは嬉しいが正直な話、自分の腕を過信するつもりはないが、そこらの賊程度に捕まるほど俺は間抜けではない。
 商会を設立するまでは、風や稟と旅をしていた経験もある。想定される事態には大体対処する自信があるし、逃げるだけなら余裕だ。
 どちらかと言うと、俺からしたら華琳の方が何かと心配だったりする。強いと言っても春蘭ほどではないし、女の子だしな。

「……私だって自分の身くらいは自分で護れるわよ? でも、そ、その機会があったらよろしく頼むわね」

 もしかしてデレた?
 素直じゃないところはいつも通りだが、頬を染め、何処か照れ臭そうに話す華琳が少し新鮮だった。

【Side out】





【Side:華琳】

 視察に行くと言い出したのは太老なのに、まさか護衛の一人も連れて来てないとは不用心極まり無い。
 自分の価値と置かれている立場を本当に理解しているのか、よく分からない行動だ。
 確かに太老の実力であれば、そこらの刺客に後れを取るような事は無いだろう。しかし何事にも絶対という事は無い。
 先日の黄巾党との一件以来、太老を警戒した中央と諸侯はエン州に多くの間者と刺客を放ってくるようになった。

 ここ数ヶ月で捕らえられた間者は百を超し、私自身、刺客に襲われた回数は両手両足の指で数え切れないほどに上る。
 その数は、これからも増え続けていく事だろう。
 太老との繋がりがあると言うだけで、これだけ私が狙われているのだ。当事者である太老は、それ以上に危険な状況に晒されていると言える。
 商会に配備されている自警団が、間者の洗い出しや刺客の排除を徹底して行っているという話だが、それでも完全に安心と言い切る事は出来ない。

「はあ……不用心ね。もうちょっと自分の立場を自覚した方がいいわよ」
「これでも、自覚しているつもりなんだけど……」
「腕に自信があるのは知っているけど、気をつけなさい。あなたを狙っている者も多いのだから」

 だからこそ、私は苦言を呈せずにはいられなかった。もう少し、他人ばかりではなく自分の身を案じて欲しくてだ。
 本人は自覚しているなどと言っているが、私から言わせれば全然できていない。
 太老はもう少し、人の上に立つ者の責任と役割の重さを自覚した方がいい。

「心配してくれてありがとうな。大丈夫、華琳も俺が護ってやるよ」
「なっ!?」

 だと言うのに、言った傍からこれだ。
 驚きと呆れと……少しだけ『護ってやる』と言って貰えた事に対する嬉しさを覚えた。
 本当に私の言っている事が分かっているのか甚だ疑問だが、刺客に狙われているという自覚はあるようだ。
 そこまで言い切るからには、余程の自信があるのだろう。少なくとも、何の根拠も無しに大言を吐くような男ではない。

「……私だって自分の身くらいは自分で護れるわよ? でも、そ、その機会があったらよろしく頼むわね」

 素直に『嬉しい』と言えれば楽だが、そこには覇王としての意地もあった。
 全く、太老が相手だと調子が狂って仕方が無い。普通なら、私にそんな口を利く男の首など刎ねているとこだ。
 かよわい女性扱いされる事も、護ってやるなどと言われる事も、覇道を志す私にとって侮辱以外の何でもない。
 だが、太老相手だと嫌な気がしない。異性として太老を意識していると自覚した時から、私自身、太老に一人の女性として扱って欲しいと心の何処かで考えていたからだ。

「ほら、何してるの? 早く馬車に乗りなさい。視察に行くわよ」
「――華琳様!?」
「桂花と季衣は後の馬車ね。季衣、桂花を護ってあげて。私の事は太老が護ってくれるそうだから心配はいらないわ」
「……え、はい」

 有言実行。ならば、自分で言った事の責任くらいは取ってもらおう。
 そう考え、目を丸くして固まった桂花を置き去りにし、私は太老の腕を取って自分の馬車へと向かった。

【Side out】





【Side:地和】

「フフフッ、遂にあの計画を実行する時がきたのね!」
「今回はお姉ちゃんも協力するよ。頑張って、太老様に喜んでもらおうね!」

 黄巾党討伐が終わったら、太老との既成事実を作ろうと色々と企んでいたのに、その目論見は簡単に崩れ去ってしまった。
 新しく華琳様の領地に加わった土地の再興計画が持ち上がり、青州での興行が入ってしまった事で、また直ぐに太老と離れ離れになってしまったからだ。
 仕事が大切なのは分かるけど、さすがにこれはあんまりだと思う。
 黄巾党の件では私達も活躍したというのに結局ご褒美はお預けのままだし、これでは報われない。

「……姉さん達、程々にしてよ?」

 人和はそう言うが、今回ばかりは私達も引くに引けない事情がある。
 ただでさえ私達は地方興行が多くて太老との時間が余り取れないでいると言うのに、最近は恋敵も増えてきている。
 ここらで一発大きいのをぶちかまして置かないと、大きな後れを取る事態になりかねない。
 今は敵である事を忘れ、天和姉さんと協力関係を結んだのもそのためだ。人和も、本当は太老の事が好きな癖に素直じゃない。
 まあ、それでも太老の予定を調整して私達の興行と噛み合うように根回ししたり、と協力はしてくれているので何だかんだ言いながらも人和も気にしている事は姉として分かっていた。

『これで気になるあの人もメロメロ☆歌姫大作戦』

 これが今回、私達が考えた作戦の概要だ。
 今や連日満員御礼、黄巾党を投降させた私達の歌声。歌姫であるという立場を利用しない手はない。
 私達の最大の武器である歌を使って、太老の心をこちらに惹きつける。ここがトップアイドル≠フ腕の見せ所だ。
 極めつけは舞台での告白。応援団が、太老が連れてきた皆が、私達の愛の告白の目撃者と成る訳だ。後は、噂が広がるのを待てばいい。

『天の御遣いと我等が歌姫の熱愛発覚!』

 などと瓦版でも大きく取り上げられれば、もう既成事実は作ったも同然だ。
 後は流れに身を任せて、そのまま行くところまでいってしまおう、という計画だった。

「絶対に作戦を成功させて、太老を振り向かせるわよ!」
「お姉ちゃんも頑張る! 華琳様にだって、渡さないんだから!」

 黄巾党の一件以降、華琳様とも真名を預け合う仲になったが、それとこれとは別問題。
 最初に太老に目を付けたのは私達だ。誰にも太老は渡さない。

 これは、恋する乙女の意地を賭けた戦いだった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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