【Side:桃香】

「えっと、小蓮ちゃん。気持ちは凄く嬉しいんだけど、(いくさ)だよ? とっても危ないんだよ?」
「それは桃香達だって一緒でしょ! シャオだって太老の事が心配なんだから! 行くっていったら絶対に一緒に行くの!」

 頑なに自分も行くと主張する小蓮ちゃんに、どうしたものかと困り果てていた。
 小蓮ちゃんの気持ちは凄くよく分かる。私だって、御主人様を助けたい。賛同して集まってくれた皆も、その気持ちは同じだと信じている。
 でもだからこそ、小蓮ちゃんを連れていって良いかどうか悩んでいた。

(ううん……。小蓮ちゃんの気持ちも分かるけど)

 小蓮ちゃんは江東からの留学生。大切な預かり物だ。それに御主人様が、小蓮ちゃんの事を凄く大切にしている事も知っている。
 彼女に何かあれば御主人様が凄く悲しい想いをするって分かるからこそ、出来る事なら戦場に彼女を連れて行きたくは無かった。
 それに、私にとっても大切なお友達だ。友達だからこそ、心配する。

「尚香様。劉備様もお困りのようですし、それにまた勝手な事をされては孫策様にお叱りを受ける事になりますよ?」
「うっ……。でも、シャオだって太老が心配なんだもん……」

 周泰ちゃんに諫められて、先程までの勢いを失う小蓮ちゃん。でも、やはり納得は行っていないようだ。

「小蓮ちゃん。私、思うんだけど……」
「……何?」
「御主人様がここに帰ってきた時、『おかえり』って声を掛けてあげられる人も必要だと思うの。私と違って、小蓮ちゃんには小蓮ちゃんにしか出来ない事がある。今は、それじゃあダメかな?」

 屁理屈だって分かってる。それで全てを納得しろなんて無理があるって事も。でも、人は護りたいモノ、帰れる場所があるからこそ頑張れる。私はそう思っていた。
 御主人様が何も言わず、大人しく朝廷の使者について行ったのも、皆の事を考えてこそだ。
 皆が危険を承知の上で命を懸けてまで御主人様を助けたいと思うのは、何も御主人様が天の御遣いだからじゃない。
 御主人様がそう言う人だからこそ――身体を張っていつも皆の前に立ち、自分が傷つきながらも私達を見守ってくれる、分け隔て無く愛情を優しさを注いでくれる、そんな人だからこそ慕われているのだ。
 だから皆、御主人様の事が好きなんだ。小蓮ちゃんも、義勇兵に志願してくれた皆も、そして私も――

「……分かった」

 渋々と行った様子だけど、納得してくれたようでほっと胸を撫で下ろす。
 でも――

「ねえ、そういう桃香はなんで剣を取ったの? 桃香の性格からして、ずっと違和感があったんだけど……どうして?」

 そんな風に小蓮ちゃんに訊かれて、私は戸惑った。実のところ、それは私も自覚していた事だ。
 自分でも、戦いとか争い事に向いていない性格をしているって自覚がある。

「私は我慢が出来なかったから、かな?」
「我慢が出来ない?」
「私って頭もよくないし剣も強くないけど……」

 初めて盗賊に立ち向かったあの時の事を私は今でも忘れない。立ち寄った村で盗賊に襲われて、目の前には百にも近い盗賊の群れ。後には満足な武器を持たない老人や女子供達。本当は凄く怖かった。逃げたかった。でも、気がつけば私は代々家に伝わる宝剣を握りしめ、盗賊達の前に立ち塞がっていた。
 私には優れた才能がある訳ではない。特別、武に優れて強い訳でもない。
 なのに、居ても立ってもいられなくて、何も出来ないで殺されるって分かっていても、じっとなんてしていられなかった。

「でも護りたいモノがあったから、譲れないモノが私にもあったから剣を取る道を選んだ」

 きっと、あそこで愛紗ちゃんや鈴々ちゃんと出会わなかったら私は死んでいただろう。小蓮ちゃんの言うとおりだ。私は戦いに向いていない。
 本当はとても臆病だし、今でも戦場に立つと手足が震える事がある。愛紗ちゃんや鈴々ちゃんのように強く無いし、朱里ちゃんのように頭が良くない。私が持っている力なんて、本当にちっぽけな物だ。
 ただ、自分の気持ちにまで嘘はつけなかった。

「そうする事が一番正しいんだって、そう思っていたの」
「……思っていた?」
「力が無い事を理由に、『こんな世の中だから』って言い訳をして諦めたく無かったんだと思う。でも、ここにきてそれだけじゃダメなんだって、御主人様にも曹操さんにも怒られちゃった。皆のためって頑張ってきたつもりだったけど、それはただの私の我が儘だったのかな、って……」

 ここに来て、色々と考えさせられる事があった。御主人様と出会って、曹操さんと一杯お話しをして、私の世界は大きく広がった。
 想いは大切だ。でも、想いだけでも願うだけでも、私達が求めている理想は叶えられない。優しさだけで救えるほど、この世界は甘く無いのだと私は知った。
 それは御主人様の願い、曹操さんの理想を知ったから――
 理想は一つではない。皆が笑顔で居られる世界を作る方法は一つじゃ無い事を私は知った。
 御主人様の作った商会のお陰で助かった人達。曹操さんの治政の下で安心した暮らしを送れている人達。皆、本当に良い笑顔を浮かべていた。

 それが真実。ここで私が見て、知ったモノの全てだ。だからこそ、私は戸惑った。
 何が正しくて何が間違っているのか。これまでの私の行いは本当に正しかったと言えるのかどうか。

「我が儘って分かってて、それでも桃香はまた戦場に立つの? どうして? そんなの桃香がやらなくても……」
「……うん、そうだね。きっと私がやらなくても、もっと上手くやれる人が居るかもしれない」
「だったら……」
「でも、じっとしていられないの。今、泣いている人がいる。今、助けを求めている人がいる。そう思うと自然と身体が動いちゃうんだよね。はは……曹操さんにまた怒られちゃいそうだけど……。やっぱり私には目の前に助けを求めている人がいて、何もしないなんて出来ないから」

 私にしか出来ないなんて自惚れるつもりはない。きっと曹操さんの方が上手くやれるだろうし、私よりずっと才能や実力がある。
 正直、理想の在り方とか、やり方や考え方の違いとか、難しい話は私にはよく分からない。曹操さんの話す覇道や誇りというのも、何となくは分かっていても完全に理解する事は出来ない。
 それでも、私は――

「私は御主人様でも曹操さんでもない。劉玄徳だから」
「何? それ?」
「あはは……なんだろうね? 私も自分で言ってて実はよく分かってないんだ」

 私は、やっぱり皆の笑顔が見たい。困っている人がいたら助けたいと思う。これまでの私が正しかったか、間違っていたかどうかなんて分からない。
 でも、そこで手を差し伸べなければ死んでいた人が居た。泣いていた人が居た。悲しんでいた人が居た。結果的には、その場限りの事だったのかもしれない。私達が助けた事で、もっと苦しい思い辛い思いをしたかもしれない。それでも十を救うために一を切り捨てるなんて真似は私には出来ないし、目の前で泣いている人がいて、私は黙って見捨てていく事なんて出来なかった。

 私は御主人様みたいには賢くはないし、曹操さんのように強くもない。
 より多くの人を助けられる方法が分かっていても、賢く合理的に生きる事が出来ない。どうしても、皆を助けたいって思ってしまう。
 私の美徳は優しさにあると愛紗ちゃんは言ってくれるけど、きっとそれは私の甘さなんだと思う。
 でも、私はその甘さを捨てる事が出来ない。愛紗ちゃんが美徳と言ってくれる優しさも、曹操さんが呆れる甘さも、全て私であるために必要な物だ。
 ここに来てから学んだ事は数多くあったけど、結局それが私、劉玄徳の生き方なのだと理解しただけだった。

「……やっぱり、桃香って変ね」
「変って酷いよ。小蓮ちゃん……」
「変よ、変。凄く変だわ」
「ううっ……」

 自分の想いを見つめ直したところで、何一つ私は成長していないのかもしれない。自分でも本当に不器用だと再確認しただけだ。
 でも今、私の中にある御主人様を助けたいって想いは皆と同じだと思う。だから――

「でも、その方が桃香らしいのかもね……。太老の事、絶対助けてきなさいよ!」
「うん、約束する。絶対に御主人様を連れて帰ってくるよ」

 大切な人を救いたい――この想いにだけは嘘を吐きたくなかった。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第52話『私らしく』
作者 193






【Side:一刀】

 劉備さん達のご厚意に甘えて、商会でお世話になり始めてから四日が経った。
 今更ではあるけど、ここの生活水準に慣れると元の生活に戻れないような気がしてならない今日この頃だ。

 下手すると、元の世界で送っていた俺の生活水準よりも高く、美味い料理に広いお風呂。至れり尽くせりと言える状況だしな。
 最初に落ちた場所がここだったら、日本の何処かの街と勘違いしていたかもしれない。
 どう考えても古代の中国ではない。この街を見ていると後十年もあれば、近代を超える技術水準に達しそうで怖いくらいだ。
 ここの生活に慣れれば慣れるほど、正木太老と言う人の凄さを思い知るばかりだった。

「これ、今日中に終わるのか? 朝から全然進んでる気がしない……」
「あら? ご主人様が手伝いたいって自分から言ったからじゃないの?」
「いや、そりゃそうだけど……。ううむ……」
「なんなら、元気のでる熱ぅ〜いおまじないをしてあげましょうか? こうやって、う〜ん!」
「……遠慮しとく」

 即答だった。いや、あの貂蝉だぞ?
 唇を尖らせて頬を赤らめながら顔を近付けられたら、誰だって拒否するだろう。無理。俺はノーマルだ。
 可愛い女の子が相手ならまだしも、はっきり言って貂蝉だけはない。この世界に飛ばされてきて最初のアレ≠ネんて、トラウマになっているくらいだ。
 二度とごめん被りたい。

「つれないわねん。でも、そんなご主人様も素敵よん」
「仕事を手伝う気が無いなら、邪魔だけはしないで欲しいんだけど……」
「なるほど、男の仕事に口をだすなって事ねん! 妻たるモノ、家で主人の帰りを待つのも務め。わかったわ! ご主人様!」

 なんか一人納得して走り去ってしまった。うん、今日は誰か別の人の部屋に泊めて貰おう。身の危険を感じた。
 今、俺がやっているのは書庫の整理だ。商会が運営している図書館には、商会の発行している天の知識や技術を記した専門書に始まり、古今東西から寄贈された様々な本が収められていて、この大きな屋敷が丸々一つ本で埋め尽くされるほどの蔵書がある。しかも未だに本の置き場所が足り無くて、改築に改築を重ねて大きくなっているくらいだそうだ。
 毎日のように新しい本が運ばれてきては本の整理と目録作りに司書さん達は追われていて、休む暇も無いほどの忙しさという話だった。
 そんな中、俺が水鏡さんのところでお世話に成っていたという話がどこからか伝わったらしく、それを聞きつけてやってきた司書の人に、ここの仕事を手伝ってもらえないかと頼まれたのが一昨日の事だった。
 ここの人達の話を聞いてみると、やはり水鏡さんは相当に有名な先生だったようだ。その水鏡さんの教え子という事で、俺も随分と注目されている事が分かる。

(鳳士元とか諸葛孔明とかと比べられても困るんだけどな……)

 同じ水鏡さんの下で学んだ同門ではあるが、頭の出来には雲泥の差がある。この世界にきた無知な頃と比べればマシにはなったとはいえ、歴史に名を残す名軍師と比べられるはずもない。知識の広さや深さは当然の事ながら、その知識を応用する力に関しても全くその二人には及ばないだろう。
 ここの司書の人達の中でさえ、俺よりも博識な人なんて山のようにいる。俺に特筆すべき点があるとすれば、それは彼等の言う天の知識に関してだ。尤も、ここの技術水準を目の当たりにすると、それもどこまで通用するか正直疑わしいのが事実だけど。
 歴史に関しても、はっきり言ってアドバンテージがあるとは言い難い状況だしな。うむ、見事なくらい中途半端だと自分で思う。

「ううっ……もう、ちょっと」
「ん?」

 三角帽子を被った、どこか魔女っ娘を彷彿とさせる小さな女の子が顔を真っ赤にし額に汗を滲ませ、本棚の前でうんうんと唸りながら一生懸命背伸びをし手を伸ばしていた。
 多分、その手の先にある本を取ろうとしているのだろう。残念ながら、どれだけ背伸びをしても頭一つ分ほど届いていない。
 もうちょっと、と唸りながら頑張っているが、アレではまず届かないだろうし見ていて危なっかしかった。

「これでいいのか?」
「ほえ……」

 彼女の身長では届かないような高さでも、俺の身長なら余裕で本に手が届く。これも司書見習い……まあ、単なる雑用だけど俺の仕事の一環だ。
 そうでなくても、こんなに可愛い子なら迷わず助けただろうけど。いや、決してロリコンではないぞ?
 一生懸命な姿が傍目に見てて可愛いな、というだけの話でこんな幼い少女に欲情するほど俺は見境無しではない。

「あわ……ありがとうございましゅ!」
「しゅ?」
「あわわ! ごめんなさい。えっと……」

 恥ずかしがり屋なのか、帽子の(つば)を両手で押さえて顔を隠しながら、ペコペコと頭を何度も下げてお礼を言ってくる少女。
 年の頃は多分、前にあった諸葛亮ちゃんと同じくらいだと思う。
 なんというか小動物的で、放って置けないような、護ってやりたくなるようなそんな女の子だ。

「俺は北郷一刀。怪しい者じゃないよ。訳があって、ここで司書さんの手伝いをしてるだけだから」

 貂蝉がここに居なくて本当によかった、と思った。
 貂蝉が居たら間違い無くこの子を怖がらせて居た。恥ずかしがり屋で、人見知りが激しいみたいだしな。貂蝉を見たら、卒倒するかもしれん。
 悲鳴でも上げられて、この街に来た時みたいに警備兵に連行されるのは勘弁して欲しい。これが冗談では済まないから厄介だ。
 もう、ほんと……貂蝉の奴、あれさえ無ければ頼れる仲間なんだがな。思い出しただけでも、ため息が溢れる。

「北郷……さん? 朱里ちゃんが言ってた、水鏡先生のところからきた?」
「あれ? 俺の事を知ってるの?」

 俺の名前を聞くなり、顔が真っ青になり態度が一変する少女。まるで何かに脅えているかのようだ。
 え、ちょっと……なんだ?
 名前を聞くだけでビクビクと震えるような悪い噂が立ってたりするのか?
 凄く気になるんだが、商会にお世話になり始めて四日でそんな噂を立てられる覚え……いや、一つだけあった。貂蝉だ。

「ごめんなさい! わ、私! 本当にごめんなさい!」

 そう言って頭を下げて、少女は逃げるように走り去ってしまった。
 これは、どうやら確定のようだ。どんよりと暗い影が背中に落ちる。あんな小さな女の子に怖がられるなんて……。
 貂蝉との付き合い方、もうちょっと考え直した方が良いかもしれない。主に俺の尊厳を護るために――

「ん? さっきの子が落としていったのかな?」

 床に目をやると、先程の女の子が居た場所に一冊の本が落ちていた。

「……これって」

 本の中身は、男と男が裸で抱き合った……なんとも形容しがたい絵ばかりが書かれていた。
 俺も実物は初めて見たが、所謂『やおい本』という奴だ。
 この時代になんでこんな物が……。いや、それ以前に――

「本気で貂蝉との付き合い方を考えよう……」

 固く、そう心に誓った。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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