【Side:朱里】

 私が愛紗さんにお願いした事はそれほど難しい話ではない。
 可能な限りの選択肢を与え、最終的な判断は全て北郷さんに委ねる事、無理強いはしない事だ。その上で北郷さんが私達に協力してくれるならまだしも、騙すような真似や無理強いはするべきでは無いと私は愛紗さんを説得した。彼は頭が良い。そうして巻き込んだところで、本当の協力を得る事は出来ないと考えたからだ。
 水鏡先生のところで学んでいたというだけあって、知識の面に置いては確かに北郷さん以上に博識な人は大勢いると思うが、物事の理解の早さ、そして柔軟な適応力、状況に対する判断力はなかなかのものだ。そして何よりも北郷さんは、太老さんのような不思議な人を惹きつける魅力を持っている。
 天の国の人が全員そうなのかは私には分からないが私達には無い物を、彼の内に私は感じ取った。

 それに一番怖いのは太老さんを敵に回す事だ。
 今の私達は、太老さんにその殆どを頼り切っている。資金も、兵力も、名声も、全ては正木商会と天の御遣いという後ろ盾があってこそ成り立つものばかりだ。
 借り物の力で達成した結果は、やはり借り物でしかない。
 その先に理想を果たしたとしても、劉玄徳の名の裏には必ず天の御遣いの名が並んで記される事になるからだ。
 庶人が誰の行動の先に理想を見ているかを考えれば自ずと分かる事だ。天の御遣いの名と存在はそれほどに強大な物だった。

 だけど、それも仕方の無い事だと私は考えていた。誰であったとしても、それは避けては通れない道だ。
 曹操さんや、あの孫策さんすらも一目置く太老さんは、現在起こっている出来事の全ての中心に居る。
 恐らくは誰が天下を取ったとしても結果は同じ。根幹的な部分では、太老さんの名と協力が無ければそれらを為す事は困難と言わざるを得ない。
 今現在、天子を頂点とする大樹の頂きに一番近いのは――正木太老、天の御遣いと呼ばれてる彼だけだ。
 恐らくは曹操さんや孫策さんもその事に気付いているはずだ。自分達は王にはなれるが皇帝にはなれない。
 信頼を失った漢王朝ではない。権威を失った天子でもない。象徴として人々の上に立てる人物が、今現在でたった一人しかいないという事を――

(それを前提にして大陸に平穏をもたらすとなると……)

 太老さんの機嫌を伺えと言っている訳ではない。本当に理想を為すためには何が大切で何が必要かを見極める目が大切だと私は考えていた。
 私達が一番後れを取っている部分があるとしたらそこだ。自分達の理想に固執する余り、絶えず変化する現実の流れについていけずにいた。
 民が本当に求めている物がなんなのか、それにすら気付く事が出来ず理想を語るなど、あってはならない事だ。
 桃香様は少しずつではあるが、それがなんなのか見えてきている様子が窺える。今まで雲のようにカタチが定まらなかった理想に、ようやく確りとしたカタチが見え始めてきたように思える。それ自体は、桃香様の理想に共感した私達や桃香様のためにも良い事のように私は考えていた。

 しかしそれとは反対に、私の目から見て、今の愛紗さんは目的を見失っている。
 愚直なまでに桃香様の理想を追い求め、自身の考えが桃香様の理想にとって最善であるかのように振る舞う愛紗さんは、本来理想とはどういうものであるかを錯覚している節があった。
 私が愛紗さんに知って欲しかったのは一つだけだ。
 桃香様は桃香様、愛紗さんは愛紗さん。決して愛紗さんは桃香様にはなれない。それを知って欲しかった。

 理想に共感するのは自由だが、他人の理想や考えを自分の物と混同し思い込むのは盲信と同じだ。
 とはいえ、私には愛紗さんを説得する事は難しいと考えていた。

 ――桃園で交わされたという約束
 ――桃香様、愛紗さん、鈴々ちゃん。姉妹の契りを交わした三人

 同じ主に仕え理想を共感する仲間とはいえ、あの三人の間に入っていける臣下は少ない。
 私が一歩引いたところから客観的に判断が出来ているのも、そのためだ。
 あの三人の絆はそれほどに固い。まるで本当に血を分けた姉妹のように、あの三人の間に入っていける人物は殆どと言って良いほどいないはずだ。
 可能性として桃香様が好意を寄せている太老さんが考えられるが、ここに居ない以上頼れるはずもなく、それに今回の件に関しては太老さんに頼る訳にも行かなかった。

 ならばどうするか、私が考えた策は一つだけだ。
 愛紗さん自身に気付いてもらうしかない。そして、その鍵を握るのは桃香様だ。
 ただ、それだけでも足りない。切っ掛けとなる物が必要だと私は考えていた。

(結局、私達の問題に利用するような真似をしてしまってすみません。北郷さん……)

 愛紗さんに利用するな無理強いするなと偉そうな事を言って置いて、私のやっている事は最低な事だ。
 でも、愛紗さんにこんなところでダメになって欲しくは無かった。桃香様の悲しむ顔を見たくは無かった。
 最後の鍵を握るのは、もう一人の天の御遣い。諸葛孔明一世一代の大芝居。その幕が開けようとしていた。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第55話『孔明の罠』
作者 193






【Side:一刀】

 俺は釣り竿を片手に、璃々ちゃんとその友達と一緒に川原に遊びに来ていた。

「お兄ちゃん、つれた?」
「うっ……だ、大丈夫! 昼飯は任せておけ!」

 川原で水遊びをする璃々ちゃんに岩の上から胸を張って答える、がしかし、俺の後にあるカゴの中には一匹も魚の姿は見受けられなかった。
 じっと水面に目を凝らすと川魚が泳いでいるのは確かに見えるんだが、どう言う訳か餌に食いついてくれない。
 被害妄想かもしれないが、『へへーん。テメエなんかに俺達は釣れねーよ』と魚に馬鹿にされているかのように錯覚するほど酷い有様だった。
 実際、餌の周辺に近づいてはくるのだが、フンッと見向きもしてもらえないでいるのだ。そんな風に妄想するのも仕方が無い。

「偉そうな事を言って、全然釣れて無いじゃない」
「ぬおっ!」

 後から音も気配も無く、突然声を掛けられ、俺は思わず素っ頓狂な声を上げて仰け反る。
 慌てて振り向いた背後には、桜色の髪を左右で束ねた褐色の肌の少女が呆れた表情を浮かべて立っていた。
 確か、璃々ちゃんの友達の――

「孫、尚香ちゃん?」
「アタリ」

 孫、といえば、あの孫子でも有名な孫家しかない。呉の孫策や孫権とか、あの孫だ。
 江東のお姫様まで商会のお世話になっているとは思ってもいなかったが、魏の曹操、蜀の劉備までいるのだ。もう驚くのには慣れてしまった。

「えっと確か、ほんごう……かず……かずのこ」

 誰が正月の定番料理だ。そんなに美味しそうな名前はしていない。
 そういや、久しく日本のお節とか食ってないな。商会なら案外作れるんじゃ、と考えてしまった。
 商会でお世話になり始めて一番嬉しかった事と言えば食事だったりする。味噌や醤油もあるくらいだしな。今度、典韋ちゃんに駄目元で聞いてみるか。

「北郷一刀だよ。北郷でも一刀でも、好きなように呼んでくれて良いよ」
「そう? じゃあ、一刀って呼ぶね」

 なんというか、はっきりとした元気の良い女の子だった。

「で、お昼のオカズ。本当にちゃんと釣れるの?」
「うっ……道具と塩は持ってきたんだけど」

 後、典韋ちゃんに作ってもらったおにぎりも、と言葉を付け加えたところで『おにぎりだけになりそうね』と尚香ちゃんに言われて反論が出来なかった。
 事実、そうなる可能性が一番高い。こんな事なら見栄を張らずに、おかずも用意してもらうんだった。
 あー、マジどうしよう。楽しみにしている璃々ちゃんの顔を思い浮かべると、胸がチクチクと罪悪感に打ちひしがれる。
 しかし焦ったところで、餌に魚が食いつくような事は無かった。

「はあ……。仕方が無いわね。明命!」
「はい!」
「…………え?」

 尚香ちゃんが呼ぶと、まるで忍者のように、どこからともなくシュバッと現れる黒髪の綺麗な女の子。
 背中には小さな体には似つかわしくない長刀を背負っていた。てか、日本刀? なんで、中国に?
 次の瞬間、バッと飛び上がったかと思うと、またどこから取り出したのか手裏剣のような投擲武器をシュバシュバッと川面に投げつけた。

「このくらいで如何でしょうか?」
「十分よ。ありがとう、明命」

 手裏剣が突き刺さり、川面に浮かんできたのは十数匹の魚。あの一瞬で泳いでいる魚を正確に撃ち抜くなんて、冗談としか思えない神業だ。
 だけど、それを現実に見せられれば信じない訳にはいかない。それが可能な技量と実力を黒髪の少女は有しているという事だ。
 貂蝉とはまた違った凄さを垣間見た気がした。そう、これではまるで――

「忍者かよ……」
「ニンジャ? 太老みたいな事を言うのね?」
「あっ、いや、それは……」

 また、迂闊な事を口走ってしまったようだ。俺って、なんでこんなに注意力が足らないのか。

「明命……周泰は呉で一番の工作員なのよ。シャオ自慢の護衛なんだから!」

 どう? 凄いでしょ、と無い胸を張って威張る尚香ちゃん。本当に慎ましやかな胸だ。
 周泰ちゃんが凄いのであって、別に尚香ちゃんが凄い訳では無いのだが、藪蛇になりそうなのでツッコミは控えた。
 これでも学習しているのだ。黄忠さんの時のように、胸に関する失敗はしない。見惚れるような凹凸(おうとつ)も無いしな。

「……何か、邪な事を考えてない?」
「いえ、別に……」

 武家の血がそうさせるのか、意外と鋭い尚香ちゃん。自分の迂闊さを再度呪った。


   ◆


 で、周泰ちゃんに取ってもらった魚を焼いて、皆でお昼を取る事になった。
 俺に魚釣りの才能が無い事が分かっただけでも一つ勉強になったと思う。今まで、そっちは貂蝉に頼りっきりだったしな……。
 貂蝉の場合、道具なんて一切使わず水中の魚を奇声≠ニウインク∴黷ツで気絶させて取るんだぜ。もはや人間業じゃない。
 周泰の真似事も無理だが、あれはもっと参考にならなかったからな。

「はい、璃々ちゃん。骨、取れたよ」
「ありがとう、お兄ちゃん」

 骨を取って身を解した物を璃々ちゃんに手渡す。骨が咽に刺さったら大変だしな。
 璃々ちゃんに尚香ちゃんに周泰ちゃん。お子様ばかりの中、今一つ頼り無いとはいえ、大人の俺が確りとしないと。
 実際、周泰ちゃんの方が俺なんかよりも遥かに頼りになりそうなのだが、そこは男の沽券の問題だ。

「一刀って幼女趣味(ロリコン)?」
「――ぶっ! そ、そんな言葉どこで!?」
「太老が教えてくれたの。小さな女の子が好きな男の人をそう呼ぶんでしょ? だから、そう言う人には気をつけなさいって……」

 そう言って、俺から距離を取ろうとする尚香ちゃん。そして周泰ちゃんの殺気が痛い。
 何を教えてるんだ。その正木太老って人。尚香ちゃんの発言に、思わず口の中の物を吹きだしてしまった。勿体ない……。

「いやいやいや! 俺は至ってノーマルだからな!?」
「のーまる?」
「普通って事だよ! そんな特殊な趣味は無い!」

 男色疑惑の次は幼女趣味って……。ここ最近、俺の評価はそんなのばかりだ。
 何やら変な噂が広がっているようで鳳統ちゃんも何か勘違いしている様子だし、早く本を返して誤解を解かないとな。

「お兄ちゃん、ろりこん?」
「それは多大な誤解を生む言葉だから、絶対に口にしてはダメだよ。璃々ちゃん」
「う、うん」

 璃々ちゃんには念入りに釘を刺しておいた。そんな噂が黄忠さんの耳に入ったら殺されそうだ。
 絶対にいやだぞ。ロリコン疑惑で殺されて次の日の一面に載るのなんて。

「一刀って、やっぱり不思議だよね。使っている言葉といい、どこか雰囲気が太老に似てるし」

 ――ギクッ、と尚香ちゃんの言葉に反応して背筋に冷たい汗が流れた。
 カタカナ言葉を比較的多く目にする商会といえど、実際にその言葉を日常生活の中で使っている人は殆どいない。
 その点から言っても、俺はかなり異質な人間だというのは自覚していた。
 あちらの世界から着てきた学校の制服はどうにも目立つようなので、今来ている服は街で買い揃えたものだが、気をつけているつもりでも咄嗟にでる言葉とかそう簡単に直せるものでもないしな。

「意外と一刀も太老と同じ天≠ゥら来た人だったりして」

 尚香ちゃんの言葉に、ブワッと汗が噴き出してくるのを感じた。バ、バレてるんじゃないよな?
 無理に隠そうと思っている訳じゃ無いが、諸葛亮ちゃんの話からもバレると大変な騒ぎになるというのは分かっているつもりだ。
 既に諸葛亮ちゃんを始め、一部の人達にはどうにもバレている節が見受けられる。出来る事なら心が決まるまでは、自分から率先して広めたい話とは考えていなかった。
 俺に天の御遣いの代行が務まるとはとても思えないしな。いや、絶対に無理だ。俺は至って普通の人間だしな。非常識な人達と一緒にされても困る。

「まあ、どっちでもいいんだけど」

 ――いいのかよ!
 と、思わず心の中でツッコミを入れた。

「一刀が天の人でも、誰かに話すつもりは無いから安心していいよ。太老の迷惑になるような事はしたくないからね」
「その、正木太老って人……」
「うん。シャオの未来の旦那様よ」
「ちがうよー! 璃々のお父さんだよ!」

 ちょっとだけ羨ましくもあり、その正木太老って人を尊敬した。
 てか、璃々ちゃんのお父さんって事は黄忠さんの……。あの巨乳を自由にしているかと思うと、男としてやはり許せなかった。
 一度、じっくりと話し合わないといけなさそうだ。同郷として、一人の男として。

「あの……周泰ちゃんはこの事を」
「ご安心ください。確かに私は呉の忠臣ですが、太老様のご迷惑になるような真似はしません。ですが――」

 その眼は、俺がその正木太老って人に害を為す存在であれば容赦はしない、と言っているようにも見えた。
 うん、軽はずみな事はしない方がいいな。でも、やっぱり羨ましいぞ!
 貂蝉と交換してくれないかな、と不遜な事を考えるがまずそれは取り引きにすらならないな、と諦める。
 やはり、地道に男を磨くしか無さそうだ。これがモブキャラと主人公の格の違いか、なんて馬鹿な事を考えていた。

「でも、本当に凄い人みたいだな。その人……」
「本人はそう思ってないみたいなんだけどね」
「……へ?」
「商会だって、色々と好き勝手やってたら自然と大きくなった、とか言ってたもの」

 好き勝手やってたら自然と大きく……なるような事じゃないだろ!? 普通!
 尚香ちゃんの話から察するに、想像以上に変な人のようだ。本当に同じ世界の住人かすら疑わしくなってきた。
 考えてみると初めて会った時もあの人、空から降ってきたんだよな。しかもクレーターまで出来てたのに平然としてたし。
 人間ですら無いんじゃ……。うん、俺の精神衛生上、余り気にするのは良くないな。

「でも、そこが太老の魅力でもあるんだけどね。さすがはシャオの旦那様!」
「璃々のお父さんだもん!」

 尚香ちゃんと璃々ちゃんが正木太老って人を心から慕っている事は、その言葉にも滲み出ていた。
 羨ましいけど、俺もこんな風に慕われる人物になりたいと思った。
 いや、おっぱいに未練がある訳じゃ無いぞ? 多分……。

(好き勝手、自由に生きるか……)

 尚香ちゃんの話を聞いて、誰よりも自分の生き方に正直な人なのだと俺は思った。

 俺にも出来るのだろうか? そんな生き方が――

 それは分からない。
 でも、俺にしか出来ないやり方。俺自身の生き方。今一番、俺がしたい事。
 その片鱗がほんの少しだけど見えたような、そんな気がした。

 北郷一刀の為すべき事。それは意外と身近なところにあったのかもしれない、と。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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