【Side:張譲】

 もはや一刻の猶予もならない事態へと発展していた。
 あの幼い皇帝と天の御遣いの狡猾な罠と気付かず、皇宮の一角を占拠して始まったメイド喫茶と言うモノに連日のように通い詰めるうつけ者達。そこで搾り取られた富は街へと還元され、貧困に苦しむ洛陽の民達のために遣われていると聞く。
 これまで搾取する側だった宦官達が逆に搾取される側に立ち、その搾取された金がこれまで苦しめてきた民達のために遣われる。
 皮肉のつもりか。この策を考えた者は相当に意地が悪い。まるで我等の所業を嘲笑っているかのような策だった。

「おのれ……御遣いめ!」

 策に嵌り飼い慣らされた宦官達は新しい飼い主に尻尾を振るかのように、いとも容易く皇帝に寝返る始末。
 著しく力を衰退させた者は様々な弱みを握られ、皇帝や御遣いに逆らう術を奪われていた。
 もはや宮中に味方となる者は少ない。そう遠くない内に粛正の手が及んだとしても、なんら不思議ではない状況に立たされていた。
 時間を稼ごうにも日を追う毎に益々立場が悪くなるばかり。一向に状況が好転する兆しも見えなければ、そのような策など思いも付かない。ありとあらゆる手段が裏目へとでていた。

「もう少し時間を稼げると思っていたが、都を脱するしかないか……」

 太平要術の書に妖力は思うように集まらず、このままでは自分の身すら危うくなりかねない状況だ。
 口惜しいが、このまま何も出来ずに捕まるよりはマシだ。今は身を隠し、再起を図るために力を蓄える事が肝要と考えた。
 命あっての物種だ。奴等の手が及ばぬ内に、早く洛陽を離れなくては――

「何処に行かれる気ですか? 張譲」
「貴様は――干吉!?」

 背後から掛けられた声に、ハッと我に返り振り返る。
 音もなく忽然と姿を現す、白い道士服を身に纏った男。闇よりも暗い漆黒の髪と、眼鏡の奥に潜む冷たい瞳。
 太平要術の書を置いていった今回の一件の張本人。『干吉』と名乗る妖術使いが部屋の角、影の中から姿を現した。

「干吉、何故今まで姿を見せなかった! 今頃のこのこと……」
「はて? そこまで面倒をみる義理は、私には無いように思えますが?」
「貴様――ッ!?」

 今回の計画を持ち掛けたのは目の前の男だ。
 幾ら都で権力を振るったとしても自分の自由になる力、言いなりになる兵が無ければ、それは砂上の楼閣に過ぎない。
 現に民の信頼を無くし、力を失った漢王朝に付き従う諸侯は数少ない。その内、朝廷の威信は完全に地に落ち、力ある他の諸侯に取って代わられるであろう事は明確だった。
 その時に今の地位が保証されるとは限らない。国のためにならないと判断された宦官は、尽く粛正されるであろう事は目に見えていた。
 だからこそ力が欲しかった。仮初めの権力ではなく、諸侯を屈服させられる圧倒的な力が――

「言ったはずですよ。正木太老には気をつけろ、と。忠告を無視したのはあなたの自業自得であって、私の責任ではありません」
「よくも、ぬけぬけと!」

 ――太平要術の書があれば、その妖力を使って黄巾党のような巨大な勢力を持つ、手足のように動かせる最強の軍団が作れる

 そんな話を持ち掛けたのは他でもない、この干吉だった。
 それを今更のこのこと顔をだし、あまつさえ自分に全く責任が無いなどとよくも言えたものだ。
 一度協力関係を結んだ以上は、どんな事があっても一蓮托生。一人だけ責任を逃げるなど許せるはずもない。
 だが、呆れた様子で干吉は肩をすくめ、私を突き放すかのように言い放った。

「あなたがそれを言いますか。董卓の影に隠れ、好き放題暗躍していたあなたが……。フフッ、これは面白い冗談だ」
「駒をどう使おうが私の勝手だ! 貴様にとやかく言われる筋合いはない!」
「駒、ですか。全く愚かなものですね、人間と言うモノは……。自分もその駒に過ぎないと考えた事は無かったのですか?」
「何を……」
「同じなのですよ。あなたも董卓も、私にとっては同じ舞台に立つ人形に過ぎない」

 干吉がそう口にした瞬間、全身が固まり、まるで金縛りにあったかのように身体が動かなくなった。
 なんらかの術を掛けられたのだと直ぐに気付いたが、指先一つ動かす事は疎か、言葉を発する事も出来ない。
 これまでに感じた事のない、言い知れぬ恐怖が私を襲った。背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
 目の前の男の冷酷な蛇のような瞳が、私の身体と心を侵していく。その理不尽な力に抗う事も出来ず、ただ終わりを待つばかり――

「都を手中に収め、束の間の優越感を楽しめたのです。もう、十分でしょう。あなたには最後の仕事をしてもらいますよ。私の駒としてね」
「ああぁ……」

 それが最後に耳にした言葉。最後に目にしたモノ。
 狡猾に微笑む干吉の言葉を最後に、私の意識は闇の中へと沈んでいった。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第60話『道化の舞台』
作者 193






【Side:劉協】

「張譲が行方を眩ませたじゃと!?」
「はい。部屋に踏み込んだ時には既にその姿は無く、ここ三日ほど関係者は疎か、侍女もその姿を見てはいないと」
「くッ! 雲行きが怪しくなったと見て、逃げおったか……」

 兵の報告に苦々しい表情を浮かべる。思いの外、証拠固めに時間が掛かった事が、張譲の捕獲に失敗した原因じゃった。
 腐っても宮中の権力を掌握し、宦官を統べていた男じゃ。その罪を問い、身柄を確保する事は容易な事では無い。
 しかし、宮中の宦官や官吏の殆どが我に味方している今であれば、奴の不正を問い質す絶好の機会と判断したのじゃが、時は既に遅かった。
 自分に都合の悪い状況になったとみるや、直ぐ様、都を捨て逃げの姿勢に入るとは敵ながら感心するほど用心深い男じゃった。

「どうされますか? 直ぐに追っ手を差し向けられますか?」
「いや、恐らくは無駄じゃろう。そう易々と捕まるような男ではあるまい」
「では……」
「現状維持じゃ。それに都を追われた奴に、今更どうこうする力があるとは思えん」
「御意」

 これ以上の人員を張譲一人のために割く訳にはいかん。公道や橋の整備、住民への炊き出しなど荒廃した街の建て直しを今は優先させる必要があった。
 董卓のためにも、欲を言えば張譲の身柄は確保して置きたかったが、それが叶わぬとあっては致し方がない。
 張譲の企てにより、洛陽で悪政を敷いていたのは董卓という話になっている。もう少し時間があれば他に手もあったやもしれぬが、既に事が起こってしまった後では何もかもが遅すぎた。
 反董卓連合なるモノが諸侯の間で発足されているという話もある。一ヶ月、二ヶ月と経たずに兵を率い都に押し寄せてくるであろう諸侯を納得させるためには言葉だけでは到底足りぬ。
 諸侯だけではない。実際に被害を受けた民を納得させるためにも、誰かがその責任を負う必要性があった。
 じゃが、今のままであれば董卓がその責任を負わされる事になるのは必定。張譲の身柄だけでも確保できていれば、それを回避する手段もあったやもしれぬが、このままでは董卓の極刑は免れないじゃろう。

 誰がやったのか、何が正しいのか、などこの場合は問題ではない。誰が責任を取るかと言う方が重要な問題じゃった。
 反董卓連合なるものを結成し、都に攻め入ってくる諸侯の面子もある。間違いでした、では済まされぬ問題じゃ。
 大義名分を掲げ、兵を率いてやってきた連中に手ぶらで帰れなどと言えるはずも無かった。
 それこそ、どのような事態に発展するか想像もつかん。そして董卓にもなんの責任もないかといえば、決してそうとは言い切れぬところがあった。

 責任の一端を担う我が言うのは気が重いが、理由はどうあれ洛陽の民を苦しめた原因の一端は董卓にもある。
 張譲に利用された事とは言え、利用される隙を見せたのは他ならぬ董卓じゃ。
 どんなカタチであれ、責任を逃れる事は出来ぬ。そしてそれは董卓自身も望んでいないという事を我は承知していた。
 先日の王様ゲームで見事指名され、董卓が太老に願い出たという内容。それも董卓の覚悟を臭わせるものだった。

「本当にそれでよいのか……董卓」

 思わず、そう口にしてしまうほど、董卓の願いは悲しげなものじゃった。
 董卓が太老に願い出た事。それは自分が居なくなった後の臣下の処遇についてじゃ。
 自分はどうなってもいい、その代わりに臣下だけは寛大な処置を、と願い出てきた。

 それは太老だけはない。我に対しての願いでもあった。

 捕縛の上、斬首される事も覚悟しておるのであろう。全ての責を一人で背負い、今回の一件に幕を引くつもりなのじゃ。
 身代わりを立てるという策もあるが、それをよしとする娘ではない。そして自分のために、兵の命を天秤に掛けられる娘でもなかった。
 その優しさと甘さを張譲につけいられる結果となった訳じゃが、それを後悔している節はない。董卓はああ見えて頑固な娘じゃった。

「不器用な娘じゃの……。いや、我も人の事は言えぬか」

 そのような事をしても、誰一人喜ばぬというのに本当に不器用な娘じゃ。いや、必要な事と理解しつつも納得出来ず足掻いている我とて同じやもしれぬ。
 それにこのような話、董卓の臣下にしたところで誰一人首を縦には振らぬじゃろう。
 下手をすれば、独断で董卓を護るために諸侯と対立しかねない。それほどに、あの娘は臣下に慕われておる。
 でなければ主を人質に取られたからといって、張譲の命令など誰も聞きはしなかったはずじゃ。
 あの者達にとっての最優先は他でもない董卓の身の安全じゃ。それが脅かされるとなれば、再び我の敵に回っても不思議では無い。

 張譲を失脚させる事には成功した。後の問題はこれからの事じゃった。

「どうしたものか……。誰もが納得する答えをだすには、ちと厄介じゃな」

 我の首一つで問題が済むのなら喜んで差し出す覚悟は出来ておるが、諸侯の思惑を考えるとそうも行かないのが現状じゃ。
 ハリボテの権力とはよく言ったモノじゃ。情けない話じゃが、朝廷の実権を取り戻したところで我に出来る事など高が知れていた。

「太老。御主はどう幕を引く気じゃ……」

 このまま董卓が処刑されるのを黙って待つような男とは思えない。
 我に出来るのは最後の董卓の願いを聞き届け、残された董卓の臣下にまで罪が及ばないように尽力する事くらいじゃ。
 大切な友人一人救えない自身の力の無さを歯痒く思いつつ、今は天の御遣いと呼ばれる男に期待を寄せる以外に方法は無かった。

【Side out】





【Side:太老】

「太老……。ユエユエを助けてあげられないの?」
「太老様……。ご褒美はいいから、月ちゃんを助けてあげて!」

 部屋にやってくるなり何を思ったのか、そう言って珍しく俺に頭を下げる地和と天和。先日のゲームの一件の事を言っているのであろう事は、大体二人の様子を見れば事情を察する事が出来た。
 劉協のところにも同じように相談をしにいったそうだが、『力になれなくてすまぬ』と逆に謝られてしまったそうだ。
 彼女の立場を考えれば、それも仕方の無い事と言える。実権を取り戻したとは言っても、現在の漢王朝の力などその程度のモノでしかない。宮中だけのいざこざであれば別だが、事が外にまで飛び火してしまった後では劉協だけの力で抑える事は不可能だ。
 漢王朝にそれだけの統治能力があれば、黄巾の乱だって起こらなかったはず。今の諸侯を納得させ抑えられるだけの力が朝廷にあるとは思えない。それは他の誰でもない、当事者である劉協が一番よく分かっているはずだ。誰よりも歯痒い思いを強いられているのは、劉協自身だとも言えた。

「まあ、劉協の立場なら、そうとしか言えないだろうな」
「でも、ちぃは納得できない! なんで、あの子一人が責任を負わなくちゃダメなのよ! 張譲って奴が黒幕なんでしょ!?」
「私もちぃちゃんと同じ! ねえ、太老様。本当にどうにもならないの!?」

 二人の気持ちはよく分かる。そもそも、この件に納得の行っている関係者なんて殆どいないだろう。俺もその一人だ。
 だが、誰かが責任を負う必要がある。落としどころが必要というのも、また事実だった。
 諸侯が兵を挙げた時点で、『はい。間違いでした』で済まされるほど甘い話ではない。
 だからと言って、このまま手をこまねいて見ているだけなんて真似が出来るはずもなく、俺は一つの秘策を考えていた。

「いつ、月ちゃんを見捨てるって俺が言った?」
「え、でも……月の頼みを聞き届けたって……」
「ああ、その事か」

 確かに月の頼みは聞いた。王様ゲームの結果でなくても、月のために尽力する事に躊躇(ためら)いはない。

「勿論、その中には月も含まれてるから」

 劉協とも話はついているし、今回の件で都に居辛くなった兵を含め、全て商会で引き受けるつもりでいた。
 それにこれは月の事を(シア)達に打ち明けられた時、あらかじめ決めていた事でもある。計画通り月を牢屋から連れ出す事に成功すれば、華琳に大きな借りを作る事になっても商会で彼女を匿うつもりでいたからだ。
 大きく予定は狂ってしまったが、結果的には月を連れ出す事には成功した。何一つ当初の予定から変わってなどいない。

「へ? でも、それは無理だって……」
「うん。劉協ちゃんも確かにそう言ってたよ?」

 よく分からないと言った様子で、ポカンとした表情を浮かべる地和。天和も同じのようだ。
 そもそも、俺が月を見捨てるはずがない。あんな心優しい少女を失うのは人類の大きな損失だ。
 大体、美少女と一度取り交わした約束を違えるなど、男として恥ずべき行為だ。

「自分達でも言ってたじゃないか。責任を取る奴は別にいるって」
「でも、張譲は行方を眩ませたって――」
「うん。だから正義の味方にお願いしようと思う」
『は?』

 目を丸くして驚く二人。その反応が普通なのかもしれないが、俺は大真面目だった。
 俺がやろうとしている事は簡単。張譲が書いた筋書きにちょこっと手を加えさせてもらうだけだ。監修は俺、正木太老の描いたシナリオの舞台に、悪いが諸侯には付き合ってもらう。
 華琳には後で説明を求められそうだけど……まあ、なんとかなるだろう。ようは分かり易い悪役を用意してやれば良いだけの話だ。
 大義名分を掲げているからこそ、そこに落としどころがある。袁紹や袁術は気付かなくても、華琳ならきっと俺の思惑に気付いてくれるはずだ。

「まあ、見てな。悪いようにはしないから」

 紫苑と璃々の一件から鬱憤(ストレス)が溜まっていたのは確かだ。このままやられっぱなしで、黙って見ているつもりはなかった。
 散々、虚仮にしてくれた礼はたっぷりと返させてもらう。そう簡単に、俺から逃げられると思ったら大間違いだ。
 計画に加担した連中を含めて、全員にはそのツケを払ってもらうつもりでいた。

「――太老様。例の報告書を……あれ? 姉さん達いたの?」
「いたのって……。人和、あなた今までどこに……」

 開けっ放しの扉を通って両手一杯の書簡を抱えて部屋に入ってきた人和を見て、訝しげな表情を浮かべる地和。

「人和、手配の方は済ませてくれた?」
「はい。指示された通りに滞りなく」

 事情が呑み込めないと言った様子で小首を傾げる地和と天和。人和には、俺の用事で少し使いに出て貰っていた。
 地和や天和を除け者にした訳ではないが、この手の仕事を頼めるのは人和を置いて他に無い。
 勿論、他の二人にもやって欲しい事はある。最も重要且つ、大変な任務が――

「さて、ここからは仕事の話だ。張三姉妹、いや『数え役萬☆姉妹(シスターズ)』の出番だぞ」

 誰も望んでなんかいない悲劇を終わらせるために、道化の織り成す新たな舞台が幕を開けようとしていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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