「いやはや、こんなところで人に会えるとは思ってもいませんでした」
「私もよ。それで、あなたは何者かしら?」

 吹雪の中、道士服を身に纏った黒髪の男性と、桜色の髪をなびかせた薄着の女性が向かい合っていた。
 男の名は干吉。この世界を裏から管理する側の人間。そして世界の終末を望む者の一人。
 女性の名は孫策、またの名を雪蓮。『江東の麒麟児』と呼ばれる英傑の一人だ。
 その彼女の後には勇猛な呉の精兵達と、雪蓮が最も頼りにする軍師であり親友の周瑜こと冥琳、呉の宿将黄蓋こと祭の姿があった。

「ただの旅人ですよ」
「そう? ただの旅人がどうしてそんな軽装で、こんな雪山にいるのかしら?」
「それはあなた達も同じではありませんか? とても吹雪の中でする格好とは思えませんが?」

 旅人など、とても信じられないような嘘を平然と吐く、怪しい道士服の男に――
 へそ丸出しの雪山には似つかわしくない、見ているだけでも寒そうな腹が冷える格好をした女達。
 場所が場所だけに、どちらも相手の事を言えるような格好では無かった。

「雪蓮……」
「わかってるわ。コイツ、普通じゃない」

 ただの勘でしか無いが、雪蓮は目の前の男が普通の旅人では無い事を一目で見抜いていた。
 格好もそうだが、身に纏っている雰囲気は明らかに同じ人間のモノとは思えなかったからだ。
 太老に感じた違和感とも違う。もっと邪な気に満ちた、嫌な気配を雪蓮は感じ取っていた。

「私には、あなた達と争うつもりは無いのですがね」
「敵か味方かも分からない相手の言葉を信じると思う?」
「それは困りました。こんなところからは私も一刻も早く抜け出したい。そう言う意味では、私達の利害は一致していると考えたのですが……」
「そうね。でも、あなたと協力したからと言って、ここから抜け出せる保証は無いわ。私の勘が言ってるのよ。コイツは危険だってね!」

 剣を抜き、それを干吉の心臓に目掛けて一直線に投げつける雪蓮。
 だがどう言う訳か、その剣は干吉に届く前に胸元で勢いを失い、ピタリと宙で制止した。
 まるで、そこに見えない壁でもあるかのように――

「道術……いや、妖術使いか!?」
「ご明察の通り。なら、お分かりでしょう? あなた方では私には勝てない」

 そう言ってニヤリと口元を緩める干吉。そこには絶対的強者の余裕があった。

「雪蓮、相手が悪い! 一旦退くぞ!」
「まだよ! やってみなければ――」
「妖術使いに剣や槍は利かない。今、お前も眼にしたはずだ!」
「くっ!」

 冥琳も文献で眼にした事がある程度の知識だが、妖術使いの厄介さは理解していた。
 それに並の武器では通用しないという意味では、太老と言う前例もある。
 地の利の無い不慣れなこの場所で干吉と戦いになった場合の被害を考え、冥琳が雪蓮に撤退を促すのも無理のない話だった。

「それにこの男……」
「冥琳? 何か心当たりでもあるの?」
「明命から報告のあった男に姿が良く似ている」
「それって……」

 黄巾党本拠地で目撃されたという道士服の男。
 明命から報告のあったその男の事は、冥琳の頭の片隅から消えること無く残っていた。
 黄巾党を裏から操っていた主犯格として、その男が最も怪しい人物と予想をつけていたからだ。

「さすがは周公謹、なかなかの洞察力ですね」
「貴様に褒めて貰っても、余り嬉しくは無いがな……。その様子から察するにアタリと言う訳か」
「気が変わりました。あなた達には私の新たな人形となって頂きましょう。あの男よりは良い働きをしてくれそうだ」
『なっ!?』

 冥琳達の表情が驚愕に歪む。言霊と共に、干吉の周囲に現れる怪しげな光。
 直ぐに冥琳の頭に過ぎったのは、操り人形と化し死兵のように向かって来た黄巾の賊達の姿だった。
 黄巾の乱。アレを目の前の干吉が裏で糸を引いていたとすれば――

「祭殿! 雪蓮を――」
「冥琳っ!」
「無駄ですよ。どこにも逃げ場など――」

 その時だった。突如、大きな揺れが彼女達を襲った。
 立っていられないほどの大きな揺れに、足を奪われ体勢を崩す一同。その中には干吉も含まれていた。

「これは……」

 干吉の眼が大きく見開き、その表情が驚愕へと染まる。
 黒天が割れ、まるで世界の終末にも似た光景が空一面に広がっていた。
 周囲の木々や岩、ありとあらゆるモノが空に出来た黒い裂け目に吸い込まれていく。

「くっ! 身体が――」

 干吉の身体がふわりと浮かび上がり――

「冗談でしょ!? こんなのって――」
「策殿!」
「ダメだ。身体が――」

 その後を追うように雪蓮、それに祭や冥琳、呉の兵達も例外なく黒天へと吸い込まれていった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第82話『次元震』
作者 193






「巨乳が好きだ。貧乳も好きだ。ちっぱいも大好きだ。だが、しかし――」

 真面目な顔をして、何をとんでもない事をサラリと口にしているのか。

「俺は断じてロリコンではない!」

 ここに、『両刀』の二つ名を持つ北郷一刀と言う名の変態がいた。

「こうなったら仕方無いよな。まさか見捨てる訳にもいかないし……」

 そう言って、不慣れな手つきで高さ十メートルを超す建造物を上っていく一刀。突起物も多く比較的登りやすい作りをしているとは言っても、落ちたら軽傷では済まない高さだ。
 人間離れした脚力や怪力を持つ武将の面々と違い、一般人に毛の生えた程度の身体能力しか持たない一刀では、この高さから落下すれば間違い無く大怪我、下手をすれば落下の衝撃で即死なんて事も十分に考えられる。それ故に一歩ずつ確実に、慎重に目的の場所に向かって一刀は距離を縮めていく。
 そこまで必死に成し遂げようとしている一刀の目的――それは、円筒形の容れ物に閉じ込められた少女を助ける事だった。

「た、高い……。まあ、あの崖登りに比べれば随分とマシな高さではあるけど……」

 シ水関の時の事を思い出しながら一刀は恐怖を押し殺し、少しずつ確実に目的の場所に歩みを進め、距離を縮めていく。
 不可抗力とはいえ、自爆スイッチを押してしまったのは自分のミス、と素直に認めた一刀。

「……待ってろよ。直ぐに助けてやるからな」

 直ぐに逃げようと考えた一刀だったが、しかし逃げようにも大きな問題が一つ残っていた。
 あの円筒形の容れ物に閉じ込められた少女の事だ。

 北郷一刀は優柔不断で幼女から熟女まで平等に愛せるような節操なしではあるが、女の子を放って一人だけ逃げるような卑怯な男ではない。
 そこには一刀にしか分からない、男としての矜持があった。
 目の前で困っている人、助けを求めている人がいれば、それを放っては置けない。
 ましてや、相手が女の子であれば、尚更見捨てるような真似は出来ない。それが、北郷一刀という男だった。

「助けるんだ……絶対に!」

 一刀が護るのは、国や組織ではない。彼が一生懸命になれるのは、そこに少女が居るからだ。
 目の前で泣いている、困っている少女を救うためであれば、どんな苦難にだって挑む。
 出来ない、無理だと考えるのは二の次。限りなくゼロと思える可能性の中でも、最後まで諦めずに足掻く。
 それが、北郷一刀と言う『変態紳士(おとこ)の中の変態紳士(おとこ)』とも言うべき、勇敢な男の生き様だった。

「はあはあ……や、やっとついた。後はこの容れ物を……」

 だが、同時に間の悪い、報われない男でもある。
 女運の悪さでは柾木家の男子にも決して引けを取らない、呪いに近い宿命を背負っていた。

「うみゅ……お父さ……!?」
「おっ! 目が覚めたか! 直ぐにここからだしてやるからな!」

 目を覚ましたばかりの少女の眼に入ったのは、透明なガラス容器にべったりと張り付き、ハアハアと息を荒くしている不審者の姿だった。
 そう、どこからどうみても変質者。青年と少女の間にはマリアナ海溝よりも深く、エベレストよりも高い認識の齟齬が生じていた。

 ――片や、純粋に少女を助けたいという思いで、無理をしてここまで登ってきた青年
 ――片や、目が覚めたら鼻息の荒い変質者に襲われようとしている少女

 人は何故、誤解をするのか? どうしてこうも分かり合えないのか?
 運命の女神が本当に居るのであれば、それは相当に性格がねじ曲がった神様に違いない。
 報われない青年と、報われない少女。

「へ、変態! このロリペドフィン!」

 少女の絶叫が空間を飛び越え、次元震となって世界に慟哭を奏でる。
 愛しのお父様のキスで目覚めるという少女の夢は、こうして儚くも砕け散るのだった。


   ◆


「――姉様!」
「訪希深!?」

 空間が波打つように揺らめき、その中心にポカリと開く黒点。空間の裂け目から姿を見せる幼い少女。
 この世界を造りあげた創造神の一人であり、ありとあらゆる神々の頂点に立つ存在。
 三命の頂神の一人――その名を『訪希深(ときみ)』。
 全ての次元を管理・監視している彼女が、いつになく狼狽えた様子で鷲羽の研究室に姿を見せた。

「うぎゃっ!?」
「……そこは、って言おうとしたんだけどね。学習能力の無い子だよ」

 空から降ってきた金タライに頭をぶつけて目を回す訪希深。
 あちゃーと言った様子で額に手を当て、鷲羽はそんなおっちょこちょいの妹を呆れた様子で眺めていた。
 伝説の哲学士というのは、人間としての仮の姿。そう、白眉鷲羽もまた訪希深と同じく頂神の一人。三命の頂神の長女にあたるのが彼女だ。

 ――末の妹は調和を乱し、その歪みからイレギュラーを生み出そうと諍いを起こした
 ――次女は自らの存在をベースとして世代を重ねることで、新たな生命を誕生させようと試みた
 ――長女は自らの力と記憶を封印し、ただの人間として一から知識を求める事で可能性を模索した

 その結果が『天地』という可能性。
 そして、彼女達にとって最大のイレギュラーと言える存在が『太老』だった。

「た、大変なのだ! 先程、次元震が――」
「知ってるよ。こっちでも観測してたからね。発信源は……」

 二人の視線が、台座の上に置かれた『星の箱庭』へと向く。
 次元震の発生源は間違い無く、この大きな水晶玉だった。
 しかしそんな力が、この『星の箱庭』にあるはずもない。原因が別にある事は二人にも分かっていた。

「被害は?」
「幸いにも被害を受けたのは無人世界ばかりで人的被害はない。今も継続して管理神達に監視させておるが……」
「太老絡み……だと、ちょっと拙いかもしれないね」

 二人の脳裏には同じ事件が思い浮かんでいた。
 無人惑星が消滅――いや文字通り、この世界から姿を消すことになった大事件。
 人の記憶から、世界に一切の痕跡を残さぬまま、ある宙域から惑星が姿を消した。

 その事件の引き金となったのが太老だ。

 次元震とは、そう易々と発生するようなものではない。下手をすれば、世界その物を滅ぼしかねない大きな力だ。
 勿論、普段の太老にはそれほどの力は無い。人の身で制御する事など不可能な巨大な力だ。
 だが問題は、頂神の力を持ってしても理解する事が出来ない。太老の秘められた力の方にあった。

「最悪、最後の手札を切らないとダメかね? 訪希深、アンタの力でこの水晶に干渉する事は出来るかい?」
「やってやれない事は無いと思うが……太老が干渉しておる空間だけは我でも無理だ」
「……なら、その他だけでいい。念のため、他の皆を別の空間に避難させておくれ」
「別の空間?」
津名魅(つなみ)の中だよ。あの子の許可はもらってある」

 頂神の次女であり、皇家の樹の始祖『津名魅』。柾木阿重霞の妹、砂沙美のもう一つの姿だ。
 光鷹翼を十枚操り『樹雷最強の船』と呼ばれる始祖『津名魅』は、惑星だけでなく世界そのものを内包できるほどの大きな力を持つ。
 それを鷲羽は一時的に『星の箱庭』のバックアップとして使用する案を考えていた。
 一度浸食された『星の箱庭』は、もう二度と同じ姿に復元する事は出来ない。零式と一体化した『星の箱庭』は、既に別の物へと変貌を遂げているからだ。
 最後の手段とは、『星の箱庭』の全データを津名魅の中へと移動させ、太老の救出に向かった者達も一緒に強制的に転移させる事だった。
 そうすれば少なくとも、太老と林檎以外は助けだす事が出来る。

「なら、我が直接出向いて太老を――」
「却下。アンタまで封じ込められたら、他の皆を助ける手立てが無くなってしまう」
「しかし、姉様。それでは太老が……」

 創造神と偉そうな事を言ってはいても、頂神とて万能な訳ではない。
 人間に出来る事と出来ない事があるように、彼女達にも叶えられない事、出来ない事があった。
 先程、『イレギュラー』と呼んだ太老に関する事もその一つだ。

 頂神の力で干渉できない唯一の存在。無限とも言える時を存在し続けてきた彼女達でさえ、全く理解不能な存在。
 それが――『正木太老』だった。

 見た目は脆弱な人間の姿をしているにも関わらず、その魂には全知全能であるはずの頂神ですら干渉する事は疎か、触れる事さえ出来ない封印が施されていた。
 しかも太老の力によって影響が加えられた世界には、頂神であろうと一切の干渉が出来ない。太老によって消されたモノ、太老によって改変された世界は、過去に戻ってやり直す事さえ不可能となる。この世界の頂点に立ち、人の生き死にや時間さえ自在に操る『絶対神』と呼べる力を持つ彼女達でさえ干渉できない存在――それが太老だった。

 星の箱庭が元には戻らないというのは、太老が関わっているという意味でだ。
 箱庭の世界は既に浸食されている。太老によって造り替えられた新しい世界≠ニ言っても間違いではない。
 頂神の力やこの世界のルールが及ばない未知の世界へと、その姿を変貌させていた。

「あの子なら心配は要らないさ。なんせ、私の息子だからね」

 自信を持って、胸を張る鷲羽。しかしその言葉には何の裏付けも、根拠も無かった。
 科学者を名乗っていながら、何の根拠もない言葉を口にする自分がおかしい鷲羽だったが、理屈や計算でどうにかならないのが太老だ。
 息子と例えるだけあって、そんな太老の事を鷲羽は誰よりもよく理解していた。
 見捨てるのではなく、太老を信じているが故の選択でもある。太老がいる限り、林檎も無事に戻ってくる。そう、鷲羽は確信していた。

「訪希深、何処に行く気だい?」
「うっ!」
「アンタにはやってもらいたい仕事が山ほどあるんだからね。逃がさないよ」

 忠告を無視して太老のところにこっそり向かおうとしていた訪希深の襟首を強引に掴み、そのまま引き摺っていく鷲羽。

「離すのだ姉様! 我の太老が、太老が――」
「……いつからアンタの太老になったんだい?」
「姉様には天地がおるではないか!」
「それとこれとは話が別だよ。太老が欲しかったら、私を認めさせてみるんだね」

 鷲羽の言葉に妙案でも浮かんだのか、頭に電球を灯す訪希深。
 何を思いついたのか――

「お母様! 太老を嫁にください!」

 と、実の姉に向かって『お母様』と意味不明な言葉を叫んだ。
 予想もしなかった訪希深の突拍子の無い行動に、さすがの鷲羽も頭を抱える。

 ――どこから、そんな知識を得てきたのか?

 考えるまでも無く、訪希深に入れ知恵をした人物は一人しか、鷲羽には思いつかなかった。

「……さて、行くよ」
「姉様! それは無いぞ!?」

 三命の頂神の中で、一番色濃く太老の影響を受けているのは訪希深で間違い無い、と深いため息を漏らす鷲羽。

(世界の危機よりも、後始末を考えると頭が痛いね……)

 太老が戻ったら戻ったらで面倒な事になりそうだと――また一つ、大きなため息を漏らすのだった。





 ……TO BE CONTINUED



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