【Side:太老】

 ――ブルッ!
 なんだ、今の寒気。どこかで誰かが、よからぬことを企んでいる気がした。

「太老様、どうかされましたか?」
「いや、なんか……鬼姫っぽい気配を感じたような……」
「瀬戸様ですか?」

 俺の話を聞いて怪訝な表情を浮かべる林檎。この世界に鬼姫がいるはずもないのだから当然の反応と言える。
 でも、確かにそれっぽい寒気がした。

「瀬戸様に近い資質を持った方がおられるとか?」

 冗談でもやめて欲しい。そんなことになったら、俺は逃げるぞ。
 
「気の所為だよな。うん」
「はい。瀬戸様がいらっしゃるわけがありませんしね」

 なんとなく居て欲しくないように聞こえたが、そこは敢えて突っ込むまい。林檎にも色々とあるんだろう。そう、色々と。
 ここは以前、宮廷の建物があったところだが、揚羽の政策の一環で敷地の大部分が民に開放され、以前の半分以下の広さに縮小されていた。以前のような華やかさはないが、スペースの無駄を省いたことで機能的になった感じだ。
 とはいえ、狭くなったとは言っても国の中枢とも言える場所だ。それなりの広さは確保されており、これでも華琳の城館より広いくらいだった。
 その一角に、揚羽や俺達の住む城館が設けられている。街の再建には商会が関わっており、トイレや水道などの水回りの充実、電灯などを点す発電装置の設置など、以前に比べると充実した環境が整いつつあった。
 ここまできたら、技術の出し惜しみなどするつもりはない。生活環境の改善は、疫病の予防にも役立つ。多麻のお陰で、足りない機材や部品不足の問題はクリアしている今、拠点となる大陸中の街に広めたい考えだ。

「太老様。早速ですが、予定の確認をお願いします」
「予定? そういえば、根回しのために先行してたんだっけ?」
「はい。今後のためにも、まずは足元を固めておく必要がありますから。当然、有力者との会談にも出席して頂くことになります」

 すっかり忘れてた。やっぱり俺にも仕事があるんだな……。
 これって一応、休暇を利用してきてると思うんだが、仕事ばかりしている気がする。

「それって、偉い人の真似をしろってこと?」
「偉い人の真似じゃなく、太老様はこの国の実権を握っておられるのですよ?」
「そういうのは、揚羽がいるじゃ――」
「当然、陛下にも仕事をして頂きますが、天の御遣いの立場を忘れないでください」

 それを言われると辛かった。
 まだ書類仕事の方が楽だが、贅沢を言える立場じゃない。実際はどうあれ、現皇帝が天の御遣いの庇護下にあるというのが世間の見方だ。
 事実、揚羽は幼く実績も少ないために発言力も弱い。多くの宦官や官吏を粛正したことで、国の中枢に巣くう膿を除去することは出来たが、同時に朝廷の影響力は大きく弱まる結果へと繋がった。
 もはや皇帝は象徴に過ぎず、諸侯を従わせるほどの力を持ち合わせてはいない。代わりに連合の御旗となっているのは平和の立役者、天の御遣いの名だ。
 国の舵取りを誰が取っているかは別として、俺に実権が集まっているという林檎の話は的が外れたものではなかった。

「ここで太老様が役目を降りれば、また国が割れることになりますよ?」
「それを言われると辛いんだよね。林檎さんはどうしたらいいと思う?」
「太老様がこの国を治めるのが一番かと思います。問題がすべて解決した後、樹雷の庇護下に加え管理することも出来ますし、後の問題は後から考えればいいかと。太老様は皇眷属ですから、その資格が十分にあると思いますが?」

 そういや、俺って林檎と一緒で樹雷皇族の血筋なんだよな。すっかり忘れてた。
 皇族の資格云々は別として、確かに現状では林檎の言っていることが正しい。

「やっぱり、それしかないか……。途中で投げ出すのは寝覚めが悪いしな」
「でも、お似合いだと思いますよ。将来、必要になることですから、ここで経験しておくのは悪いことではないかと」

 お世辞だろうが、自分で似合ってるなんてとても思えない。
 第一、こんな庶民的な王様でもいいんだろうか?
 というか、将来必要になるってなんだ? そんな予定、俺にないぞ?

(まあ、当分は与えられた役目を演じるしかないか)

 揚羽のことは嫌いじゃないが、結婚なんてどう考えても早すぎるしな。今は歳の離れた妹くらいにしか思えない。ただまあ、帰る方法が先に見つかっても途中で投げ出すつもりはないし、最後まで責任は取るつもりだ。
 天の御遣いの名が必要と言うなら、この国が独り立ち出来るまでは付き合う覚悟で挑むしかない。

「太老様は、結婚するのが嫌なのですか?」
「いや、そう言うわけじゃないけど、俺だって人並みに興味はあるし」
「そ、そうですか……よかった」

 最後の方がよく聞き取れなかったが、納得はしてくれたみたいだ。
 結婚に興味が無いわけじゃ無いが……揚羽に手を出したら犯罪だろ?

(一生を決める大事なことだしな)

 簡単に人生の墓場に足を踏み入れる気はないが、結婚してもいいと思える相手に出会ったら、いつかは俺も家庭を持ってみたいと考えることはある。でも、そんな理想の相手なんて、そう簡単に巡り会えるもんじゃない。
 恋人だっていないのに、結婚した自分なんて想像もつかない。

(鬼姫のことがなければ、林檎さんは理想のお嫁さんなんだけどな)

 自分でも贅沢なことを言っていると思うが、これは切実な問題だ。
 世の中、色々とままならないものだと思った。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第112話『報われない苦労』
作者 193






「今ので何人目だっけ?」
「三十八人……今日はこれで終わりです」
「ふう、やっと終わったか……」

 林檎に確認を取って、ほっと一息つく。仕事と割り切ってはいるが、なんとも疲れる役目だった。
 今日会ったのは街の有力者や、挨拶に各地から訪れたという豪族達だ。
 反抗されるよりは大人しく従ってくれている方が楽でいいが、俺に取り入ろうという魂胆が丸見えだった。
 まあ、貰えるものは貰う主義だ。金は幾らあっても困らない。とはいえ――

「皆さん協力的でしたね。これで当面の資金に困ることはなさそうです」
「顔を青くして帰っていったけどね……」

 連中がこちらを利用するつもりなら、こちらも利用してやるだけの話だ。
 ギブアンドテイクは商売の基本。それなりの対価を提示するのは当たり前。とはいえ、ギリギリの条件で協力を約束させられるとは、彼等も思ってはいなかったはずだ。長い目で見れば損をしたわけではないが、彼等にしてみれば予想外の痛い出費だった。

「先行投資と考えれば、それなりのメリットは彼等にもあります。自分達の都合だけを優先させ、何も協力しないというのなら、こちらにとっては寧ろ好都合。太老様の害になるのなら、今のうちに退場してもらいます」
「ようは、ふるい落としをかけたってこと?」
「はい」

 林檎の言葉には、一切の迷いがなかった。有言実行。逆らったら確実に潰すつもりだ。
 神木家経理部――通称『ハイエナ部隊』。そのトップ『鬼姫の金庫番』の二つ名を、こんなところで再確認することになるとは……。
 洛陽に先行してたのは、この下準備をするためだったのだろう。国の中枢に関わっていた官吏のほとんどが粛正され、追放されたことは彼等も知っていたようで、こっちの体制が整う前に自分達に都合の良い条件で、商売の約束を交わそうと考えていたようだ。
 しかし林檎がそんな隙を見せるはずもない。過去の台帳すべてに目を通し、詠や文官達、商会に籍を置く商人達の話を元に検証を重ね、この短期間で基盤となる具体的な数字をだしてきていた。
 彼等も誤魔化しや嘘が通用しないとわかると顔を青ざめ、あれやこれやとギリギリの条件を呑まされ、帰る頃には全身が真っ白になっていたと言う訳だ。
 自業自得なので同情の余地はないが、今回ばかりは相手が悪すぎた。

「やはり、こうしたやり方はお気に召しませんか?」
「いや、林檎さんのやり方が間違ってるとは思わないよ。必要なことだとは思う」

 この国のことを真剣に考えるなら、誰かがやらなくてはいけないことだ。そうしなければ、今は良くても結局同じことの繰り返しになる。
 人は強欲な生き物だ。既得権益に群がる宦官や官吏を粛正し国の膿を除去したといっても、そうしたことを考える者達が完全に居なくなるわけではない。金や権力の匂いに誘われ、群がってくる連中は後を絶たないだろう。だが、最初にしっかりと釘を刺しておくことは、そうした連中の抑制にも繋がる。とはいえ、今回の件は本来なら俺がやるべきことだった。
 でも、林檎は俺に具体的な発言をさせず、自分が前に出ることで交渉の先頭に立った。俺に向けられる悪意の一部を引き受けるために――。
 国の財務に口をだせる人間と、自らを印象付けたわけだ。

「私がいた経理部がどういう場所か、ご存じですよね?」
「敵だけでなく味方からも恨みを買いやすい……」

 経理は金銭が絡む仕事柄、いらぬ恨みを買ったり悪意を向けられる可能性が一番高い。
 だからこそ、経理に関わる者には『竜木』の縁者が選ばれやすい。容姿や気品を備えた文句の付けにくいタイプが集められていた。林檎も、そんななかの一人だ。

「ですが、私はこの仕事に誇りを持っています。そのことで太老様が気に病む必要はありません」

 損な役割だと思った。でも、林檎は誇りと覚悟を持って仕事に従事している。
 でなければ、鬼姫の金庫番などやっていられるはずもない。あそこは鬼姫の悪名もあって、樹雷でも一番恨みを買いやすい場所だ。そこの経理部トップともなれば、どれほどの悪意に晒されることになるのか想像もつかない。

「太老様のような理解者がいる。それだけで私は十分幸せですから」

 俺に余計な気を遣わせまいと、言葉の節々から優しさと思いやりが伝わって来る。
 敵わないな――心の底から、そう思った。

「そういえば、麗羽達が反抗してたらどうしたんだ?」
「彼女達の場合、試す必要もありませんでしたから」
「え?」

 そう言って、にこりと笑う林檎の笑顔が印象的だった。

【Side out】





【Side:斗詩】

「斗詩、姫! 街の噂きいたか!?」

 料理を並べ、夕食の準備をしていると、文ちゃんがそう言って部屋に飛び込んできた。
 両手には袋一杯の肉まんが見える。いないと思ったら、市場に出かけていたみたいだ。

「文ちゃん、これからご飯だっていうのに、またそんなの買って……」
「こんなのオヤツだって。それより、凄いんだって!」
「突然、なんですの?」

 爪の手入れをしながら、面倒臭そうに受け答えする麗羽様。

「黄金の乗り物?」
「天の御遣いの乗り物らしいです! 馬より速いらしくって、キラキラ光ってたって」

 天の御遣い――太老さんが洛陽に戻って来ている。その話を聞いて、麗羽様の眉がピクリと動いた。
 文ちゃんはどうやら、その乗り物の方に興味津々のようだ。嫌な予感がする。

「なかなか面白そうな乗り物ですわね。しかし戻ってきているのに、わたくしに一言も挨拶なしとはどういうことですの?」

 やっぱり、こうなると思っていた。

「ですが、麗羽様。太老様もお忙しい方ですし……」
「それでも、真っ先に私のところに挨拶にくるのが筋というものでしょう。しかも連絡一つ寄越さないなんて……」
「でも、普通はこちらから挨拶にお伺いするものでは? 私達の方がお世話になってる立場ですし」
「それは考え違いというものですわ。斗詩さん」
「考え違いですか?」
「何故、天の御遣いが私の世話をしているのか、考えてみればわかることでしょう?」
「えっと……どういうことですか?」

 考えてもわからなかった。
 正直、責任を取らされはしたけど、酷い目に遭わされたわけじゃない。私財没収程度で済んでよかったと思っているくらいだ。
 なのに、太老さんには生活に困らないように気まで遣ってもらっている。
 贅沢を言えるような立場じゃないことは、私自身が一番良く理解していた。

「それは私の秘めたる力……名家の当主である私の力を頼りにしているからに違いありませんわ!」
「うおっ! すげえ! 麗羽様にそんな力があったんですね」

 大きな声をあげて驚く文ちゃん。麗羽様にそんな隠された力があるなんて私も初耳だった。

「でも、私財を没収されて行く当てもなかった私達を気遣って、こうして住むところや仕事の面倒まで見てくれたわけですし……」
「はあ? 何を言っているのですか?」

 何を言っているのかわからないと言った様子で、首を傾げる麗羽様。
 え、間違ってないよね?
 と文ちゃんの方を見るが、文ちゃんもよくわかっていないみたいだった。

「貧乏人なあの方達だけでは、とても復興資金を集められないというから、わたくしが代わりに払ってあげたのです。その上、こうして協力をしてあげているのですから、このくらいは当然の見返りですわ」

 麗羽様のなかでは、そうなってるんだ……。
 太老さんなら笑って許してくれそうだけど、他の人には聞かせられそうにない話だった。

「そうですわ、斗詩さん。太老さんを明日ここに連れてきなさい」
「え……明日ですか? そんなに急は無理じゃ……」
「急じゃありませんわ。前にわたくしの華麗な舞台を見に来るようにと、招待状をしたためましたもの」

 こうなったら麗羽様は誰にも止められない。……嫌な予感が的中した。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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