【Side:太老】

 文字の読み書きや計算を教えるために、街の人達に開放している学校。
 普段は詠や文官達が交代で教鞭を執り、子供達に学問を教えている教室を借りて、今日はシャオ達の試験を行っていた。

「シャオ、三点。小喬、二点。大喬、十点」

 十点満点の小テストの点数を読み上げると、シャオと小喬は両手両膝を床についた。
 最初に試験をしたいと言い出したのは、この二人だ。それだけに自信があったのか、この結果にかなりのショックを受けたようだ。
 俺も、ここまで酷い結果が出るとは予想していなかった。余りに酷すぎる結果に、フォローの言葉すら思いつかない。

「なんで、お姉ちゃんだけ満点なのよ!?」
「そうよ! シャオだって同じように受けたのに!」

 これが例の学習法を受けた後だというのだから、尚更ショックは大きいようだ。
 しかも、子供用のテスト。幼い璃々でも解ける計算の基本問題でこれだった。
 勉強が苦手というのは知っていたが、まさかここまで酷いとは……。

「でも……私は前から、このくらい出来ましたよ?」

 ――グサッ!
 大喬の何気ない一言が、二人の胸に突き刺さる。それがトドメとなった。

「うぐっ……姉妹なのに、この差って」
「ううっ……神様って不公平よ」

 涙目を浮かべる二人。すっかり拗ねてしまったみたいだ。
 多少頭の回転が速くなったところで、基本となる知識が頭に入ってなければ意味がない。
 公式を理解していないのに、応用式を解けと言ってるようなものだ。当然の結果と言えた。

「何をしておるのじゃ?」
「揚羽? 仕事は終わったのか?」
「うむ、今しがたな。ふむ、計算問題か?」

 そっと扉を開け、教室に入ってくる揚羽。俺の傍に寄り、机の上の紙を手に取る。
 三人の答案用紙にさっと目を通し、その結果を見てプッと息を吹き出した。

「情けないの。このくらいの問題も解けぬとは……」
「ぐっ……そういう陛下は出来るんですか?」
「そうよ! シャオはこれでも、足し算と引き算なら得意なんだからね!」
「フッ、甘いな。我は既に九九を会得しておる!」

 胸を張って自信満々に話す揚羽。「負けた」という言葉の後、シャオと小喬は膝をついた。
 ちなみにシャオが得意と言っている足し算と引き算は二桁の計算だ。正直、自慢にもならない。横にいる大喬は、既に割り算や分数計算まで習得しているのだが、ここは黙っておいた方がよさそうだと思った。
 実は璃々も九九を完璧にマスターしてると教えたら、もう立ち直れないかもしれない。

 ――コンコン。

 そんな時だ。扉をノックする音が聞こえ、そこから月が顔をだした。

「ご主人様。少し、よろしいですか?」
「月? あ、もう夕食の時間か」

 いつもなら、とっくに夕食を取っている時間だ。試験に時間を取られすぎたみたいで、外はすっかり暗くなっていた。
 月のことだ。邪魔をしまいと気を利かせてくれたのだろうが、これは悪いことをした。
 一緒に食事を取らないと、温め直したり二度手間だしな。いや、月のことだから待ってくれてそうだ。

「いえ、食事のことでは……」
「うん? 夕食に呼びに来てくれたんじゃないのか?」
「その……いつでも食べられるように準備は出来ています」
「悪いな、すぐ食堂に行くから」
「はい。あ、でもその前に……」

 この様子だと、やっぱり食べずに待ってくれていたのだろう。
 でも、何か他にもあるようだった。

「顔良さんが、ご主人様に面会を求めてきてます」
「斗詩さんが? ひとりで? 麗羽達は一緒じゃなく?」
「はい、お一人で。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 斗詩が一人で尋ねてくるなんて珍しいこともあるものだ。麗羽、猪々子、斗詩の三人はいつも一緒にいるイメージが強いからな。最低でも猪々子は、いつも斗詩にべったりのような気がする。
 なのに、斗詩一人で俺を訪ねてきた。うん、嫌な予感しかしないな。
 でも、相手が斗詩だと断り辛い。どうせまた麗羽の我が儘に付き合わされているんだろう。

「こんな時間に、なんの用事だろう?」
「あの……お疲れでしたら、出直して頂きましょうか?」

 そうしたいところだが、ここで断ると困るのは斗詩だろうしな。
 こんな時間に訪ねてくるくらいだ。明日じゃダメな理由があるんだろう。

「いや、会うよ。書斎の方に通してやって」
「はい」

 余談ではあるが、屋敷にいる間は月が俺の専属メイドとして、何かと世話を焼いてくれている。張譲に利用されていたとはいえ、民を苦しめた事実は変わらない。その責任を感じ、政治に今後関わらないことを彼女は決めたからだ。
 これは皇帝の政治力を強めると同時に、自ら権限を放棄することで諸侯に不審を抱かせないための処置でもあった。
 彼女にその気はなくても、周りがわかってくれるとは限らないからだ。

 結果、月は皇帝の後見的立場から退き、その役目は俺へと引き継がれることになった。
 そのため軍師の詠や武官の恋や霞など、董卓配下の兵や将軍は俺の庇護下に入り、現在ではここ洛陽を守る常駐軍、天の御遣いの私兵という扱いになっている。
 諸侯の軍が交代で都に常駐している背景には、現体制に忠誠を誓うという意思表明であると同時に、二度と反董卓連合のような事態を引き起こさないために、各勢力に対する牽制や監視の意味も込められていた。
 月が俺の専属秘書のようなことをやっているのも、そうした紆余曲折があってのことだ。

 だからといって侍女なら他にもいる。月が俺の世話係をしなくてはならない理由はないのだが、彼女曰く――これは恩返しなのだそうだ。
 恩を着せるつもりで助けたわけではないのだが、それでは彼女が納得出来ないらしい。こう見えて、月は少し強情なところがあった。だったら納得の行くまで、やりたいようにやらせてみようと俺は考えた。
 それに稟や風にはこれ以上負担を掛けられないし、天の御遣いとしての仕事を補佐してくれる人間は必要だ。
 月は気が利くし、これまで国の中枢で(まつりごと)に携わってきた詠の意見は参考になる。特に商会と掛け持ちをしていることもあって都を留守にすることが多い俺からしてみれば、都に残って政務を補佐をしてくれる有能な秘書がいると非常に助かる。

「いつも、ありがとうな」
「い、いえ……失礼します」

 恥ずかしそうに頬を染め、そそくさと立ち去るメイド姿の月が可愛らしく思えた。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第113話『癒しの少女』
作者 193






「舞台を観に来て欲しい?」
「はい。お願い出来ないでしょうか?」

 斗詩の話を要約すると、自分達の舞台に招待したいというものだった。
 舞台というと、例の芝居小屋のことを言っているのだろう。
 ここ最近、洛陽で評判の舞台で、光と音響を駆使した舞台装置に火薬を使った爆発など、派手な演出が売りの所謂『ヒーローショー』というものが、子供から大人に幅広い人気を得ていた。
 これは反董卓連合の際、民の支持を得るのを目的に俺が仕掛けた策の一つだ。月の濡れ衣をはらすため、洛陽の民に分かり易く善悪を伝えるのにヒーローショーを用いたと言う訳だ。
 当然、悪の親玉は張譲。宦官達が悪の組織と言った方が分かり易いか。揚羽と月は囚われのお姫様といったところだ。
 それが今も、この芝居を観るためだけに、街の外から訪れる人がいるほど好評を博していた。

「でも、急に明日っていうのはな」
「うっ……すみません」
「どうせ、麗羽の思いつきなんだろうけど」
「重ね重ね申し訳ありません……」

 しゅんと肩を落とし、小さくなる斗詩。
 俺が洛陽に戻って来ていることを知り、大方思いつきで『太老さんを舞台に招待しますわ』とか言って、斗詩を遣いに出したに違いない。この斗詩の態度を見るに、俺の予想に間違いはないだろう。
 まあ、以前に招待状のようなものを受け取ったのは確かだ。一方的に『顔を出せ』みたいなものではあったが、本人は約束したつもりだったのだろう。麗羽だからと言ってしまえば、それまでのことだった。

「まあ、いいや。折角の誘い出し、顔を出させてもらうよ」
「よろしいのですか?」
「そうしないと斗詩さんが困るだろう?」

 それに、麗羽に直接乗り込んで来られても困る。大体どんな騒動になるか想像がつくしな。
 それなら、こっちから顔を出した方が遥かに被害は少ない。

「助かります。本当にありがとうございます!」
「いや、そこまで礼を言われるほどじゃないんだけど……大変だな」
「はい……」

 何度も何度も頭を下げる斗詩を見て、心の底から不憫だと思った。

「そういえば、どうして私だけ『さん』付けなんですか?」
「いや、なんとなく?」
「はあ……」

 これでも敬意を払うべき相手には敬意を払う。とはいえ、斗詩の『さん』は少し違う。
 なんとなく呼び捨てにし難い理由に、さっきの不憫というのがあるのだが――
 本当のことは黙っておこう、そう心に誓った。


   ◆


 翌日、俺は麗羽の舞台を観に、市場の外れにある芝居小屋を訪れていた。
 前に招待状を貰ったというのもあるが、余りに斗詩が不憫だったので招待を受けたためだ。
 それに仕事ばかりでは息が詰まる。ちょっとした息抜きのつもりでもあった。

「私までご一緒させて頂いて、よろしかったのですか?」
「いいも何も、俺は月が一緒で楽しいけど?」
「うっ……」
「やっぱり迷惑だった?」
「いえ、私も嬉しいです……」

 一人で芝居を観るより、誰かと一緒の方が楽しいしな。斗詩も『一人で来い』とは言ってなかった。麗羽の相手を一人でするのは疲れるので、誰か一緒に居てくれる方が俺も精神的に楽というのも理由にあった。
 とはいえ、子供達と麗羽は余り相性がいいとは言えない。大喬は大丈夫そうだが、彼女を誘うと小喬も一緒についてくるだろうし、そうなったらシャオに蒲公英と芋づる式で一緒に連れてくることになる。結果、騒ぎになるのは目に見えていた。
 なので、今回は昨日の試験結果を理由に勉強を言いつけ、敢えて連れて来なかったと言う訳だ。

 だが、大人は大人で忙しい。皆それぞれ仕事がある。
 林檎は昨日のことで昼から会議があるとかで、朝から報告書の整理。霞は昨日飲み過ぎたらしく二日酔い。恋は音々音と兵を連れ、盗賊の討伐に出かけているらしく帰りは明後日。詠は、揚羽が政務をさぼらないように監視する役目があるとかで来られなかった。
 身近なところで掴まったのは、月だけだった。
 タイミングが悪い時って重なるんだよな。皆もなんだかんだで忙しいんだと実感した。

「ご主人様とふたりきり……詠ちゃん、やっぱり気を遣ってくれたのかな?」
「月、どうかしたのか?」
「い、いえ……なんでも、ありません」

 よく聞き取れなかったが、嫌がっている感じではないのでよかった。
 月に嫌われたら、たぶん俺は落ち込む。月の存在は、ちょっとした癒しになってるからな。
 俺の周りは我の強い女性が多いので、月みたいな女の子は珍しい。
 傍にいてくれるだけで、ほっと落ち着く存在。それが俺から見た、月という少女だった。

「色々と売ってあるな。ほとんどヒーローグッズみたいだけど……」
「ひーろぐっずですか?」

 開演一時間前だというのに、既に会場は結構な賑わいを見せていた。
 やはり子供連れの家族客が多いみたいだ。男女比率でいえば、七対三と言ったところか。
 販売所に並んでいるグッズは、華蝶仮面や仮面白馬といったヒーローのブロマイドにフィギュア。なりきりセットなんてものも人気のようだ。

「それ、欲しいのか?」
「え、いえ……そう言うわけでは……」
「ああ、詠ちゃんへのお土産か」
「はい……」

 月の目に留まったのは、犬のぬいぐるみだった。
 この近くに恋が保護した動物達と触れ合える『アニマルランド』があるらしく、このぬいぐるみのモデルとなっている『セキト』は、そこのマスコット的存在らしい。洛陽の観光ガイドブック参照だ。
 以前、恋に動物の餌代の相談をされたので、餌代の足しになるようにと『入館料を取って動物園でもやってみたらどうだ?』と教えてやったのが、いつの間にかアニマルランドの設立なんて話になっていた。
 ちゃんと採算も取れているし、民の娯楽としても機能している。実はこの話、桃香と多麻がノリノリだったらしく、かなり立派な施設が出来たと言う話だ。

「じゃあ、買って帰るか? 月も好きなの選んでいいぞ」
「え、ご主人様にそこまでしていただくわけには……」
「今日、付き合ってもらったお礼だ。そのくらいさせてくれよ」

 月と詠には普段からお世話になってるしな。寧ろ、これでは足りないくらいだ。
 詠には、最初に目に留まった犬のぬいぐるみ。月には、猫のぬいぐるみをプレゼントした。
 受け取ったぬいぐるみを優しく抱きしめ、『ありがとうございます』と言って微笑む月。

 ――この笑顔が見られるなら、ぬいぐるみくらい安いもんだ。

 心の底からそう思う、優しい笑顔だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.