尚香達が森の中に入って半刻。太老の姿は未だ見つかっていない。
 というか、今どの辺りを歩いているのかも、わからなくなっていた。

「太老、どこにいるのよ――っ!」

 尚香の叫び声が空しく森に反響する。幸い、危険な猛獣には遭遇していなかったが、完全な迷子と化していた。
 幼い頃から山や森を遊び場にしていたこともあって、森には慣れているつもりでいた尚香だったが、その経験と自信もこの森には通用しなかった。
 魔の森――別名『迷いの森』とも呼ばれているこの森は入ったが最後、抜けることも帰ることも出来ず、森の中でさまよい続けると恐れられていた。
 まさか、その噂が本当だったとは、尚香は自分の見通しが甘かったことを痛感する。そう、この森には結界が張られていた。
 猛獣が出るから危険なのではなく、森自体が危険なのだ。
 これが動物達を守るために多麻が仕掛けた罠だと、尚香達が知るよしもなかった。

「小蓮様、あっちに川があるみたいです。一休みしませんか?」
「……そうね」

 小喬の提案に頷き、尚香は水の音がする方へ足を向ける。
 木々や草をかき分けながら森を抜けると、そこには綺麗な小川が流れていた。

「こんな場所が洛陽の近くにあったんだ」

 小川で水分を補給し、ほっと一息つく尚香。体力的にはまだ余裕はあったが、それでも慣れない道を行く当てもなくさまよい、精神的にはかなり消耗していた。
 小喬と大喬も一息ついた様子で、川辺に腰を下ろす。
 とはいえ、迷子である現状に変わりは無く、三人の表情には陰りが見えた。

「ごめん、ふたりとも。シャオの所為で、こんなことに巻き込んじゃって……」
「大丈夫です。私達は気にしてません。それに、きっと太老様は見つかりますよ!」
「そうそう。元を辿れば、あたし達に内緒で出掛けた太老が悪いんですし!」

 二人に励まされ、ほんの少し元気を取り戻す尚香。
 でも、自分の我が儘で二人を巻き込んでしまったという罪悪感が尚香の胸に渦巻いていた。

(はあ……結局、迷惑を掛けてばかりだ)

 太老の役に立ちたい。
 ただ、そう思って行動しただけなのに、すべて空回りしてしまう。

 ――どうしたら、太老の力になれるのか?
 ――どうしたら、もっと太老に自分を見てもらえるのか?

 尚香は自問自答するが、その答えが出ることはなかった。
 結局のところ、子供の尚香に出来ることは少ない。
 勉強に、武術に、心のどこかで目標とする二人の姉のようにはいかなかった。

「お……お姉ちゃん……う、後ろ」
「後ろ?」

 顔を真っ青にしてガクガクを全身を震わせながら、大喬の後ろを指さす小喬。
 小喬の言葉に釣られ、後ろを振り向いた大喬の動きが――ピタリと固まった。

「グルルルル……」

 それもそのはず、全身真っ白な毛をした見た事も無い大きな虎が低い唸り声を上げ、川の向こう岸から大喬と小喬の二人を威嚇していた。

「ど、どどどうしよう!? お姉ちゃん!?」
「落ち着いて、小喬ちゃん。動いちゃダメ! 虎を刺激したら――って、小蓮様!?」

 小喬・大喬の二人を庇うように、虎の前に立つ尚香。これに驚いたのは庇われた二人だ。
 このままでは、尚香が虎に襲われる。 しかし、そう思っていても、二人は足がすくんで動けなかった。

「…………」

 じっと虎の目を見詰め返す尚香。次の瞬間――虎が尚香に飛びかかった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第115話『森のヌシ』
作者 193






「斗詩、猪々子! なんとかしなさい! わたくしの護衛でしょ!?」
「無理、無理です! あのパンダ無茶苦茶強いですもん!」
「そうですよ! あいつ拳法まで使うんですよ!?」

 森の中を全力疾走で逃げる袁紹、顔良、文醜の三人。三人の後ろには、白と黒の模様をしたパンダの姿があった。
 森のヌシと運悪く遭遇した三人。
 華雄と引き分けたというヌシの強さに偽りは無く、その力は顔良と文醜の二人で掛かっても、まったく敵わないほどだった。
 そもそもパンダが知恵を持ち、拳法を使うこと自体、かなり非常識と言えた。だが、それが現実だ。

「なんで、動物が武術なんて使うんですの!?」
「知りませんよ!? パンダに訊いてください!」
「でも、あいつ。ガウガウしか言わないけどな……」
「パンダですものね」
「パンダですから」
「パンダだもんな」

 だが、所詮は動物。パンダに言葉が通じるはずもなかった。
 だとすれば、降参などしても無駄だ。

「げっ!? 行き止まり――って、姫!? 斗詩!?」
「猪々子さん、あなたのことは忘れませんわ」
「頑張って、文ちゃん!」

 文醜を囮に、逆方向に逃げる袁紹と顔良。大木に行き当たった文醜は慌てて向きを変える。
 しかし、そこにパンダが迫る。急いで大剣を構える文醜。パンダの鋭い爪が襲いかかる。

「ぐっ! あたいが力負けするなんて!?」

 ――ガンッ!
 大剣で受け止めるもパンダの一撃の重さに耐えきれず、身体ごと弾き飛ばされる文醜。
 転がるように受け身を取り、文醜は木の陰に身を隠す。だが、そこにパンダの跳び蹴りが炸裂した。
 パンダの全体重を載せた渾身の跳び蹴りが木の幹に当たり、激しく大木を揺らす。

「嘘だろ!?」

 ミシミシと音を立てて倒れていく大木。これには文醜も驚愕する。
 力には自信のあった文醜だったが、それはあくまで同じ人間から見ての話だ。森のヌシであるパンダの力は、人間の文醜を遥かに上回っていた。
 しかも大きな身体に似合わない素早い動き。明らかに人間……いや、パンダの動きじゃない。
 森の番人の名に嘘偽りのない実力を有していた。

「ああっ! やっぱ無理!」
「ちょっと、猪々子さん!? 逃げるなら反対方向になさい!」
「無茶苦茶言わないでください! あたい一人をおいて逃げるなんて酷いですよ!」
「ああっ、もう! 斗詩さん、あなたの出番ですわよ!」
「文ちゃんが敵わないのに、私が勝てるわけないじゃないですか!?」

 追ってくるパンダから全力で逃げる三人。勝つどころか、時間稼ぎすら難しい相手に今はひたすら逃げるしかなかった。
 パンダがこんなに強いなんて悪夢としか思えない。華雄と引き分けたという話も誇張ではなく、事実だということを彼女達は理解した。
 だが、今更それが事実だと知ったところで意味は無い。勝てない以上、生き残るためには逃げるしかなかった。

「こんな時に太老さんはどこにいるんですの!?」
「麗羽様が好き勝手、先に進むからいけないんじゃないですか!」

 そう、顔良の言うように、こうなった原因は袁紹にあった。
 太老は董卓の足の速さにあわせて森の探索を行っていたのだが、袁紹は周りが止めるのも聞かず、森の奥へ奥へと進んだ結果がこれだった。

「麗羽様! 目の前に川が!?」
「このまま突き抜けますわよ!」
「――って姫、斗詩、待った! あ、あれ!?」

 森を抜け、小川に辿り着いた三人を待っていたのは――

『虎!?』

 声を揃えて、悲鳴を上げる三人。森を抜けた先にいたのは、白い虎だった。
 後ろからはパンダ。前からは虎。まさに、絶体絶命のピンチ。
 三人は顔を青ざめ、大きく取り乱す。だが、その時だった。

周々(しゅうしゅう)、急に立ち止まってどうしたの?」
『へ?』
「あれ? あんた達……」

 よく見ると、虎の背中に少女がいた。――孫尚香だ。
 ポカンと間の抜けた顔で固まる袁紹達。その背後にパンダが迫る。

「グルルルルッ!」
『ひいっ!』

 パンダの接近に気付いた三人は、小さな悲鳴を上げる。しかし――

「あ、善々(ぜんぜん)
「ガウ?」
「私だよ。シャオだよ」
「ガウガウ!」

 尚香に名前を呼ばれ、急に大人しくなるパンダ。
 まるで、旧友との再会を喜んでいるかのようだった。





【Side:太老】


 どこまで行ったのか?
 泥棒の痕跡を探すために入った森の探索は、いつの間にか麗羽達の捜索に変わっていた。

「大丈夫か? 辛いなら、もう少し休憩してもいいけど」
「だ、大丈夫です。ご主人様に迷惑は掛けられません……」

 そうは言っても、やはり月の体力では、これ以上の森の捜索は厳しそうだ。
 本来は月のことを考え、森の入り口付近の探索だけで済ますつもりだったのだが、迷子になった麗羽達を放って置くわけにもいかず、森の奥にまで足を伸ばすことになってしまった。これは大きな誤算だった。
 とはいえ、今更起きてしまったことを後悔しても意味がない。こらからどうするべきかを考える。
 麗羽達を探さないといけないが、帰る時間も考慮すると余り時間は残されていない。
 夜の森は危険だ。俺一人なら野宿にも慣れているしどうってことないが、月がいる以上、余り無茶なことは出来ない。だからと言って、ここで引き返せば、麗羽達を見捨てることになる。

 ――捜索を続けるか?
 ――それとも引き返すか?

 難しい選択に迫られていた。

「ご主人様、私のことは気にしないでください」
「でも……」
「無理を言って連れてきてもらったのは、私ですから。それに袁紹さん達が心配です…」

 月の言うとおり、麗羽達を放って置くわけにいかないのも事実だった。
 斗詩と猪々子が一緒だから大丈夫だとは思うが、クマや虎だけでなくパンダまで出るとなると、あの二人だけでは厳しいかもしれない。森の番人と言われているパンダがどれほどの実力かはわからないが、華雄と引き分けるほどの猛獣だ。油断は出来ない。
 麗羽に関しては自業自得と言ってしまえばそれまでだが、ここで見捨てると寝覚めが悪そうだった。

「仕方ないな。それじゃあ、ほら」
「……ご主人様?」
「おんぶだよ。背負ってやるから、背中に掴まりな」

 だが月の体力から考えて、これ以上、森の中を連れ回すのは無理だ。
 時間的にも、そんな悠長なことをしていられる余裕はない。だからと言って、月をここにおいて行くわけにはいかなかった。

 なら、どうすればいいか?

 俺が背負って行くのが一番だ。これでも体力には自信がある。

「そ、そんな……ご主人様にそこまでして頂くわけには……」
「そうは言っても、もう体力の限界だろ?」

 頑なに拒み続ける月に痺れをきらせ、俺はため息を吐く。
 こうなったら仕方がない。多少強引だが、悩んでいる時間はなかった。

「悪いな。問答してる時間も惜しいから――よっと」
「――ッ! ご主人様!?」

 月の身体を、確りと両腕で抱きかかえる。
 所謂『お姫様抱っこ』という奴だ。
 思った通り、ほとんど重みを感じないくらい月の身体は軽かった。

「舌を噛むから、余りしゃべるなよ」
「きゃっ!」

 俺は月を抱きかかえたまま空に飛び上がり、枝から枝に木々の間を駆け抜ける。
 昔取った杵柄という奴だ。

「凄い……」
「こういうのには慣れっこだからな。さてと、どこから探すか?」

 誰かさんのように匂いで探せるほど器用じゃないので、勘を頼りにしらみつぶしに探すしかない。とはいっても森の中から、迷子を探すのはかなり骨が折れる。多麻がいれば、空から捜索してもらうことも出来るが、こういう時に限っていないんだよな。

「周囲を見渡せるような場所があればいいんですが……」
「見渡される場所ね。おっ、あそこなんかどうだ?」
「え……まさか、あの大きな木ですか?」

 月の案に従い一際高い木に目を付けると、枝から枝に飛び移り一気に大木の頂上まで上り詰めた。

「月、怖くないか?」
「はい。大丈夫です……」

 ギュッと俺の服にしがみつく月。まあ、この高さだしな。高所恐怖症でなくても、慣れてないと怖いだろう。

「太老様、あれは?」
「うん? 煙か……」

 月が見つけたのは、焚き火の煙だった。
 こんな人気のない森の中で、自然に煙が上がるとは思えない。
 麗羽達か、或いは森に逃げ込んだと思われる泥棒か?

「しっかり掴まってろよ」
「はい」

 ――鬼が出るか蛇が出るか。
 何れにせよ、なんの手がかりもない以上、あそこに行ってみるしかなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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