遥か南の地、樹海に覆われた辺境。そこに南蛮族の国があった。

「上手くいったの。七乃」
「はい、お嬢様。これで南蛮は美羽様のものですね」

 あの手この手で孟獲を南蛮から追い払った袁術は、嘗て孟獲の住処だった場所に自分達の城を築き、皇帝の名を騙っていた。
 幼女の国に君臨する幼女皇帝――それが彼女、袁術だ。

「しかし、ここはちと不便じゃの。綺麗な服も、豪華な食事もないし……」
「そうですね。文明的な生活から程遠いですし……」

 南蛮の特産品『ぷにぷにの実』のジュースをちびちびと飲みながら、張勲に不満を漏らす袁術。名家『袁家』に生まれ、これまで贅沢の限りを尽くしてきた彼女からすれば、このような辺境で生活すること自体、相当に我慢のいることだった。
 住む場所、食べることに不自由はない。だが、絶対的に足りないものがある。それが――

「妾は蜂蜜水が飲みたいのじゃ!」

 蜂蜜だ。ここには袁術の好物である蜂蜜がなかった。
 南国特有の柑橘系の果物に、豊富な山菜と新鮮な魚。ここでしか食べられない特産品は数多くあるが、ここ南蛮にはどういう訳か、蜜蜂がいなかった。
 当然、孟獲配下の南蛮族にも探させてみたが、蜂の巣一つ発見出来ない。
 蜂蜜が食べられない。これは、蜂蜜好きの袁術にとって何よりも耐え難い苦痛となっていた。

「無理を言わないでください。無いものは、さすがにだせませんし……。ほら、ぷにぷにの実があるじゃないですか。これで我慢してください」
「無茶でも無理でも、妾は蜂蜜水が飲みたいのじゃ! ぷにぷにの実はもう飽きたのじゃ!」

 床に仰向けになり、子供のように手足をバタバタとさせ、駄々をこねる袁術。
 そんな袁術を見て、張勲もハアとため息を漏らす。

「街までいけば、手に入るかもしれませんけど……」
「それなのじゃ! 街に行って買ってくるのじゃ!」
「でも、私達。お金なんてもってませんよ? それに――」

 虎牢関での戦い、あれからかなりの月日が経っている。あの戦いは完全な負け戦だった。
 張勲は、あの戦いの結果から、一つの推測に至っていた。
 連合は敗退。河南も孫策に奪われている可能性が高い。だとすれば、このままのこのこと出て行くのはまずい。居場所が知れれば、討伐隊が組織される可能性もある。すぐに河南に戻らず、ここ南蛮に留まることにしたのは、そうした事情を考慮してのことだった。
 南蛮という安住の地を手に入れ、これから再起を図ろうと言う時に、出来れば大きなリスクを冒したくないというのが彼女の考えだ。しかし袁術にしてみれば、『蜂蜜がない』――これほど重要な問題は他になかった。
 長いこと蜂蜜を口に出来ず、遂には禁断症状まで出掛けている彼女にとって、蜂蜜さえ手に入れば他のことはどうでもいい。これから何年も蜂蜜のない生活を送るくらいなら、捕まった方がマシだ。それほどに袁術の蜂蜜への執着は強いものだった。

「ならば蜂蜜のある街や村も、妾の国にしてしまえばいいのじゃ。そうすれば、蜂蜜がいつでも食べられるぞえ」

 名案とばかりに胸を張って答える袁術。ただ、それは名案ではなく暴論だった。

「さすが美羽様。その後先を何も考えない大胆不敵な行動に痺れちゃいます!」
「そ、そうかの? そんなに褒めると照れるではないか」

 張勲の嫌味にも全く動じた様子のない袁術。単にわかっていないだけだ。

(まあ、美羽様ですしね。こうなるんじゃないかと思ってましたけど)

 と心のなかで呟きながら、にこにこと笑う張勲。
 袁術がバカなら、張勲はそんなバカな袁術を愛でるのが、何よりも大好きだった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第120話『救済計画』
作者 193






 場所は変わって予州。
 洛陽から街道を南東に進むと、予州と荊州の境に許昌という大きな街がある。
 学都として開放されることになった陳留の代わり、魏の本拠地として遷都された街だ。

「はあ……」

 引っ越しも終わって三日。程イクの計画により倍増した書類の山で一週間遅れの入城となった曹操は、ここ最近ため息ばかりを溢していた。
 その原因は言うまでも無く――太老にあった。

「一ヶ月に一回は顔を見せにきなさいって言ったのに……」

 と、ふて腐れる曹操。彼女も本気でそんなことを言ったわけではない。
 一度は告白までして、更には一緒に寝てキス……までしたのに、気にしている素振りすら見せない太老にやきもきしていた。
 仕事が忙しいのは理解出来るが、それにしたって一言くらいあってもいいんじゃないか?
 それは、煮え切らない太老の態度に業を煮やした曹操の意趣返しでもあった。

「釣った魚に餌をやらないだけならまだしも……」

 曹操の元に届けられる太老の噂は、行く先々で他の女といちゃいちゃしているというものだ。
 特に最近は董卓と一緒にいることが多く、夫婦さながらの仲睦まじい様子で一緒に政務に励んでいるという話だった。
 ちなみに、この情報の出所は多麻だ。『マスター観察日記』と称された多麻のレポートは、魏のなかでも最高機密として取り扱われていた。
 蛙の子は蛙というが、創造主にしてモデルとなった人物とやることがよく似ていた。

「私をこんな気持ちにさせて放っておくなんて……いい度胸してるじゃない」

 ピキッ――玉座の肘掛けに亀裂が入った。

「ううっ、出て行き難い。華琳様、荒れてるわね……」
「桂花、そんなところで何をしているのだ? 華琳さ――」
「バカ、やめなさい! ちょっとは空気を読みなさいよ! このバカ春蘭!」
「誰が、脳みそまで筋肉隆々のガチガチに凝り固まった脳筋バカだ!」
「そこまで言ってないでしょ!? アンタ、頭の中にぬかでも詰まってるんじゃないの!」

 曹操のところに向かおうとする夏侯惇を、謁見の間に続く入り口で止める荀イク。
 ここ最近、曹操の機嫌が悪いこともあって閨は疎か、お茶にも誘われていなかった。
 お仕置きされてるうちはまだいいが、一番辛いのは相手にされないことだ。そのこともあって夏侯惇がどうなろうと知ったことではないが、曹操の機嫌が更に悪くなるのは荀イクとしても、どうしても避けたいことの一つだった。

「姉者、そのくらいにしておけ。今は誰も通すなと華琳様の指示だ」
「むう……華琳様が、そう仰るのなら仕方ないな」

 渋々といった様子ではあったが、妹の言葉とあって夏侯惇も大人しく引き下がった。
 敬愛する主君――曹操の指示と言われれば、夏侯惇も納得するしかない。
 それが荀イクではなく、妹の言葉では尚更だ。

「はあ……助かったわ、秋蘭」
「気にするな。私も気にはなっているんだ。しかし……」

 夏侯惇を言い聞かせるほど、曹操の悩みを解決するのは簡単なことではなかった。
 いや、方法自体は単純だ。太老をここに連れてくるか、曹操が太老のところに行けばいい。しかし太老もそうだが、曹操もなんだかんだで問題を多く抱え込んでしまう性格をしている。気付けば、仕事の山に埋もれていることなど日常茶飯事だ。それだけに、どちらか一方が時間を作るだけでも、かなり難しいことだった。
 しかも、彼女は責任感が強い。仕事を放り出して男に会いに行くなど出来る性格ではない。劉備の半分でも素直さがあれば上手くいくかもしれないが、自分達の主が非常に不器用な性格をしていることを夏侯淵はよく知っていた。
 それに簡単にはいかない理由の一つに、外交上の問題もある。

(休みを、と言ったところで華琳様はお聞きになってくださらないだろう。なら、太老殿にきてもらうか? いや、それも無理だ。ここで太老殿を呼び戻すような真似をすれば、周囲に不審を抱かれかねない)

 一応は洛陽が太老の本拠地という建前になってはいるが、商会の代表という立場もあって必然的に魏にいることが多くなる。それでなくても魏は太老を独占していると思われていて、他からのやっかみの声が多かった。
 例え、それぞれの国のトップが納得していようと、周りから見れば、そうではないということだ。
 天の御遣いに最も近しい人間が、この国の中枢に近付くということでもある。戦争は回避されたが、そのことによって再び浮上した権力争いの渦中に太老はいた。
 それだけに余計な火種は起こしたくないと夏侯淵は考える。ここで感情を優先して無理を通せば、太老のためにも曹操のためにもならない。
 これという上手い手が思いつかず、具体的な案が思い浮かばないまま時間だけが過ぎていった。
 国のためを思えば、曹操には我慢してもらうしかない。しかし主君の気持ちを考えれば、なんとかしたい。ままならないとは、まさにこのことだ。

「こんなところで何をしてるんですか?」

 と、そんななか呑気に声を掛けてきたのは多麻だった。
 胸には三十七番の番号札が。この城には曹操の補佐として百近い多麻が働いているため、それぞれに番号が振られていた。
 彼女達は太老との連絡役として商会の仕事も兼任しているので、街だけでなく自由に城のなかを歩き回れる許可を貰っているのだ。

「そうだ、多麻。少し相談があるのだが、いいか?」
「はい?」

 敬愛する主君のため、今出来ることをする。それが夏侯淵のだした答えだった。





【Side:太老】

「ゲートが完成した?」
「はいです! まだ洛陽と幽州、予州を繋ぐ便しか開通出来てませんが、この調子で順次開通していく予定です!」

 ここ最近、バタバタしていてすっかり忘れていた。
 そういや、そんなことを多麻に頼んでいたな。意外と早かったので驚いた。

「……もしかして忘れてました?」
「そ、そんなわけないじゃないか! でかしたぞ、多麻!」
「えへへ。もっと褒めてください」

 多麻ネットワークを使った情報網の確立と一緒に進めていたのが、この主要都市を繋ぐゲートの開通だ。国家間の移動が楽になるというのもあるが、これは星の箱庭のシステムに干渉するために必要な仕掛けでもあった。
 仮想現実シミュレーターの構築に関する知識は俺も持っているが、これほど精巧な代物が作れるかというと正直難しいと言わざるを得ない。俺が作った『虎の穴』も様々な場面をシミュレーション出来る装置に違いは無いが、あれは所詮プログラムされたものをなぞっているに過ぎない。だが、この世界の人々は確かな意思を持った存在として確立されていた。

 一口に世界を救うと言っても、方法は様々だ。その中でも一番成功する確率が高いのが、この世界の根幹となるシステムへの干渉だ。
 物語を形作っている法則を書き換え、話に囚われている人々を解き放つのが俺の狙いだった。
 そうすれば、こちらから外の世界に干渉することも可能となるはずだ。

 だが、この箱庭と同じようなものが作れる可能性のある人物は、俺の思いつく限り白眉鷲羽クラスの天才しかいない。それほどの科学者が作り出したものであれば、並の方法では絶対に成功しない。入念な下準備が必要だ。
 そのために必要な仕掛けが多麻ネットワークと、このゲートだった。

「後は、鍵さえ見つかれば条件は揃うな」
「ううん、太平要術の書を確保出来なかったのは痛かったですね」
「張譲がまだ持ってると助かるんだがな……」

 雛里と紫苑の護衛として益州に派遣した多麻から、成都に張譲がいるという情報がもたらされた。状況から察するに太平要術を使っているのではないかという話だが、実際のところはまだよくわかっていない。
 黄巾の乱、そして洛陽での一件。太平要術の持つ力は、はっきり言って異常だ。
 そうした物は、こうした世界では重要な鍵となる物が多い。世界の根幹をなすシステムとリンクし、常識ではありえない事象を引き起こすアイテム。あれも、そうした物の一つだと俺は推察していた。
 もっと分かり易く言うと、デバック用のキーアイテムだ。俺達の探している鍵というのが、それだった。
 商会の情報網を駆使して捜索をしてはいるが、なかなか条件に適う物は見つからない。そもそも伝説級のアイテムを探せと言っているようなものだ。そう簡単にいくことではないことくらいわかっていた。

「南蛮のヴリトラに、竜の爪か。これも見つからなかったんだよな?」
「伝承の村には既にありませんでしたー」

 美以からの情報で、南蛮にヴリトラという悪龍が住むことはわかっていた。
 明らかにファンタジーな生き物だ。怪しいといえば、怪しい。
 あと、竜の爪――別名『竜神の剣』というものがあるそうなんだが、それは何百年も前に失われていて、現在は行方不明だという。どこかの家に宝剣として代々受け継がれているという情報までは掴めたのだが、肝心の剣の所有者がわからなかった。
 ありがちな話だが、太平要術の書が実在したくらいだ。どちらも存在していて不思議ではない。情報から察するに『竜の爪』が条件に一番近い気がするんだが、どこにあるのか、誰が持っているのか、何もわからないのでは手の打ちようがなかった。
 やはり準備を進めつつ、地道に情報を集めていくしか方法はなさそうだ。

「情報収集はこのまま続けてくれ。あと、ゲートが完成したって話だけど、すぐに使えるのか?」
「いつでも使えますよ。でも、一般人には使えないので注意してくださいね。ナノマシン調整されてないと、生き物はゲートを通過できないので」
「ナノマシン調整を受けてない生き物がゲートを通ったら、どうなるんだ?」
「とても口では言えないことになります!」

 色々と言いたいことはあるが、深く突っ込むのはやめておこう。なんとなく危険な香りがする。
 それに、それなら悪用されることはないだろう。一番心配していたのは、そこだしな。

「早速、ゲートを使うんですか?」
「いや、ちょっとな……」

 実は華琳との約束が、ずっと気になっていた。
 一ヶ月に一度は顔を出せ、なんて無茶な約束をさせられて、もう一ヶ月経つ。
 冗談だと思いたいが、華琳のことだから冗談とも言い切れないんだよな。

(落ち着いたら、一度顔をだすべきかもな……)

 これからの予定を立てながら、そんなことを考えていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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