「陛下。この度は私の願いを聞き届けて下さり、ありがとうございます」
「構わぬ。いつかは決断せねばならんことじゃしな。それが早いか遅いかの差でしかない」

 宮廷の一室。深々と頭を下げる曹操。その前には劉協の姿があった。

「しかし思い切ったことを考えたものじゃの」

 今から二ヶ月前、曹操から思わぬ相談をされた時は、正直どうしたものかと劉協は考えた。
 以前に比べれば権威は回復したと言えるかもしれないが、それも天の御遣いの名の下に各国の首脳が臣下の礼を取ってくれているからだ。
 現状、太老がいなければ成り立つはずもない仮初めの威光に、皇帝の権威が保たれていることを彼女は誰よりも理解していた。

「林檎を敵に回すと厄介じゃぞ?」

 曹操からの提案は、以前に劉協が考えたことでもあった。
 しかし曹操と違い、太老に口ではこの世界に残って欲しいと言いながらも、彼女は太老の意思を尊重し、具体的な行動にでる事はなかった。
 その理由は簡単だ。幾らこの国のためとはいえ、太老にこれ以上の負担を背負わせたくなかったからだ。
 この国のためを思えば、為政者としてその考えは甘いのかも知れない。
 しかし、そうすることが本当に正しいことなのか、判断に迷っていたからでもあった。

「彼女には事情を話し、納得してもらいました」
「ほう。どうやって納得させたのじゃ?」

 それ故に劉協は、曹操の提案を断ろうかとも考えた。時期尚早だと考えたからだ。
 太老や林檎の印象を悪くしたくないという考えもあったが、それ以上にこの件に関して恩を仇で返すような不誠実な真似はしたくないと考えたからでもあった。
 しかし、この世界が置かれている現実を知り、劉協はもう一度考えさせられることになった。

 それに、なんの考えもなしに、そのようなことを言い出す曹操ではない。
 太老を近くで見続けてきた彼女が、本当に太老の不利益になるようなことをするとは思えなかった。
 そこには深い事情があると考えたからだ。

「約束を――太老と最初に交わした約束を果たしたいのです」

 その言葉は、曹操の覚悟を現していた。
 劉協が迷ったのは、太老に負担を強いるからだけではない。
 そうすることで太老に嫌われることを恐れたのだ。

 しかし曹操は嫌われることを覚悟の上で、損な役回りを演じることを躊躇わなかった。
 彼女が得にもならない行動に出たのは、すべて太老のことを思ってのことだ。
 好きなようにすればいい――と太老に言われ、曹操が自ら決めて出した答えが、それだった。
 林檎が曹操のことを認めたのは、その覚悟を知ったからだ。

「太老は私に言いました。平穏な世界を築きたい。より住みよい世界にしたいと」
「住みよい世界……」
「その可能性を太老は見せてくれた。今度は私が約束を果たす番です」

 この世界は以前とは比べものにならないくらい豊かになった。
 今の平和や豊かさがあるのは太老のお陰だ。そのことは誰もが理解していた。
 受けた恩には、それ以上の謝儀を持って応えるのが、この世界の常識だ。
 ならば国に釣り合う対価とは何か? 世界に釣り合う対価とは何か?

「ですが正直な話、太老から受けた恩に応えられるだけの物は、今の私達には用意することは出来ません」
「なるほど……。それで今回のことを思いついたわけじゃな」

 ただ与えてもらうだけではなく、それに見合うだけの対価を用意する。
 しかし何を差し出そうと、それが太老の負担にしかならないようでは意味がない。
 そこで曹操は一つの答えを出した。

「私達の未来を太老に託したいと思います」

 例え、太老に頼らざるを得ないのが現実だったとしても、太老一人に背負わせるつもりはない。
 理想の手助けをしてもらった対価は、同じ夢を叶えることでしか支払えない。

 担保は未来。

 ――より住みよい世界に。
 それこそ太老の理想であり、彼女の願いだった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第126話『必要な対価』
作者 193






【Side:太老】

「ご主人様、おはようございます」

 メイド服に身を包んだ大勢の侍女を引き連れ、月が俺の部屋を尋ねてきた。
 部屋に運び込まれる大量の報告書や資料の山。今日の会議に関係する物なのは見ればわかる。
 今日は連合会議が開催される日だ。昨日から今朝にかけて続々と各国の代表が、ここ洛陽に集まってきていた。
 月や侍女達もいつもと違って、心持ち緊張した様子が窺える。
 各国の首脳が一堂に会するイベントとあって民の関心も高い。そうした重要人物を招くのだから、彼女達が緊張するのもわからない話ではなかった。

「もう、そんな時間か。他の皆は、もう集まってるのか?」
「はい。皆様お着きです。ご主人様……もしかして寝てらっしゃらないのですか?」
「ああ、昨日のうちに片付けておきたい仕事があってね」

 と、言うのは表向きの理由。
 一晩中、書類整理をしていたのは本当だが、実際のところは緊張して寝られなかったのだ。
 この連合会議の開催が決まった時から覚悟していたことだが、実際にその日を間近に控え、緊張を抑えることは出来なかった。
 これが遠足を前日に控えた子供の気分なら、まだ気持ちが高ぶっているだけでマシだったのかもしれないが、実際のところは不安と心配が大半を占める。
 この会議があの件に関していることだけは間違い無い。華琳が何を企んでいるのかわからないだけに気になって仕方がなかった。

「余り無理をなさらないでください」
「ごめん、心配を掛けて。でも一晩くらいは全然平気だから――」
「それでもです! ご主人様はいつも無理をしすぎです」

 月の言葉に賛同するように一斉に頷く侍女達。
 そんなに無理をしているつもりはないんだがな。ここ最近は書類仕事も減って、随分と楽をさせてもらっているくらいだ。
 風が多麻と一緒に始めた人材育成強化プログラムが上手く行っている証拠だった。
 ちなみに顔色が悪く見えるのだとすれば、それはさっき言った心配が原因だ。

「一刻後、玉座の間にて会議が開かれる予定となっています。それまで少しお休みになられますか?」
「いや、資料の確認もしておきたいから、それは後にするよ」
「……わかりました。ですが、今晩は夜更かし禁止ですからね」

 いつもの月からは想像も付かないほど、そこには有無を言わせぬ迫力があった。

(これは、ちゃんと寝てるか確認にきそうだな……)

 あと二時間か。窓の外を見ると、会議の開催を告げる花火も既に上がっていた。
 街はこのイベントにお祭りムード一色。如何にこの会議が注目されているかが窺える。

「街は賑やかそうだな」
「はい。昨日から屋台街の方も賑わっているみたいですね」

 月の話によると、子供達は屋台街の方を観に行っているみたいだ。
 最近は色々とあったからな。この祭りで気分転換をしてくれればと思っていた。

「早速ですが、本日の予定の確認をさせて頂きますね」

 こうして月と仕事の打ち合わせをするのは毎朝の日課だ。
 本来、俺の仕事の補佐は林檎や風の担当なのだが、あの二人は他にも仕事を多く抱えていて忙しいこともあり、大半は月がこうして俺の身の回りの世話だけでなく秘書の代わりみたいなことをやってくれていた。
 月率いる侍女部隊には、とても助けられている。そこらの文官より有能だしな。

「――以上が今日の予定となっています。あと会議の資料に関してですが」
「意外と普通だな……」
「普通……ですか?」

 資料に目を通して俺が『普通』と口にしたのは、思っていたより会議らしい内容だったということだ。
 各国の状況確認と報告。今後の方針を決めるのが、今回の会議の目的。
 華琳が裏で何を企んでいるのかまではわからないが、会議の内容としては至って真面目なものだった。

「どのようなものを想像されていたのですか?」
「えっと……公開処刑?」

 会議の内容が華琳に話した例の件だとすれば、俺への質問で大半の時間が潰されるのではないかと考えていた。
 内緒にしていた以上、責められても文句は言えない。だから覚悟を決めていたんだが――
 後でその時間を取る可能性はあるが、この資料からはそんな様子は窺えなかった。

「まさか、そんなことはありえませんよ」

 出来ることなら月の言うように無いと願いたいが、世の中そんなに甘くはないはずだ。
 それに嫌な予感がする。華琳が何かを企んで、この会議を開催したことだけは確かだ。
 この手のことで、俺の予感は結構当たるからな。

「でも、そう言えば……陛下から重大な発表があると聞きました」
「……重大な発表? 華琳じゃなく揚羽から?」
「はい。ご主人様は何もご存じないのですか?」

 知らん。そんな話は初耳だった。
 華琳ならわかるが、揚羽が発表ってどういうことなんだ?

(嫌な予感しかしない……)

 何かが起きようとしている。それだけは確かだった。


   ◆


 玉座の間には各国を代表する錚々たるメンバーが集まっていた。
 呉からは正式に呉王を継承したばかりの孫権と、その補佐に周瑜と呂蒙の二人。
 てっきり雪蓮も参加しているとばかりに思っていただけに、その姿が見えないのは気に掛かる。

(これは逃げたな……)

 呉のメンバーの様子を見て、大体の事情は把握出来た。
 雪蓮はこういう堅苦しい席が苦手だからな。もっと言うと会議が嫌いみたいだ。
 しかも街はお祭りの真っ最中だ。雪蓮が屋台を前にして我慢が出来るとは思えない。
 請求書の件は俺も報告を受けている。彼女達も大変だな、と呉のメンバーに同情した。

(魏からは華琳と桂花か。西涼からは――)

 俺もこうして顔を合わせるのは初めてだ。西涼の盟主、馬騰が会議に出席していた。
 林檎が西涼に赴いた際、協力の対価として馬騰を治療をしたと報告を受けていた。
 療養中と言う話だったが、ここに出て来たということは体調も快復に向かっているのだろう。

(月の件では世話になったし、後で挨拶くらいはしておいた方が良さそうだな)

 涼州が味方についてくれたことで後処理がやり易かったこともある。
 益州の件では馬超を派遣してくれたり、蒲公英を俺の案内役権護衛に付けてくれたりと他にも色々と世話になっていた。

(白蓮達も来てるな。各国の首脳、重要人物が勢揃いってところか)

 他にも幽州を代表して白蓮が、各国の有力者と思しき面々も集まっていた。

「それでは、これより連合会議を行いたいと思います」 

 司会進行役でもある詠の言葉を皮切りに会議は始まった。
 ただ、ここで問題が一つ。

「太老、お主の席はこっちじゃ」
「……は?」

 揚羽から何故かありえない席を指定された。
 連合の長。皇帝のみが座ることを許される席、皇帝の玉座に案内されたのだ。

「揚羽、ここに俺が座るのはまずいんじゃ……」
「よいのじゃ」

 いや、どう考えても良いわけないだろう。
 幾ら俺でも、それくらいわかるぞ。

「いや、でも……」
「よいと申しておる。太老以外に、その席に相応しいものは他におらぬからな」

 全く状況が掴めなかった。本来そこは皇帝、揚羽が座るべき場所だ。
 天の御遣いなんて呼ばれてはいるが、俺はこの国の人間でなければ、この世界の人間でもない。平和の立役者、民の代表、皇帝の後継人など色々と言われてはいても、官位は疎か自分の領地だって持っていなかった。
 分かり易い肩書きで言えば『商会の代表』というのがあるが、それだって役職とは違う。
 揚羽がよくても、他の皆が納得するはずがない。
 と周囲を見渡すが、このことに異議を唱える者は一人としていなかった。

「まずは会議を行う前に、我から重大な発表がある」

 未だに状況が掴めない俺を放置して、淡々と話を進める揚羽。
 まるで最初から話すことを決めてあったかのように、スムーズに会議が進行していく。

(揚羽だけじゃない。この場にいる全員がグルか?)

 会議にばかり目がいっていたが、その会議が別の目的を隠すために開かれたとしたら?
 今になって華琳の本当の狙いに、ようやく俺は気付いた。

「我は皇帝の地位を、ここにおる天の御遣い――正木太老に禅譲する」

 それは俺の未来を左右する決定だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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