【Side:太老】

「はあ……」

 大きなため息を溢しながら、窓の外へと目を向けた。
 城壁の外に広がる街の姿。城館へと続く広場には、既に大勢の人が詰めかけていた。

「ご主人様。顔色が優れないようですが大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと寝不足でね」

 月に気を遣わせてしまったようだ。
 華琳と蓮華が何故あんなに怒っていたのか、一晩考えてみたがよくわからなかった。

「御茶をどうぞ。気分が落ち着きますよ」
「ありがとう。うん、やっぱり月の淹れてくれる御茶は最高だ」
「そ、そんな……」

 月の御茶は変わらず美味かった。ほっと心が落ち着く。
 こうしていると、あちらの世界のことを懐かしく感じることがある。
 砂沙美も、俺が悩んでいたり落ち込んでいたりすると何も言わず、こうしてそっと御茶や御菓子をだしてくれた。

「月は、何も訊かないんだな」
「……それは私の役割じゃないですから」
「役割?」
「……はい。私は詠ちゃんのように(まつりごと)でご主人様を補佐したり、恋ちゃんや霞さんのように戦いに赴くような力と勇気はありません。私に出来ることは、ご主人様の帰りを待つことくらいですから」
「そんなことは……」

 ないと言おうとしたところで、月は首を横に振った。

「……ご主人様がくつろげる空間を、帰る家を守り、快適に過ごせるように生活を支えるのが私達の仕事です。それは他の誰にも出来ない侍女(わたし)達だけの役割。私は私に出来ることをしているに過ぎません」

 適材適所――それは俺がずっと言ってきたことだ。
 詠にしか出来ないこと、恋にしか出来ないこと。そして、月にしか出来ないこと。
 自分に出来ることを、月は精一杯頑張っていた。

(それじゃあ、華琳と蓮華も……)

 何かと俺のやることに口うるさい華琳だが、その言葉や行動には必ず意味があった。
 理不尽な理由で怒るとは思えない。俺の見落としている何かがあると言うことだ。

「自分の胸に聞いてみろ、か」

 華琳に言われた言葉だ。よく鈍いと言われるが、今回のことは正直考えさせられた。
 璃々に大切なことを教えられ、華琳と蓮華に怒られ、そして月に諭されるまで自分の過ちに気付けなかった自分が恥ずかしい。少しは成長したと思っていたんだが、まだまだ俺も未熟者(こども)だったのだと気付かされた。

(結局、一番壁を作っていたのは、俺だったのかもしれないな)

 物語のなかの出来事。この世界の人間じゃないというのを言い訳に、俺は彼女達から一歩引いた立場をいつも取っていた。
 転生者だから、別の世界からきた人間だから、理由は幾らでもある。でも、そんなことは言い訳にならない。少し他人より知識があり知っているつもりで、なんでも理解した気で自惚れていた。
 ちゃんと見ようとしたか? 彼女達のことを知ろうとしたか?
 家族だ。仲間だと言いながら、俺は彼女達の本質を見ていなかったことに気付かされた。

 ――ここはアニメやゲームの世界ではない。

 天地無用の世界に転生して最初に感じた違和感。それが前世の記憶であり原作知識だ。
 確かに俺は知識として原作(セカイ)のことを記憶しているが、ここは空想でも架空の世界でもなく、俺にとっての現実だった。
 とっくに理解したつもりで、また同じ過ちを繰り返そうとしていた。
 確かにこれでは、鈍いと言われても仕方がない。華琳が怒るのも当たり前だ。

「俺も、俺に出来ることを頑張ってくるよ」
「……はい。頑張ってください。お帰りをお待ちしています」

 過ちは行動で償う。責任の取り方は自分で考える。
 この国の未来、自分自身のためにも、俺は大切な一歩を踏み出す覚悟を決めた。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第134話『責任の取り方』
作者 193






「ごめん!」

 演説を前に玉座の間に集まった各国の代表を前に、俺は頭を下げ謝った。

「特に華琳と蓮華、昨日は悪かった。俺が鈍かったばかりに、二人には嫌な思いをさせてしまった」
「うっ……そう、素直に謝られると……わ、わかればいいのよ。わかれば……」
「ごめんなさい、私も少し言い過ぎたわ……。だから、頭を上げて……皆が見てるし……」

 華琳と蓮華なら、素直に謝れば許してくれることはわかっていた。
 これはケジメだ。俺がバカだったばかりに気付かないところで、彼女達を傷つけていたことを一言謝りたかった。

「誤解を招くようなことをしたのは俺の責任だ。本当にすまなかった」

 もう一度、今度はその場にいる皆に謝罪する。
 動揺している様子は窺えるが、特に何かを言ってくる者はいなかった。

「まだ皆に話していないことがある。だから今日はそれを皆に聞いて欲しい」

 これは、謝罪と同時に決めたことだ。これからも、話の行き違いや誤解がないと限らない。それを事前に解消しておきたかった。
 そのためにも、まずは俺のことを知ってもらう必要がある。ある程度、皆も華琳から事情を聞いているとはいえ、華琳に話したことが全てでは無い。転生のことは話せないまでも、林檎や一刀が知っていることは、全て皆に話しておこうと俺は考えた。

「……太老、あなたはそれでいいの?」
「ああ、全部話すと決めたんだ。皆にはこれからも協力してもらわないといけない。この国のためにも、そして俺自身のためにも、ここからは隠し事なしでいきたい」
「そう……そこまで覚悟が決まっているのなら、これ以上は何も言わないわ」

 華琳は俺がまだ全てを話していないことに気付いていながら、何も訊こうとしなかった。
 そして俺は、そんな華琳の優しさに甘えていた。
 国の再編や皇帝就任も、全ては華琳が林檎や揚羽と仕組んだことだが、そうなった一番の原因は俺にあった。
 確かに結果は付いてきている。ただそれは俺だけの力でもたらした結果ではない。
 これまではよかった。しかし詳しい事情を何も話さず、周囲を不安にさせたり誤解を招いてきた原因が、劉備軍の敗退――益州での結果に繋がっているのだとしたら、二度とその過ちを繰り返すわけにはいかない。
 俺に力を貸してくれた皆のためにも、俺を信じてこの国を預けてくれた揚羽の想いに応えるためにも、俺は全てを自分の口で皆に話すことを決意した。

「これから話すことを聞いて、どうするかは皆の判断に委ねる。でも、俺はどんな答えを皆がだそうと、最後まで責任を取るつもりだ。この世界を救い、子供達の未来を守る。それが俺の意思であり覚悟だ」


   ◆


「随分とあっさりしてたな……」
「当然よ。今更、どんな話を聞かされたところで、私達の意思は揺らがないわ。その程度の覚悟はとっくに済ませている」
「でも、もうちょっとなんか反応があってもいいんじゃないかと思うんだが……」

 結果だけを言えば、特に何かが変わることはなかった。
 俺がこの世界にきたあらましや、俺の世界のことや俺自身のことを時間の許す限り詳細に説明した。そして、この世界が置かれている状況や、俺がこれからしようとしていることまで、全てを語ったつもりだ。
 だからと言って、華琳達が俺に対する態度を変えることはなかった。
 色々と覚悟していただけに、肩透かしを食らった気分だ。

「あなたが何者であろうと、そんなことは私達にとってどうでもいいことよ。その程度で気持ちが揺らぐと思われる方が不快だわ」
「うっ……すまん」
「謝らないで。あの言葉が嘘でないのなら、尚更あなたは謝るべきではない。悪いと思っているのなら、これまでそうしてきたように結果と行動で示しなさい」

 頭が良いとか力が強いとか、そういうのじゃない。
 本質的に華琳には敵わないと思った。純粋に、彼女は強いのだ。その在り方が、心が。

(将来、華琳なら鬼姫とかともタメを張れるようになるかもしれないな)

 それは俺にはないものだ。
 以前なら鬼姫のようになりたくない、平穏に生きるためには必要がないと思っていたモノの一つではあったが、今はそんな華琳のことが眩しく見えた。
 これが華琳の言っていた『自覚』というものなら、少しは成長したと思いたい。

「でもまさか、あそこまで話すとは思っていなかったから驚いたわ……」
「後半は私的な暴露会になってたしな……。でも出来る限り、隠し事をしたくなかったんだ」

 彼女達は観客ではなく当事者だ。
 隠し事をしている後ろめたさのようなものもあるが、何も言わずに大事なことを進めるのは不誠実だと思った。
 まあ、プライベートなことまで話す必要があったかはわからないが、気持ちの上では話すことでスッキリした。

「……そして、これが太老の故郷にならった宴会≠ニ言う訳ね」
「王も民もない。皆、一緒に騒ぐのが樹雷式だからな」

 無事に式典を終え、城壁の外も内も街中が新しい門出を祝い、ドンチャン騒ぎになっていた。
 はっきり言って、堅苦しい挨拶やありがたい言葉なんていうのは、俺には思い浮かばない。
 この宴会は演説のどさくさに紛れて、俺の言いだしたことだ。

「前代未聞だって、桂花が怒ってたわよ?」
「小難しい話なんて誰も訊きたがらないだろう? ちゃんと伝われば一言でいいんだよ」
「だからって桃香じゃないんだから、『皆で一緒に頑張りましょう』はないんじゃない?」
「分かり易くていいと思うんだけどな……」
「はあ……」

 呆れた様子で、大きなため息を漏らす華琳。気持ちと話の内容が伝われば、形式ばった長い話は必要ないというのが俺の考えだった。
 色々と一緒に調べてもらった蓮華には悪いが、そもそも最初から型に嵌まる必要はなかった。
 元々、この世界の人達からしてみれば、型破りなことをしてきた俺だ。今更、この世界の常識を気にしたところで仕方がない。
 ここにいる華琳を含め、俺を皇帝に推挙した人達が求めているのは変革だ。
 過去の例にならっていて、それが出来るとは思えない。だから――

「俺の常識を、この国の常識に変えるくらいの気持ちで、これからは頑張るつもりだしな」
「……程々にしておきなさいよ。でないと、また桂花が発狂するから……」

 華琳とは思えないほど、控え目な言葉だった。

「お父さん! 一番いいところのお肉もらってきたよ」
「でかしたぞ、璃々。それじゃあ、一緒に食べるか」
「うん!」

 璃々にも、今回の件で色々と教えられた。
 これまで中途半端だった態度を改め、覚悟を決めることが出来たのも璃々のお陰だ。

「璃々、ありがとうな」
「ん? お父さん、くすぐったい」

 頭を撫でてやるとくすぐったそうに、体を震わせる璃々。
 その仕草が可愛らしく、思わず俺の頬も緩む。

「親バカね……」

 ボソッと呟く華琳。だが、それは俺にとって嫌味でもなんでもない。
 心の奥底にある原動力と言えるモノを、今回のことで再確認したくらいだ。

「親バカ結構。言っただろう? 子供達の未来を守るって」
「それで『(ジン)』ね……。まあ、あなたらしい選択だとは思うけど」

 儒教において仁・義・礼・智・信の五徳で知られる『仁』は、他者に対する親愛や優しさを意味する言葉だ。中国の思想において、それは倫理規定の中心に添えられるほど重要な意味を持つ言葉とされている。
 俺はこの国の未来に、それが一番重要なものと位置付けた。
 国号は『天仁(てんじん)』。前例にならって一文字でもよかったのだが、天の名を冠したのは、この国を俺達の世界に負けないくらい豊かな国にしたいという願いも込められていた。
 決して、『太老』の『太』よりはずっとマシという理由からではない。

「太老、一つだけ訊いてもいいかしら?」
「ん、なんだ? 大抵のことなら、なんでも答えるけど」

 誰にも言っていない転生のことは別だが、他のことで華琳に隠し事をするつもりはなかった。
 隠すつもりなら、最初から皆の前で秘密を打ち明けるような真似はしていない。

「全てを話したということは、あなたはこの国に留まるつもりなの? それとも……」
「ああ、そのことか」

 華琳が何を心配しているのか、ようやくわかった気がした。
 俺の気持ちは決まっているのだが、その前に一つ気になることがあった。

「もしかして、それで怒ってたのか? 俺が居なくなると思って」
「なっ!?」

 顔を真っ赤にして狼狽える華琳。

「ち、違うわよ! あなたが子供を連れて呑気に街中を散歩なんてするから!」

 しまった――と言った顔で、慌てて自分の口を塞ぐ華琳。
 余程、知られたくない話だったのか、珍しく焦った様子が窺える。

「子供? 璃々のことか? ん……なんで、それで華琳の機嫌が悪くなるんだ?」
「……どうして、あなたはこういう時だけ極端に鈍いのよ」

 璃々とのことで華琳が機嫌を損ねていることはわかったが、その理由がわからない。
 璃々にヤキモチを妬いているとか? まさか……な。
 あの曹孟徳が子供に嫉妬するなんて、ちょっと考え難かった。

「本気でわかってないようね……。反省しているようだから許してあげようかと思ったけど考えが変わった」
「……ちょっと待て、華琳。何をするつもりだ?」
「こうするのよ――」

 璃々の前で、しかも宴会の真っ最中。大勢が見ている前で、華琳は思わぬ行動にでた。

「――っ!?」

 華琳の唇が、俺の口を塞いだ。突然のことに頭が真っ白になる。

「ん……んぅ……ちゅ……」

 華琳の滑らかな舌使いが口の中を這い、貪るように俺の唾液を舐め取る。
 経験したことのないような濃厚なキス。先程まで賑やかだった宴会の席が、一瞬にして凍り付いたかのような静寂に包まれた。

「んっ……ん、ふ……」

 時が制止したかのように長い沈黙のなか俺は身動き一つ取れず、華琳に為すがままされる。
 どのくらいそうしていたかわからない。一分か、五分か、十分か?
 前にしたキスよりも、ずっと長く……深いキスだった。

「ぷはっ……どう?」
「ど、どうって……」
「優しさはあなたの美徳ではあるけど、女に余り恥をかかせるものじゃないわよ?」

 キスの余韻で何をされたのか今一つ理解出来ず、俺は放心状態に陥った。
 それは状況を見守っていた周囲の皆も同じだ。
 華琳の澄んだ声が一際強調されて聞こえるほどに静かだった。

「璃々もする!」

 そんな静寂を破ったのは、璃々の一言だ。『自分も』とせがみ、俺に抱きついてくる璃々。

「ちょっ、華琳! お前が突然キスなんてするから!」
「皆の前で責任を取るって言ったじゃない。だったら、最後まで責任を持ちなさい」
「って、責任の意味が違う!?」
「違わないわよ。それに、ここに居る皆が証人よ。男らしく観念なさい」
「――はっ!? 最初から、そのつもりで!」

 俺の一言で始まった宴会ということもあって、いつものメンバーだけでなく、ここには身分を問わず大勢の人が集まっていた。その全員が、俺と華琳の濃厚なキス……衝撃的な場面を目撃したということになる。
 これを狙ってやったのだとしたら、とんでもない策士だ。

「さあ、次は蓮華の番よ。欲しい物は強引に奪いにいかないと、いつまでも手に入らないわよ?」
「うっ、でも……こんな衆目の前で」
「孫権がせぬのなら、我の番じゃな!」
「え? へ、陛下!?」
「我はもう皇帝ではない。ただの女じゃ! さあ、太老! 我とするぞ!」
「する!? するって何を!?」

 華琳の一言で蓮華は顔を真っ赤にして慌てふためき、揚羽は璃々と一緒になって自分もと迫ってくる始末。
 ――どうするんだ、これ?
 華琳の行動が招いた騒動が、収拾の付かない事態を引き起こしていた。
 いつも、騒ぎを起こすなと言っている側の華琳とは思えないほど大胆な行動だった。
 前は寝ぼけていたで済ませられるが、今回はそうはいかない。益々、混乱した頭で俺が取った行動は――

「こうなったら逃げるしか」
「……逃がさない。恋も……する」
「諦めた方がいいで。包囲網は完璧や」

 後に逃げようとすると、方天画戟を装備した恋と完全武装の霞が行く手に立ち塞がった。
 しかも宴会場の周囲を固めているのは、商会の隊員達だ。凪達が指揮していると考えて間違い無い。

「うっ……これは……」

 さっきまで会場の警備をしていた味方が、全て俺を捕らえる側に回っていた。
 しかも逃げようにも隙がない。商会の自警団に、効率的な戦い方を教えたのは俺だ。勿論、過去の経験を基に自分がされて嫌な方法を教えてきたので、これはある意味で対正木太老用の布陣と言ってもいい。
 自分に向けられることを想定していなかっただけに、実際に敵に回してみると、かなり厄介な相手だった。
 そこに、恋や霞……いや、集まっている武官や軍師が全員相手となると……考えたくない。

 ――と、その時だった。

「マスターの唇は多麻がもらうです!」

 空から降ってきた隕石……もとい多麻が会場の警備を吹き飛ばした。
 その隙をついて、俺は一気に警備の穴を駆け抜ける。

「その調子じゃ太老!」
「お父さん、皆で鬼ごっこ?」
「いつの間に!?」

 腰には揚羽が、肩には璃々が掴まっていた。
 とはいえ、後からは追っ手が鬼気迫る表情で追ってきている。
 足を止めれば、そこでジ・エンドだ。なら、やるべきことは決まっている。

「結局はこんなオチかあぁ――っ!?」

 皇帝になっても変わらない日常に、俺はただ叫ぶことしか出来なかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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