太老の失踪から数日。曹操をはじめとする計画の関係者は洛陽に集まっていた。
 前皇帝の劉協、曹操の付き添いでやってきた荀イク。そして、太老の失踪に関与していると思われる程イクと多麻の計五人だ。

「こうなることを知ってたわね。あなた達」

 あのタイミングで太老が陳留に赴き、技術局から機材や道具を持ち去ったことと、余程のことでも無い限り普段は面倒くさがって動こうとしない程イクが、自分の意思で許昌まで事情を説明にきたことが繋がっていると曹操は考えていた。

「風、どうするのじゃ? かなり怒っておるようじゃが……」
「ぐー」
「――って、寝るでない! 我を見捨てる気か!?」

 曹操の迫力に圧倒される劉協。一時はこの国を預かる皇帝の地位にあったとはいえ、経験の浅い子供であることに変わりなく、静かに怒る覇王に睨まれ、正面から受け流されるほどの度胸は持ち合わせていなかった。
 隣の程イクに助けを求めるが、程イクはいつも通り気持ちよさそうな寝息を立てる。
 これに困ったのは味方を失った劉協だ。それはないとばかりに目尻に涙を浮かべ、程イクの身体を激しく揺すった。

「ちゃんと華琳様に説明しなさい!」

 話の進まない二人の態度を前に、焦りとなって荀イクの怒りの矛先が程イクに飛ぶ。
 傍に居たのに太老の思惑に気付けず、こんな事態を招いてしまったことを荀イクは悔いていた。もっと早くに気付いていれば、太老を止められたかもしれない。そうした思いがあったからだ。

「やめなさい、桂花。風を責めても問題は解決しないわ」
「ですが……」

 不満を感じてないわけではない。しかし荀イクと違い、曹操は理解していた。
 太老の考えに気付いていたとしても、彼がここを出て行くのを止められなかっただろうということに。
 そもそも太老は何故、手紙一つを残して失踪したのか?
 責任を追及するためにここにきたのではない。その理由が曹操は知りたかった。

「一つだけ聞かせて。これは太老の言っていた計画に必要なことなのね?」

 程イクの発案で始められた文官の再教育。代表の座を退き、商会の後継者に指名された郭嘉。そしてコピーロボットを影武者に添え、太老が行方を眩ませたことも、すべて用意周到に練られた計画だったと仮定すれば、今回のことにも説明が付く。
 太老と多麻が、どのような策で世界を救おうとしているのか、詳しくは曹操も知らない。
 説明されたところで、今の自分では理解の出来ないことだということはわかっていた。
 故に尋ねる。太老の失踪は、自分達の知る計画に必要なことなのかと。

「はい。お兄さんの計画に必要なことです」

 程イクは迷わず曹操の問いに答えた。

「……多麻。太老は帰ってくるのね?」
「はいです。マスターには幸せになってもらわないと困りますから!」

 二人の迷いの無い答えに、曹操は「そう、わかったわ」と安堵の笑みを浮かべる。
 不安だったのは、もうここに太老は帰って来ないのではないかということ。
 少なくとも太老はまたここに帰ってくる。その言葉が聞けただけでも安心だった。

「ここにいない人物の話を、これ以上しても仕方がない。そういうことね、風」
「はい。そういうことですー」

 飢えのない、誰もが笑って過ごせる、平穏な世界を作るという願い。それは結果が伴わなければ大言壮語と笑われても仕方のない理想だが、正木太老はこれまで現実には不可能とされることを幾つも可能にしてきた男だ。その結果の前には、不可能と笑うことは出来ない。ならば、曹操のすることは決まっていた。

「なら、太老がいないことを前提に話を進めましょう。これから私達はどうするべきなのかを」

 それに太老ならなんとかしてくれると言った甘い考えがあったのは事実だ。
 太老に頼り切っていた甘えを戒める意味でも、これは良い機会だと曹操は考える。
 ただ――

(私に一言もなく出て行ったことは許すつもりはないわよ。帰ってきたら、心配させた責任は取ってもらうから覚悟してなさい――太老)

 女心を理解出来ていない太老は、曹操に火を付けてしまったことを知るよしもない。

「うむむ……太老はもしかして地雷を踏んだのではないか?」
「まあ、お兄さんですしね。これも想定範囲ですよー」
「さすがマスター! そこにいなくてもフラグを立てる男! 痺れます!」

 ――事象の起点、フラグメイカー。その二つ名に偽りはなかった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第140話『理想の秘薬』
作者 193






【Side:太老】

「自由って最高!」

 荒野の真ん中で思わず叫びたくなるのは無理もない。俺は自由を手に入れたのだ。
 ここ最近、書類の山に埋もれて机に向かってるか、癖の強い女性陣に追い回されるか、二つに一つの日々を過ごしてたからな。目的のある旅とはいえ、こうして何者にも束縛されることなく自由を満喫するのは久し振りのことだ。
 一時の平和とはいえ、今はこの解放感を満喫したかった。

「マスター、またフラグが立ったみたいですよ」
「……フラグ?」
「ハーレムフラグです! マスターの野望にまた一歩近付きました!」

 また意味のわからないことを……。
 多麻(こいつ)さえ一緒じゃなければ、もっと自由を満喫できたのに……と思わなくもないが、多麻がいないと、この旅の目的を達することが出来ない。元の世界に帰るため、そしてこちらの世界を救うために進めてきた計画を次の段階に進めるためにも、皇居にずっと引き籠もっているわけにはいかなかった。

 ――北の守護者にして、北方の交通の要とされる経済特区、白蓮の統治する幽州。
 ――嘗て袁術が治めていた河南をはじめ、黄海に接する東と南一帯を支配地域とする呉。
 ――幽州を除く河北三州をはじめ、大陸中央に絶対的な支配領土を持ち、他を寄せ付けない圧倒的な軍事・経済力を有する大国となった魏。
 ――侵略者から国を守る防波堤として、その役目を担ってきた天子の盾とも言うべき西涼連合。
 そして連合の長、皇帝の支配する王都――洛陽。
 天の御遣いを頂点とする連合国を設立し、協力を得た各国に多麻を派遣。
 多麻ネットワークの構築と各国にゲートを通す作業は終わり、計画は次の段階に駒を進めた。
 ここまでは概ね計画通り。ただ一つだけ、俺や多麻にも予想のつかない不測の事態が起こった。

「林檎さん、無事だといいんだけど……」

 益州に入った多麻の分身が消え、その調査に向かった林檎まで行方がわからなくなった。
 分身体とはいえ、多麻がやられたことさえ信じられないというのに、あの『鬼姫の金庫番』とまで呼ばれる林檎が不覚を取るなど考え難い。例の二人組、左慈や干吉の実力は知っているつもりだが、あの二人にそんなことが可能だとは、俺にはとても思えなかった。
 そんな時だ。俺のところに一通の手紙が届いたのは――

「マスター! 目的の村が見えてきました!」

 今、俺が向かっているのは荊州の山奥にある小さな集落。一刀との約束を果たすため、そしてこの手紙の主に会うために俺は水鏡塾≠ノ向かっていた。


   ◆


 集落に着いた俺を出迎えてくれたのは、俺に手紙を寄越した本人――華佗だった。
 華佗の背中に隠れ、こちらの様子を窺う子供達。

「その子達は?」
「ああ、村の私塾に通う子供達だ」

 この子供達が一刀の話してくれた水鏡塾の生徒達か。

「本来はこちらから出向くのが筋なんだが……すまない。ここを離れる訳にはいかなくてな」
「いや、こちらこそ。まだ洛陽でのお礼を言ってなかったしな。あの時は助かったよ」
「あれは利害が一致してのことだ。礼を言われるようなことはしていないさ」

 気にするなと華佗は言うが、まったく気にしないと言うのは無理がある。
 宦官の暴走に太平要術の書が絡んでいると当たりを付け、俺と華佗は手を結んだはいいが、結局は張譲に逃げられ、件の元凶となった太平要術の書も確保することが出来なかった。
 そして、それが益州での一件に繋がったのは後悔しても遅い。黄巾党の時といい、その場にいながら二度も逃した責任を俺は感じていた。

「それで、手紙で頼んだ物は?」
「持ってきた。でも、礼なら一刀に言ってくれ。対価はもらってるしな」
「もう一人の天の御遣い――『両刀』か。話は水鏡殿から聞いている」

 事情を知っているなら話が早い。早速、頼まれていた物を華佗に手渡す。
 解毒剤の最後の材料、孫家に古くから伝わる秘薬『江東丸』が届いたのが、つい先日のことだった。長く使用されることなく、倉の奥に仕舞われていたため、探すのに時間を要したとのことだ。
 人手不足で悩みを抱えるのはどこも同じ。風の行った文官の強化策や、多麻の臨時派遣がなければ、もっと時間がかかっていた可能性は高い。無理を言って秘薬をわけてもらっている手前、文句を言えるはずもなかった。

「あと一月(ひとつき)遅ければ、完全に猫化していたところだ」

 深刻そうな顔で、そう話す華佗。危機一髪といったところだったのだろう。その話の流れから、華佗がここを動けなかったのも、何進の症状の進行を遅らせる治療をしていたためだと言うことがわかった。
 華佗の手紙がなければ後回しにしていたところだ。

(忘れてたってのは黙っておこう)

 手紙が届くまで忘れていたとは決して言えなかった。

「ところで、肝心の患者はどこにいるんだ?」
「ああ、それなら一緒に――」
「どこを見ておる。(わらわ)はここじゃ!」

 と、声のする方に視線をやると、腰に手を当てた偉そうな幼女が足下に立っていた。

「……この子も水鏡塾の生徒か?」
「妾を子供扱いするな!」

 そうは言うが、どこからどう見ても幼女だ。璃々と同い年くらいにしか見えない。
 いや、もっと小さい。なんだ、この可愛い生き物は……。

「耳と尻尾。それに肉球完備か。素晴らしい手触りだ」
「な、何をするのじゃ!」

 それは、思わずお持ち帰りしたくなる可愛さだった。
 プニプニと幼女の肉球を堪能しながら、美以の親類か何かだろうと予想する。
 しかし南蛮族が、なんでこんなところに?

「正木殿、非常に言い難いのだが……」
「ん?」
「彼女が、その患者……何進だ」
「……へ?」


   ◆


 ――猫子丹(にゃんこたん)の調合法を教えてくれ!
 その場で華佗に頭を下げたのは言うまでも無い。
 猫化するというから本物の猫になると思っていたら、身体が縮んで猫耳と尻尾が生えるなんて思いもしなかった。反則だ。
 そんな素晴らしい薬があるなんてわかっていれば、もっと早くここに来ていた。

「出来たぞ、この薬を飲めば元に戻るはずだ」
「ぐっ……この臭いは……」

 ところ変わって、ここは集落の一角に設けられた華佗の診療所。
 黄緑色の液体。解毒剤というか、見た目は毒物にしか見えない。しかも半端なく臭い。
 元の姿に戻れるという喜びから一転、解毒剤を前にして何進すら躊躇するほどだった。

「飲めないようなら、そのままでもいいんじゃないか?」
「の、飲める! このくらい、この姿でいることを思えば……」

 本気でその姿のままでいいと思ったから言ったのだが、俺の言葉を挑発と受け取った何進は薬を一気に口の中に流し込んだ。

「う……ぐあ……」

 飲み干した直後、床にうずくまり苦しそうに身悶える何進。その身体が徐々に変化を始める。
 小さく幼かった身体が急激に成長をはじめ、むくむくと大きくなり――

「おおっ」

 思わず、俺の口から感嘆の声が漏れる。
 残念ながら肉球は失われてしまったが、猫耳と尻尾はそのままに身長は百五十センチくらい。年齢は十二〜十三歳、中学生くらいといったところ。銀髪のよく似合う、どこからどう見ても可愛らしい猫耳少女の姿がそこにあった。

「なっ、も……」
「も?」
「戻っておらぬではないか!」

 凄い剣幕で俺に突っかかってくる何進。そんなことを俺に言われても困る。
 どうしたものかと華佗に目で助けを求めるが、返ってきたのはため息だ。

「恐らくは薬を服用してからの時間が長すぎた所為だろう。症状が進み過ぎていて、解毒しきれなかったんだ」
「なんじゃと!? ならば、妾はずっとこのままということか……?」
「別にそのままでも……」

 ――キッ!
 最後まで言い終える前に、物凄く殺意の籠もった目で何進に睨まれた。
 物は考えようだ。耳と尻尾はおまけみたいなもんと割り切って、折角若返ったんだから前向きに第二の人生を楽しんだらいいのに……と思わなくもないが、目の前で落ち込んでいる姿を見ると口にする勇気はなかった。

「いや、これからも定期的に解毒剤の服用を続ければ、自然と毒は抜けるはずだ」
「本当か!?」
「あ、ああ……しかし、そのためには素材が足りないんだが」

 チラッと俺の方を見る華佗。何進の視線も自然と俺の方に向く。
 今回、俺が持参した素材で作れる薬は二回分。これからも定期的に薬を服用するとなると、この何倍もの素材が必要となる。南蛮象之臍之胡麻は美以に頼めば簡単に手に入るだろうが、持久草と江東丸は話が別だ。
 持久草を手に入れるには泰山の頂きまで登る必要があり、江東丸に至っては孫家に伝わる秘薬ということで、そう何度も融通してもらえるようなものではない。何が言いたいかというと――

「都合するのはいいけど、対価は支払えるのか?」
「ぐっ……!」

 現実は非常だ。一刀との契約は、薬の材料をここに届けたことで終わっている。治らなかったことにまで責任は取れない。
 もっと薬が欲しいというなら、足りない素材は自分で集めてもらうか、対価が必要だ。

「とはいえ、俺も鬼じゃない」
「……な、何をさせるつもりじゃ?」

 脅えた表情で、恐る恐る尋ねてくる何進。俺の答えは決まっていた。

「もふもふさせてくれ!」

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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