蜀の荒野を南下する一両の馬車があった。
 大陸の商人達の間で、今や一種のステータスとさえなっている天の技術で作られた特別製の馬車。通常の馬車より値は張るものの揺れが少なく、長旅でも疲れないようにと乗り手のことを考え、乗り心地を追及したこの馬車は、多くの豪族、諸侯達に愛用されていた。
 人力車やスクリュー船など、他に幾つもの移動手段が開発されてはいるが、商船を購入できるようなのは豪商に限られ、人力車に至っては完全に趣味や娯楽の域で、一般人の体力では効率の面で旅には向かない。そのことから現在でも馬は重宝され、軍に限らず、商人の足としてなくてはならないものとなっていた。
 黄巾の乱以降、州を超えた都市間の交流が進み、大勢の行商人が行き交うことで交易がより盛んになった背景には、この馬車の存在が欠かせなかった。
 その馬車を駆り、悠々自適に旅をする二人の姿――袁術と張勲の姿がそこにあった。

「フフフ、上手く行ったの、七乃」
「はい、美羽様。さすがに二百万の敵は無理がありますしね。絶対に勝てませんもん」
「うむ、死んでしまっては元も子もないしの。さっさと逃げるが勝ちじゃ」

 勝ち目のない(いくさ)など、するだけ無駄とばかりに二人はさっさと逃げることを決めた。
 危険を察知する能力だけは高い二人。武人の誇りや王の責務など、この二人には関係ない。
 ただ毎日を楽しく生きる。袁術は特に大好きな蜂蜜を毎日食べていられれば、それだけで幸せだった。
 そのため、劉備のような理想や一刀のような志を持たない袁術が、無謀な戦いに身を投じる理由はなかった。

「あ、美羽様。言い忘れていましたが、蜂蜜は一日一舐めまでですよ?」
「三、いや……せめて二はダメかのう?」
「ダメです。また歯が痛い痛いになってもいいんですか?」
「ううぅ……それは嫌じゃあ。じゃが、蜂蜜を食べられないのも嫌なんじゃ!」

 張勲は張勲で、そんな袁術の世話をしているだけで幸せだった。
 安定した生活は惜しいが、袁術あっての彼女だ。ある意味で家臣らしく絶対の忠誠を袁術に誓っている張勲だが、主君の過ちを正せる立場にあっても、彼女は決して袁術にそれを強要したりはしない。
 それは姉が不出来な妹を大切にするような、純粋なようで何処か歪んだ愛情表現の現れでもあった。

(ああ、駄々を捏ねる美羽様も可愛い!)

 ぶっちゃけてしまえば、そんな袁術を見て、彼女自身その状況を楽しんでいるのだ。
 常識を持ちながら悪癖を優先するために、非常識な行動を敢えて取る。
 ある意味で一番、(たち)が悪い女性だった。

「我が儘ばかり言ってると、こわーい悪龍さんがやってきて頭からガブリッと食べられちゃいますよ」
「な、なんじゃ、それは……?」

 頭からガブリッと食べられると注意され、ブルリッと身を震わせる袁術。
 蜂蜜は食べたいが、そんな得体の知れない怪物に襲われるとなれば話は別だ。
 見た目相応に袁術は、そうした恐い話が大の苦手だった。

「前に南蛮の子達に聞いたんですよ。南蛮にはヴリトラという伝説の悪龍が――」

 ――ガタンッ!
 その時だった。
 馬車が突然、大きな揺れと共に動きを止め、その衝撃で袁術は床に叩き付けられる。

「うう……な、何があったのじゃ、七乃。聞いておるのか、七乃!」

 目尻に涙を浮かべながらも痛みに耐え、何事かと張勲の名を呼ぶ袁術。
 しかし何回呼べども返事はなく、袁術は不安に駆られ、心細くなっていく。

「な、七乃?」

 何があったか確かめるため、恐る恐る張勲の姿を捜して荷馬車から顔をだした。
 ――その時だった。

「ひぃっ!」

 空よりこぼれ落ちた唾液≠ェ、袁術の頭上にしたたり落ちる。
 体を小刻みに震わせ、青い顔でそっと空を見上げる袁術。
 そこには先程、張勲が話していた――悪龍≠フ姿があった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第150話『幼女捕獲』
作者 193






【Side:太老】

「こら、ヴリトラ。拾い食いはダメだといつも言ってるだろ?」
「がう……」
「まったく……この甘い匂い、蜂蜜に釣られたのか……」

 突然、ヴリトラが方向を変え、地面に降りるから何事かと思えば、そこには一両の馬車の姿があった。
 どうやら積み荷の蜂蜜の匂いに誘われたらしく、注意されている今も口からだらしなくダラダラとよだれを垂らしている。
 こいつ……全然懲りてないな。

「林檎さんに報告して叱ってもらった方がいいか?」
「がるっ!? がるるるる!」

 余程、林檎が恐いのか、顔を真っ青にして叫ぶヴリトラ。
 その必死さが本気で怒った林檎に、壁際まで追い詰められた鬼姫と重なって見えた。
 まあ、気持ちはわからないでもない。樹雷女性は怒らせると手が付けられないからな。

「しかし、悪いことしたな。やっぱりこれ、弁償しないとダメかな……」

 馬車は大破とまではいかないが、フレームの鉄が歪み、車輪が外れ、このまま走行を続けるのは難しそうだ。
 馬の方もヴリトラの存在に脅えたのか、このどさくさで逃げていなくなっていた。
 馬がいなければ馬車は走らない。これでは旅を続けることは難しいだろう。

「おおーい、生きてますかー?」

 馬車の方に向かって呼びかけてみるが返事がない。
 怪我をしていたら一大事なので、俺はヴリトラの背から飛び降り、馬車に近付く。

「女の人と……幼女?」

 親子……いや、姉妹で旅でもしていたんだろうか?
 見知らぬ女性と子供が気を失い、倒れていた。

「なんで、こんなところに?」

 大量生産に伴う雇用の拡大や食糧事情の回復。商隊の護衛に留まらず、各都市に自警団を配備するなどして、経済が上昇傾向に向かっている他の州と違い、ここ益州の治安は悪い。自警団の活躍によって各地を追われ、行き場を失った賊が、ここ益州に集まってきているからだ。
 まあ、それも商会が益州に出来たことで改善の兆しを見せていることは確かだが、それにしたって、そんな場所を護衛も付けずに女子供だけで旅をするというのは危険だ。何か事情があるということか?

「多麻、林檎さんに通信を繋いでくれ」
「はい、マスター! ヴリトラのことを告げ口するんですね!」
「がるっ!?」

 必死にやめてくれと言った目で訴えるヴリトラ。しかし、多麻には通用しない。
 とはいえ、気持ちはわかるが被害者がいる以上、林檎に隠し事をするのは難しいだろう。
 諦めてくれ、とばかりに俺は首を横に振った。俺だって死にたくはない。

「がるっ!」

 逃げようとするヴリトラを、多麻が尻尾の先を掴み、力任せに地面に叩き付ける。
 哀れ、為す術もなく目を回すヴリトラ。
 大魔王からは逃げられない――そんな言葉が頭を過ぎった。

『太老様、どうかなさいましたか? 何か、作戦に支障でも?』

 空間ディスプレイに林檎の姿が映し出される。ここ三ヶ月の成果の一つがこれだ。
 零式のエネルギーを補給することで、この世界のシステムの一部を掌握することに成功した。
 この世界で暮らす人々は、確かに個としての人格を形成してはいるが、この世界が偽りの世界であることに変わりは無い。
 この世界『星の箱庭』は現実と見間違うほど精密に作られてはいるが、プログラムで構築された疑似世界だ。
 システムへの介入を行えれば、プログラムの改変は容易だった。

 しかし、まだ問題も残っている。
 システムの根幹に繋がる最終プロテクトの解除には、この世界の鍵となるものが必要で、その鍵を使用出来る人物も限られている。それは鍵の持ち主と――

 ――北郷一刀。

 この物語の主人公だ。

『――太老様?』
「ああ、悪い。えっと、それで用事なんだけど……幼女を拾ったんだ」


   ◆


 どうにか事情を説明し終えたのだが、何故か林檎には微妙な顔をされた。
 幼女を拾ったと言った時の

 ――また、ですか?

 と、無表情で淡々と言葉を返す林檎は恐かった。
 いや、拾ったと言っても不可抗力なんだよ? 悪いのはヴリトラだ。

『事情は理解しました。ですが、太老様。彼女は……袁術、それに張勲ですよ?』
「え……?」
『成都の支部に確認を取りました。国を捨て、逃亡した疑いが彼女達にはあります』

 感情の籠もっていない目で、冷たく言い放つ林檎。
 怒ってるのか? これは怒ってるんだろうな。

(悪い、ヴリトラ。お前の犠牲は無駄にしない)

 ヴリトラの冥福を祈りながら、袁術達をどうするか考える。
 林檎の物言いからして、彼女達を助けることに否定的な立場のようだ。
 まあ、国のトップが民を捨て、敵前逃亡したというのだから、それは当然と言えば当然か。

「でも、見捨てるわけにはいかないだろ?」

 ここに捨てていくのは気が引ける。このまま放置すれば野犬の餌になるか、野垂れ死には確定だ。
 それに困っている幼女を助けないのは俺のポリシーに反する。悪いことをしたなら、ちゃんと叱って道を正してやる。甘いと言われるかもしれないが、罪を償う機会くらいは与えてやってもいいんじゃないかと考えていた。

『はあ……わかりました。それが太老様の願いなら、私はお手伝いするだけです。商会への通達と各国への根回しはお任せください。出来る限り、太老様の意思に添ったカタチで交渉をまとめてみせます』
「ご迷惑をおかけします……」

 こういうことがあるから、林檎には頭が上がらないんだよな。まあ、仕方がないか。
 彼女に任せておけば、悪いようにはならないはず。交渉は彼女の十八番だ。
 後は袁術達が心を入れ替えてくれるのを願うだけなんだが……大丈夫だよな?

(ぬし)様……」
「目が覚めたのか? いつから……」

 後から声がして振り返ると、袁術が目を覚ましてジッとこちらを見ていた。
 なんだか、妙に視線が熱い気がするんだが……俺、なんかしたか?

「主様! 妾は感動したのじゃ!」
「ぬしさま? なんだ、主様って?」
「主様は主様なのじゃ。身を挺して妾を庇ってくれた主様に、妾は心を打たれた!」

 いや、そんな身を挺して庇ったとか、大層なものじゃないんだけど?
 寝覚めが悪いというか、幼女を見捨てるのはポリシーに反するから行動しただけで。
 これって、結果的に助けたことになるのでいいのか?
 感謝されるのは悪い気はしないが、なんか選択を間違えた気がするのは気の所為か?

「吊り橋効果って奴ですね。さすがマスター! 『幼女ホイホイ』の異名を持つ男!」
「そこ! 人を貶めるようなことを言うな! そんな変な異名、持ってないからな!」

 人聞きが悪いにも程がある。なんだよ、幼女ホイホイって!

『太老様……』
「林檎さんはわかって……」
『零ちゃんや多麻ちゃんといい、やっぱり小さい方が好きなんですか!?』
「そこ! 思いっきり勘違いしてるよ!?」

 少しだけ、誤解される人の気持ちがわかった気がする。
 俺は幼女や可愛い物を愛でるのが好きなのであって、決してロリコンではない!
 これからは一刀に優しく接しよう。事実と違うことで誤解されるって辛いよな……。

【Side out】





【Side:林檎】

「はあ……」

 太老様は優しい。その優しさが太老様の良いところでもある。
 そうとわかっていても、この胸のざわめきだけは、どうすることも出来なかった。
 これが、やきもち――そう、私はあんな小さな子にまで嫉妬していたのだ。

「これじゃあ、嫌な女ですよね……」

 太老様を慕う彼女達のことを、これでは強く批判出来ない。私もまた、彼女達と同じだ。
 太老様から受けた恩を一つでも多く返すというのが、経理部の総意であり、私の目的。
 その一方で、太老様に愛されたい、太老様の優しさを独り占めしたいという想いが、日に日に強くなっている自分に私は気付かされた。

 ――これが人を好きになるということ。

 一度は西南様に向け、そんな変わっていく自分に恐れ、諦めた想い。
 今はそれが太老様に向けられている。西南様の時は諦められた。
 霧恋さん達……彼女達と西南様の絆の強さを知り、私は身を引くことを決めた。
 でも、今は……

「今のお父様からの通信ですか?」
「あ、はい」
「うう……私にも代わって欲しかったです! はっ、これが所謂、放置プレイという奴ですか!? お父様、零は……私は、この愛の試練に耐えてみせます!」

 太老様のことを諦められない。この気持ちから目を背けることは出来なかった。
 彼女達のように、もっと自分の気持ちに素直になりたい。
 その勇気は今の私にはない。でも、いつかきっと――

 もう一度、この想いを伝えたい。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.