――成都、玉座の間。

「やはり足止めにすらならないか……」

 兵の報告に苦い表情を浮かべる一刀。こういうこともあろうかと準備しておいた罠で、あれこれやってみたはいいが、多少の数は減らせても、やはり敵の足を止められるほどの成果は得られなかった。
 今のまま敵の進軍速度が落ちなければ、明日の朝にはここ成都で対峙することになる。

「避難の方はどうなってる?」
「はい、既に八割方完了しています。(いくさ)の用意も含め、明朝までにはすべての準備を終える予定です」
「ギリギリか。でも、なんとか間に合いそうだな」

 諸葛亮の報告に一先ず安心と言った様子で、ほっと安堵の息を吐く一刀。最悪、民だけでも無事に逃がすことを一刀は考えていた。
 民と一緒に逃げるという手もあるが、ここで逃げたところで敵は追ってくるだけだ。二百万を超す敵の追撃をかわしきれるという保証はなく、勝ち目の薄い危険な戦いに、戦う術を持たない住民を巻き込むような真似は出来ない。
 それに――

「頼んでおいて、こう言うのもなんですが、本当によろしかったのですか?」
「それで皆が助かるなら喜んで協力するさ」

 敵の狙いが諸葛亮の予想通り一刀にあるのだとすれば、一刀がここに残りさえすれば、敵の注意を引くことくらいは出来る。
 成り行きで頼まれたこととはいえ、任された以上は蜀の王として、一刀は自分に出来る責務(こと)を全うしようとしていた。

「ですが、この世界のことは本来は一刀さんに関係のないことです。それに愛紗さんのことも……」

 しかし、自分達の都合に一刀を巻き込んだことに、諸葛亮は罪悪感を抱いていた。
 劉備の願いを叶え、操られた関羽を助けるには力が必要だ。しかし仲間の裏切りによって(いくさ)に敗北し、信用を失った劉備にはその力がない。そのため、商会や諸侯の協力を取り付けるためにも一刀の協力が必要だった。
 それに、立場的に弱い劉備が蜀の王になれば、蜀は今後、他国の影響を避けられない。それは、この国の人達にとっても決してよい結果とは言えなかった。

「関係なくないさ。桃香と愛紗のことも、俺が自分で決めたことだ」

 蜀の王になる。劉備に協力する。関羽を助ける。
 最初は成り行きとはいえ、最終的には一刀が自分で考え、決めたことだ。
 不安や心配はある。しかし、自らだした選択に後悔はなかった。

「世に生を得るは事を為すにあり」
「……それは?」
「俺の爺ちゃんがよく言っていた言葉。俺にも生まれてきた理由があるのなら、それは今をおいてないと思うんだ。ここで何もしなかったら、俺はきっとこの先、後悔をして生きていくことになる」

 共に戦った仲間を見捨て、自分だけが安全なところでのうのうと暮らす。
 胸を張って誇ることの出来ない、そんな恥ずかしい生き方を一刀はしたくなかった。

「皆と出会って、わかった気がするんだ。俺が本当はどうしたいのか」

 何もわからぬまま異国の地に放り出され、一刀は自分の為すべきことを見失っていた。
 そのため、『元の世界に帰りたい』という取り敢えず立てた目標に一刀は邁進してきた。
 それが悪いことだとは言わない。でも真剣に、この世界に向き合って来なかったのは事実だ。
 それはどこかで、自分はこの世界の人間ではないと距離を置いていたからに他ならない。

「桃香や愛紗のためだけじゃない。俺は自分の(あかし)を立てるために戦う。そう、決めたんだ」

 心の何処かで望んでいた。
 そう、一刀はこうありたい≠ニ願い、この世界にやってきた。

 ――皆が幸せに、誰もが共に笑える世界を

 数多な外史(セカイ)のなかで、皆が幸せに暮らしていける。そんなご都合主義(ハッピーエンド)を思い描いて。
 それは一刀が望んだこと。一刀が願ったこと。
 
 一刀(みんな)一刀(ひとり)に託した想い。

「それに――負けるつもりはないんだろう?」
「……はい!」

 諸葛亮の力強い返事に、一刀は懐かしい頼もしさを感じ、笑顔を浮かべた。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第156話『誰がために』
作者 193






【Side:一刀】

 今思えば、この益州に入ってからだ。
 不思議と俺は前にもここに来たことがあるような、そんな懐かしさを感じていた。

 ここ成都で日々を暮らすなかで、俺のなかで何かが変わっていく感じがあった。
 いや、変わるというよりは失った何かを取り戻していくかのような感覚。前にもここで、桃香や愛紗、皆に囲まれて暮らしたことがあるような……そんな錯覚すら覚えるようになっていた。

 幻覚――というには余りに現実的(リアル)な記憶。
 俺自身は知らなくても、魂が覚えているかのような不思議な感覚。
 そう、俺は確かに――出会う前から、彼女達のことを知っていた。

「不思議な感覚だな。知らないはずのに覚えてるなんて……」

 その懐かしさが確信へと変わったのは、蜀の王に就いてからだ。
 しかし、記憶の中にある彼女達と、この世界の彼女達はどれだけ似ていても別人だった。

 それもそのはずだ。記憶の中に登場する北郷一刀は、ここにいる北郷一刀(オレ)ではない。
 あれは、あったかもしれない出来事を写し取った記憶の欠片。夢を見ているのと同じだ。

 例えるなら、それは――胡蝶の夢。

 記憶のなかの俺が夢を見ているのか、今こうしている俺が夢を見ているのか?
 それは俺自身にもわからない。
 でも、今はそれでいいと俺は思っていた。

「俺もまた彼女達の知っている北郷一刀じゃないんだから……」

 今なら、貂蝉が俺に伝えたかった言葉の意味が理解出来る。
 演出家と脚本家が揃い、物語に希望と言う名の花が添えられた。
 その希望を無駄にするか、奇跡に変えられるかは、俺達次第だ。

「これは、俺自身が望んだこと、俺が為すべきこと」

 だから俺は、この物語に幕を下ろすため、自分の意思で関わることを決めた。
 それが北郷一刀(オレたち)の望んだことなのだから――

【Side out】





「シャオも戦えるんだからっ!」
「我が儘を言うな。ここに残るんだ」
「我が儘なんかじゃないもん! なんで肝心なことになると、いつもいつもシャオだけ仲間外れにするの!?」
「小蓮にはまだ早すぎる! あっ、待て! まだ話は――」

 と、言うやり取りがあったのが昨夜の話。姉の孫権と口論になり、街に置いてけぼりとなった尚香はむくれていた。
 皆の役に立ちたいと勉強に稽古と何時になく頑張っていただけに、呉の一大事という肝心な時に置いて行かれたことが、それほどにショックだったのだ。

「お姉ちゃんのバカ……」

 だが、孫権も別に意地悪で尚香を除け者にした訳では無かった。
 戦場では何が起こるかわからない。ましてや今までにない大戦(おおいくさ)だ。いざ戦いになれば、妹のことを気遣う余裕などあるはずもない。
 万が一のことを考え、孫家の血を絶やさぬためにも尚香を街に残したのだ。
 すべては孫家の将来(こと)を考えて。妹のことを大切に思うが故の決断だった。

「シャオだって呉の女なのに……」

 しかし、それも妹に伝わらなければ意味がない。

「未熟なことなんて理解してる。だからって、あんな言い方ないじゃない……」

 姉二人に比べれば、まだまだ自分が力不足だということは尚香も理解していた。
 しかし面と向かって拒絶されれば、虫の居所も悪くなるというものだ。

 だが、孫権が口うるさく言うのも、尚香のことを大切に思ってのことだ。
 決して尚香のことを嫌ったり、役に立たないからと仲間外れにしているわけではない。
 とはいえ、尚香にも女として、孫呉の姫として意地と誇りがある。

「シャオはただ……」

 ――皆の役に立ちたい。
 皆が心配してくれるのと同じように、守られるばかりではなく大切な人のために何かがしたい。
 尚香は自分に出来る精一杯を、成長した姿を見て欲しかった。
 でも、なかなか周囲に認めてもらえない。そんなジレンマを抱え、思い悩んでいた。

「早く……大人になりたいな」

 ――大人になれば認めて貰えるのだろうか?
 ――こんな風に仲間外れにされることもないのだろうか?

 尚香は考える。しかし、どれだけ悩んでも納得の行く答えがでることはなかった。
 募るのは大人への憧れ。そして――

「太老も……おっきい方がいいのかな?」

 姉二人に比べれば、ささやかな自分の胸を揉みながら、ため息を漏らす。
 大好きな人に認められたい。皆の力になりたい。
 ただそれだけなのに、なかなか思うようにはいかなかった。

「ん、あれって……」

 そんな時だ。
 気分転換に街をブラブラと散歩している最中、尚香の目に黒髪の少女が映った。

「明命? もう帰ってきたの?」

 今頃は(いくさ)に参加しているはずの周泰の姿を見つけ、尚香は慌てて姿を隠す。

「何してるんだろ?」

 そっと物陰から様子を窺う尚香。
 周囲を気にしているかのような挙動不審な周泰の様子を訝しむ。

「怪しい……」

 尚香がじっと物陰から観察していると、周泰が何かを懐から取り出した。
 ――キランッ!
 尚香の目が光る。

「お猫様、お猫様。今はこんなものしかありませんが、どうぞ」

 周泰が手にしているのは、なんの変哲もない何処にでも売っているただの煮干しだった。
 その煮干しをそっと足下に置く周泰。よく見れば、周泰の近くには白い猫の姿がある。
 じっとその様子を観察する尚香。

「はうう……なんと愛らしい」

 ただ路地裏で猫に餌をやっているだけだったようだ。

「なんだ、いつものアレか……」

 ――ガクリ。
 余りの脱力感に緊張した糸を解き、尚香は肩を落とす。
 幸せそうに猫と戯れる周泰を見て、尚香は完全に毒気を抜かれていた。

「それでは名残惜しいですが、また」

 まだ未練のある様子で猫に別れを告げ、路地奥に進む周泰。
 残った煮干しを口に咥えるとスッと道を空け、猫は何処かに走り去って行く。
 どうやら先程の餌は、猫の縄張りを通してもらうための通行料だったらしい。

「え、ちょっと」

 そんな猫の背を見送り、尚香はやっと我に返る。
 慌てて周泰の後を追う尚香。しかし、そこに周泰の姿はなかった。
 人が一人擦れ違うのがやっとと言ったところの細くて薄暗い道を、尚香は周泰の姿を追って慣れない足取りで進んでいく。
 しかし――

「行き止まり?」

 周泰を追って行き着いたのは石造りの壁。何もない行き止まりだった。

「あれ? でも、ここって……」

 尚香は壁の右手、建物と思しき場所に扉を見つける。どうやら裏口のようだ。
 ここまで一本道。他に身を隠せるような場所はない。状況から推察するに、ここに周泰が入って行ったと考えるのが自然だった。
 しかし、この場所。裏に回るのは初めてだが、尚香には見覚えがあった。

「……正木商会?」





 ……TO BE CONTINUED



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