街の南――店が多く密集する市の中央に正木商会・成都支部があった。
 支部の一角にある塔のような大きな建物。商会でも極一部の関係者しか入れないその場所にたくさんの人影が見える。
 それは『(ゲート)』と呼ばれる各主要都市を繋ぐ転移装置。太老達の世界では長い距離になれば星と星を繋ぐこともある宇宙船などにも使用されている超空間転移の応用技術だ。
 当然この時代、この世界には存在しない技術。
 その装置を使い、次々に剣や鎧で武装をした兵士達がここ成都に集まってきていた。

「本当に一瞬で着くのね。太老の世界の技術って本当に凄いわ」

 そう感心した様子で話すのは孫策。ここにいるのは呉でも精鋭と称される一部の兵士達だ。
 その数は僅かに千。決して多いとは言えない数だが、それは無理もない。ゲートを通るための条件『生体調整を受けた者に限られる』という条件を満たす者は、孫家に忠誠を誓った武将や軍師を除けば孫家直属の兵に限られていたからだ。

「姉様は呑気すぎます。これを悪用すれば、街の一つや二つ簡単に潰せると言うのに……」
「太老はそんなことしないわよ。それにその気なら、とっくに私達は滅ぼされているわ」
「そ、それはそうですが……」

 太老にその気があれば、このゲートに限らず何が出て来るかわかったものではない。
 この世界と太老の世界では、どうやっても埋めることの出来ない技術差が存在するのだ。
 反董卓連合の一件で、その片鱗は十分と味わった。相手が本気なら剣を交えることすら不可能なのだ。
 それほど力の差がある相手に、過度の警戒をするのは無駄というのが孫策の考えだった。

「でも、監視は必要なはずです」
「なら、太老と蓮華が一緒になればいいだけじゃない。ああ、別に私でもいいんだけど」
「ね、姉様!?」

 監視は必要というのはわかる。孫策も孫権の言い分をすべて否定するつもりはなかった。
 国を預かる者としては当然の反応だ。しかし、相手はあの太老だ。監視など果たしてどれだけの意味を持つか、わかったものではない。
 それならいっそ、愛人でも側室でも太老と一緒になって子を儲けた方が得策だ。
 太老は身内には甘い。敵には容赦ないが、家族を大切にする男だと言うことはわかっている。
 幸い、孫策も太老に対し悪い印象を抱いていない。寧ろ、強くて面白い男だと興味と好感を抱いているほどだ。
 妹の孫権も、この様子なら満更ではないだろう。
 末娘の孫尚香に至っては『太老の女になる!』と、かなり積極的だ。
 太老との関係を深めておくのは、呉の将来のためにもある。孫策はそう考えていた。
 それだけに、

「あっちにはシャオを残してきたし冥琳や穏……それに思春もいる。明命はわかるとして、亞莎やあなたまで付いてくる必要はなかったのよ?」

 孫権まで付いてくることを、孫策はよく思っていなかった。
 万が一のことを考えたら呉のためにも、孫権は国に残るべきだと考えていたからだ。

「私は王です。民の先導に立ち、国のために身命を賭して戦うのは王の責務。姉様にすべてを任せ、安全な場所で帰りを待つお飾りの王になるつもりはありません」
「私も危険なことは承知しています。でも、軍師は必要でしょうし……私なら自分の身は自分で守れますから……。それに、蓮華様や皆様のお役に立ちたいんです」

 孫権、呂蒙の二人の言葉に、孫策は苦い表情を浮かべながらも頭では理解していた。
 こうなったら何を言っても二人は決して引く気はないだろうということを――。

 本来、孫策は自分一人で赴き、特に孫権や尚香は呉に残して行くつもりだった。厳しい戦いになることがわかっていたからだ。
 敵味方入り乱れての乱戦にでもなれば、周囲を気遣っている余裕はない。周瑜や陸遜が残ったのも乱戦になれば、自分達では役に立たないとわかっていたからだ。
 なのに五胡の残党を片付けるため残った周瑜や陸遜、それに甘寧以外の呉の主戦力のほとんどが、結局ここに集まっていた。
 孫策の思惑は大きく外れたのだ。これも周瑜の入れ知恵だろうと孫策は思う。

「ほんと、バカな子達なんだから……」

 孫策は既に王ではない。母より受継いだ南海覇王と共に、王位は孫権へと受継がれている。
 しかし彼女は呉に仕える人々にとって、未だ『江東の麒麟児』と呼ばれた英雄そのものであり、孫権にとって憧れの存在なのだ。
 王とは与えられるものではない。民から見て、その権威に相応しい偉業を為して初めて『王』は『王』と認められるのだ。
 常に人々の前に立ち、兵達と共に呉の独立を駆け進んできた孫策は、確かに王と呼ばれるだけの資質を持つ。
 しかし、孫権は確かに素質だけなら孫策を超える物を持っているのかもしれないが、彼女はまだスタートラインにようやく立てたばかりだ。姉や母のように民から『王』と認められるだけの物を、彼女はまだ持っていない。

 だから一日も早く民から、姉から『王』と認められたかった。
 姉に頼り、ここで何もしなければ、これからもずっとその機会は訪れない。そんな気がする。
 この南海覇王に相応しい使い手になりたい。それが孫権の思いであり、ここにいる理由でもあった。
 そんな孫権の気持ちを知ってか知らずか、孫策は「仕方ないわね」と優しい笑みを浮かべる。

「亞莎、まだ少し頼りないところはあるけど、蓮華のことしっかり支えてあげてね」
「は、はい! 命に代えても必ず御守りします」
「ね、姉様!? それに亞莎まで! 私だって自分の身くらい自分で守れます!」
「そういうことは、私や思春から一本取れるようになってからいいなさい」
「ぐっ……それは姉様達が規格外なだけで……」

 孫策も最初から強かったわけではない。
 天賦の才は確かにあったかもしれない。しかし、それ以上に彼女には覚悟があった。
 母を失い、幼い妹達を抱え、呉の独立という夢を誓ってから彼女は強くなった。強くならずにはいられなかった。
 孫策はそんな自分の生き方に疑問を持ったことはない。しかし妹達には自分に出来なかった夢を叶えて欲しかった。
 
 ――自分には剣を握ることしか、戦場に立つくらいしか出来ない。

 だから、そのためになら孫策はその手を血で幾ら汚すことになっても構わないと考えていた。
 平和な世になると確信した時、孫権に王位を譲ったのは平和な時代に自分のような存在は必要ないと考えたからだ。
 でも、それは余計なお世話だったのかもしれないと、今の孫権を見て孫策は思う。
 やはり孫権も孫呉の姫なのだと、『江東の虎』と恐れられたあの母の娘なのだと孫策は理解した。

「策殿。権殿をからかうのはそのくらいにして先を急ぎませぬと」
「そうね。でも張り切っているわね、祭。歳なんだから余り無茶しないでよ?」
「あの時の借りを、まだ返しておりませぬからな。それと歳は余計ですぞ」

 あの時の借りとは、益州での逃亡戦のことを言っているのだろう。
 劉備達を逃がすつもりで逆に助けられたのだ。黄蓋が借りと考えるのも無理はない。
 それにそれだけでなく呉は、これまでにも返しきれないほどの恩を商会から受けている。
 ここらで利子分くらいは返しておかないと、同盟国(ライバル)に遅れを取るばかりだ。

「それじゃあ、行きましょうか。ここらで少しは良いところを見せておかないとね」

 そうして孫策達は戦いへと赴く。
 自らの矜持のため、受けた恩を返すため、そして国の未来のために――
 しかし尚香が屋敷から抜け出し、既に呉から姿を消していることを彼女達は知らなかった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第165話『鏡の世界』
作者 193






 それは今から数時間前に遡る。

「明命は確かこっちに入って行ったと思うんだけど……」

 商会の地下にこのような秘密通路があるとは、尚香も知らなかった。
 石畳で造られた通路をずっと行くと誰かの話し声が聞こえ、サッと尚香は物陰に姿を隠す。
 多麻と周泰の二人だ。周泰が『使用許可』がどうの多麻にお願いしている様子が見て取れた。
 そんな二人に見つからないように、そーっと物陰に隠れながら尚香は裏手の方へと回る。

「なんの話してたんだろう? 気になるけど、あれ以上近付くと二人に見つかっちゃうし」

 周泰と多麻の気配察知能力が人間離れしていることを知っている尚香は、無茶をすまいと二人から安全な距離を取る。
 これまで幾度となく屋敷を抜け出し、太老に会うため商会や城に忍び込んで磨いた尚香の穏行スキルは、もはや悪戯の域を超えていた。
 それもそのはずだ。重要な施設には『虎の穴』と寸分変わりない侵入者除けのトラップが数多く設置されている。以前、左慈がそのトラップに嵌まり酷い目に遭ったことは記憶に新しい。そのトラップを看破し、起動させずに侵入するのは周泰にも無理なことだ。
 生体調整を受け、ここにきて才能が開花したというのもあるのだろう。幼いとはいえ、これでも尚香は孫呉の姫だ。あの母にして、あの姉二人。尚香も凄い才能を秘めていたとして不思議な話ではない。
 二人に見つからないように気を付けながら、神業とも言える察知能力で罠を回避し、奥へと進んでいく尚香。すると変な機械の置いてある部屋へと辿り着いた。
 普段は厳重に扉が閉められている部屋。しかし先程まで多麻が作業をしていたのか、扉は開きっぱなしで機械も小さな駆動音を上げ作動していた。

「なんだろう? これ」

 人一倍好奇心旺盛な尚香がそんな面白そうな物を見つけて、じっとしていられるはずもない。
 機械へと近付き、興味津々と行った様子でペタペタと周囲の物を触り始める。
 しかし、それがいけなかった。

「え、なに!?」

 眩い光を放ち、起動を始める機械。それは『(ゲート)』と呼ばれる超空間転移装置。
 太老と多麻がこの日のために各主要都市に設置し、準備を進めてきた計画の要だった。

「きゃあああっ!」

 悲鳴と同時に、光に呑み込まれる尚香。
 転送先は――守蛇怪・零式。
 亜空間に固定された世界の現し身。新たな箱庭のなかだった。


   ◆


 そして時間は戻り、現在。

「こら、ダメでしょ。ロンロン!」
『ロンロン?』

 龍に食べられると思った寸前、張三姉妹の耳に届いてきたのは小さな女の子の声だった。
 孫尚香だ。呉にいるはずの彼女が転移装置で飛ばされた先、それがこの『箱庭』のなかだった。
 太老と多麻が進めていた計画、それがこの亜空間に固定された『鏡の世界』だ。
 ここは、まさに世界の現し身とも言える場所。尚香達の暮らす世界が丸ごと、この零式のなかに再現されていた。
 本来の『扉』の役割は、この『鏡の世界』と『外史』を繋ぐ道筋。
 管理システムと切り離された世界を、新たに零式をシステムの受け皿とすることで滅びから救おうと考えたのだ。
 当然そんなこととは知らない尚香は、ここが船のなかだと知る由もなかった。

「三人とも何してるの?」
「シャオちゃんこそ、どうしてここに?」

 三人を代表して長女の張角が質問を返す。
 尚香が乗り物代わりに利用している龍は、多麻が捕獲した悪龍のヴリトラだ。
 このヴリトラ。多麻に調教されたというのもあるが、袁術を襲ってお仕置きされたことに懲りたのか、幼女に対して非常に臆病になっていた。
 そこに頭の上から尚香が降ってきて、あれよこれよとしているうちに『ロンロン』という不名誉な名前まで与えられ、尚香の友達(ペット)に成り下がってしまったのだ。
 幼女の言いなりになるその姿に、嘗て悪龍と恐れられた龍の威厳はなかった。

「なるほどね。ここって船のなかだったんだ」
「シャオちゃんも大変だったんだね……」
「というか、そんなところに侵入して、よく無事だったわね……」

 お互いにこれまでの経緯を話し、情報交換をする四人。
 以前、こっそり太老の工房へ侵入を試みたことがある張宝は、尚香の話を聞いて姉のように『大変だった』の一言で済ませる気にはならなかった。
 今もこうしてこんなところにいるのは、太老の船を勝手に歩き回った結果だ。それだけに余計その気持ちは強かった。
 そんな二人と尚香の話を聞いて、『この人達は……』と呆れる張梁。もう突っ込みを入れる気力もないといった様子だ。

「問題はここからどうやって出るかなんだけど……」

 張宝も責任を感じて一応ここを出る方法は探してみたのだが、出口が見つからない。
 来る時にあった入り口はいつの間にか姿を消し、完全に閉じ込められていた。

「ううん。ロンロン、知らない?」

 尚香に道を尋ねられヴリトラは少し思案した後、「ガル」と一言頷く。

「知ってるって」
「凄い、シャオちゃん。龍さんの話がわかるんだね」
「ふふん、シャオは凄いんだから。ほら、三人とも乗って」

 目を輝かせて感激する張角の言葉に気を良くしたのか、尚香は得意げに胸を張る。
 なんとなくわかるといった感じだが、動物の気持ちが尚香は昔から理解できた。
 虎にパンダと動物と仲良くなるのが得意な尚香だ。その辺りもヴリトラが、尚香に従っている要因の一つにあるのだろう。

「それじゃあ、行くよ! ロンロン」

 四人を背中へ乗せ、尚香が合図を送るとヴリトラは空高く飛び上がる。
 青空に現れる光の輪。その輪へと、ヴリトラの背に乗って尚香達は飛び込んでいった。





 ……TO BE CONTINUED



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