【Side:太老】

 突然ではあるが、ふと思い出した事がある。いや、忘れている方がどうかしていたのだが……。

「最近、ワウを見てない気がするんだけど、どうしたんだ? マリアは知ってる?」
「あっ、そういえば……。(わたくし)も存じませんわ。マリエルは?」
「ワウアンリー様ですか? そう言えば、ずっとお見かけしていないような……」

 マリアとマリエルの二人も忘れていた。いや、今の今まで完全に忘れていた俺が言える台詞じゃないけど。
 ラシャラの戴冠式の後、聖地入りする事が決まっている俺達は入学の準備を進めていた。
 とは言っても、俺とマリア、それにラシャラは独立寮に住む事が決まっているし、身の回りの物などは侍従達が既に準備してくれているので必要なのは個人的に持って行く荷物のまとめくらいだ。
 俺だと工房の荷物とか、仕事で必要な書類とか、まあそのくらいしか特に整理して持って行く物は無い。その工房の物を片付けようと思って、ワウの事に思い至ったのだが……。

 ちなみにシンシアとグレースは、マリアの従者として登録してあるので俺やマリアと同じ独立寮に住む事になる。
 聖地学院の寮は大まかに、下級生寮、上級生寮、男子寮、そして王侯貴族や大貴族の住む独立寮の四つに分かれるが、一般生徒の多くは下級生寮か上級生寮に住むのが普通だ。
 そして新入生は俺のような例外を除いて、全員が下級生から始める。最低でも下級課程二年、上級課程二年の合計四年間を学院の寮で生活する事になる。
 王侯貴族や大貴族の従者や護衛と認められている人物で無い限りは短縮は認められていないので、その場合は下級課程を丸々四年通う事になるので合計六年か。王侯貴族や大貴族の従者や護衛の課程短縮が認められているのは、基礎的な教養が身についていると認められているからだ。

 剣術から礼儀作法、一般教養に専門知識、果てには花嫁修業までありとあらゆる事を聖地学院では学ぶ。下級生の一年と二年は主に学術に趣を置いた授業が多く、最低限の基礎学力を身に付けさせるのが主題とされているので、その点でいえばシンシアとグレースはその二つを軽くパスしている。ハヴォニワ王立学院首席と次席卒業の名は伊達ではない。ちなみに首席はシンシア、次席がグレースだったそうだ。
 技術面ではグレースの方がシンシアを上回っているのだが、知識面ではシンシアには敵わないらしい。敵わないとはいっても、それでも圧倒的に頭が良いのは言うまでもない。
 シンシアとグレースをマリアの従者として登録したのは、そうしないと二人は下級生寮に入寮させられる事になるからだ。
 俺の従者としても良かったのだが、その場合は俺が卒業した後に困る事になるので、マリアの従者とする事でその問題を解決した。

「困ったな。何とかしないと、ワウにさすがに『忘れてました』なんて言えないぞ……」

 で、問題はワウアンリーの方だ。
 独立寮に住まわせる事が出来る従者と使用人の数には制限がある。
 元々、聖地学院は修行を目的とした学舎だ。そのため、過剰な数の従者や護衛を付ける事を禁止されており、本来一般生徒は従者は疎か使用人を連れてくる事さえ禁止されているのだ。
 王侯貴族や大貴族だからこそ、独立寮などといった特例が認められているに過ぎない。
 そこで問題となったのが人数制限の問題だ。俺とマリアは商会の仕事もあるため、その枠を目一杯使っていた。

「申し訳ありません。私の不手際で……」
「いや、マリエルは悪くないよ。俺も忘れてたんだし……」
「そうですわ。私も気付きませんでしたし……」

 ワウの事を忘れていたのは、俺にも責任がある。マリエルだけを責める事は出来なかった。
 そして、最後の手段として相談する事となったのが――

「なるほど、それで我の出番と言う訳か……」
「頼めないかな? ラシャラちゃんの方なら、まだ余裕があると思って」

 そこで目を付けたのがラシャラの独立寮だった。
 俺とマリアの枠は商会の活動のために目一杯使われているが、ラシャラは聖地学院支部とは直接の関係は無いため、その枠にはまだかなりの余裕を持っていた。
 そこにワウを入れてもらおうと考えたのだ。

 学院在籍中はラシャラの従者として登録さえしておけば、独立寮に住む事が出来る。それに独立寮の利点は、一般的な寮と比べて生活の規則や制限といったものがかなり緩い事だ。
 聖機工であるワウは工房を持つ事が許されているが、一般寮の方に住むとなるとなかなか思い通りにはいかない。
 一般生徒が使用する工房は全て学院側の用意した共有工房となっていて、使用するにも一々事前申請が必要となる。
 しかもワウの開発している物は、商会や結界工房の機密も含んでいるので、他の生徒も一緒に使う共有工房では何かと不便がでるのだ。

 となると専用の工房がやはり必要だった。そのためにも独立寮に住まわせる必要がある。
 一応、俺とマリア、別々に独立寮が割り当てられていたのだが、元々俺の寮となる予定だった建物は商会の支部となっている。
 てっとり早い建物が直ぐに見つからなかったというのもあるが、基本独立寮というのは大使館のようなものだ。原則的に独立寮の敷地内ではハヴォニワの法律が適用される事になる。教会や他国の介入を避けるという意味では、教会の用意した建物を使うよりはそちらの方が安全という側面もあった。
 その結果、色々とあって俺とマリアは一つ屋根の下に暮らす事となったのだが、マリアの独立寮に備えられている工房は同じく技師として登録してあるシンシアとグレースが使用する事となっているため、どちらにせよワウの工房は別に用意する必要性があった。
 現在、商会の支部となっている方の工房は、商会の職務で手放せないのでワウに好きにさせると言う訳にはいかないからだ。

 ラシャラの従者は今のところマーヤ、アンジェラ、ヴァネッサの三人を除けば護衛機師のキャイアだけだ。
 他に十名ほどの使用人が同行するだけだと話には聞いている。それなら、制限の枠に関してもかなりの余裕があるはずだ。
 独立寮に備えられている工房も今のままなら遊ばせておくだけだし、それならワウに使わせてやってもらえないかと考えた。

「それは構わんが、一つ条件がある」
「何だか、凄く嫌な予感がしますけど……」
「でも、無理を言っているのはこっちだし……。いいよ。俺に出来る事なら、言ってみて」

 ラシャラの『条件』という言葉に反応してマリアは訝しい表情を浮かべるが、無理を言っているのはこちらの方だ。
 最初からワウの事を忘れていなければ、もっと事前に打つ手もあったのだが、まさか今の今まで忘れているとは思いもしなかった。
 しかも、俺だけならまだしもマリアやマリエルまで忘れていたのだ。こればかりは弁解できない。
 尤もワウもワウだが……。如何にワウが工房に籠もったままで、ここ最近、屋敷に顔を出していないかが分かる。

「太老が本来住む独立寮は商会の支部として使われておるのじゃろう? ならば、太老! 御主も我の寮に住むがいい!」
「なっ!? ちょっとラシャラさん!? お兄様は私の寮に住むと、もう決まっているのですよ!」
「そんな話、我はきいておらん。それに婚約者なのじゃから、我と太老が一緒に住む方が自然じゃろう?」
「私も婚約者です!」

 ――え? ワウの話から、なんでそっちに飛び火するんだ?
 俺がどっちの寮に住むかで言い争いを始めるマリアとラシャラ。

「太老! 御主は我とマリア、どちらと一緒に住みたいのじゃ!?」
「お兄様! 勿論、私ですわよね!?」

 勘弁してください、とは言えなかった。





異世界の伝道師 第173話『技術提携』
作者 193






 結局、マリアとラシャラ、両方の寮に代わる代わるお世話になる事で話は落ち着いた。
 とはいえ、既に聖地学院には申請済みなので、学院長の許可が下りなかったらラシャラには諦めてもらうという約束をして、聖地学院に居る学院長に通信で連絡を取ったところ――

『ほほほっ、正木卿も色々と大変ですわね。まあ、いいでしょう。許可します』

 と何やら同情された挙げ句、あっさり許可が下りてしまった。この件に関して、俺の味方は一人もいないようだ。
 ついでにユライトから要請のあった職員の件も口頭で話を進め、後日聖地に着いてから正式な契約とする話で落ち着いた。
 現状、直ぐに職員が足りないのであれば、聖地学院支部の方と交渉して済ませてもらえばいい。
 正式な派遣は俺達が入学後、早くても五月頃という事になるが、それまでは支部に勤める侍従を何人か派遣すれば基本的な業務が滞るような事はないはずだ。

 聖地学院支部に派遣されている職員は一般的な商会の職員とは訳が違う。先述の通り、従者や使用人の数に制限が設けられているため、その枠を最大限に活かせるよう聖地学院支部で働く職員は全て、少数精鋭をモットーに選抜した正木卿メイド隊の中から引き抜いた優秀な侍従達を組み込んである。人材不足で頭を悩ませている聖地学院からすれば、羨ましいほどの有能な人材ばかりだ。
 一人で三人分、いや十人分相当の働きをしてくれるマルチスキルの侍従達。侍従としての仕事は勿論の事、修繕作業や総務・経理の仕事といった商会の業務までなんでも人並み以上にこなす。緊急時ともなれば護衛としても活躍する、まさに『戦うメイドさん』といった彼女達に死角はない。
 選抜した水穂の話では、ハヴォニワ正規軍の一個中隊が相手くらいなら、彼女達だけで十分に対応が可能な戦力だと言っていた。
 正規軍より強いってどんなメイド部隊だ、と思ったのは言うまでもない話だ。
 とはいえ、水穂が関わっている時点でその辺りの常識はあって無いようなものだと素直に諦めていた。

 そして俺は今、屋敷に呼び出したワウアンリーに件の事情説明を行っていた。
 忘れていた責任を取ってこのくらいはしないと、さすがに申し訳ない。

「ラシャラ様の従者ですか? まあ、別に私は構いませんけど。工房の使用さえ、自由に認めて頂けるなら」

 さすがにワウに『ごめん。忘れてた』とはストレートに言えなかったので、工房の数が足りない事と独立寮の人数制限の話だけして、全員が忘れていたところだけはぼかして話をした。
 最近、影が薄くて忘れてたなんて口が裂けても言えない。余りに不憫だ。

「新型の機工人?」
「ええ。開発中だった機工人は想定以上の物が完成しましたし、これも商会から得た技術を参考にさせてもらったお陰なんですけどね」

 ここ最近ずっと工房に引き籠もっていたのは、新しい機工人の開発に没頭していたからという話だった。
 タチコマの成功で、当初予定していた機工人は問題無く完成させる事が出来たらしいのだが、今はその技術を更に発展させた新しい機工人の開発に着手しているそうだ。
 まだ開発途中という話で詳しくは教えてもらえなかったが、『楽しみにしていてください!』と目を輝かせて言っていたので上手くは行っているのだろう。
 少し気にはなるが、それは出来上がってからの楽しみに取っておこうと思った。

「後、太老様。実は折り入って相談があるんですけど……」
「ん? 相談?」

 ワウの『相談』という言葉に訝しい物を感じつつも、忘れていたという後ろめたさがある俺は話だけでも聞く事にした。

「ナウア卿?」
「ええ、先日連絡を取った時に太老様の事をお話したら、是非一度お会いしてみたいと」

 ――ナウア・フラン
 ワウアンリーの恩師にあたる人物で、結界工房を代表する責任者の一人という話だった。

「あのさ、ワウ。もしかして、俺が異世界人っていうのを……」
「そ、それは内緒にしています! ですが、その……ナウア様は薄々勘付いているご様子で……」

 ワウには、俺と水穂が異世界人だという話をしてある。それは一緒に暮らし商会の保有している技術を見せる以上、いつまでも隠し通せる物では無いと判断したからだ。
 とはいえ、情報を漏らさないように厳重に口止めはしてある。ワウも水穂の特別メニューを短期ではあるが受けているという話だし、迂闊に情報を漏らせばどうなるか理解しているはずだ。そこは信用しているつもりだが、ワウの恩師で向こうから俺に会いたいと言われると疑わざるを得なかった。
 まあ、自分でも怪しいと思っているし、教会に次ぐ技術力を保有しているという話の結界工房であれば、俺の正体に勘付いても不思議では無い。

「技術提携ね」
「ええ、商会の保有している技術と知識に興味がお有りのようで、是非お願い出来ないかと」

 だけど今回はそう言う話ではなく、純粋に技術提携が出来ないかという誘いだった。
 あちらが望む情報をこちらが出す代わりに、結界工房の保有する技術と知識を教えてくれるという話だ。
 水穂も後は教会と結界工房が秘匿している情報以外、調べる物は殆ど無いと言っていたし確かに悪い話ではない。
 そして、噂をすれば何とやら――

「太老くん。その話、受けてみましょう」
「水穂さん? 立ち聞きなんて趣味が悪いですよ?」
「ごめんなさい。通り掛かったら、話が聞こえてきたものだから」

 どこまで本当か分からないが、余り深く突っ込まない方が良さそうだと思った。絶対に藪蛇になる。
 ワウが本当に情報を漏らしていたら、有言実行とばかりに確実にお仕置きしそうだしな。
 うん、確実にやるだろう。そうなったら、まともな精神状態でいられるかどうか……。

「ワウ。短い付き合いだったな」
「ちょっ!? 勝手に殺さないでください! ああ、水穂さん! 本当に話してないですよ!?」
「フフッ、大丈夫よ。信じているから」

 信じていると言って置きながら、プレッシャーを掛けているのは丸わかりだった。故にワウも焦る。

「ううっ……。だから、嫌だって言ったのに……ナウア様のバカ」

 ワウも色々と事情を抱えているようだった。恩師の頼みとあったら断れないだろうしな。
 同情はするが味方は出来ない。俺だって水穂が怖いし……。君子危うきに近寄らず、だ。

「でも、水穂さん。本当に良いんですか? 技術提携となると、こっちの正体がバレる率も一気に高くなりますよ?」
「今のままだと、これ以上の情報収集は難しいわ。それなら、話を受けてみるのも一つの手でしょう? それに本当にヤバイ情報は隠すわよ」

 まあ、俺達が秘匿している技術や知識以外でも、表に出している技術だけでも欲しがる組織や国は山ほど存在する。
 それをネタにどこまで相手から情報を引き出せるかが交渉の鍵だと、水穂も考えているのだろう。
 ナウアという人物が何を考えて接触して来たかによるが、確かに現状を打開するには悪い案では無い。

「分かった。一度、会ってみる事にするよ」
「助かります」
「それで、ワウ。悪いんだけどラシャラの戴冠式もあるし、その後は聖地入りだろう? こっちも結界工房にまで出向いている時間はさすがに無いんだけど」
「それは勿論、承知しております。ラシャラ様の戴冠式にナウア様も出席されるとの話でしたので、出来ればその時に一度お会いしたいそうです」

 ラシャラの戴冠式か。確かに、そこなら会談の場としては申し分無い。
 他にも大勢の諸侯が参列する事になっているので、他の諸侯の目を誤魔化すのにも打って付けだ。
 意外と抜け目のない人物のようだな。そのナウアという人物。

「分かった。でも、時間と場所はこちらで指定させてもらう。それで構わないかな?」
「はい。そのようにナウア様にも連絡しておきます」

 罠という事は無いだろうが、念のためだ。それにシトレイユで秘密裏に会談を行うのであれば、地の利がある人物に委ねるのが最適だと考えた。この場合、ラシャラの協力を得られれば最善だ。
 ――ナウア・フランか。あれ? そういえば、フランって。

「ワウ。そのナウアって人物、姓がフランって事は、もしかしてキャイア・フランと親類関係だったりする?」
「え、はい。キャイアは、ナウア様の娘ですけど……」

 ワウアンリー・シュメの恩師で、そしてラシャラの護衛機師キャイア・フランの父親。
 こんなところで繋がっているとは思わず、世間の狭さを感じずにはいられなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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