聖地学院中央に位置する職員用施設の最上階。階段を上り、赤い絨毯を進んだ先にある西側の大きな部屋。
 ここに、この聖地の最高責任者――学院長の執務室があった。

「お久し振りですね。ミツキさん」
「先生もお元気そうで何よりです」

 十数年振りの再会を懐かしみ、挨拶を交わす二人。この部屋の主こと学院長と、正木卿メイド隊情報部副官のミツキだ。
 ミツキも嘗ては、この学院に通っていた聖機師候補の一人だった。
 ミツキの卒業と同時に現場を退き、今はこうして聖地の最高責任者をしているが、学院長も昔はここで武術教師をしていた経験がある。
 言ってみれば、嘗ての教師と教え子の関係と言う訳だ。

「今はマサキ卿のところで働いているのでしたね」
「はい。ハヴォニワ本部の秘書課に籍を置かせて頂いています。太老様の秘書の一人として」

 情報部副官と言う肩書きは、一般には知られていないミツキの裏の顔だ。
 表向きの顔は『正木商会ハヴォニワ本部秘書課』所属。太老の秘書の一人という扱いになっていた。
 正木商会での役職で言えば、マリエルは秘書課の課長と言う扱いになる。メンバーはメイド隊の侍従達で構成されていた。

 それと言うのも、彼女達の仕事は太老の仕事と私生活をサポートする事にある。
 そのため、メイド隊の侍従達は担当部署に応じて商会の仕事を兼任している者が多く、状況に応じて臨機応変な対応を求められる。
 新設される支部の応援や、仕事を円滑に進めるための準備と事前交渉。
 太老に余計な負担が掛からないように、万全の環境を整える事が彼女達の主な役割だからだ。

 この聖地のように特殊な場所では、時に一般職員に代わってありとあらゆる仕事を代行する事もある。
 秘書課とは、言ってみれば総合職。ただの侍従の仕事に留まらず領地の運営や商会の経営にも精通し、全ての課をサポートするだけの知識と経験に富んだ者しか務まらない。正木卿メイド隊が大勢の人々に活躍を知られ、『最強のメイド部隊』や『エキスパート集団』と呼ばれているのも、全てはこうした仕事の功績によるところが大きかった。

「思ったよりも給料が良いんですね。待遇も確りしているようですし」
「聖地の教員は、聖機師候補や王侯貴族を相手にしていますからね」
「格式と見栄、残りは口止め料ですか?」

 以前、ユライトから誘われた教師の仕事を引き受けるため、ミツキは契約を交わしに学院長室を訪れていた。
 サラリと物事の裏を付いた発言をするミツキに、冷や汗を流す学院長。何気ない会話のように見えて、既に腹の探り合いは始まっていた。
 世界中から聖機師候補や王侯貴族が通う学院だ。他国の目もある。
 職員にもそれなりの待遇を与えておかないと、貴族の品位が疑われると言う訳だ。

 ――後はミツキの言うように、口止め料と言ったところだろうか?

 イジメや生徒同士のいざこざを含め、よくない話を耳にする事もあるかもしれない。そうした事に目を瞑り、追及しない代わりに金で済ませようというのが本来の狙いだ。高い給金と手厚い待遇には、それなりの理由があった。
 だからと言って、別にその事でミツキは学院長を責めるつもりは無かった。単に確認の意味を込めて質問しただけの事だ。
 その証拠に、学院長から差し出された契約書に目を通し、問題が無い事を確認するとサラサラと契約書にサインをした。

「耳の痛い話です。ですが、それはここでは言わない事をお勧めしますよ」
「失言でした。ご忠告通り、気をつけます」
「結構、これで契約は完了ですね」

 にこりと笑い、ミツキから雇用契約書を受け取る学院長。
 正木商会からの出向と言う扱い、二年という期間限定の雇用契約ではあるが、これで正式にミツキは学院の教師になった訳だ。
 有能な聖機師、有能な人材はどの国も欲しているのが現状で、国の誘いを断ってまで聖地で教師をしようという物好きは少ない。
 そのため、裏方の職員が不足しているだけでなく教員も幾つかの仕事を兼任しているのが、この聖地の現状だった。
 ミツキのように聖地学院からの強い要望で、他国から期間限定で派遣されてきている教員も少なく無い。
 聖地の職員の数は全部で三千人余り。全校生徒数の約十倍に上る数だが、それだけいても学院で教鞭を執れるだけの人材は限られていた。




異世界の伝道師 第228話『天職は教師?』
作者 193






「ユライト先生から話を聞いた時には驚きましたが、あなたが教鞭を執ってくれると本当に助かるわ」
「私の方こそ、まさか声を掛けて頂けるとは思ってもいませんでしたので、ユライトくんに誘われた時は驚きました」
「あなたは優秀な生徒でしたからね。稼働時間が短いというだけで、それ以外はフローラさんと同じかそれ以上――」
「そんな、畏れ多い! フローラ様とでは比べ物になりませんよ!」

 学院長の話を、両手を左右に振って否定するミツキ。しかし学院長の言うように、ミツキの学生時代の成績はかなり優秀な物だった。
 亜法波の耐性が低く、聖機人の稼働時間が短いと言う点を除けば、ミツキは一流の聖機師に引けを取らない実力を有していた。
 だが、幾ら成績が優秀で実力があっても、聖機師は聖機人に乗れなければ意味が無い。
 準聖機師と比べても圧倒的に稼働時間が短く、聖機師としてはギリギリの適性しか無かったミツキでは聖機師になる夢は叶わなかった。

 この適性の問題で能力はあっても国に認められず、国に雇われた正規の聖機師になれなかった女生徒は数多く居る。
 子供を産む事を義務とされている彼女達は、聖機師の資質を持つ子供を産めなければ義務を果たす事は出来ないからだ。
 そして高い資質を持った子供は、やはり資質の高い聖機師から生まれやすいという事もあり、国がそれを望んでいる以上は資質が一番重要な判断材料とされてしまうのは仕方の無い事だった。
 努力だけではどうすることも出来ない現実の壁。ミツキが聖機師になれなかった理由もそこにあった。

「あなたには武芸科を担当して頂きます」
「武芸科ですか? ですが、本当に私でよろしいのですか? 聖機師ではありませんし……」
「聖機人に乗れない訳ではないでしょう? それに実際の訓練で聖機人に乗る機会は殆どありませんから、問題は無いはずですよ」

 動甲冑を使った訓練が主で、実際に聖機人が使用される訓練の機会は学院でも限られていた。
 稼働時間が短いとは言っても、ミツキは全く聖機人に乗れない訳では無い。そのハンデを入れても、学院長はミツキの能力を高く評価していた。
 その昔、武芸科の担当教師を務め、後に第一線で活躍する聖機師達を数多く指導してきた学院長。
 適性の低さを理由に聖機師として認められないミツキの事を、惜しいと考えていた一人でもあった。

「それはそうですが……今、私がどこに所属しているかはご存じですよね? それなのに武術教師になんて……」

 武芸科の教師と言えば、学院の教師の中でも花形と言える存在。第一線で活躍する有能な聖機師が講師を務める事が殆どだ。
 普通であれば、聖機師になり損なった人物を武芸科の担当教師に添える事などありえない話だった。

「だから、と言うのもあります。あなたほどの使い手は世界中を探しても、そうはいないでしょう? 生徒達にも良い刺激になるはずです」

 勿論、学院長にも打算はある。ミツキを通じて、太老の信用を得られればという思惑もあった。しかし理由はそれだけではない。
 ミツキが成績優秀な生徒だったと言うのもあるが、彼女は才能が無いために努力を惜しまない生徒だった事を学院長は知っていた。
 適性の低さを補うためにありとあらゆる工夫をし、人の何倍も鍛錬を重ねる事で周囲に認められようとした秀才――それがミツキだ。
 そんな経験を持つ彼女だからこそ、学院長はミツキに武術教師を任せてもよいと考えたのだ。

「……買い被り過ぎだと思いますが?」
「そうかしら? これでも、あなたには期待しているのですよ?」

 そこまで学院長に言われては、ミツキも観念するしか無かった。
 最初からそのつもりで自分を学院に招いたのだろう、とミツキは学院長の考えを察する。
 学院長はミツキが学生時代にお世話に成った恩師でもある。それに嘗ては武術教師をしていた事がある学院長だ。
 聖機師の常識に囚われず、ミツキの実力を最初に見抜いたのも彼女だった。

(学院長は全てお見通しなのかもしれないわね)

 教師を引き受けたのも全ては太老のため、更に言えば娘達のためだ。
 確かに聖機師としての資質は低いが、並の聖機人なら圧倒できるだけの力をミツキは有している。
 学院長は嘗て武勇で名を馳せた一流の聖機師だった女性。隠している実力にも薄々気付かれているのかもしれない、とミツキは考えた。


   ◆


「武術教師ですか?」
「ええ、来週から上級生のクラスを担当する事になったわ」
「ミツキさんなら適任だと思いますが? 何か問題でも?」

 商会が許可を得て使用している森の一角で、侍従達の訓練の様子を眺めながらミツキはコノヱと先程の話をしていた。
 学生時代の成績で呼ばれたのであれば、主に語学系の課目を担当させられるとミツキは考えていた。
 それが結果は武術教師。今は上級クラス専門の担当教師が不在で、メザイアが下級生と上級生のクラス両方を兼任し、授業の穴埋めに護衛所の聖機師も駆り出されている――というのが学院長の話だった。
 事情は分かるが、やはり『自分なんかで本当に良いのか?』と言う考えがミツキの頭には過ぎる。
 しかしコノヱはミツキの考えと違い、ある意味で予想通りの展開。それ以外に考えられないほど適任だと考えていた。
 現にこうして警備部の訓練に付き合ってもらう事も多く、コノヱ自身もミツキに訓練を付けてもらっていると言うのが現状だ。

「ほら、武術教師って学院の教師の中でも花形とも言える存在でしょ? それにあのメザイア先生も一緒だし……」

 本来、聖地の花形とまで言われる武術教師が不在と言う背景には、現在の世界情勢も大きく関係していた。
 ハヴォニワと教会の間で緊張状態が続く中、諸国は警戒しながら両者の動向を見守っているのが現状だ。
 防衛力の要である聖機人。その搭乗者である聖機師は、各国とも最も必要としている重要な戦力。有能な聖機師であれば尚更。抑止力の観点からも今は極力、自国の防衛に専念させたいという思惑がある。
 情勢を考えると、どの国も貴重な戦力を聖地に派遣し、教会の手駒として利用されたくないと言う考えも働いていた。

 そんな状況下で、有能な聖機師を教師にというのは厳しい課題だ。
 ましてや、メザイアは尻尾付きの聖機師の中でも特別優秀な聖機師だ。しかも回復亜法を使える数少ない聖衛士の一人でもある。
 そんなメザイアに釣り合う聖機師を用意するのは、現実的には難しかった。
 だからと言って、中途半端な人材に武芸科を任せる訳にはいかない。メザイアの人気は高く、生徒からの信頼も厚い。
 能力で劣る人物を武芸科の担当教師に添えれば上級生と下級生、どちらをメザイアが担当するかで不満の声が上がるのは確実だった。

「確かに、メザイア先生は人気者ですからね」
「メザイア先生やコノヱさんと違って、私は聖機師としては余り優秀では無かったから……その辺りの問題がね」
「私が優秀……ですか?」

 一度も訓練でミツキに勝てた事のないコノヱは、ミツキの言葉に複雑な表情を浮かべる。
 少なくとも武術の腕だけで言えば、ミツキは水穂やフローラと同じ達人級(マスタークラス)の実力者だ。
 そして生体強化の事もあって、その実力はメイド隊のナンバー2。水穂に次ぐ実力を持っていた。
 警備部の隊長と言う立場ではあるが、コノヱにしてみれば本当にその資格があるのはミツキの方だと考えているくらいだ。
 情報部副官と言う肩書きさえなければ、ミツキがコノヱの位置にいても不思議な話では無かった。

「コノヱさんは尻尾付きの聖機師じゃない。私はそっちの方は全然ダメだわ。十年以上、聖機人にも乗っていないのだし……」
「それでも、私はミツキさんに勝てる気がしません……。ユキネも同じ事を言うと思いますよ」

 聖機人に乗ったとしても、全くミツキに勝てるイメージが湧かないコノヱだった。


   ◆


「ミツキさんが武術教師?」

 武術の時間、いつものように生徒達が鍛錬をしている様子を見学しながら、ユキネの話に耳を傾けるマリア。
 男同士、セレスは剣士に剣術を教えてもらっているようで、それを羨ましそうに女生徒達が眺めていた。
 それと言うのも、幾らセレスに授業を受ける気があっても、男性聖機師と女性聖機師を一緒に訓練させる訳にはいかなかったからだ。
 男性聖機師とでは女生徒の方にも遠慮があるだろうし怪我でもされた場合、担当教師であるメザイアばかりか怪我をさせた女生徒にもその責任が及ぶ可能性が高い。
 その点、剣士であれば太老の関係者やセレスの友人と言う事で名が通っているので、少々の怪我をセレスが負ったとしても上手く切り抜けられる可能性が高く、達人級(マスタークラス)の実力を持つ剣士が指導するのであれば、生徒同士を組ませるよりは事故の危険も低い。剣士とセレスを組ませたのも、メザイアなりに考えての事だった。

「あなた達、いい加減にしなさい! 訓練メニューを追加するわよ?」
『はいっ!』

 生徒を注意するメザイア。訓練メニューが増やされては堪らないと、黙々と素振りを始める女生徒達。これが最近よく見かける、剣士のクラスの授業風景だった。
 例の男子生徒四人だが、身体に異常は無いそうだが心に深い傷を負ったとかで、寮から一歩も外に出る事が出来ず引き籠もり状態。一種の対人恐怖症に陥ってるらしく、特に幼女を見ると錯乱して正気を無くすほどに脅えるため、学院への復帰の目処は全く立ってないと言う状態だった。
 この平和な光景も、可哀想なようだが彼等が居ない事で上手くクラスが一つに纏まっているからとも言える。
 頭の痛い問題も減って剣士とセレスが敵視される事も無くなり、マリアも口には出さないが内心ではほっとしていた。

「メザイア先生のような? だとしたら、上級生のクラスかしら?」
「はい。コノヱが相談をされたそうです」
「なるほど……。適任だと思うのだけど? 何か問題でも?」

 生徒に指導をするメザイアを見ながら、『武術教師』と聞いてミツキほど適任はいないと考えるマリア。
 素人感覚ではあるが、確実にメザイアよりもミツキの方が実力は上だとマリアは考えていた。
 メイド隊では水穂に次ぐ実力者と言われているミツキ。コノヱとユキネが二人掛かりで簡単にあしらわれている姿を、マリアは何度か見かけていた。
 幾らメザイアが優れた聖機師だとしても、生身で聖機人を蹴り飛ばすなんて真似は出来るはずもない。
 非常識という言葉では言い表せないほど、規格外の実力を持った人物――それがミツキだった。

「ああ……勢い余って生徒を殺してしまわないか、とか?」
「幾らミツキさんでも、それは……」

 聖機人を生身で倒せるような規格外の実力者なら、確かにそのくらいの事は造作も無いはずだ。
 だからと言ってマリアの考えるように、その程度の手加減が出来ないほどミツキは未熟では無かった。
 サラリと過激な事を考えるマリアに、微妙な表情を浮かべて冷や汗を浮かべるユキネ。
 こう言う遠慮の無いところも、実にフローラに良く似ていた。

「要領を得ませんわね。この学院でミツキさんに敵うのは、お兄様くらいでしょう?」
「はい。恐らく、私やコノヱ。メイド隊の全戦力を投入しても、本気のミツキさんを抑えられるかどうか……」
「……さすがにそれは言い過ぎでは?」

 今度はユキネの言葉に、『さすがにそれは……』と冷や汗を流すマリア。しかしユキネは冗談を言うような性格をしていない。
 ユキネの表情や場の雰囲気から、マリアも真面目な話なのだと察した。

「では、マリア様。本気になった水穂さんを止められると思いますか?」
「お姉様? ハヴォニワ軍……いえ、シトレイユの正規軍と共同戦線を張っても……難しいですわね。なるほど……」
「それにミツキさんの訓練は厳しい事で有名です。あの方は水穂さんから直接の指導を受けていますから……」
「うっ……。それって、お姉様基準と言う事?」
「はい。『冥土の試練』よりはマシだと思いますが、さすがにここの生徒には……」

 水穂の一番弟子にして、その片腕を務めるミツキ。情報部副官の名は伊達ではない。
 その厳しい訓練の内容から、水穂、冥土の試練、黒マリエルに次いで、メイド隊の侍従達に恐れられているのがミツキだった。
 結局二人に出来る事は、ミツキの指導を受ける上級生達の冥福を祈る事くらいだった。





 ……TO BE CONTINUED



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