【Side:ラン】

「はあ……」

 これで何度目のため息かわからない。
 正直あの後の事は思い出したくもないくらい……あたしにとって最悪な出来事だった。
 悪ノリした太老と侍従達のコンビネーションは抜群で、太老がどう言う人物かを改めて思い知った気がする。味方にすれば心強いが、敵に回せば最凶最悪。そしてある意味で色物女王(フローラ)以上に質が悪い。水穂が『常に最悪の事態を想定せよ』と言っていた言葉の意味が、昨日の一件でよくわかった。
 太老絡みの話の時は、警戒に警戒を重ねてもお釣りが来ると言う事は絶対に無い。

「これが太老様の作られた生徒会の予算計画書です」
「……正直、これを見るの恐いんだけど」
「生徒会の承認を得たものですし……。ランさんにも目を通して頂かないと」

 マリエルから手渡された一冊のファイル。太老の作ったという生徒会の予算計画書だ。
 今朝、生徒会の会議を通過し、正式に承認が下りたところの計画書。商会に提出された方のコピーにも、確りと生徒会長と学院長の印が押してあった。
 生徒会の予算計画書は学院の運営にすら影響を及ぼす大切なもの。当然ながら商会も、見て見ぬフリは出来ない重要な計画書だ。
 ここに記されている内容によって、これから必要な人員や物資も変わってくる。
 生徒会主催のイベントや学院の行事が目の前に控えている今、こちらもその内容に沿って準備を進めて置く必要があった。
 太老絡みという時点で少し不安ではあったが、あたしは恐る恐るファイルを開き目を通す。
 太老のことだ。普通の予算計画書ということは絶対に無い。あの男が普通のことをやるようになったらこの世はお終いだ。天変地異が起こる前触れ、いや大陸中を巻き込んだ最終戦争(ハルマゲドン)が起こっても、あたしは全く不思議に思わない。
 あたしが世界で一番敵に回したくない男。それが正木太老だった。

「あれ? 意外とまとも……じゃないか」
「お気付きになりましたか?」
倶楽部(クラブ)や同好会の設立って……それに体育祭と文化祭? これ全部やるのか?」
「はい。アルバイトと同様に、生徒の自主性を促すのが目的のようです。企画から運営、準備までの全てを生徒達が行い、倶楽部や同好会も余っている教室や施設を活用するのが狙いの一つと」

 これまでの学院の行事といえば、企画と運営に生徒会、準備に必要な人手の殆どを学院の職員に頼っていた。
 そうした準備に掛かる仕事を生徒会や学院に頼るのではなく生徒自身に任せることで、アルバイト同様に社会勉強の一貫とする。企画や運営能力、組織における行動基準。そして自主性を促す。確かに生徒達にとってプラスとなる要素は大きい。
 それに学院の生徒はどちらかというと閉鎖的な側面がある。授業以外のプライベートな時間では、同じ国同士グループで固まって行動していることが多く、余り他国の生徒との交流に積極的とはいえない現状があった。

「なるほど、文化交流が目的ってところか……」

 そのことを考えれば、倶楽部や同好会の狙いも自ずと見えてくる。
 スポーツや文化を通して、国の違う生徒同士を引き合わせるのが太老の狙いに違いない。
 ただ予算をカタチばかりの式典と行事だけで浪費するのではなく、世界の雛型としての聖地の特性を有効的に活用するために、積極的な国際交流を生徒達に促そうというのだ。
 太老の理想を考えれば、簡単に行き着く答え。確かにこれは太老らしい計画書だと言えた。

「本気だね。太老は……」
「はい。これが成功すれば、太老様の理想にまた一歩近づきます」

 そう、これが成功すれば太老の理想にまた一歩近付く。
 より住みよい世界に――その実現に向けて、学院の構造改革が行われようとしていた。

【Side out】





異世界の伝道師 第236話『太老の計画』
作者 193






 上級生用校舎の一角にある二階から三階に突き抜けた特別大きな部屋。学院行事の企画から運営に携わる聖地の最高機関――生徒会。その活動拠点として使われている生徒会室で、部屋の主リチア・ポ・チーナは一冊のファイルに目を通し、大きなため息を漏らした。
 リチアが目を通しているそれは、太老が作った予算計画書だった。

(私にも思いもよらなかった方法ばかり……。その上で無駄な予算を省き、効率的に計画が組まれている)

 リチアが最初に考えた予算計画とは全く異なる太老の計画。それはリチアのプライドを刺激するほどに衝撃的な内容だった。
 悪く言えば常識外れ、良く言えば革新的。しかし、優れた計画書だと言える。
 スポンサーとなっている各国への説明。そして生徒達への説明を含めた対策も考えられている。今思えばアルバイトも、これを見越しての布石だったのではないか? と思えるほど革新的な計画内容だった。
 学院の内情をよく知るリチアだからこそ、この計画書に隠された意味を重く感じる。

「リチア様。御茶が入りました。少しご休憩されては?」
「……そうね。頂くわ」

 ラピスから受け取った御茶を口に運び、フウとまた一つ息を吐くリチア。
 ――太老がどのような計画書をだしてくるのか?
 そのことに一番興味を持っていたリチアだったが、これは根本的な思想が全く異なっているのだと考えざるを得ないものばかりだった。
 聖地は修行の場。修行とは本来厳しく辛い物。だが太老のやり方は、無駄を省きつつも学院生活を楽しめと言っているように思える。体育祭や文化祭。更には部活動の承認。生徒間の交流をこのようなカタチで進めようと考えた人物は、これまでに一人としていなかった。

(でも、確かに効果的だわ。試して見るだけの価値はある)

 しかし冷静に考えてみると、確かに効果的な方法だとリチアにはその狙いがよくわかる。
 平和を維持するために重要なのは国の関係だ。そして聖地には、世界中から聖機師候補や王侯貴族が集る。謂わば、ここは世界の雛型。だからこそというのもあるが、国という枠が壁を作り生徒達の交流を妨げている節があった。
 授業ではそれなりに会話をしていても、プライベートでまで他国の生徒と親しく話す生徒は少ない。国ごとのグループに分かれ行動するのが普通となっている今、対立とまでは言わないまでも生徒同士の交流(コミュニケーション)が不足していることはリチアも自覚していた。

「太老様の計画書ですか?」
「ええ。生徒のことを考えて作られた良い計画書だわ。私には真似が出来ないくらい……」
「でも、太老様はリチア様の計画書をベースにしたと仰っていましたよ?」
「確かに基本は私が考えた計画書に近いけど……内容は殆ど別物よ?」

 リチアの考えた計画書の改良案のようになってはいるが、中身は殆ど別物と言って良い。
 そのことは予算計画を考えたリチアが一番よくわかっていた。

「太老様に一度お聞きしたことがあるんです。世界最強と呼ばれている武術と聖機人の操縦技術。世界一の天才と呼ばれるほどの知識力と発想力。どうしたら、そんな風になんでも出来るようになるのかと」

 それはリチアも一度、太老に尋ねて見たいと思っていた質問だった。
 太老の能力をみれば、どうすればあんな風になれるのかと疑問を抱くのは当然だ。
 常識外れな発想力。桁違いの戦闘力と知識力。非常識なまでの資質。ただ才能があるからだと言うだけでは説明の付かない存在。それがリチアのよく知る正木太老だ。
 無茶な願い、叶わない願いとは思いつつも、あんな風になりたいと憧れた者達も少なくないはず。その才能の一欠片でも自分にあれば……そんな風に希望を抱いたとしても全く不思議な話ではなかった。
 ラピスも、そんな太老の能力を目の当たりにした一人だ。疑問を持つのは当然。幼い頃から病弱だったリチアの体調が良い方向に向かっているのも、太老の調合した薬のお陰。今では生徒会の執務で体調を崩すといったことも少なくなった。

「……太老さんはなんて?」
「自分はそんなに大層な人物じゃない。俺が凄く見えるのは、それだけ沢山の人達に支えられているからだと」
「……だとしても、彼が凄いことに変わりは無いわ」
「でも、嘘を吐かれているようには見えませんでした。本心からそう仰っていることは間違い無いと思います。私にも笑顔で『いつも美味しい御茶をありがとう』って、優しく声を掛けてくださるくらいですから」

 だから、というのもあるのだろう。ラピスは太老に親しみを持っていた。
 それこそリチアが姉のようであれば、ラピスにとって太老は兄のようでもあった。
 さすがに『兄様』と呼ぶのはマリアやリチアのこともあって(はばか)られるが、それでも頼りになる尊敬できる人物であることに変わりはない。ラピスがあんな質問をしたのも、太老のようになりたいと言うよりは、もっと太老のことを知りたいという好奇心からだった。
 ラピスがこんな風に自分から興味を持った人物は、今のところリチア以外では太老だけだ。
 そのことからも、どれだけラピスにとって太老が大切な位置付けに居るかがわかる。

「そうね。彼なら確かにそう言いそうだわ」
「はい」

 短い付き合いではあるが、太老の性格はリチアも大体把握していた。
 優れた実力と才能があるからと言って、それをひけらかすような人物ではない。ましてや嫌味を言うような人物でもない。一見するとただのお人好しに見えるが、その実は教会や国を手玉に取れるほど狡猾で頭が良く、リチアにとっては非常にやり難い相手でもあった。
 ただ計画書の件に関しては、太老が本心から感謝しているであろうことは理解していた。
 そう、太老には貴族の常識や感覚は通用しない。自分の感覚を信じて素直にその言葉を受け取った方が良いということを、この数ヶ月でリチアは学んだ。だからこそ、ラピスの言っている言葉の意味もわかる。
 自分には思いも付かなかった計画。だがその一方で、それを成し遂げた当事者は凄い事だと全く思ってなく、その計画書が出来たのは手伝ってくれたリチアやラピス、みんなのお陰だと心の底から思っている。全く悪意が無く本心から言っているのだから、リチアが複雑な気持ちを抱くのも無理のない話だった。

「ラピスは太老さんのことをよく見ているのね」
「はい。太老様には、よくして頂いていますし」
「……もしかして好きなの?」

 リチア的には、ラピスが太老のことを好きなら応援してあげたいという気持ちがあった。
 しかしラピスの太老への気持ちはどちらかというと家族に向ける愛に近く、恋愛感情かどうかは本人にもわからなかった。
 例え恋愛感情があったとしても、相手は世界最強とまで言われる聖機師にして、世界中から脚光を浴びる時の人物。男性聖機師というだけで叶わぬ恋だというのに、そこにそれだけの付加価値が加わるとなると、その想いを叶えることは難しい。
 ラピスにしてみれば、太老は雲の上の人。実感が湧かないというのが本音だった。

「正直に言うとわかりません。でも、あんな兄様がいたらと思います。優しいだけでなく、とても頼りになりますから。そういう、リチア様はどうなんですか?」
「わ、私!? 私は……」

 ラピスにこんな切り返しをされるとは思っていなかったリチアは珍しく慌てた。
 リチアが抱く太老への感情は、また複雑なものだ。
 尊敬もしているし感謝もしている。好きか嫌いかで言えば好意を持っていると言える。
 だが恋愛感情があるかと言えば、それはまだリチア自身にもよくわからなかった。

(……私は太老さんのことをどう思ってるのかしら?)

 ラピスの言葉で、太老への気持ちを考えさせられるリチア。
 しかしその答えが今すぐにでることはなかった。


   ◆


「お兄様。何をされてるのですか?」
「倶楽部申請書を早速だそうと思ってね」
「昨日の会議で議題にあがったアレですか?」
「そそ。マリアはどうするんだ?」
「まだ決めていませんが……お兄様は何をされるのですか?」
「これだ!」

 申請書の部名の欄に『異世界文化研究会』と書かれた文字。原則として倶楽部申請には四名以上の部員が必要で、それ未満は同好会扱いとなる。部員の記入欄には太老の名前の他に、ワウアンリーとシンシアやグレースの名前が記されていた。
 これ以上ないくらい……見事な科学者(マッド)集団だ。
 どんな文化を研究するつもりなのか非常に気になるところだ。

「お兄様が部長ではないのですか?」
「生徒会の仕事や講師の件もあるしね。だから、部長はワウが適任かなと」
「……お兄様。くれぐれも問題を起こさないようにお願いします」
「マリアは心配性だな。ただの倶楽部活動くらいで」

 そのメンバーを見て、心配にならない人物がいたら話を聞いてみたい。
 一瞬、昨日の会議の席で賛成に回ったのは間違いだったのではないか?
 と、マリアは自身の行動を振り返った。
 太老のことは信用しているつもりでも、怪しげな部員構成に不安を抱かずにはいられなかったからだ。

「マリアも、よかったら同じ部活に入るか?」
「いえ、私は遠慮しておきますわ。ついていける自信がありませんし……」
「そうか? 色々とやれて面白いと思うんだけどな」

 残念そうに話す太老。素早く危険を察知したマリアの勘は確かだった。





 ……TO BE CONTINUED



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