「申し訳ありませんでした」

 そう言って、頭を下げる侍従たちを見て、水穂は困った様子で頬に手を当てる。彼女たちは商会の敷地の警戒に当たっていた侍従たちだ。
 冥土の試練を無事に乗り越え、水穂がお墨付きを与えた荒事に特化したメイドたち。集団戦に長け、三対一ならコノヱやユキネとも互角の戦いが出来るほどの実力を持つ、メイドのなかのメイド。選りすぐりの実力者たちだった。
 しかし、そんな彼女たちでも今回ばかりは相手が悪かったと水穂は考えていた。
 北斎が勤め先の工房から逃げたのだ。

 すぐに追跡部隊が編成され、五日に及ぶ捜索が行われたが結果は失敗。
 シトレイユ方面へ逃げたと言うことまではわかったが、それ以上の足跡は追えず、追跡を断念したのは昨夜のことだった。
 だが、特に驚きはなかった。北斎が上木≠フ人間であることに変わりはない。そして皇家の樹の契約者であると言うことも――
 実力的には申し分なく、超一流とまでは言わずとも一線級の闘士だ。
 隙を突かれれば訓練を受けた侍従たちと言えど、捕り逃がしてしまうのは仕方のないことだと水穂は考える。

(まあ、よく保った方かしら……)

 博打で作った借金を返すために瀬戸の下で働いていたと言うのに、役目を放棄して逃げた前科が北斎にはある。今回も同じような結果になるのではないかと、水穂は予想していたので特に驚きはなかった。なるべくしてなったかと言う思いの方が強い。
 侍従たちの実力を低く見るつもりはないが、逃げた北斎を捕まえるのは水穂でも難しい。あの〈樹雷の鬼姫〉のもとから無事に逃げ果せた人材なのだ。かくれんぼと逃げ足だけは超一流と、瀬戸が笑いながら太鼓判を押すような人物だった。
 この前、北斎を捕まえることが出来たのは、水穂がこの世界に来ていることを彼が知らなかったということもあるが、フローラの協力を得て罠を張って待ち構えることが出来た点が大きかった。
 逃げられてしまった後になっては罠を張って待ち構えることも難しい。警戒しているだろうし、しばらくハヴォニワには近づかないだろう。

(悪い人ではないのだけど……)

 博打好きでどうしようもない悪癖があるとは言っても、それは鬼姫と同じ神木(上木)≠フ人間だからと言われてしまえば納得してしまう。
 何より第四世代とはいえ〈皇家の樹〉と契約が出来たのだ。それだけで北斎が善良な人間とは言わずとも、悪人ではないという証明になる。
 そうしたことを考え、取り敢えず北斎のことは後回しにすることを水穂は決める。
 責任を感じて肩を落とす侍従たちを励まし、彼女たちを退出させると一冊のファイルを水穂は手に取った。

「山賊の被害が減少してるね。報告だけを聞けば、良い傾向と言えるのでしょうけど……」

 ここ数日、ハヴォニワとシトレイユ近郊でバッタリと山賊による被害が止んでいたのだ。
 これが聖機師に実戦を積ませるために行っている山賊狩りの成果の結果であるのならいい。
 しかし、もし他に何か要因があるのなら――

「何か面倒臭いことが起きそうな予感がするわ。瀬戸様が関わっている時のような……」

 ババルンの聖地訪問の件といい、何かよくないことが起きようとしている。
 そんな予感を覚えながら、出来ることならハズレていて欲しいと心から願う水穂だった。





異世界の伝道師 第259話『あの日の誓い』
作者 193






【Side:太老】

「爺さんが逃げた?」
「はい」

 今日の授業を終え、学院から帰ってくると、マリエルに『北斎が勤め先の工房から姿を消した』と報告を受けた。
 そう言えば、すっかりと忘れてたけど、借金を返すために工房で働かされてたんだっけ?
 とはいえ、メテオフォールの件は俺にも責任がないとは言えないので、余り強くは言えなかった。

「水穂さんはなんて?」
「手配書を回す以外は何も……放って置かれるようです」
「なら、それで」
「よろしいのですか?」
「一応、罰は受けたわけだし、しばらくは大人しくしてるだろ」

 マリエルはまだ少し納得が行かないという表情をしているが、水穂がそう決めたのなら俺も異論はない。水穂の怖さは北斎もよく知っているはずだ。今度、捕まれば以前よりも過酷な労働を強いられることは確実。折角、自由を手に入れたと言うのに、それを手放すような真似をするとは思えない。だとするなら、しばらくは大人しくしているだろう。
 性格に難はあるが、悪人と言う訳でもないしな。それに仲良くしたいとは思わないが、北斎のことは嫌いにもなれなかった。
 水穂に聞いた話では鬼姫の下で働いていたそうだし、異世界にきて羽目を外したくなる気持ちもわからなくはないからだ。
 実際、俺がそうだ。久し振りに皆の顔がみたいとか、地球に帰りたいと言う気持ちがまったく無い訳ではないが、ここでの生活を楽しんでいる気持ちに嘘はない。
 マッドや鬼姫から解放され、自由を得た解放感を思えば、元の世界に帰るのはマリアたちの成長を見守ってからでも遅くはないと考えていた。
 あと十数年こちらの世界で過ごしたところで、あちらの人たちは何も変わらないだろうしな。
 しかし――

「すっかりメイド長らしくなったな」
「え? あの……太老様?」

 ポカンと呆気に取られた様子のマリエルを見て、俺は苦笑する。以前のマリエルなら水穂の決定に異論や不満を唱えることはなかっただろう。
 でも、いまの彼女は違う。唯々諾々と従うのではなく、自分で考え、自分が正しいと思える答えを今の彼女なら導きだせる。
 環境が彼女を成長させたのだろう。そう言う意味では、マリエルをメイド長にしたことは間違いではなかったと思えた。
 まあ、最初は特にマリエルの才能を見抜いていたとかじゃなくて、ネタに走っただけなんだが……。
 マリエルと言えば、メイド長だろ? みたいな感じで。
 とはいえ、元から才能の片鱗は見せていたしな。正直この世界へきて一番感謝している人は誰かと問われれば、俺は迷わず彼女の名前を挙げるだろう。
 マリアたちにも感謝はしているが、やはり苦楽を共にし、いつも傍らで支えてくれた彼女の存在は大きい。俺にとってマリエルは出会った頃から理想のメイド≠セった。

「感謝してる。だから、これからも俺を支えて欲しい」

 だから、自然と感謝の言葉がでる。いまとなっては彼女抜きの生活なんて考えられない。
 一家に一人マリエルが欲しいと言えるくらいには、完璧なメイドだからな。彼女は……。
 それにマリエルがいなかったら、俺の胃に穴が空きかねない。
 俺の周りにはどう言う訳か個性的なメンバーが集うだけに、それを抑えられるマリエルの存在は必須だ。
 ほんと、いろいろなことがあったな――と遠い目で過去のことを振り返る。
 振り返れば振り返るほどに、マリエルがいてくれてよかったと心から感謝した。


  ◆


「お兄様、マリエルに何かしました?」
「え?」

 翌日、執務室で仕事をしていると、そんなことをマリアに尋ねられ、俺は首を傾げる。
 感謝の言葉を告げはしたが、それだけだ。他には何もしていない。

「マリエルがいつも以上にはりきって仕事をしていたので、お兄様が原因ではないかと思いまして」

 もしかして余計な期待を掛けすぎてしまったとか?
 頑張り屋なマリエルのことだ。ありえない話ではないと思った。

(俺もいい加減、少しは自立しないとな……)

 自分のことを凡人だと思っているだけに、頼れるところは出来る人に任せるべきだと俺は考えている。
 とはいえ、マリエルには頼り過ぎかもしれないとマリアの話を聞き、反省させられた。
 彼女にはたくさん助けられてると言うのに、俺は何も彼女に返せていない。尽くしてくれるのは嬉しいが、それではダメだ。

「……お兄様?」
「やれることはやっておきたくてね」

 急に仕事のペースを上げた俺を見て、訝しげな表情を浮かべるマリア。
 しかし、そんな話を聞かされて、何もしないようでは男として恥ずかしい。
 せめて自分でやれるところは、自分で頑張るべきだろう。
 マリエルに愛想を尽かされないよう、彼女に胸を張れる主人でいたいと俺は心に誓うのだった。

【Side out】





【Side:マリア】

 マリエルもお兄様もどうしてしまったのだろう?
 今朝からマリエルの様子がおかしくて、お兄様に尋ねてみたのだが、お兄様もどこか様子がおかしかった。
 いつも以上に仕事に精を出していると言うか――

「もしかして、先日の件と何か関係が?」

 お姉様はお兄様がゴールド叔母様の狙いを察していないはずがないと仰っていたが、確かにそうだ。
 だとすれば、やはりゴールド叔母様の誘いに、お兄様は応じるつもりでいるのだろう。
 そう考えると、二人の様子がおかしい理由にも察しは付く。それに来週末にはババルン卿が聖地入りするという話だ。
 お兄様が急いで仕事を片付けようとされているのも、万全の準備を整えるためと考えれば納得が行く。

「マリア様?」

 そんな風に考えごとをしながら廊下を歩いていると、前からやってきたマリエルに声を掛けられた。
 両手に書類を抱えているところを見ると、これからお兄様のところへ向かうのだろう。

「マリエル。水臭いではありませんか」
「え……なんのことでしょうか?」
「例の件です。今朝から様子がおかしかったのは、そういうことでしたのね」

 私がそう言うとマリエルは驚いた様子で目を瞠り、少し照れた様子で戸惑いを見せる。
 まさか、気付かれているとは思ってもいなかったのだろう。でも、そう思っているのは本人だけだ。
 普段は冷静で、とても落ち着いているのだけど、お兄様のこととなると彼女は分かり易い。
 恐らく私以外にも、特に一緒に働く侍従たちには気付かれているだろう。

「もしかして、太老様から?」
「お兄様は何も仰ってくれませんでしたわ。私はマリエルほど信頼されてはいないのでしょう……」

 そう言って肩を落とす私の耳に、マリエルの大きな声が響いた。

「そんなことありません!」
「……マリエル?」
「太老様はマリア様のことを信頼しておいでです」
「ですが、お兄様は何も……」

 そう、何も仰ってはくれなかった。でも、その理由はわかっている。
 私には、お姉様のようにお兄様の考えを察することは出来ない。マリエルのようにお兄様の役に立つことも出来ない。
 未熟なのだ。お兄様の婚約者を名乗ってはいても、圧倒的に知識や経験が不足している。
 お兄様の横に並び立てるだけの能力も功績もない。ただ私にあるのはハヴォニワの皇女という肩書きだけだ。
 それもハヴォニワという国、お母様やお兄様の努力があってこそ。頼ってもらえないのも、子供と思われても仕方がないと考えていた。
 でも、マリエルはそんな私の言葉に首を横に振る。

「覚えていらっしゃいますか? 私たちがお会いした日のことを――」

 忘れるはずがない。マリエルを強く意識した、あの日のことを私はよく覚えている。

「あの時、マリア様は仰ってくださいました。太老様の理想のため、想いに報いるために共に頑張りましょう、と。その言葉を私は今も覚えています」
「それは……」
「諦めるのですか? あの時、太老様に認められるくらいに成長してみせると仰ったマリア様の誓いは嘘だったのですか?」

 嘘じゃない。そう言いたかった。でも、その言葉が今の私にはでてこない。
 いまでは立派にマリエルはメイド長の仕事をこなし、お兄様に頼られるほどの存在になっている。
 なのに私はお兄様に助けてもらってばかりで、何一つお兄様の想いに報いることが出来ていない。
 この差は大きいと考えていたからだ。でも、マリエルの考えは違っていた。

「きっと太老様は待っておられるのだと思います」
「……待っている?」
「はい。マリア様の成長を――マリア様に期待しているからこそ、太老様は何も仰らないのだと思います」

 お兄様が私に期待を? もし、そうならこれほど嬉しいことはない。
 でも、同時に心が沈むのを感じる。私はお兄様の期待に応えられているのだろうか、と――
 いまの私では、そう胸を張ることが出来ない。
 水穂お姉様やマリエルとの差を実感する度に、自分がまだまだ子供であることを悟らせられるからだ。

「……私はお兄様の期待に応えられると思いますか?」
「それはマリア様次第です。ですが、私は太老様の見る目を疑ったことはありません」

 そう話すマリエルの目に迷いはなかった。お兄様のことを少しも疑っていないのだろう。
 ずっと傍でお兄様を支え続けてきたマリエルの言葉だけに、その言葉に込められた想いは強く感じた。
 でも、マリエルの言うとおりだ。私は何を迷っていたのだろう。
 知識や経験で劣っていることはわかっている。だけど、お兄様への想いで負けるつもりはない。そこだけは譲ることが出来なかった。

「目が覚めましたわ。あの時の誓いをもう一度させてください。……共に頑張ってくれますか?」
「はい。喜んで」

 私の差し出した手を、マリエルはそう言って笑顔で握り返してくれる。
 その温かな手を握り締めながら、私はもう一度、あの日の誓いを心に刻む。
 そして――

(マリエル、気付かせてくれてありがとう。でも、負けませんわ。あなたにも、お姉様にも……)

 まだ、私は子供だ。婚約をしているとは言っても、お兄様からすれば妹≠ナしかないのだろう。
 でも、いつの日かお姉様やマリエルのように、お兄様に頼られる自分に――期待に応えられる自分になりたい。
 そして成長した私を、お兄様には好きになってもらいたい。それが私、マリア・ナナダンの新たな目標だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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