(蘭といい、セシリアといい、それに千冬さんまで……絶対に負けられない)

 一夏との競争。いや、恋の争奪戦には絶対に負けられないと意気込む鈴。だがその意気込みとは反対に、鈴の顔色は少し優れなかった。
 理由の一つは寝不足。遠足を楽しみにする前日の子供のように、昨晩から色々と妄想して眠れなかったからだ。
 そして精神的に疲れている理由は、言うまでも無く一夏にあった。

(大体、一夏も優柔不断すぎるのよ)

 一夏との海だ。
 このチャンスを逃すまいと、今回の臨海学校に鈴はかなりの気合いを入れて挑んでいた。
 今着ているカウナックの水着も、一夏に見せようと随分と奮発して購入したものだ。
 ルームメイトのティナに最近の流行を教えてもらったり、色々と試行錯誤を繰り返して、ようやく選び抜いた勝負水着がこれだった。
 でも、一夏は相変わらずの唐変木さ。到着早々に何故か蘭とお約束のように着替えイベントをこなし、その後もこれまたお約束とばかりにセシリアや他の女子とサンオイルイベントをこなし、この臨海学校のために色々と考えていた鈴の予定はすべて夢と消えた。

(大体、あたしがここまでしてるのに気付かないって、どういうことよ!?)

 水着になるといつも一夏にくっついていたのは、一夏に女を意識させるためだ。
 胸が少ない分、積極性でアピールしようとした結果なのだが、まさかそれが逆効果になっていようとは、さすがの鈴も思いもよらなかった。

(いっそ目の前で着替えるとか、サンオイルを塗ってもらうとか……)

 二番煎じではあるが、効果的だというこは鈴も理解していた。
 とはいえ、そこまでするのは勇気がいる。それも途方もない精神力が必要だ。
 自分から触るのは平気でも、一夏に見られたり触られるのは、やはり恥ずかしい。乙女心は複雑だった。

(ええい、そんなことでどうするのよ、凰鈴音! ここで一夏に勝って言うことを聞いてもらう! そうよ、前の分に上乗せすれば、も、もっと凄いことだって)

 例えバレたとしても、蘭やセシリアに文句は言わせない。
 一夏に何をさせようかと色々と妄想しながら、鈴はゴールを目指す。
 しかし、そこで予期せぬアクシデントが起こった。

 ――嘘、足が!?

 寝不足に加えて極度の緊張状態。疲労と緊張、意識の乱れが、予期せぬ筋肉の硬直を促す。
 更に一夏のことで頭が一杯で、準備運動を怠っていたことが災いした。
 気合いを入れ直した瞬間、プツリと糸が切れたように足の感覚が麻痺する。次に、鈴の足を襲ったのは痛み。自由がきかなくなった水のなかで、鈴はバタバタと手足を動かし、海面に顔を出す。

「た、助け――ごぼっ!」

 パニックに陥った鈴は慌てて助けを呼ぼうとするが、言葉と共に口や鼻のなかに海水が流れ込んでくる。もがけばもがくほどに海底に沈んでいく鈴。感覚が麻痺して上下の感覚もわからなくなっていく。
 もう、ダメだ。鈴が諦めかけた――その時だった。
 力を失い沈んでいく鈴の細い身体を、力強い何かが掴み上げ、しっかりと抱きしめた。

(あ、一夏。一夏の腕だ、これ……)

 暗く閉じていく意識のなか、鈴が最後に感じたのは一夏の腕の(ぬく)もりだった。





異世界の伝道師外伝/一夏無用 第34話『乙女の怒り』
作者 193






「鈴、大丈夫か!? 鈴!」

 若い男の必死な声が、太陽の照りつける浜辺に響く。
 その声と太陽の光に導かれるように、鈴は暗闇から意識を呼び起こした。

(この声って一夏……。そうか、溺れて……)
「とにかく人工呼吸をしないと。まずは気道を確保して、それから……」
(じ、人工呼吸!?)

 ――が、目を開けるのは踏みとどまった。『人工呼吸』という言葉に反応したからだ。
 じっと意識のないフリをして、鈴は様子を窺う。人工呼吸、それは唇と唇が触れ合うということだ。しかも一夏とキスをすると思うだけで体温がグングン上昇していくのが、鈴は自分でもよくわかった。
 しかし鈴は目を開けなかった。いや、開けられなかった。誘惑に負けたのだ。

(そ、そうよ。これは神様がくれたチャンスなのよ!)

 と、自分に都合の良い解釈をして、じっとその時を待つ鈴。気付かれないようにと必死に緊張を抑える。
 徐々に近付く顔と顔。音が周囲に聞こえてしまうのではないかと思うくらい、鈴の心臓は激しく脈打っていた。
 息が触れ合うほど、顔が近付いたかと思った次の瞬間――

「へぶっ!?」

 バシャ、と降り注ぐ水。一夏のキスではなく、海水が鈴の顔を襲った。

「ごほっ! は、鼻に水が……!?」
「やっぱり……」
「シャルロット!?」

 海水にむせながら、鈴が声のした方を振り返ると、そこにはシャルロットがいた。
 シャルロットだけじゃない。周りを見渡すと女子が集まっていて、呆れた表情で鈴に視線を向けていた。

「あああ……」

 全身をプルプルと震わせ、顔を真っ赤にして固まる鈴。――穴があったら入りたい。実際、砂に埋まって全身を隠したいと思うくらいに、鈴は羞恥心からゆでだこのように真っ赤になっていた。

「よかった、目が覚めたんだな。シャルロットが突然、バケツに海水を汲んできた時には驚かされたけど……あんな方法があったんだな」
「いや、一夏。あれは他の人にやったらダメだからね」
「そうなのか? まあ、シャルロットがそう言うなら」

 シャルロットの言葉に腑に落ちないものを感じつつも、鈴が無事だったならいいか、と一夏は納得した。それは直感的に、深く突っ込んではいけない気がしたからでもあった。
 ここで一つ補足しておくと、気絶した人間に水を掛けるシーンはドラマや映画でよく見かけるが、あれを溺れた人間には普通やらない。絶対にやってはいけない。くれぐれも真似をしないように気をつけて欲しい。

「まあ、とにかく無事でよかったな、鈴。ちゃんと準備運動しないからそうなるんだぞ」

 いつもの調子の一夏を前にして、冷水を浴びせられたかのように冷静になっていく鈴。
 助けてもらったことには感謝しているが、今度は相変わらずの一夏に沸々と怒りがわいてきた。
 期待して、期待して、期待して――。
 最後の最後にこんなオチなんて、その怒りをどこにぶつけたらいいのやら鈴はわからない。
 当然、その怒りの矛先が元凶である人物に向かうのは、自然の成り行きだった。

「よ、よくも……乙女の純情をもてあそんでくれたわね! 一夏ァ!」
「はあ!? 助けてやったろ! なんで、そこで怒るんだ!?」

 突然、怒り出した鈴に理不尽なものを感じて一夏は反論する。
 溺れているところを助けてやって、こんな風に怒られるのは納得が行かなかった。
 大体、鈴がなんで怒っているのか、そこが一夏にはわからない。複雑な乙女心が理解出来ないのだから、それは当然のことだ。まあ、理解出来てさえいれば、このように怒りを向けられることすらないわけだが、それを一夏に求めても無駄なことだった。

「まあ、これは仕方無いかな。そういえば、一夏。朝のこと覚えてるよね?」
「ああ、でも、あれはちゃんと誤解が解けて……」
「そうだね。でも、その後のサンオイルの話は、僕――まだ聞いてないんだけど」
「いや、あれはセシリアに頼まれてだな……」
「そうなんだ。でも、他の女子にも塗ってたって聞いたけど?」
「うっ……それも、せがまれて仕方無く……」
「女の子に頼まれたら、一夏は誰にでも喜んでサンオイルを塗るんだね」

 シャルロットから滲み出る黒いプレッシャーに気圧され、一夏は冷たい汗を流す。
 一夏の前には黒いオーラを放つシャルロットと、怒りに震える鈴が。
 後ろは海、周りには大勢の女子。――退路は完全に断たれていた。


   ◆


「一夏、覚悟しなさいよ!」
「なんの覚悟だよ……」

 ビーチバレーで使用する競技用のボールを脇に抱え、威勢良くビシッと指を向け宣戦布告してくる鈴。ボールといい、どこから持ってきたのか、砂の上に線が引かれて作られたコートは、ネットでちゃんと陣地が区切られていた。
 二十一点先取の三セットマッチ。あの後、ビーチバレーをやると聞かされて、断れない雰囲気のまま仕方無く頷いたのだが、もっとお遊び的なものを想像していただけに、この展開は全くの予想外だった。

「おりむー。がんばってねー」
「ああ……って、幾らなんでも俺が不利すぎないか?」

 水着と言うよりは、もはやキツネの着ぐるみに身を包んだのほほんさんと、こっちは普通に水着姿の女子達の声援を受け、俺は手を振って応えた。
 しかし、どうしたものか?
 俺のチームはひとりなのに対し、鈴の方はシャルロットとの代表候補生タッグだ。
 どう考えても俺の方が不利。というか、無理だ。そもそもタッグマッチなら、普通に考えて俺ひとりじゃダメだろう?

「ひとりじゃ、トスしかあげられないんだが……」
「気合いでなんとかしなさいよ」
「一夏なら、頑張れば分身くらい出来るんじゃない? ニンジャみたいに」

 気合いでどうにかなるほど甘く無い。そんな根性論は勘弁してくれ。
 それにシャルロット。俺は忍者じゃない。以前、シャルロットを脇に抱え、ビルの壁を伝って移動するといった曲芸じみた芸当を行ってみせたことはあるが、幾ら俺でも分身の術は無理だ。出来そうな人達に心当たりがあるが、俺はまだ人間をやめてない。そもそも、今の日本で忍者って……。
 余談ではあるが、シャルロットの水着は上下に分かれたセパレーツタイプのスカート付きの物で、オレンジの布地に黒いストライプの入った可愛らしいデザインのものだ。
 機能性を維持しながらも、他のブランドにない斬新なデザインで若者を中心に支持を集めている新興ブランド『カウナック』が、この夏発表したニューモデルらしい。鈴の着ているタンキニタイプの水着も、同じカウナックの製品だ。
 正木グループが提携をしているブランドで、実は俺の着ているISスーツもこのカウナックの製品を男性用に改良した物なので、ちょっとばかし詳しかったりする。
 セシリアや千冬姉が着ていたビキニのように刺激的と言う訳ではないが、シャルロットによく似合っていた。
 と、水着を褒めたくらいじゃ機嫌を直してもらえないんだろうな……困った。

「おりむー。私が手伝ってあげようか〜?」
「いや、気持ちは嬉しいんだけど……」

 そう言ってくれるのは嬉しいのだが、のほほんさんでは戦力として心許ない。いや、更なるハンデを背負う事になりかねない。運動音痴とまでは言わないが、IS学園によく入れたなと思うくらい、のほほんさんは動きがとろくマイペースだった。
 それに相手が相手だけに手加減をしてくれるとは思えない。お遊びルールならともかく、本格的なビーチバレーでは、のほほんさんじゃ怪我の心配もあって下手に頼めない。
 やはり、ここは他に誰か助っ人を頼むしか。ええと、運動神経が良さそうな奴は……。

「はいはーい! 私が――」
「私が手伝ってやる」

 声のした方を振り返ると、そこにはラウラがいた。
 下は水着のようだが、その上に何故か、白い長袖のパーカーを羽織っている。
 しかも、しっかりと前のボタンをしめ、まるで水着を隠すように着込んでいた。
 のほほんさんもそうだけど、ラウラも暑くないのか?

「ううっ……いいよ、いいですよ。どうせ、私はモブ一号なんだから」

 友達に慰められながら女子が一人、砂の上でしくしくと泣いていた。
 同じクラスの出席番号一番、相川清香。ちょくちょくISの実習でも同じグループになることが多い女子だ。
 最初に一緒になったのは、ISの歩行訓練の時だったかな?
 その時に、一際元気よく自己紹介をされたので、よく覚えていた。
 でも、あんな風に落ち込まれると、なんだか悪いことをしたみたいに罪悪感がわいてくるな。

「一夏、また別の女を泣かせて……」

 ちょっと待て、鈴。またってなんだ。またって。
 俺は自分から女子を泣かせたことなんてないぞ。偶に事故はあるが、あれは事故であって故意ではない。

「全然こりてないみたいだね。一夏」

 いや、まあ……蘭とのことは反省してますよ?
 それよりもシャルロットさん、殺気が漏れてる。その笑顔、マジで怖いんですけど。

「心配するな。私がついている」

 おおっ、なんかラウラが心強い。こういう時のラウラはやっぱり頼りになるな。
 それにラウラなら運動神経もいいだろうしな。鈴とシャルロットが相手でも、互角以上に渡り合えるはずだ。
 なんだかんだで、色々とラウラには振り回されている気はするが、それも俺を気遣ってくれてのことだと思うと心が温かくなる。
 俺はひとりじゃない。頼りになる味方がいると思えるだけで、俺は――

「これが、夫婦の共同作業と言う奴か……」

 前言撤回。頼りにはなるかもしれないが、またしても火に油を注いだだけだった。
 俺の目の錯覚かもしれないが、鈴とシャルロットの背中に炎が見える。しかも、さっきよりも強い殺気が溢れていた。
 これ、ビーチバレーだよな? 今から、ISで模擬戦闘をするわけじゃないよな?

「一夏ああああっ! 死ね!」

 試合開始の合図をまたず、先制攻撃とばかりに鈴の鋭いスパイクが炸裂する。
 ISを装着していないのに、衝撃砲のような一撃を放つ鈴。――どんな筋力だ!?
 何故かその一撃はコートではなく、俺の顔に吸い込まれるように真っ直ぐ飛んできた。

「うおっ、あぶねえ!」
「チッ!」

 チッって、おい。やっぱり狙ってやったのか!?
 なんという殺人スパイク。反射的に身体が動き、なんとかレシーブすることが出来たが、直撃してたら危なかったぞ。
 くっ、全く容赦が無いな。お遊び感覚じゃ負けるというか、命の危険すらありそうだ。

「はあっ!」
「甘いよ、ラウラ!」

 今度はラウラの放ったスパイクを、シャルロットが見事な回転レシーブで弾く。空高くあがったボール目掛けて飛び上がる鈴。そこからまた強烈なスパイクが放たれた。
 一言で言えば激戦――いや、死闘だった。
 皆でワイワイと楽しいはずのビーチバレーが、一瞬にして本気(ガチ)バトルへと発展していく。
 観戦サイドの応援も盛り上がりを見せる。照りつける太陽の下、いつにも増してノリノリの女子達。どっちが勝つかの賭まではじまるカオスな状況……って、おい! 勝手に人の不幸を賭けないでくれ!

「ああっ、こうなったら絶対に勝ってやる! ラウラいくぞ!」
「安心しろ。嫁の背中は私が守る!」

 いや、背中はいいから、前をちゃんと見てくれ。
 こうして、ツッコミどころ満載のビーチバレーが幕を開けた。





 ……TO BE CONTINUED



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