そこは――俺の知らない世界だった。

「ううん、ここってどこだ?」

 全高一キロを超す巨大な樹木の生い茂る森。見たこともない植物が目に入る。まさにそこは自然の迷路、『樹海』と呼ぶに相応しい場所だった。
 だが不思議なことに生き物の気配が全くと言っていいほどしない。これだけ大きな森なら、虫や動物くらい見渡せば目に入りそうなものだ。
 なのに姿どころか、鳴き声一つ聞こえないほど静かだった。

「さっぱりわからん……」

 何故、学園の制服を着てこんな場所にいるのか、事情がさっぱり呑み込めない。
 合法幼女に拉致られてこんなところに放り込まれたかとも考えたが、それにしては余りに静かすぎて不気味だ。
 あの幼女が連れ来た不思議空間だとすれば、怪物の一匹や二匹襲ってきても全然不思議じゃない。なのに罠が張られた形跡もなければ、怪物の気配すらなかった。

「みゃあ!」

 足下からした声に気付き、俺は視線を下に向ける。するとそこには、真っ白な毛をしたウサギのような猫のような変わった生き物がいた。
 尻尾はふさふさと丸く、左右に垂れ下がった耳はウサギのように長い。身体は小さく鳴き声は『みゃあ』と、まるで猫のように愛くるしい小動物。キラキラとしたつぶらな瞳を見ていると、思わず守ってやりたくなるような……保護欲にかられる生き物だった。

「お前ひとりか? ん……首輪に鈴、迷子なのか?」

 誰かに飼われているのか、金の鈴がついた首輪をしていた。
 よく見ると額に赤い宝石のようなものも埋め込まれていて、自然の生き物という感じではなさそうだ。

「ん、どこに行くんだ? おいっ」

 俺に付いて来いと言っているのか、その小動物は森の奥へ向かって走り出した。小さい身体のくせに意外と足が速い。俺は見失わないように、その後を追った。
 しかし大きな森だ。どこまで続いているのか、見当もつかない。こんな巨大な樹木が生えた森なんて聞いたこともないし、俺が知る限りでは少なくとも地球上にこんな不思議な場所はない。意外と地球じゃないのかもしれないと俺は思った。
 異世界もしくは異星。地球とは違う、別のどこか。夢にしては妙に現実的だし、俺の記憶にない場所が夢に出てくるなんてどこか変だ。かといって、心当たりもなければ、考えても答えなんて出るはずもなかった。

「これは……湖?」

 小動物を追って森を駆け抜け、茂みを抜けた向こうに、広大な湖が広がっていた。湖というか、もう海と呼んでいい広さだ。その大きな湖の上に、真っ白な髪に白いワンピースをきた幼い少女の姿があった。
 水面に立ち、軽やかなステップでくるくると回る少女。少女が飛び跳ねる度に、水面に小さな波紋が広がる。
 俺は自然と、その幻想的な光景に目を奪われた。

「あれ? あいつは……」

 気付くと、さっきの小動物の姿がなくなっていた。
 人のいるところまで案内してくれたお礼を言いたかったんだが、どこにも姿が見えない。
 腕を組んで首を傾げる俺だったが、すぐに探すのをやめ、考えを切り替えた。

「ううん……あの子に聞いてみるか。おーい」

 意外と、あの少女が飼い主なのかもしれない。そう思った俺は手を振って少女に声をかける。
 こちらを振り向く少女。フッと笑ったかと思うと、突然――視界から少女の姿が消えた。

「え、どこに?」
「ここだよ」

 視線を下に向ける。するといつの間にか、そこに白い髪の少女が立っていた。
 白――それは眩いほどの白。まるで人形のように白く可愛らしい少女に、スッと手を差し出され、俺は自然とその手を掴んでいた。
 強く握れば壊れてしまいそうな小さく幼い手に引っ張られ、俺は誘われるままに水面へと足を踏み出す。

「え……?」

 不思議なことに足が水に沈むことなく、一歩踏み出す度に小さな波紋を水面に立てた。
 ただの水じゃないのか、俺の方がおかしくなってしまったのか、それともこの少女の力なのか……何もわからない。
 ただ、妙な安心感と懐かしさに包まれ、ありのままの現実を俺は素直に受け入れていた。

「ね? 大丈夫でしょ?」

 そう言って、また笑う少女。
 その無邪気な笑みを見て、自然と俺の顔もほころぶ。

「一緒に踊ろう」

 俺の手を強く引くと、軽やかなステップで水面の上を回る少女。
 少女と俺が動く度、重なるように波紋が広がっていく。

「ラ、ラ〜♪ ラララ♪」

 無垢なその姿は、白い妖精のようだった。





異世界の伝道師外伝/一夏無用 第47話『白い少女』
作者 193






 日が傾きを見せ、空の色は青から黄昏れへと変化していく。
 旅館から三十キロ沖合、海上から二百メートル上空に、作戦の目標『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』の姿があった。
 膝を抱え、胎児のように丸くうずくまる福音。その身体を、頭から生えた翼がまるで卵の殻のように優しく包み込んでいた。
 何かを待つかのように、何かを守るかのように、その場からピクリとも福音は動かない。
 もう、機能を停止しているのではないか、そう思えるほどの静けさに包まれていた。

『……?』

 じっと動かず静止していた福音が、ふと顔を上げる。
 次の瞬間――ドン!
 福音の身体に爆発と衝撃が走った。何者かに狙撃されたのだ。

『敵機確認』

 福音の視覚センサーが、五キロ離れた島に狙撃姿勢で陣取るシュヴァルツェア・レーゲンの姿を捉えた。
 左右の肩に装着された二門の砲口。八〇口径レールカノン『ブリッツ』が福音に照準を合わせ、また火を噴く。シュヴァルツェア・レーゲンは今、『パンツァー・カノニーア』という砲戦パッケージに換装していた。遠距離からの攻撃に主体をおいた装備で、砲撃・狙撃に特化したパッケージだ。

『――迎撃行動に入る』

 一発目の着弾に続き、二発、三発と連続で放たれる砲弾を、福音は翼から放った光弾を弾幕代わりに使うことで打ち落とす。
 二対四枚の翼を広げ、スラスターを全開にすることで一気にラウラとの距離を詰めに入る福音。凄い速さであっという間に距離を詰めてくる福音のスピードにラウラは驚愕した。

(予想よりも随分と速い!)

 データ以上、予想を大きく上回る加速。しかも更に続けて砲撃を浴びせるが、すべて光の弾幕の前に阻まれる。これにはラウラも苦悶の表情を浮かべた。
 シュヴァルツェア・レーゲンは現在、砲戦パッケージに換装しているため、狙撃に対する備えとして四枚の物理シールドで防御を強化している分、反動相殺の影響を大きく受け、機動との両立が難しくなっている。
 そのため、福音のように攻撃と機動に特化した機体を相手に接近を許せば、ラウラに勝ち目はなかった。

(くっ! まさか、ここまで性能差があろうとは――)

 ラウラも福音のスペックが提供されたデータ以上であることは、紅椿の持って帰ったデータからも理解していたつもりだった。
 だが、データを見るのと実際に体験するのとでは違う。想像していた以上に速い福音の動きに、ラウラは翻弄されていた。

「ちっ!」

 距離が千を切り、福音が最後の急加速を行う――瞬時加速(イグニッション・ブースト)だ。
 咄嗟に反応するラウラ。回避を諦め、シールドを引き寄せ、防御の構えに入る。まるで手足を引っ込めた亀のように、四枚のシールドに身体を隠しラウラは丸くなった。だがこれが福音の攻撃に対する唯一の対抗策でもあった。
 圧倒的な機動力の前では、回避は疎か、距離を取ることすらかなわない。それに慣性停止結界――AICは意識を集中させるのに時間がかかるため、高機動戦闘を得意とする相手には通用しにくい弱点がある。
 その上、福音が主に使用する武器は中・遠距離から放たれるエネルギー弾だ。シュヴァルツェア・レーゲンのAICが慣性を停止させることが出来るのは質量を持った実体兵器のみ。エネルギー兵器には効果がない。この勝負、距離を詰められた時点で勝敗は決していた。
 しかし、そんな絶望的とも言える状況の中でも、ラウラは希望を捨ててはいなかった。
 福音の手が目前へと迫った瞬間、ラウラの口元がニヤリと歪みを見せる。

「――もらいましたわ!」

 機動力に特化した福音に対し、ラウラが敢えて狙撃で挑んだ理由。それは、福音を所定の位置にまで誘い寄せることにあった。
 福音が瞬時加速を使うタイミングを待っていたかのように、青い光が福音を襲う。ブルー・ティアーズの大型BTレーザーライフル『スターダスト・シューター』の光だ。

「逃がしませんわ!」

 強襲用高機動パッケージを搭載したセシリアのブルー・ティアーズがライフルを構え、時速五百キロを超す速度で福音へと迫る。
 頭には超高速での反応を補うために、バイザー状の高感度ハイパーセンサーを装着し、いつも攻撃に使用している六機のビットはスカート状に本体に接続され、高機動での戦闘を可能とするための補助スラスターとして使われていた。
 すべて、福音との戦いに合わせた調整だ。高速で上空から接近し、絶え間なくレーザーを放ってくるセシリアの姿を視界に捉え、福音はすぐに攻撃対象の優先順位をラウラからセシリアへと切り替える。
 だが、福音がセシリアに注目した次の瞬間、

「遅いよ」

 セシリアの背中からステルスモードを解除したシャルロットが飛び降り、目眩ましとばかりに手にした武器で広範囲に散弾を放った。
 その隙を突き、瞬時加速を使ったリヴァイヴが福音へと迫る。その右手には、先程散弾を放ったガンランスが握られていた。
 すぐさま翼から光弾は発射し、迎撃に入る福音。しかしシャルロットも負けてはいない。福音の動きを読み、ガンランスから射出された二度目の散弾が光弾を打ち消し、閃光と黒い爆煙を巻き上げた。

「はあっ!」

 ボンッ、煙の中から姿を見せたシャルロットが、ランスで福音の翼の一枚を貫く。

「まだっ! もう一枚!」

 右手のランスを手放し、高速切替(ラピッド・スイッチ)で左手にドリルアームを展開するシャルロット。
 翼を一枚破壊されながらも、反射的に別の翼から光弾を放つ福音の前にドリルを突き出し、攻撃を相殺した。

「ぐっ!」

 しかし爆発の衝撃で、シャルロットは海面へと弾き飛ばされてしまう。
 すぐに追い打ちをかけようとする福音を、ドン――また、ラウラの砲撃が背中から襲った。

『優先順位を変更。現空域からの離脱を最優先に』

 ラウラ達の連係攻撃に思うように反撃に移れず、このままではまずいと判断した福音は、回転しながら全方向に光弾を放った。
 その攻撃を目眩ましにスラスターを全開にし、戦闘空域からの離脱を試みる福音。だが、逃げようとする福音の背中を、ボンッ――と水柱を上げ海中から飛び出した二つの影、『紅椿』と、その背中に乗った『甲龍』が追いかけた。

「離脱する前にたたき落とす!」

 またも奇襲。だが、この予期せぬ奇襲の前にも福音は驚異的な反応を示す。

「今更、遅いのよ! 箒!」
「わかっている!」

 しかし、展開装甲で加速した紅椿の動きの前には遅かった。
 福音の動きよりも速く、増設された二つの砲口、機能増幅パッケージ『崩山』を装備した甲龍の衝撃砲が火を噴く。衝撃砲の特徴である不可視の弾丸ではなく、赤い炎を纏った攻撃。熱殻拡散衝撃砲とでも呼ぶべき広範囲攻撃が福音を捉え、その動きを奪った。

「箒、今よ!」
「はああああっ!」

 衝撃と熱に装甲を焼かれ、ミシミシと鈍い音を放つ福音。その身体が大きく弧を描きながら宙を舞う。福音に攻撃が当たると同時に、紅椿の背中から飛び降りる鈴。それを合図に脚部、背中すべての展開装甲を開き、急加速に入った紅椿が瞬時加速にも勝る速度で福音へと迫った。
 一瞬にして距離を詰める紅椿に、福音は慌てて反応しようとするが、衝撃砲によるダメージが大きく思うように身体が動かない。その隙を見逃すほど箒は甘くなかった。
 畳みかけるように放たれる斬撃。空裂・雨月、二対の刀が福音を捉え、一閃。交差する紅いエネルギー刃が、残った福音の翼すべてを切り落とした。

「やったの……?」

 鈴の呟きに反応するかのように、全員の視線が福音へと向かう。
 シャルロットに翼を一枚貫かれ、残った翼をすべて箒の放った斬撃で失った福音は、海へと崩れ墜ちた。
 海面にドボン、という音と共に大きな水柱が立つ。
 海の底に沈んでいく福音を目に、誰もが勝利を確信した――その時だった。

全装備同時展開(フル・オープン)

 オープン・チャネルを通し、福音の抑揚のない声が響く。全員の目が大きく見開いた。
 福音が沈んだ海面が白く光ったかと思うと丸く膨れあがり、次の瞬間――大爆発を起こしたのだ。

「くっ! まだ、動けたのか!」
「待て! そいつは――」

 箒が二本の刀を構え、爆発に飛び込もうとした瞬間――咄嗟の判断で盾を構え、福音と箒の間にラウラは飛び込んだ。
 その手足に、海面から伸びた四本のワイヤーブレードが巻き付く。

「ぐっ……!」
「ラウラ! 何故……!? 今すぐ助け――」
「よせ、逃げろ! くっ」

 海上の光と、センサーに反応したエネルギーの数にラウラは驚愕する。
 失った翼の代わりに現れる一対二枚のマルチスラスター。『銀の鐘』――その全貌が姿を現し、眩い光が箒達を襲う。
 ラウラは咄嗟に四枚の盾すべてを前方に展開し、背後の箒を守るように壁となった。

「ぐああああっ!」

 刹那、海面からスプリンクラーのように噴き出した光の弾が、ラウラの全身を包み込んだ。
 漆黒の装甲が光で白く塗りつぶされるほどの弾雨を浴びせられ、ラウラはボロボロになって海面へと墜ちていく。

「ラウラぁ――っ!」

 そんなラウラを助けようと、箒は海面を目指し全力で加速した。

「あなたの相手は、こちらですわ!」

 箒がラウラを救助するまでの間、敵の注意を引きつけようと、福音へライフルを向けるセシリア。だが、すべてを解放した福音の前には、その行為すら無駄なことだった。
 福音の周囲に展開される百を超す光の羽。そこから放たれる無数の光がセシリアだけでなく、その場に居る全員を襲う。

「そんな――」

 セシリアの悲痛な声が響く。眩い光が、辺り一帯を包みこんだ。





 ……TO BE CONTINUED



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