――場を支配する空気が変わった。
 肉体と精神が強敵との戦いを前に、最高の状態に高まっていくのを護堂は感じる。
 それはまるで、まつろわぬ神と対峙しているかのような威圧感だった。

「護堂! 躊躇わず、権能(チカラ)を使いなさい!」

 エリカは異常を感じ取り、咄嗟に護堂の名を叫ぶ。

「はあ!? 相手は人間なんだぞ!?」
「バカ! そんな普通の人間がいるわけないでしょ!?」

 イタリアのミラノに拠点を構える赤銅黒十字の筆頭騎士にして、護堂と共に神と戦った経験を持つエリカだから気付けた。
 今の護堂では勝てない。万全の状態ならともかく、アテナとの戦いで力を消耗した護堂では勝負になるかすら怪しい。
 天才と謳われるほどの実力を有しているからこそ、エリカは太老との力の差を肌で感じ取っていた。
 嫌な汗がこぼれ落ちる。
 どんな力かまではわからないが、あれは人間に扱える力ではない。
 エリカは咄嗟に彼我の戦力を比較し、護堂を連れてここを離れる算段を考える。
 しかし、そんな猶予を与えてくれるほど相手は甘くなかった。

「まずい――」

 太老の身体から溢れる力に反応し、直感的に危険を感じ取った護堂は構えを取る。
 護堂がウルスラグナより簒奪した力は十の化身を持つ権能。
 今日使ったのは祐理のもとへ駆けつけるために使った『風』の化身と『戦士』の神格を斬り裂く黄金の剣。そして太陽の力を宿した『白馬』の三つだ。

(どうする? 何を使う……)

 まだ七つの化身を温存している護堂だが、そのなかで掌握しているのは五つ。
 雄牛(おうし)駱駝(らくだ)(いのしし)(おおとり)雄羊(おひつじ)。まだ使用条件すらわかっていない『少年』と『山羊(やぎ)』は使えない。
 ウルスラグナの権能は、あらゆる障害を打ち破り勝利するための力だ。
 多彩な力を持つ強力な権能ではあるが、それぞれの化身には使用条件があり、同じ化身は一度使うと丸一日は使えなくなるという制限がある。
 白馬は民衆の敵にしか使えず、黄金の剣は相手に対する膨大な知識がないと使えないと言った具合にその条件も化身ごとに違い、何時でも自由に使えるわけではないので神の権能と言う割には扱いが難しい。万能とは程遠い力だ。
 護堂は迷った。使用出来る化身は限られている上、相手の実力は未知数だ。
 迎え撃つか、それとも――

(――『(おおとり)』が使える!?)

 護堂は考える時間を稼ぐため、太老から距離を取ることを選択した。
 太老の姿が視界から消えた瞬間、護堂のなかで『鳳』を発動するための条件が成立する。
 この化身は高速の攻撃にさらされた時にしか使えない。それは銃弾や達人の放つ素早い一撃でも構わないのだが、攻撃されなければ条件を満たせないことから発動のタイミングが少しでも遅ければ無防備に攻撃を食らことになる。
 だが、今は迷っている時間はない。護堂は言霊を口にする。

「羽持てる者を恐れよ。邪悪なる者も強き者も、羽持てる我を恐れよ――」

 それは聖句――神の力を簒奪した魔王の証明。
 護堂の口から自然と神々の力を宿した言霊が紡がれる。
 徐々に身体を満たしていく力。視界に映る世界が変わり、護堂は神速の世界へと身を置いた。

「嘘だろ!?」

 これで男を振り切れるはずだった。
 一旦距離をおいて、対策を練るつもりだったのだ。
 なのに――護堂は驚愕する。『鳳』の速さに太老がついてきたのだ。

「しまっ――」

 神速に神速で反応したのでは、どうしても発動のタイムラグがある護堂の方が不利。『鳳』の特徴は、その圧倒的なスピードだ。同等の速さで動く相手には、そのメリットが最大限に活かせない。
 ましてや護堂は、まだこの『鳳』の力に慣れていなかった。

「くっ!」

 白い閃光が空を切る。太老の右手には光り輝く武器が握られていた。
 真っ白な――そう、まるでハリセンのような武器。

(……なんでハリセン?)

 転がるように回避する護堂。初撃はなんとか(かわ)せた。しかし躱せたのは運に近い。
 戦いになれば自然と調子を整えてくれるカンピオーネの並外れた集中力と、非常識な超感覚がなければやられていた。
 どこからどう見ても光るハリセンとしか思えない武器に疑問を抱きながらも、今の一連の動きで護堂は自身の不利を悟った。
 肉体の限界を超えた速度で身体を動かす『鳳』は、身体への負担が大きい。使いすぎると、しばらく動けなくなるほどだ。
 そして動きが速すぎるために繊細な動きが難しく、ほんの僅か動いたつもりでも数十メートルを移動してしまう。戦闘で使いこなすには、かなりの経験と工夫が必要だ。だから護堂は『鳳』を使う時は回避と逃げに徹していた。
 しかし、それは相手より速さで勝っていなければ、余り有効な手段とは言えない。
 それに限りなく近い速さで動く相手――太老には通用しない策だ。

(くそっ、どうすれば!)

 常にトップスピードで動ける『鳳』の方が、僅かに速さで太老を上回っていた。
 しかし動きに無駄のある護堂と違い、太老は完全にそのスピードを自分の物にしている。この差は大きい。
 護堂はカンピオーネの力を持ってはいるが、魔術に関する知識は疎か、格闘技の経験も剣術の才能も持ち合わせていない。中学時代に野球のシニア世界大会の日本代表候補に選ばれたことがあるという以外は、ただ少し勘がいいだけの高校生だ。
 一方、太老は才能に恵まれていたわけではないが決して非凡と言う訳ではなく、幼い頃から厳しい訓練に耐えてきた経験を持つ。
 超一流とまでは言わなくても、一流に近い剣術・体術を会得している。実践慣れもしていて、戦いに関して素人の護堂とでは比較にならない実力者だ。
 だが護堂も各上の相手と戦い、常に生還してきた。神を相手に戦いを挑み、今もこうして生きている時点で彼も普通の人間とは言えない。
 技術や経験で劣っていても、それだけで勝敗が決まるわけではない。カンピオーネとは強者ではなく勝者。それを護堂は、これまで戦いのなかで証明してきた。

「こうなったら――」

 彼の強さの秘密は、その思い切りの良さにある。
 一見、大雑把で行き当たりばったりに見える行動でも、それは野球で培った経験と彼なりの洞察力に基づいた結果だ。ここぞという勝負所を嗅ぎ分ける能力に彼は長けていた。
 限界が近い――そう悟った護堂は力を振り絞り太老を引き離す。
 額から嫌な汗が滲み、胸が締め付けられるように痛み始める。
 このままでは、やられるのを待つだけだ。護堂は覚悟を決め『鳳』を解除する。

「くっ!」

 胸が痛むのを我慢して、護堂は精神を研ぎ澄ます。
 集中力を高め、呪力を身体全体に巡らせる。
 イメージするのは『猪』の化身。すべてを薙ぎ倒す破壊の力。

「主は仰せられた――咎人に裁きを下せと」

 一か八かの賭けで、護堂は聖句を口にした。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第4話『魔王と天災』
作者 193






 超スピードで動き回る二人の姿は、エリカの目を持ってしても追えない。
 護堂の援護をしようにも、そのスピードにエリカは対応できていなかった。
 故に待つ。二人が姿を現す、その瞬間を――

「こうなったら――」

 先に護堂が姿を現す。『鳳』の限界が訪れたのだと、咄嗟にエリカは判断した。
 護堂の姿を確認したエリカは走る。カンピオーネと互角に戦うような怪物を相手に敵うとはエリカも思ってはいない。
 しかし、このまま主君と崇める護堂を置いて逃げるような真似を、騎士であるエリカ・ブランデッリが出来るはずもなかった。

「主は仰せられた――咎人に裁きを下せと」

 エリカはその言霊で護堂が『猪』を呼ぼうとしていることに気付く。
 しかし、光り輝くハリセンが護堂に襲いかかる。それはどこからどう見てもハリセンだった。

「あの武器は……」

 エリカはハリセンの放つ濃い力の気配に息を呑む。それは神剣や神槍の類と比べても寸分見劣りしない力を発していた。
 それもそのはず。それは、ただのハリセンではない。銀河アカデミーの伝統に則った哲学士御用達の仕置き用ハリセンだ。
 哲学士らしく対象を殺すのではなく捕らえることを目的とした実に平和的≠ネ武器で、その威力は大型戦艦クラスのエネルギージェネレーターを搭載した船のバックアップを用いれば、最大出力で全長百メートルを超す宇宙怪獣を一撃で昏倒させるほどの破壊力を持つ。生体強化をしていようと並の人間ならイチコロの威力だ。
 使い手次第では、肉体ではなく直接アストラルにショックを与える特性を利用して、幽霊や精霊と言った実体のないものにも極めて有効なダメージを与えることが出来る優れた一品だった。

「天誅――っ!」

 護堂が聖句を唱え終わるより早く、太老は流れるような動きでハリセンを護堂の後頭部目掛けて振り抜いた。
 スパン――と綺麗な音が鳴り響き、護堂の身体が地面に吸い込まれるように倒れていく。
 だが、それを黙って見ているエリカではなかった。

「これは――」

 いつの間にか、自分の周りに魔法陣が展開されていることに太老は気付く。
 そう、それはアテナにトドメを刺し、そのまま放置されていた獅子の魔剣の残骸で作った銀の結界だった。
 白馬の炎によって既に原型を留めていないが、獅子の魔剣は不滅だ。
 例え太陽の炎で焼かれようと、粉々に砕けようと、不滅の鋼たる獅子は何度でも甦る。

「えっと……誰?」

 護堂を成敗して戦意を喪失した太老は、思わぬエリカの登場に困惑する。
 しかし、その問いにエリカが言葉で答えることはなかった。

「クオレ・ディ・レオーネ!」

 獅子の心を意味する言霊。エリカの呪文に呼応し、獅子の魔剣が咆哮を上げる。
 鋼の獅子『クオレ・ディ・レオーネ』が無数の剣となり、剣の檻へと太老を閉じ込めた。
 最初から太老に攻撃を仕掛けたところで時間稼ぎにもならないことをエリカは悟っていた。
 だからこそ、狙っていたのだ。この瞬間を――

「護堂、今よ!」

 エリカの声で、気絶したはずの護堂が僅かに反応を見せる。太老の一撃を受け、確かに護堂は倒れた。しかしギリギリのところで、まだ意識を保っていたのだ。
 カンピオーネの頑丈な身体がなければ、あの一撃でやられていただろう。それにハリセンの一撃はアストラル――魂にショックを与えるもの。それは魔術や呪術に近い特性だ。高い呪力耐性を持つカンピオーネの身体には、並の魔術や呪術は効果がない。強い力を秘めているとはいえ、ハリセンの効果が薄かったのはそのためだ。
 事前に作戦を打ち合わせしていたわけじゃない。それでも護堂はエリカを信じ、エリカは護堂を信じ、この状況を作り上げた。共に神と戦った相棒(パートナー)だからこそ、言葉にしなくても通じ合えた。
 意識が朦朧(もうろう)としながらも、護堂は最後の力を振り絞って立ち上がる。エリカと共に作り上げたこのチャンスを逃さないために――

「――契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 言霊が完成する。
 太老の正面、空間の裂け目から姿を現すのは巨大な『猪』の鼻。
 これにはさすがの太老もまずいと理解したのか、額に冷や汗を滲ませる。

「――――ッ!」

 それは『猪』の咆哮。完全に空間から抜け出た『猪』が疾走を開始する。
 大地を揺るがす地鳴り、進路上にあるすべてのものを薙ぎ払いながら『猪』は猛然と標的へと向かう。
 全長二十メートルを超す巨大な体躯が、剣の檻ごと太老を押し潰した。


   ◆


 戦いの舞台となった浜離宮恩賜庭園は、既にそこが庭園であったことすらわからぬほど原型を留めていなかった。
 更に酷いのは『猪』の標的となった建物だ。
 ウルスラグナ第五の化身『猪』は他の化身に比べて呼び出す条件が緩い。その条件とは『巨大な物体を標的として定め、破壊を決意』することだ。大体十トンを超す物体なら『猪』の標的にすることが出来る。
 護堂が今回標的として定めたのは、浜離宮恩賜庭園から見える高層ビルだった。
 その結果『白馬』の炎で焼かれ半壊寸前だった高層ビルは完全に倒壊し、その横を走る首都高も復旧が困難なほど破壊の限りを尽くされていた。

「さすがは護堂。やることがいつも派手ね」

 その惨状を前に、誇らしげに賞賛を述べるエリカ。もっとも今回は少しやり過ぎたと内心では思っているのか、額に冷や汗を滲ませている。
 当分この辺り一帯は封鎖するしか手はないだろう。しばらく復旧の見通しは立ちそうにない。
 しかし慣れとは恐ろしいものだ。多少呆れはしても、この惨状を当然のものと彼女は受け止めていた。
 エリカの話を聞いていれば絶対に否定するであろう当人は、力を使い果たし眠っている。
 エリカの膝の上で気持ち良さげに眠る姿は、この惨状を引き起こした張本人とはとても思えなかった。

「ほんと無茶苦茶やるな。この破壊っぷりは美星と良い勝負だ」

 そんなエリカの言葉に同意するように、土煙の向こう側から男の声がする。
 ――ゴクリと喉が鳴る。
 エリカは視界に映った人物の姿に驚き、息を呑む。

「これ……絶対に後で、俺も怒られるよな」

 脇に裸の幼女(アテナ)≠抱えた太老が、傷一つない姿でそこに立っていた。





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