護堂の家から程近い本郷通り沿いに十二階建てのマンションがあった。
 ホテル顔負けの広いエントランスに、厳重なオートロックが完備された地元民の間でも有名な高級マンションだ。

「ここだよな? なんか、無茶苦茶リッチな部屋なんだけど……」

 事前に預かっていた鍵で室内に入った太老は、その豪華さに言葉を失う。最上階のフロアを丸ごと使った一室は、マンションと言うよりは豪邸に近い。
 広くゆったりした玄関に五十畳を超えるリビング。部屋の数は十を超え、最新のシステムキッチンや家族全員で入れそうな大きなお風呂と設備も充実していた。

(なんだ? この部屋は……)

 しかしアテナが驚いたのは部屋の豪華さや広さではなく、部屋を包み込む気配の方だった。
 濃厚な神の気配。いや、まつろわぬ神とは似て異なる強大な力の残滓。彼女の神としての直感が、この部屋の何かを危険だと告げていた。
 故に警戒する。ここに自分を連れてきた男の狙いを――

(わらわ)を連れ去って、どうする気だ? あなたは只人(ただびと)ではないようだが……」
「怪我をしてるのに見過ごす訳にいかないし、そんな格好でどうする気だ?」

 そう言われてアテナは自身の姿を確認する。
 太老から借りた上着を羽織ってはいるが、その下は何も身に付けていない。衣服は『白馬』の炎で焼かれ、そのままだ。

「まずは怪我の治療だな」

 太老は何もない空間に手を入れると、そこから白い箱を取り出す。

(今のは召還魔術か?)

 召還の魔術を行使するには下準備が必要だが、それほど難しい魔術ではない。
 あらかじめ魔術で刻印(マーキング)してある物を手元に引き寄せるだけの簡単な魔術。それなりに高位の魔術師なら誰でも使える魔術だ。
 しかし、太老が魔術を行使したような形跡はなかった。
 一連の動作に呪力の流れを感知出来ず、アテナはその奇妙な光景に首を傾げる。

「今から怪我の状態を見るから、じっとしてろよ」

 箱の中から取りだした聴診器のような物を、太老は怪我を負ったアテナの腹部へとあてた。

「どうした?」

 怪我の状態を見ると言って数秒。何やら難しい顔を浮かべる太老を見て、アテナは不思議に思い声を掛ける。

「……お嬢ちゃん。もしかして、人間じゃない?」
「妾は神だ。知っていて連れ去ったのではなかったのか?」
「ああ、うん。神様か……ってことは、普通の治療じゃ無理だな」

 そう言って空中に出現させたキーボードを、太老は目にも留まらない速度でタイピングし始めた。
 太老とアテナの周りに無数の空間ディスプレイが現れては消えていく。

「これはなんだ?」

 アテナは探るように、目の前に現れた空間ディスプレイに手を触れる。だが指はすり抜け、画面に触れることは出来ない。
 幻術かと考えたが、先程と同じように太老からは呪力の流れを感じない。
 アテナは少なからず驚きを覚え、じっと目の前の現象を観察していた。

「心配するな。こう見えても高次元生命体――神様の生体には詳しいからな」

 アテナを安心させようとしたのだろうが、それは『どうして!?』と、この世界の魔術師がいたら誰もがツッコミを入れたであろう話だった。
 皇家の樹も高次元生命体の一種だ。彼等の手入れは幼い頃から野良仕事を手伝い、園芸や野菜作りを得意とする太老の仕事でもあった。
 それに神様の頂点とも言うべき『創世』の三女神と、太老は切っても切れない深い縁で結ばれている。
 確かに、神様の生体に太老以上に詳しい人間はどこの世界を探してもいないだろう。

「パーソナルデータの解析は終了と。ふむ、やはり実体はちゃんとあるんだな」

 神話より出でる際、まつろわぬ神は受肉した一つの生命体として現世に顕現する。
 それは高次元に存在する神々が、その力の一端を下位次元で振るうために必要な――謂わば、端末体のような役割を肉体が担うためだ。
 高次元生命体が下位次元で全力を振るえば、次元は裂け、星は消滅し、世界は崩壊する。この身体は、そうさせないためのストッパーの役割を果たしていた。
 神話も謂わば、神の力を抑えるために人が生み出した知恵だ。彼等に属性と役割を与え、神話という楔に存在を繋ぎ止めることで力を抑制する。人はそうして大昔から災厄に備えてきた。
 だが、顕現した神々のなかには人の定めた神話(ルール)に背き、自由気侭に世界を流離う者達もいる。
 それが『まつろわぬ神』と呼ばれ、人々に恐れられてきた存在だ。

(この次元の管理神は何をやってるんだ? いや、まさかこれも……)

 高次元の存在が下位次元に干渉すること自体、本来では滅多にないことだ。しかし、この世界ではそれが当たり前のように現象として起こる。そこに太老は不可解な意図を感じ取る。
 こうして疑問を見つけては原因を探ろうとする辺り、やはり太老も哲学士の一人なのだろう。
 伝説の哲学士に師事し、その叡智を授かった天才。伝説の後継者にしてオタクの神。
 哲学士タロ――本人は与り知らぬことだが、宇宙で活躍する研究者・科学者の間で太老はこう呼ばれていた。
 アテナが智恵の女神なら、太老は科学の申し子だ。哲学士とは即ち、宇宙最高クラスの奇人・変人を意味する言葉でもあった。

「ぱーそなる?」
「パーソナルデータってのは、遺伝子情報などの生体データからアストラル情報まで網羅した個体識別データってところだ」

 と説明されても、アテナには太老の言っていることがほとんど理解できなかった。
 智慧の女神などと言われていても、彼女の知識は神や魔術など超常的な事柄に関することが大半で人間の生み出した科学に関しては疎い。
 ましてや太老が扱うのは異世界の技術。自然の摂理をねじ曲げ、星々を翔る船を操り、世界の創造まで可能とする魔法を超えた超科学だ。
 智慧を司る女神とはいえ、アテナがそれを理解できないのも当然と言えた。

「アカデミーに連れていったら確実に研究対象(モルモット)だな」
「もるもっと?」

 モルモットなどと言われれば大半の者はドン引きするところだが、アテナには太老の言葉の意図が理解できない。
 そんな無垢なアテナの反応に、太老の保護欲が掻き立てられた。
 こんな何も知らない幼気(いたいけ)な少女を、あの魔窟とも言うべき場所に連れていけるはずもない!
 ましてや、マッドの手に渡すことなど――太老は決意する。

「マッドの手から俺が守るから大丈夫だ!」

 ――ブルッ!
 マッドという聞き慣れない言葉を耳にして悪寒が走る。女神の本能が何やら危険を告げていた。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第6話『超科学』
作者 193






 先程から太老の口にしている言葉は、アテナにとって耳慣れない物ばかりだった。
 ましてや、アテナのことを神と知っても太老は態度を変えようとしない。
 普通の人間であれば、畏まるか、慈悲を乞うか、逃げ出すか。
 いずれにせよ、このような行動を神の前で取れる人間などアテナは会ったことがなかった。
 そこで不思議に思う。

「あなたは妾以外の神に会ったことがあるのか?」
「まあ、神様と呼んでいいのかわからないけど日常的に顔を合わせてたな」
「……日常的に?」
「一応、師匠というか育ての親でね。まあ、あとはストーカーや姉代わりとか。そう言えば、皇家の樹も一応は神様の括りだっけ?」

 神に育てられたという太老の話に、さすがのアテナも唖然とする。
 何かを思い出すように、段々と悲壮感漂う表情を浮かべ始める太老。

「もうちょっと周囲に気遣ってくれればと何度思ったことか。こっちの都合なんてお構いなしだしな」
「不敬だな。しかし真理でもある」

 人間を相手に気遣う神などいるはずもない。相手が同族であっても同じことだ。アテナも、そこは否定するつもりはなかった。
 とはいえ、普通であれば神罰が下っても不思議ではない不遜な物言いだ。
 しかし、まるで実害を被ったことがあるかのように太老の言葉には実感が籠っていた。

「これで、どうだ!」

 太老がそう言って目の前のボタンを押すと、神力の消耗によって再生が遅れていた傷が徐々に塞がっていく。これにはアテナも驚いた。
 圧倒的な呪力を身に宿しているカンピオーネやまつろわぬ神の身体には、並の魔術や呪術は効果がない。それは癒やしの術も同様で、例外があるとすれば経口摂取など直接体内に術を施した場合だけだ。
 もっともそれはカンピオーネには有効かもしれないが、神であるアテナには意味を持たない。だと言うのに、太老の治療は確かに効果が現れていた。

「それは神具か?」
「いや、俺の作った発明品だ。まあ、今回のは本来の使い方とは少し違うけど」
「作った? あなたは錬金術師なのか?」
「そういう見方もあるか。そんな大層なものじゃなくて、ただの趣味だよ」
「これが……趣味?」

 どうにも納得が行かないと言った様子でアテナは眉をひそめる。趣味の一言で片付けられる代物ではないからだ。
 だが太老がそう言う以上、アテナにはその真偽を確かめる術がない。故に別の質問を返す。

「何故、妾を助けた?」
「普通、変質者に裸の幼女が襲われてたら助けるだろう?」

 思いも寄らない返答にアテナは目を丸くした。
 一瞬、太老が何を言っているのか、話の内容をよく理解できなかったためだ。

 ――変質者とはあの神殺し、草薙護堂のことだろうか?
 ――確かにあの男は神格を斬り裂く剣で、妾の過去を暴き立てた。
 ――それは恥辱とも言える行為だ。

 アテナは記憶を辿り、自身の神格を斬り裂いた忌まわしき黄金の剣のことを思い出す。
 不快感を隠そうともせず、アテナは苦渋に満ちた厳しい表情を浮かべる。

「確かに草薙護堂は忌まわしき剣で妾を裸に暴き立てた」
「……警察に突き出しておくべきだったか?」

 正直に答えたつもりのアテナだったが、それは更に誤解を深めただけだった。

「もういいぞ。目に見える傷は塞いだけど完全に治った訳じゃない。無理はするなよ」
「いや、十分だ。感謝する」

 草薙護堂がウルスラグナより簒奪した権能――十の化身の一つ『戦士』。
 戦士が持つ光り輝く黄金の剣は、言霊を持って権能や神格を斬り裂く神殺しの武器だ。
 傷つけられた神格は時間の経過と共に徐々に回復するのを待つしかない。
 寧ろ、ここまで回復できただけでも、アテナからすれば驚きだった。

「感謝されるほどのことはしてないけど、気持ちはありがたく受け取っておくよ」
「謙虚な男だな。何か、望みはないのか?」
「これと言ってなあ……。それじゃあ、余り無茶はしないって約束してくれ」
「それは……」

 まさか、そのような願いをされるとは思っていなかったアテナは戸惑う。
 神として一度口にした言葉を違えるのはどうかと思うが、この身はまつろわぬ神だ。
 再び神殺しや、同胞と相まみえることもあろう。無茶をするなというのは聞けない頼みだった。
 しかも、

「まつろわぬ神なんて不良みたいな真似はやめて、普通に生活してみたらどうだ?」
「むう……」

 まつろわぬ神を不良扱い。荒ぶる神が、闘争を求めるのは自然なことだ。そこらの不良と一緒にされては困る。
 確かに定められたルールに背き、周囲の迷惑を顧みないで自分勝手に行動する様はそう見えなくもないが、そんな風に注意されたのはアテナも初めてのことだった。
 どうにも調子が出ない。アテナは太老に対して、なんとも言えないやりにくさを感じる。

「念のため、これも飲んどくといい」
「……これは?」
「うちのメイド達にも好評の特製ドリンクだ」

 怪訝な表情を浮かべながらも、太老の言うとおりにアテナは瓶詰めのドリンクを口にする。
 ゴクン――液体が喉を通った瞬間、アテナはその効能に驚く。
 全身にみなぎる呪力。護堂との戦いで消耗した力が回復していくのをアテナは感じた。

「これは……まさか、万能の霊薬(エリクシル)か?」
「えりくしる? いや、俺が作った特製ドリンクだけど?」
「これを、あなたが作った?」

 まさに神代の秘薬と遜色ない。これほどの効果を持った霊薬を人間が作れるなど、アテナからすれば信じがたい話だった。
 彼女が驚くのも当然。それは皇家の樹――高次元生命体に数えられる神樹の果実を材料に作られた栄養剤だ。
 その効能は凄まじく、疲労回復に美肌効果、更には気の流れを整え、消耗した力を回復させる効果もある。
 病気や怪我に効果はないが、体力を回復させるならこれ以上の物は望めない。
 もっとも普通であれば簡単に手に入るような代物ではないのだが、太老に関してはそうした常識は一切通用しなかった。

「あとは服をどうにかしないとだな」

 上着を一枚羽織っただけのアテナの姿を見て、太老は再び何もない空間から衣服や日用品と言った荷物を取り出し、ゴソゴソと漁り始める。

「少し大きいけど俺の服でいいか。必要な物は後で買い揃えればいいし」

 そう言って渡された太老の服に袖を通すアテナ。
 男物のシャツはやはり小柄なアテナには大きかったらしく、ワンピースのようにすっぽりと身体を包み込んでしまう。

「その格好で外に出るのはちょっとなあ……。後で桜花に服を借り――」

 そこまで口にして、何かを思い出したかのように固まる太老。

「ああっ! す、すっかり忘れてた!」

 桜花と駅前で待ち合わせをしていたことをすっかり忘れていた太老は、どうしたものかと慌てる。時計を確認するが、とっくに約束の時間は過ぎていた。
 今から迎えに行くべきかと考える太老だが、さすがに約束の時間から二時間も過ぎて待っているとは考え難い。
 そんな太老を見て少し呆れながら、アテナはふと思い立ったかのように太老に名を尋ねた。

「あなたの名は?」
「ああ、そう言えば自己紹介がまだだったか」

 神の仇敵たるカンピオーネでもなく、まつろわぬ神でもない。人の子に名を尋ねるなど普段であればありえないことだ。しかしアテナは興味を抱いてしまった。
 智慧の女神でも理解が及ばぬ、何一つ正体を掴めぬ男の名を知りたくなったのだ。

正木太老(まさきたろう)――太老と呼んでくれ」
諒解(りょうかい)した。妾のことはアテナと呼ぶがよい」

 こうして太老とアテナの不思議な関係が始まった。





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