「ごめんね。お兄ちゃん、今は仕事が忙しいみたいで」
「お仕事ですか……?」
「うん、こっちに来てからずっと遊んでたツケで決裁待ちの書類が溜まってるらしくて、書斎で書類の山に埋まってるの。一昨日からずっと」

 居間に通されたリリアナは、インターフォンにでた少女――平田桜花からそんな説明を受け、戸惑った。
 どこの組織も正木太老に関して知る情報は少ない。賢人議会との関係は噂されているものの、どこかの組織に所属しているとか、他のカンピオーネのように結社を率いているという話は聞いたことがない。
 ――では書類仕事とはなんなのか?
 リリアナは不思議に思い、桜花に尋ねた。

「失礼ですが、王はなんのお仕事を……」
「ああ、そう来るか。ううん、詳しいことは言えないんだけど、職業『王様』みたいな?」

 次の――が前に付くが、嘘は言っていないと桜花は話をぼかした。
 しかしリリアナからすれば、太老は七人目のカンピオーネと噂され、既に『王』と呼ばれる人物だ。職業が『王様』と言われても、今一つそれがどういうものかピンと来ない。ただ、桜花の返答から、この質問はまともに答えてもらえそうにないということだけは理解した。

(彼女が王の傍らにいる少女、平田桜花か……)

 じっと悟られないようにリリアナは桜花のことを観察する。こうしてみれば普通の少女のように見える。しかしリリアナが目を通した調査報告は、彼女がただの一般人でないことを示唆していた。
 あのエリカ・ブランデッリを相手に対等の駆け引きをしたという話や、正史編纂委員会や魔術結社の放った監視に気付いていたという話もある。そこから、少なくとも見た目で侮っていい相手でないことが窺える。

(やはり報告にあったように、見た目通りではないということか)

 魔術界において見た目と年齢が一致しないことは珍しくない。膨大な呪力を身に宿すカンピオーネ然り、高い呪力を持つ上級の魔術師にもなれば、若い身体のまま不老を維持することも可能だ。
 神祖と呼ばれる嘗て神であった不老不滅の魔女達のなかには、数百・数千年の時を生きている者もいるという話だ。
 それだけに、リリアナは目の前の少女を甘く見るつもりはなかった。

「それで、お兄ちゃんに何か用事?」





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第12話『王の使者』
作者 193






 ――先程までと空気が変わった。
 やはり、今までの愛想の良い態度は演技だったのだとリリアナは気付く。軽く睨まれただけだ。それだけでリリアナは桜花に呑まれていた。
 虚言は許さないといった空気のなか、リリアナは先程まで危惧していた桜花との力の差を思い知る。
 場を支配する空気が重い、格が違いすぎる。これが本当に人間にだせる威圧感(プレッシャー)なのか?
 まるで魔王に謁見しているかのような重圧のなかでリリアナは震えながら、どうにか唇を動かした。

「出来れば、王に直接お会いしたいのですが……」
「ううん、ここで待ってもらってもいいけど、どれだけ掛かるかわからないよ?」

 警戒されているのだとリリアナは悟る。いや、これは帰れという警告か?
 しかし、太老に会えなければリリアナは役目を果たせない。桜花に伝言を頼むという手もあるが、それでは騎士としての役目を果たせず、あの年老いた王も納得はしないだろう。
 こうしている今も彼女の報告を待っている人物の性格を考えれば、それほど時間が残されているわけではない。
 リリアナが帰らなければ、彼女の主――ヴォバン侯爵は自らここを尋ねてくる。そうなったら、ここが戦場となる可能性が高い。無関係な人間を巻き込むような真似はリリアナとしても避けたかった。
 リリアナが王の使者を願い出たのも、騎士として正義感に突き動かされた結果だ。出来る限り犠牲と被害を最小限に食い止めたいと考えてのことだった。

(王に会えなければ役目が果たせない。しかし、どうすれば……)

 リリアナは決して無能ではないが、少し直情的で素直すぎる一面がある。エリカのように交渉事には向いていない。表と裏の読みづらい桜花のようなタイプは、特に彼女が苦手とするタイプだ。
 それに急に押し掛けた手前、無理を押し通すことも難しい。侯爵に事情を話し、もうしばらく待って頂くことも考えたが、自身で『気が短い』と評する人物だ。それは難しいとリリアナは考える。
 実際、太老の所在が知れるや、ヴォバンはこの時を待ち侘びていたとばかりに全ての予定をキャンセルして日本へと飛び立った。

 ――王と王の戦いには相応しい場所と時間がある。

 そう話し、不敵に笑うヴォバンの姿が脳裏から離れない。
 リリアナが覚悟を決めかねていた――その時だった。

「俺にお客さんだって?」
「お兄ちゃん、仕事の方はもういいの?」
「いい訳じゃないけど何か事情がありそうだし、余り意地悪してやるなよ?」
「お兄ちゃんは、もうちょっと他人を疑った方がいいよ。どう考えても胡散臭そうな話だし、相手が綺麗な女の人だからって甘い顔してたら、いつか痛い目を見るんだから!」
「……何、怒ってるんだ?」

 待ち兼ねていた王の登場だ。
 本来は喜ばしいはずなのに、王に対する桜花の軽口にリリアナは呆気に取られる。それに対する王の態度にもだ。
 イメージしていた人物像とは随分と懸け離れた王の姿に、リリアナは酷く戸惑った。
 いや、四年前にも一度会っているが、あの時もこんな感じだったか? と、記憶を辿る。

 ――このロリコン野郎!

 リリアナの記憶に今も色濃く残っているのは、その台詞だけだ。
 余りに圧倒的すぎる王同士の戦いに身体が震え、声すら出せなかったことを今も覚えている。

「大丈夫か?」
「え、ひゃっ!」

 考えごとをしている間にいつの間にか太老の顔が目の前にあり、驚いて椅子から転げ落ちるリリアナ。

「大丈夫か? 悪い、なんか驚かせちゃったみたいで。それに髪と服が少し濡れてるみたいだし顔も赤い。……風邪か?」
「この雨の中を走ってきたらしいよ? 一応、タオルは貸してあげたけど」
「それじゃあ、風邪を引くだろう……。そうだ、風呂に入ってきな」
「お、お風呂ですか!?」

 太老からすれば風邪を引かせるわけにはいかないし、桜花が色々と意地悪をしたお詫びのような意味で言ったつもりだったのだが、

(ふ、風呂とはあれか! し、しかし人間は王に逆らえないし、どうすれば!)

 リリアナは顔を真っ赤にして妄想全開で暴走していた。


   ◆


「リリアナお姉ちゃん、着替えはここに置いとくね」
「あ、はい。お手数をお掛けします」

 脱衣所からした声に緊張した面持ちで返事をするリリアナ。
 人の気配がしなくなったことを確認すると、緊張を解すように安堵のため息を漏らす。

「私は何をしてるんだ……」

 湯船に浸かりながら、リリアナは自己嫌悪に陥る。完全に相手のペースに呑まれている。やることなすこと、すべて裏目に出ていた。
 ヴォバンの供をすることは、彼の信奉者である祖父の命令だった。すべてはエリカ・ブランデッリが草薙護堂の愛人に納まったために、対抗心をくすぐられたリリアナの祖父が自分の孫もカンピオーネの愛人にと企んだ結果だ。
 当然、リリアナにその気はない。しかし隠居したとはいえ、今もクラニチャール家の実権を握り、イタリアの魔術界に多大な影響力を持つ祖父に逆らうことは難しい。それにヴォバンの企みを知り、騎士として見て見ぬ振りなど出来なかった。

「あの方が七人目の王……そして、私の恩人」

 リリアナは四年前、太老に一度その命を救われていた。そう、ヴォバンが執り行ったまつろわぬ神の招聘の儀式だ。そこに彼女、リリアナ・クラニチャールも巫女の一人として参加していたのだ。
 高い魔女の資質を持つリリアナは、まさに打って付けの人材だった。
 その時も祖父の命令で儀式に参加したのだったか、とリリアナは思い出す。

「悲観しても仕方がない。それに……」

 ヴォバンの供の話を受けた、もう一つの理由。それは太老にもう一度会って、自分の気持ちを確かめたかったからというのもあった。
 四年前、強大な魔王に立ち向かって行く太老の勇気と強さにリリアナは魅せられた。
 理不尽に抗い、力無き民のために身を挺して戦う、そんな戦士の姿に――
 それはリリアナが理想とする騎士の在り方だったように思える。しかし、リリアナはカンピオーネに対して強い不信感を抱いていた。
 大部分は恐怖と先入観によるものだが、実際にリリアナが会ったことのあるカンピオーネは、お世辞にも人として褒められる人物ではなかった。
 どちらかというと社会に適合できない性格破綻者と言っていい人物ばかりだ。
 それだけに、太老に対する自分の気持ちがリリアナはよくわからない。ただの憧れなのか、それとも――

「わ、私は何を考えているっ!」

 バシャバシャと湯船に張ったお湯で顔を洗い、リリアナは邪な考えを振り払う。
 過去、エリカにバカにされた小説のことを思い出し、リリアナは妄想を自重した。

「そうだ、私は騎士。与えられた役目を果たさなくては……」

 既にペースを乱され、風呂に入っている時点で説得力のない言葉だった。


   ◆


「これを……私が着るのか? しかし……」

 桜花が着替えにと置いて行った服に戸惑いを見せるリリアナ。
 それは太老に仕える侍従部隊が実際に着用している制服。幾つかパターンがあり部署ごとに色や装飾が違うのだが、リリアナの着替えにと用意されたのはロング丈の黒と白のオーソドックスなメイド服だった。

「仕方ない……」

 メイド服を着ることになると思っていなかったリリアナは戸惑いを見せるが、まさかバスタオル一枚で出歩く訳にもいかず、渋々と言った様子で衣服の袖に手を通す。
 こんな格好を知り合いには絶対に見せられないと羞恥に耐えつつ身嗜みを整え、今度こそ――と気合いを入れてリリアナは太老の待つ居間へと向かった。

「お兄ちゃん、麺ゆで上がったよ。器の用意してくれる?」
「はいよ、あれ? アテナはどこいった?」
「またフラフラと朝から出掛けてるみたい。そのうち帰ってくると思うけど」
「こんな雨の中? 相変わらず猫みたいな奴だな」

 リリアナは居間で寛ぐ太老の姿を見つけ、すかさず膝を折り、王に謁見を請う騎士のように礼を取る。

「王よ、先程は失礼しました」

 あとはこの流れで手早く用件を済ませてしまえば――
 とリリアナは考えるが、太老を相手にそう易々と話が進むはずもなく、

「腹減ったろ? 丁度、昼飯を用意したところだからさ、食べて帰るといいよ」
「……え?」

 この男に空気を読めというのは、神を相手にするより難しいことだった。


   ◆


 今日の正木家の昼食は、太老の提案で釜揚げうどんになった。勿論、用意したのは桜花だ。
 温かいうどんにしたのは、雨で身体が冷えているであろうリリアナを気遣ってのことだ。
 肝心なところは空気が読めないくせに、妙なところで気の回る男だった。

「リリアナお姉ちゃん、生姜とネギいる?」
「あ、はい。頂きます」

 リリアナも最初に比べれば、場に馴染んできていた。
 桜花から受け取った生姜とネギを麺汁(めんつゆ)に混ぜ、(はし)を上手に使いこなしうどんを食べるリリアナを見て、太老は少し驚いた様子で意外そうな顔を浮かべる。

「一応、フォークを用意してあったんだけど、箸を使えたんだな。リリアナさんって海外の人だよね?」
「はい、イタリアのミラノ出身です」
「エリカさんと一緒か」
「あの女と同列に扱われるのは少し納得が行きませんが……。イタリアを代表する名門『七姉妹』の一つ『青銅黒十字』に所属しています」

 七姉妹というのは、イタリアを代表する名門の総称だ。『赤銅黒十字』もここに数えられている。
 太老も名前くらいは知っていたが、特に興味のある事柄ではなかったのでうろ覚えだった。

「それじゃあ、俺を訪ねてきたっていうのも、その結社絡み?」
「え……」

 そこでようやく自分の役目を思い出すリリアナ。

「し、失礼しました!」

 慌てて席を立ち膝をつくと、右手を胸の前にあて頭を下げるリリアナ。
 ヴォバンのような威厳も迫力も感じさせない気さくな太老の態度に戸惑いながらも、リリアナは召喚の魔術で手元に手紙を呼び出す。

「我が主――サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンより書状を預かり持参しました」
「ヴォバンって……ああ、あの時の爺さんか」

 リリアナからヴォバンの名前を聞いて四年前のことを思い出し、少しムッとした表情を浮かべる太老。
 正直、二度と会いたくないと思っていた相手だけに、そんな男から手紙を預かってきたと言われても嬉しくないというのが太老の本音だった。
 しかし、この雨のなか手紙を届けてくれたリリアナのことを考えると、このまま手紙を持って帰ってくれとはさすがに言い難い。仕方なく何も言わず、太老はリリアナから手紙を受け取ることにした。

「えっと、何々……日本語か。何気に達筆だな、あの爺さん」

 面倒臭そうに手紙に目を通す太老。相手にしたくないという本性が、ありありと顔に出ていた。
 このために日本語を勉強したのだろうか?
 墨と筆を使ってしたためたと思われる古めかしい手紙に、太老は感心するやら呆れるやら不思議な印象を抱く。

「お兄ちゃん、なんて書いてあったの?」
「要約すると……ようするに果たし状か?」

 そこには四年前の借りを返すみたいなことが書かれていた。
 そう言われても――と反応に困る太老。なんとなく過去のことを根に持ちそうな爺さんだったなと思い起こす。
 お年寄りは大切にしたいと考える太老だが、ヴォバンは別だ。
 とてもではないが、幼い少女を儀式の生け贄にするような人物を敬う気にはなれない。そこまで考えて、

「悪いけど、パス」
「……え?」
「リリアナさんには悪いけど、爺さんの我が儘に付き合ってる余裕はなくてね」
「で、ですが……っ!」

 リリアナには悪いと思うが、こんなのの相手をしている時間はない。それよりも仕事の方だ。
 ヴォバンの恨みを買うよりも、太老からすれば異世界で帰りを待つ女性達を怒らせる方がずっと恐かった。
 今やっている仕事も半ばお仕置きの意味合いが強い。桜花が不満たらたらにアテナやアリアンナのことを報告したことで、樹雷で太老の帰りを待つ女性達が結託して異世界へ出張中の太老へ仕事を送りつけてきたのだ。
 適度に仕事をさせて、浮かれ気分の太老の気を引き締めさせようという狙いもあった。

「まあ、そっちにも事情はあるだろうし、返事くらいは書いて持たせるから」

 念のため、リリアナに危害が及ばないようにと気を遣い、断りの手紙をしたためる。
 しかし、それが太老に出来る最大限の譲歩だった。





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