エリカは移動する車の中で、甘粕冬馬に携帯電話で事情を説明していた。
 正史編纂委員会の方でも、ヴォバンとその騎士が日本に来日していることは掴んでいたらしく、神妙な面持ちで甘粕はエリカの話に聞き入る。

『ようするに、ひかりさんは平田桜花と間違えて連れ去られたと?』
「そういうことみたいね。どうして、あそこに祐理の妹がいたのかまではわからないけど……」

 甘粕は事情を聞き、またも厄介そうな難題に頭を痛める。今、エリカはアリアンナの運転で七雄神社へ向かっていた。
 アリアンナはカースタントさながらの運転技術で前を行く車を次々に躱し、猛スピードで街中を駆け抜ける。煮込み料理に続く彼女のもう一つの難点。それが、この乱暴な車の運転だった。
 とはいえ、これだけ危険な運転をしているにも拘らず、今まで一度も事故を起こしたことがないというのだから驚きとしか言いようがない。本来であれば病み上がりのアリアンナに運転などさせたくはなかった(自分の身の安全も考えて)エリカだが、一刻も早く護堂や祐理と合流をしたかったこともあり、アリアンナの申し出を断り切れなかった。
 しかしアリアンナの運転に慣れているとはいえ、左右に激しく揺れる車内で電話の出来るエリカは、やはり並外れた胆力の持ち主に思える。

『その辺りの事情は追々調べるとして、ひかりさんの件はそちらに任せても?』
「それは『王』次第ね。正木太老も動いているから、悪いようにはならないと思うけど――」

 被害の方までは責任を持てないと安易に仄めかすエリカ。甘粕もその辺りは承知の上のようで、苦笑を漏らしながらも応対する。

『了解しました。では、こちらはそのように対処します』
「お願いするわ。あなたの上司にもよろしく」
『はい。では、お気を付けて』

 甘粕との電話を終え、ふうと息を吐くエリカ。雨は既に上がっているが、車の中の空気は曇り空のようだ。
 正直、先の見通しは一切見えない。今回は相手も悪い上、状況も余り良くない。
 甘粕にはああ言ったが、このまま太老に任せてしまうのが一番のようにエリカには思えていた。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第15話『王の選択』
作者 193






「エリカ様、着きましたよ。お二人は……もう、お待ちのようですね」

 七雄神社へと続く階段の前で、祐理と護堂はエリカ達の到着を待っていた。
 エリカから電話で連絡を受け、慌てて飛び出して来たのだろう。祐理はいつもの巫女装束ではなく、今日は淡いベージュのワンピースを身に纏っていた。
 護堂の方は、首下がゆったりした白いオープンカラーのシャツに紺の綿パンと、いつもと余り代わり映えのしない格好だ。
 アリアンナの車を見つけ走り寄ってきた二人に、エリカは車に乗るように指示を出す。

「アンナさん、もういいんですか? 襲われたって……」
「はい、もう大丈夫です。ご心配をお掛けしました。それに、私も協力したいんです。あの子は私の目の前で連れ去られましたから……」

 ――それはアンナさんの所為じゃない!
 そこまで言いかけて、護堂は言葉を呑み込んだ。
 隣にいる祐理が肩を震わせ、今にも倒れそうなくらい青い顔を浮かべていたからだ。

「エリカさん。やはり、ひかりがヴォバン侯爵に連れ去られたというのは……」
「事実よ。この件には、四年前の事件が関係しているわ」

 直接会って聞くまでは信じたくなかった事実に、祐理は絶望的な表情を浮かべる。
 ヴォバンの恐ろしさは四年前の儀式に参加した祐理が、この中で一番よく理解していた。
 それだけに、ひかりがどれほどの危険に晒されているかを瞬時に察する。
 人間は王に逆らえない――その現実を知る祐理にとって、限りなく絶望的な状況と言えた。

「私が……私が、ひかりをちゃんと止めなかったから……あの子が何かを企んでいることに気付いていたのに!」

 そんな祐理の様子を見て護堂は苦しげな表情を浮かべ、ひかりを連れ去ったという魔王に対し激しい怒りを覚える。

「くそっ! なんだって、万里谷の妹を!」
「背格好が似ていたから、桜花さんと間違えたのでしょうね。恐らく四年前の復讐……正木太老を誘い出すのが狙いよ。もはや、あの二人の戦いは避けられないわ」
「これだから、カンピオーネって連中は――ッ!」

 護堂のその言葉を他のカンピオーネが聞けば、『お前が言うな』とツッコミを入れてくるところだろう。
 確かにヴォバンのやっていることは人道的には最低な行為だが、世界的な文化遺産を幾つも破壊している護堂も他の魔王のことを言えた立場ではなかった。

(問題は、祐理の妹をどうするかよね……)

 護堂の反応は、大体はエリカの予想していた通りのものだった。問題は、ひかりをどうするかだ。
 妹を連れ去られた祐理の心情は察するが、このまま静観するという選択肢だってある。いや、状況から考えれば、それが最善の選択だろう。
 太老とヴォバンの衝突は避けられない。放って置いてもカンピオーネ同士が潰し合ってくれるのだ。合理的に考えれば、エリカとしてはこちらを推したい。
 しかし、

「護堂、あなたが決めなさい。このまま静観するか、それとも――」

 エリカは敢えて何も言わず、護堂の選択にすべてを委ねることにした。
 戦略的・政治的な判断をするなら、ここは静観すべきだ。ひかりを助けるにしても、無理にリスクを背負う必要はない。両方が共倒れするのを待つか、戦いで消耗したところを漁夫の利を狙うという選択肢だってある。
 しかし、そんな無難な回答を選ぶなら、彼等は神殺しになったりはしない。エリカが何を言ったところで護堂の答えは変わらないだろう。
 ――既に答えは出ている。そんな顔を護堂はしていた。

「そんなの決まってる。万里谷の妹を助けに行く!」

 それが王の采配。草薙護堂の出した答え。
 エリカはそんな護堂の選択に満足げな笑みを浮かべ――『仰せのままに』とお辞儀をした。


   ◆


「サルバトーレ卿がそんなことを?」
「ああ、昨日の夜に電話が掛かってきたんだ」

 目的地へ向かう車の中で、護堂のところへサルバトーレ・ドニから電話があったと聞き、エリカは眉をひそめた。
 電話の内容は、ヴォバンが太老と再戦するために日本へ来日しているという話だった。しつこく太老のことを聞かれたり、太老より先にヴォバンに喧嘩を売って来いなど言われたが、カンピオーネの争いに首を突っ込む気のない護堂は自分に関係のない話とドニの話をまともに取り合わなかったのだ。
 今となっては、そのことが悔やまれる。

「俺があの時、もうちょっと真面目に話を聞いてれば……」
「そんな、草薙さんの所為じゃありません! ひかりが無茶をするから……」
「祐理、その辺りの事情を私達はよく知らないのだけど、あなたの妹はどうしてあんな場所にいたの?」
「それは……そうですね。皆さんにはお話しておきます。恐らく妹は、正木太老様にお会いするためにマンションへ向かったのだと思います」

 護堂は驚いた様子だったが、エリカは薄々勘付いていた様子でやっぱりと肩をすくめる。
 そこから祐理は四年前の出来事を語り始めた。家族旅行で訪れたオーストリアで降りかかった不運。まつろわぬ神招聘の儀式に参加し、そこで太老と出会い、日本へと帰国するまでに至った経緯を――

「それで祐理の妹は、正木太老のことを知っていたのね」
「はい……。あの子は恐い物知らずというか、私と違って物怖じしない性格ですし、昔から何度もせがまれて王の話をしていましたから……」
「ずっと子供の頃から憧れていた人が近くに現れて、どうしても我慢が出来なくなった――と言ったところかしら? ちょっと待って、もしかしてひかりさんも媛巫女の一人なの?」
「はい、まだ見習いですが……」

 祐理の妹だからと言って、事情に詳しすぎるところがエリカは気になっていた。
 しかし、ひかりが関係者なら納得が行く。幾ら背格好が似ているとはいえ、一般人を間違えて連れ去ったとは考え難かったからだ。
 ましてや見習いとはいえ、媛巫女は日本国内に百人といない優れた霊能力者だ。祐理を見れば、ひかりの実力の方も大体の予想はつく。

「状況は理解したわ」
「すみません。私がもっとしっかりしていれば……」
「気にすることはないわ。悪いのは祐理じゃないもの」

 この場合、ひかりを止められなかった祐理や、ひかりが悪いと言うよりは、正史編纂委員会の方に問題があるとエリカは考えていた。
 幾ら関係者とはいえ、子供に出し抜かれるなど情報管理が甘すぎる。この国の人間はやはりどこか、カンピオーネに対する認識が甘い。今まで神殺しが誕生しなかった歴史も背景にあるのだろうが、これが欧州であれば子供の頃から徹底してカンピオーネに対する接し方を教育されるところだ。
 幼い頃から魔術師となるべく英才教育を受けてきたエリカからすれば、この件に関しての委員会の対応はお粗末としか言いようがない。
 取り返しのつかないことになる前に、甘粕の上司とは一度腹を割って話をしておく必要があるとエリカは考えていた。

「それじゃあ、作戦の確認をするわよ」


   ◆


 ヴォバンが宿泊している旅館の場所はすぐに判明した。正史編纂委員会も彼の動向に眼を光らせていたからだ。
 後は彼等の集めた情報を盗み見る≠セけでいい。エリカの家で太老が黙々とPCを弄っていたのも、この下調べのためだ。
 月の裏側に姿を隠している『守蛇怪・零式』を通じて、ネットワーク上にある監視カメラの映像やデータを集積させ、必要な情報だけを抜き取ることなど太老からすれば造作もないことだった。

「お兄ちゃん、どう?」
「生体反応は三つだけだな」
「三つ!? 他のお客さんや従業員はどうなったの?」
「アストラルラインはまだ繋がっている。どうやら仮死状態みたいだ」

 太老は片眼鏡(モノクル)を右眼に掛け、人質の位置を確認するため離れた場所から旅館の様子を窺っていた。
 このモノクルは対象をレンズを通して見ることで、生体エネルギーやアストラルパターンなど様々な情報を数値に換算し、離れた場所からでもパーソナルデータを解析することが出来る便利なアイテムだ。
 太老が作成した発明品で『お出掛け用』にと桜花にも持たせている七つ道具の一つだった。

「仮死状態……それって賢人議会のレポートにあった『ソドムの瞳』って奴かな?」
「ソドムの瞳?」
「魔神バロールから簒奪した権能で、見た者を塩の柱へ変える邪眼らしいよ」
「そりゃまた……性根の曲がった爺さんらしい能力だな」

 桜花の説明に、ヴォバンの非常識さを再確認して呆れる太老。
 カンピオーネが非常識な存在というのは周知の事実だが、ヴォバンは特に人間をやめているとしか思えない数々の能力の持ち主だ。
 他にも死者を操ったり、巨大な狼に変身したり、いざとなれば灰から甦ることも出来る老人だ。
 まさに狼男や吸血鬼など伝説のバーゲンセールと言った節操のない能力の数々を聞けば、太老が呆れるのも無理はなかった。

「それで、どうするの?」
「人命が優先だしな。二人いるし、爺さんを惹きつける役と人質を救出する役に別れる」
「お兄ちゃんにしては、まともな作戦で驚いた……」
「おい……」

 太老は人聞きの悪いことを言われて『俺はいつだって真面目だ』といった反論の表情を浮かべるが、桜花は『やれやれ』といった感じで首を左右に振る。
 付き合いが長い所為か、この辺りの呼吸は周囲が驚くほどピッタリな二人だった。その気になれば、アイコンタクトで意思の疎通が可能だろう。

「でも、本当にいいのか? あの爺さんの狙いは俺なんだし、俺一人でやってもいいんだけど」
「いいの。私の身代わりで連れ去られたとか、それで何かあったら寝覚めが悪いし……」
「まあ、そうだよな……」
「で、どっちが囮をするの? 妥当なところだと、お兄ちゃんだと思うけど……私がしようか?」

 ヴォバンの狙いは太老だ。なら、囮は太老が適任だ。とはいえ、桜花としては太老とヴォバンを戦わせるのは不安でならなかった。
 護堂との一件もある。出来れば、余り周囲に被害を出して欲しくない。それだけに、自分が囮をすべきかと考えての発言だったのだが、

「桜花ちゃんに、そんな危ない真似をさせられるわけないだろう!?」
「お兄ちゃん……私のことを心配してくれてるんだ」
「だって、あのロリコンだぞ?」

 こんなことだろうとは思っていたが、『折角良い雰囲気だったのに感動を返せ』と桜花は心の中で愚痴を漏らす。
 でも、本気で心配してくれている気持ちは伝わってきているので、敢えて桜花は何も言わなかった。

「じゃあ、お兄ちゃんがやるの?」
「え? なんで?」

 桜花は、疑問符を頭に浮かべる。そう言えば、さっきも太老は『俺一人でやってもいい』みたいなことを言っていた。
 しかし一人で陽動作戦など出来るはずもない。どうする気なのかと桜花は疑問に思う。

「陽動に適任な奴がいるじゃないか。丁度こっちに向かっているみたいだし」
「ま、まさか……」

 桜花には太老が誰のことを言っているのか、ようやく理解できた。
 あの時に気付くべきだった。いつもの太老ならエリカの到着など待たず、ひかりの救出に向かっていたはずだ。なのにアリアンナのことがあるとはいえ、エリカに情報を与えるような真似をしたのは、草薙護堂をこの件に引き摺り出すためだったのだと桜花は気付く。

(い、嫌な予感しかない)

 太老の顔をじっと観察する桜花。それは碌でもないことを企んでいる時の顔だった。





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