「ひかり、ちゃんと両親の許可は取れたの?」
「はい。太老兄様が先日うちへ挨拶に来て下さったお陰で無事に許しを頂けました」
「……お兄ちゃんが? えっと、それって家族に挨拶ってこと?」
「はい。お祖父様とお祖母様、それに母様は快く了承して下さいましたよ? 父様は婿養子ですから母様達には逆らえませんし、なんの問題もありません」

 ひかりの話を聞いて、桜花の頭に嫌な予感が過ぎる。
 恐らく太老のことだ。子供を預かるのだからと持ち前の責任感を発揮し万里谷家に挨拶へ赴いたのだろうが、ひかりの話と様子から察するにただの挨拶≠ナ済んだとは桜花にはとても思えなかった。

「ちなみに、ご家族はなんて?」
「えっと『娘をよろしくお願いします』と母様が仰って、太老兄様が『任せてください』と答えて下さって」

 その時のことを、ひかりは少し気恥ずかしそうに説明する。
 それだけで桜花はすべてを察することが出来た。
 ただの挨拶が、いつの間にやら結婚の挨拶≠ノ替わっていることに――

「おっ、ひかりちゃん来てたのか。早いね」

 その時だ。身支度を調え居間へと顔を出した太老が、桜花と談笑しているひかりを見つけ声を掛けた。
 ひかりと桜花が腰掛けているソファーの横には、大きなトランクケースが置かれていた。
 時刻は朝の九時を少し回ったところ。ここから成田まで車で行くことを考えても、飛行機の時間までは十分な余裕がある。
 七月も下旬に入り、今日から十日ほど太老達はイギリスへ旅行に出掛けることになっていた。

「太老兄様、お邪魔しています」

 太老に声を掛けられ、ひかりは席を立って丁寧にお辞儀をする。
 まだ十二歳と言っても、彼女は万里谷の娘。見習いが頭に付くとはいえ、媛巫女の一人だ。
 幼い頃から礼儀作法を厳しく学んでいるとあって、ただの挨拶にもお嬢様然とした所作が見受けられた。

「不束者ですがよろしくお願いします」
「あ、うん? 楽しい旅行にしような」

 何かおかしな挨拶だなと思いながらも、いつもの調子で返事をする太老だった。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第27話『ロンドンの一夜』
作者 193






「護堂達はイタリア旅行か」

 ひかりから護堂と祐理が連れ添ってイタリアへ旅行に出掛けたことを太老は聞いた。
 そう言えばエリカとアリアンナも先日、イタリアへ一時帰国するようなことを言っていた記憶を太老は呼び起こす。
 更に言えば、リリアナの故郷もイタリアだったはずだ。

「はい。甘粕さんから聞いた話では護堂兄様はこの夏、イタリアの現地妻のもとへ身を寄せて過ごされる予定だったみたいで、それを知ったお姉ちゃんがお目付役として一緒に付いていくことになったそうです」
「現地妻か……。なんか、どこかで聞いたような話だな」

 護堂も苦労してるんだなと、しみじみ実感の籠った言葉を呟く太老。他人事のような気がしなくて、この件に関しては護堂をからかう気にはなれない太老だった。
 そんな太老達を乗せた飛行機は日本から十二時間以上のフライトを経て、イギリスのヒースロー空港へ到着した。
 守蛇怪・零式を使えば一瞬の距離とはいえ、まさか不法入国するわけにもいかない。それにアリスとの対談という目的は勿論あるが、今回の趣旨はあくまで家族旅行だ。移動も旅の内。そんな無粋な真似をするつもりは太老にはなかった。
 それに折角、飛行機のチケットを手配してくれたアリスにも悪いと考えてのことだ。

「大丈夫か?」
「はい。ただの時差惚けだと思うので少し休めば治ると思います」

 ぐったりと顔色の優れないひかりを心配する太老。無理もなかった。
 日本とイギリスの時差はマイナス九時間。羽田空港を出発したのは夕方だったが、外はすっかり暗くなっていた。
 そんなひかりと違い元気の有り余った恵那を見て、太老はため息を吐く。

「ご主人様! 外国の人が一杯いるよ!」
「恵那お姉ちゃん……ここ外国だよ?」

 はしゃぐ恵那に『そりゃ外国だからな』と桜花と同じツッコミを入れる太老。まるで田舎から出て来たばかりの『お上りさん』だ。
 しかし、彼女の気持ちもわからないではない。純粋に見るものすべてが新鮮なのだ。お嬢様とはいえ、いや生粋のお嬢様であるが故に恵那は媛巫女としての立場と、その特殊な能力のこともあって日本の外に出たことはこれまで一度もなかった。色々と知識が偏り、常識が欠如しているのもその所為だ。
 そんな彼女にとって外の世界とは、未知の体験で一杯だった。今回、許しが出たのは太老の口添えがあったからだ。
 それだけに人一倍好奇心の旺盛な彼女が子供のようにはしゃぐのも仕方のないことと言えた。

「アテナも平気そうだな」
「妾は神だぞ? そもそも睡眠など不要だ」
「それもそうか」

 最近では人間の生活にすっかり馴染んでいて忘れそうになるが、これでもアテナはれっきとした神だ。
 ギリシャの主神ゼウスの娘にしてオリンポス十二神の一柱。天上の叡智を司る智慧の女神。大地を司る豊穣神にして冥府を統べる闇の女王。
 死と生命の循環、その象徴――翼ある蛇。その蛇の姿こそ、古代に君臨した神界の女王たる彼女の真の姿だ。
 まつろわぬ神と呼ばれ、人々に災厄をもたらす存在だ。本来であれば、こうして人間社会に溶け込み普通に生活をしていること自体ありえないことだった。
 しかし、こうしている姿は普通の女の子にしか見えない。ここ最近は更に丸くなって食欲に目覚めた様子で、ファーストクラスの特別料理が気に入ったのか? 機内食を二回もお代わりをしてデザートまで注文していたほどだ。人間がイメージする神の姿とは程遠い。これほど世俗に塗れた人間らしい神様も少ないだろう。

「正木太老様ですね。お待ちしておりました」

 空港から外に出るとメイド服に身を包んだ複数の女性が太老達を出迎えた。
 空港まで迎えを出すと書いていたアリスの手紙を思い出し、状況から彼女達がその使いだと太老は理解した。
 手荷物をメイド達に預けると、案内されるまま真っ白な高級リムジンへと乗り込む。ゆったりとした車内にはテレビやワインクーラーなども備えられていた。
 国賓クラスのVIP待遇に太老は少し居心地が悪そうに、アテナは特に気にした様子もなく憮然とした表情で、桜花と恵那はこうしたことに慣れた様子で、ひかりは一人だけポカンと口を開けていた。


   ◆


「アリス様から、今日はこちらのホテルで旅の疲れを癒し、お寛ぎ下さいとのことです。費用はすべてこちらがお持ちしますので、ルームサービスなども御自由に利用して頂いて構いません。明日の昼に、またお迎えに上がります」

 そう言って案内されたのは、ロンドン市内にある高級ホテルのスイートルームだった。
 各国の要人やVIPが利用するホテルとあって、その絢爛豪華さには目を奪われるばかりだ。
 ホテルの窓から見える景色に感嘆の声を上げる恵那。アテナと桜花は無料ということで早速ルームサービスの物色を始めていた。

「……セレブって凄いんですね」
「ひかりちゃんの家も結構な金持ちじゃなかったっけ?」
「恵那姉様やプリンセスのご実家と比べられても困るのですが……」

 一般家庭に比べれば確かに万里谷家は裕福だ。しかし日本有数の名家や公爵家と比べられても困ると言うのが、ひかりの本音だった。
 ましてやプリンセス・アリスと言えば、魔術界で最も高貴なセレブと呼ばれている女性だ。恵那であれば対等とまでは言わなくても十分に釣り合いが取れるだろうが、ひかりとアリスでは家柄も地位も比較の対象にすらならない。それほど立場の差は歴然としていた。これで緊張をするなと言うのは無理がある。

「まあ、折角の招待だし桜花ちゃん達みたいに楽しんだ方が得だと思うよ」
「太老兄様も落ち着いていますよね?」
「なんだかんだで慣れてるからね」
「あっ、そうですよね」

 太老のその一言で、ひかりは納得する。普段の言動や生活からは想像も付かないが、太老は恒星間移動が可能な宇宙船を個人所有しているばかりか、人工の世界を丸々一つプライベート空間にしている。更に言えば、銀河に名を馳せる軍事国家『樹雷』の皇眷属にして次の樹雷皇候補と目される男。本人が庶民的な性格をしているとはいえ、恵那やアリスのようなセレブが霞んで映るほどのスケールを持った超絶セレブだった。
 ひかりも『確かにあれと比べれば……』と思うと驚きが薄れ、少し気が楽になる。

「イワシの缶詰あるかな?」
「ご主人様。恵那、これ食べてみたい!」
「おっ、フィッシュ・アンド・チップスか。イギリスと言えば、これだよな」

 高級な料理には目もくれず随分と庶民的な酒のつまみを物色する太老と恵那を見て、セレブへの認識と理想を改めるひかりだった。


   ◆


「くっ! まさか、ミス・エリクソンに気付かれるなんて……」

 太老の来日に合わせて、こっそりと館を抜け出す作戦を考えていたアリスだったが、彼女の世話役にして女官長のパトリシア・エリクソンに屋敷を抜け出そうとしていたところを捕まり部屋に軟禁されていた。

「なんとしても、明日までに脱出の手はずを整えなくてはなりませんわね」

 最高級ホテルのスイートルームを手配して太老達を持て成してはいるが、それも一時凌ぎに過ぎない。エリクソンに太老達のことを知られる前に、なんとしてもここを脱出しなくてはならないとアリスは考える。
 太老達を招いたのはアリスの独断だ。このことをエリクソンに知られれば、ただでは済まないだろう。小言の一つで済めばいいが、最悪の場合は屋敷に結界が張り巡らされ『外出禁止』を言い渡されても不思議ではなかった。
 退屈を嫌うアリスにとって、それは最大の苦痛だ。

「折角の屋敷を抜け出すチャンスだというのに……」

 零式との出会いは最悪だったとはいえ、治療をしてもらった恩をアリスは忘れていない。三年前のお礼がしたいというのが、太老達を招いた理由の一つ。それに『青い悪魔』を使役するマスターには以前から興味があった。
 何より夢にまで見た健康な身体を取り戻したのだ。これまではアレクや周囲を欺くために自重をしていたが、本音を言えば霊体ではなく生身で外出を楽しみたい。これまでにも何度かエリクソンの目を盗んでは霊体で出掛けたことはあるが、その度に思うことは霊体故の便利さと不便さだった。確かに風に身を委ねるまま、世界中どこでも一瞬で旅を出来るのは霊体のメリットだ。しかし、食事をすることも物に触れることも出来ないのは苦痛だった。そのために何度悔しい思いをしたことか。しかし、それを気軽に許してくれるエリクソンではなかった。
 だから屋敷をこっそりと抜けだし、太老に連れ去ってもらう計画を企んだのだ。所謂、駆け落ちだ。
 後で明るみになったところで太老が一緒なら、無理矢理連れ戻されることはないだろうと画策してのことだった。
 いっそ、太老達が帰国する時にそのまま日本にまで付いていけば、この軟禁生活からも解放されるといった計画までアリスは企てていた。
 それがこんなにも早く見つかるとは、アリスにとってまったくの予想外だった。
 恐らくアリスの様子がおかしいことを察知し、随分と前から警戒をしていたのだろう。エリクソンの勘の鋭さが今は恨めしく思うアリスだった。

「そうですわ。どうせ、このままでは身動きが取れないのですから、あちらに出向いてもらえば……」

 思い立ったら実行あるのみ。一応は賢人議会に所属する身として、この手だけは使いたくなかった。しかし今はなりふりを構ってはいられない。こうなったら悪魔や魔王に縋るしかないとばかりに、こっそりと隠し持っていた携帯電話を使いアリスはメールを送信した。


   ◆


 翌朝――目を覚ました太老が目にしたのは、ガッチリと身体を拘束された自身の姿だった。
 スイートルームの寝室は中央のリビングから二部屋に分かれており、各部屋にはキングサイズのベッドが備えられている。
 こんなことにならないようにと男と女で部屋割りを決めたはずなのだが、どう言う訳か目を覚ましてみれば太老の右手には桜花が、左手にはアテナが、上に覆い被さるように恵那が抱きついて眠っていた。

「う、動けない……」

 しかも左右を拘束しているのが、桜花とアテナだ。高次元生命体とだって正面から殴り合いが出来るであろう桜花に、女神のなかでも間違いなく最強に分類されるアテナ。この二人の拘束を力任せに振り払うのは太老といえど難しかった。
 更に上には恵那が覆い被さっている。これでは迂闊に起き上がることも出来ない。

「うみゅ……ご主人様の固い……」
「ちょっ! どこ触ってる!?」

 寝ぼけた恵那がゴソゴソと動き、太老の下腹部を刺激する。さすがにこれはまずいと思ったのか、どうにかしてベッドから抜け出そうと動き悶える太老。しかし益々身体と身体が密着し、妙な感じに絡まっていく。

「あっ……」

 恵那の口から甘い吐息が漏れる。太老の太股が恵那の股に挟まり、上下に擦り上げる。
 そのことに気付き、焦って起き上がろうとする太老。しかし、それがよくなかった。
 桜花とアテナの拘束を無理矢理引き離そうとした反動で予想外の勢いがつき、太老は恵那に抱きつくようなカタチでベッドから飛び上がった。
 咄嗟の判断で恵那を庇い空中で反転すると床に背中から激突し、壁に頭を打ち付ける太老。

「むぐっ――」

 重なる唇と唇。しかも、柔らかく生温かい白い肌が太老の肌に密着する。
 さっきまではシーツで隠れていてわからなかったが、どう言う訳か恵那は全裸≠セった。

「ご主人様……?」
「えっと、これはだな」

 ようやく目を覚ました恵那にどうにか事情を説明しようとする太老だったが時は既に遅く、大きな音で目を覚ました桜花の視線はバッチリと裸で抱き合う男女の姿を捉えていた。
 しかも桜花から見れば、恵那が太老を押し倒しているように見えなくもない。

「お兄ちゃん……朝っぱらから何を!?」
「いや、待て! これには色々と深い事情がっ!」
「裸で抱き合う事情って何っ!? 恵那お姉ちゃんがその気なら、わ、私だって!」
「ちょっと待て! そこでどうして脱ぐ!?」

 恵那に対抗して服を脱ぎ始める桜花。必死に止める太老。何かを確かめるように唇に指を当て頬を赤く染める恵那。
 そこに隣の部屋で寝ていたひかりが騒ぎに驚きやってきた。

「太老兄様、朝早くからどうなされたんで……すか?」

 真っ裸の桜花と恵那。そして半裸の太老を見て、ひかりは硬直した。
 その時、祐理が護堂との口論でよく口にしている言葉が、ひかりの頭を過ぎった。

「こ、これがお姉ちゃんの言ってた大人のただれた関係!?」
「英雄は色を好むとも言うし、あながち間違いとは言えぬな」

 いつの間にか目を覚ましたアテナが、冷静にひかりの言葉を肯定する。場はいつになく混沌としていた。


   ◆


「……寝なくて大丈夫なんじゃなかったのか?」
「睡眠を必要とはせぬが、それは必要がないと言うだけだ。妾とて食事をすれば眠りもする」

 もっともな回答だった。それはアテナが人間の生活に慣れ親しんできたと喜ぶべきところだが、今回ばかりは太老も素直に喜べなかった。
 アテナの言葉が引き金となって、最後はひかりまで全裸になって騒ぎに加わったのだ。
 事情を説明して騒ぎを収めるのに、どれほどの苦労をしたことか――太老からすれば朝から災難だった。

「男なら嬉しいのではないか?」
「いや、この場合は……もういいや」

 嬉しくないと言えば嘘になるし、嬉しいと言えば後々に問題を残しかねない。
 どちらを選んでも碌なことにならないと判断した太老は、アテナの言葉を否定も肯定もしなかった。
 その時、部屋に備え付けられているホテルの電話が鳴った。
 アリスの迎えが来たのかと思った太老だが、時刻はまだ朝の九時を少し回ったところだ。昼に迎えに来ると言っていたので随分と早い。

『朝早くに申し訳ありません』

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、やはり昨日のメイドの声だった。
 言葉遣いは丁寧だが、どこか焦りが窺える声に太老は何やら不安を覚える。
 それは直感と言ってもいい。何かよからぬことが起きている気配を察知していた。

『これはアリス様――いえ、賢人議会からの要請です。可能であれば事態収拾のため、カンピオーネである御身の助力をお願いしたいとのことです。このままではロンドンが壊滅する恐れがあります』
「一体、何があったんです?」

 ロンドンが壊滅とは穏やかな話ではない。ましてや、賢人議会はカンピオーネに対する不信感が強いという。その賢人議会がカンピオーネに頼らざるを得ない事態というのは、かなり深刻であることが窺えた。
 メイドの話を聞く太老の表情にも真剣味が宿る。

『青い悪魔がアリス様の邸宅を襲撃。そこに居合わせたガスコイン様と戦闘になりました』

 一瞬、思考が停止する太老。何が起こっているのか、言葉の意味を理解をするまでに十秒。
 そこから状況を考察するのに十秒。冗談であって欲しいと心の中で反芻すること数十回。

「あのバカは何やってんだっ!」
『ひいっ! す、すみません!』

 太老の怒鳴り声を聞いて、受話器の向こうで脅えるメイド。
 後世に語り継がれる大事件。ロンドン最大の危機が訪れようとしていた。





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