ガタンゴトンと軽快なリズムを刻みながら月明かりの下、田園地帯を走る寝台列車。
 その一室から複数の賑やかな女性の声が聞こえてくる。

「うう……少しは自信があったのですが、まったく歯が立ちませんわ」
「ご主人様はテクニシャンだからね。恵那も全然敵わないし……」

 アリスと恵那の声だ。

「ああ、焦らさないで早く出してくださいっ!」
「ハハハ! 今更、助けを求めたって遅い!」

 本気で困った様子で太老に懇願するアリス。しかし太老は聞く耳を持たない。
 悪ぶってニヤリと笑みを浮かべ、そんなアリスを挑発する。

「ダ、ダメ! もう、そんな焦らされたら私……」

 遂には涙声を上げるアリス。それでも太老は一切の手を抜かなかった。

「これで終わりだ!」
「い、いやああああっ!」

 アリスの悲痛な声が室内に響き渡る。
 下を向き、プルプルと小刻みに肩を震わせるアリス。そんな彼女の手には三枚のカードが握られていた。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第29話『バカンスと逃避行』
作者 193






「ひ、酷いですわ! レディに対して容赦がなさすぎます! 少しは手加減をしてくれてもいいのではありませんか!?」
「勝負の世界に男も女もない。大体、最初に賭けようって言いだしたのはアリスじゃないか」
「ぐっ、それは……」
「まあ、お兄ちゃんにカードで勝負を挑んだ時点で結果はわかってたけどね」

 さっきまでやっていたのは七並べ。ファンタンドミノとも呼ばれているカードゲームだ。
 その前にもポーカーやブラックジャック。大富豪と勝負を挑んだアリスだったが全敗。結果は太老の圧勝だった。
 そもそもカードゲームは勿論のこと、この手の運が絡む賭け事で太老は一人を除いて、これまで他の誰にも負けたことがない。
 そのことを知っていた桜花は最初からゲームには参加せず、ただ一人観戦を決め込んでいた。
 そんな太老の膝の上には、大量の戦利品(おかし)が乗っかっていた。

「でも、納得が行きませんわ。太老様やアテナ様はともかく、どうして恵那やひかりにまで……」
「恵那お姉ちゃんは欲がないからね。それにひかりを相手にお兄ちゃんが本気になるはずもないし、アリスお姉ちゃんが集中的に狙われるのは自然な流れだと思うよ」
「その言い方だと、私が欲塗れのように聞こえるのですけど……」
「違うの?」
「違いますわ!」

 そうは言っても自分から賭けの話を持ち出した時点で、アリスの言葉に説得力はなかった。
 総合成績は上から太老、アテナ、恵那、ひかり、アリスの順位。恵那はちゃっかりと三位をキープ。ひかりが四位だったのは太老の協力があったからだ。
 アテナは持ち前の直感で二位につけ、最初に勝負を持ち掛けたアリスは最下位という結果に終わった。
 人間欲をかくと碌な目に遭わないという典型的な例だ。いや、確率の天才に勝負を吹っ掛けた時点で結果はわかりきっていた。

「まあ、賭ける物もなくなったところで話の続きなんだけど」
「ううっ……。まさか、バナナまでオヤツに入るなんて……」

 列車の中で食べようとアリスが持参した御菓子は、すべて太老の手の中にあった。
 アリスも自分から言いだしたことだけに、今更返してくれとは言えなかった。
 貴族として、そんな恥ずかしい振る舞いは出来ない。と言っても、既に威厳も何もあったものではないが……。

「アリスの提案でコーンウォールに向かってるわけだけど」

 と話を切り出す太老。太老達一行は、ロンドンからイギリスの南西部コーンウォールを目指し旅をしていた。
 パディントン駅から終点のペンザンス駅まで列車で行き、そこから車に乗り換えて一時間ほど行ったところにあるセント・アイブスという街が旅の目的地だ。
 セント・アイブスには美術館や博物館、ギャラリーや芸術家達のアトリエが数多くあり、イギリスを代表するアーティストコロニーとしても有名な街だ。夏になればサーフィンなどのマリンスポーツを楽しむイギリス人や、外国の観光客も多く訪れることで知られるリゾート地だが、今回太老達がこの街を目指しているのは別の目的があってのことだった。

「王立工廠って零式(こいつ)と揉めたカンピオーネの本拠地なんだろう? 本当に大丈夫なのか?」

 ベッドの上で寛ぐ零式の頭にポンッと手を置き、アリスに再度確かめるように尋ねる太老。悪魔と魔王の戦いのあったハムステッドは今も混乱の渦中にあり、その騒動から逃げるようにロンドンを後にしたのだ。気にならないはずがなかった。
 零式をまんまと巻いて逃げたイギリスの魔王アレクの行方は知れず。そんな魔王の拠点にこれから乗り込もうというのだから、警戒するのは当然のこと。太老としては零式が迷惑をかけたこともあって、あちらから仕掛けて来ない限りは争うつもりはないが、相手も同じ考えとは限らない。護堂が聞けば『あんたが言うな』と反論しそうではあるが、カンピオーネが非常識な存在であることは嫌と言うほど体験してきているだけに楽観することは出来なかった。
 しかし、アリスは問題ないと言った様子で答える。

「ご心配なく。アレクは近代的とでも言いましょうか、負けず嫌いなところはありますが、他のカンピオーネの方々のように野性や獣らしさとは無縁の慎重で臆病な男です。あんなことがあった後ですから、しばらくはイギリスに戻っては来ないでしょう。今頃は海外のどこか安全なところに姿を隠し、虎視眈々と機会を窺っているはずですわ!」

 アレクのことになると、途端にアリスの言葉に熱が入る。
 悪友や仇敵に対する不満をぶちまけるといった感じだ。

「まあ、だからこそ厄介な人でもあるんですけどね。太老様なら大丈夫かと思いますが、あの男を相手にする時はその点をくれぐれも注意なさった方がよろしいと思いますわ。変に勘が鋭く頭の良い人なので、油断をすると足下をすくわれます」

 まるで、すくわれたことがあるかのように悔しそうな表情を浮かべるアリス。妙に説得力があるというか、その言葉には実感が籠っていた。
 そのため、太老はそのことを敢えて聞き返そうとはしなかった。
 なんとなく鬼姫の被害に遭った人達と同じ空気を、アリスの身に纏う雰囲気から察したからだ。
 まだアレクに直接会ったことはないが、その話だけでも厄介な人物だということは十分に伝わってくる。

「でも、トップが不在でも一度は敵対しているわけだし、徹底抗戦してくる可能性もあるんじゃ?」
「それこそありえませんわね。カンピオーネと戦って拠点を守れだなんて、あの男がそんな無駄な命令をするとは思えませんもの。そうなったら拠点を捨てて逃げるように指示しているはずですわ。それに『青い悪魔』の恐ろしさは『王立工廠(かれら)』が一番良く理解しているはずですから交渉にもならないと思います」

 アリスの予想を超えた説明に、険しい表情を浮かべる太老。

「……お前、何やったんだ?」
「色々と融通してもらっただけですよ?」

 さも当然とばかりに答える零式に、嫌な予感を覚える太老。絶対に真っ当な方法じゃない。それどころか、交渉にならないほど問答無用で恐れられている時点で碌なことでないと予想が付く。
 零式に尋ねたところで、まともな答えが返ってくるはずもない。そこで太老は、アリスに『零式が何をやったのか?』事情を尋ねた。
 そんな太老の質問に、零式に目をやり少し思案しながらも答えるアリス。

「王立工廠にはアレクが蒐集した秘宝が数多く収められているのですが、それを狙って『青い悪魔』が強盗に入ったことがあるのです。その時にめぼしい物の多くは奪われ紛失したとのことで、彼等からすれば彼女は因縁の相手ということになりますわね」

 アリスの話を聞き、頭を抱える太老。それでは警戒されて当然だ。
 戦いにはならなくても歓迎はされないだろうということは予想が付く。

「ほとんど盗品や非合法に入手したものばかりですから、太老様が気に病む必要はありませんわ」

 アリスのフォローがあったとはいえ、ようするに泥棒の上前をはねたということだ。
 盗っ人まがいのことをしているアレクもどうかと思うが、零式はそれ以上に質が悪かった。
 いや、ここは前向きに考えるべきだ。泥棒から盗品を取り返したとすれば、まだ言い訳は立つ。
 後で調べて、可能な限り持ち主に返還しよう。そう心に誓う太老だった。


   ◆


「ここがセント・アイブスか。綺麗な街だな」

 イギリスのモン・サン・ミッシェルと名高い『セント・マイケルズ・マウント』を眺めながら、潮風と夏の日差しを浴びる太老。
 今日は雲もなく絶好の海水浴日和とあって、浜辺には大勢の観光客の姿が見える。
 ペンザンスに着いたのは朝の八時過ぎ。そこから朝食を取って車に乗り換え、セント・アイブスに到着したのは昼前だった。

「で、早速向かうのか?」
「……いえ、先に昼食にしましょう」

 そう言って、視線を砂浜に向けるアリス。そこには露店でジェラートを購入し、夏を満喫する美少女達の姿があった。
 桜花、ひかり、恵那、アテナの四人だ。
 どこをどう見ても観光客にしか見えない。夏のビーチに見事に馴染んでいた。

「アテナとか、列車の中でかなり菓子を食ってたよな? あの身体のどこに入るんだ?」
「そんなことよりも今日一日で、私のなかの神≠ノ対するイメージが随分と変わった気がします。こんな姿を見れば、ちょっとした宗教的混乱が起きても不思議じゃありませんわ……」

 女性は甘い物が好きというが、それが女神にも適用されるとは今日初めて知ったアリスだった。
 まあ、アテナの食い意地はデザートや甘い物に限った話ではないが、そこまではアリスもわからない。
 この面子と行動を共にしている以上、これから嫌でも理解することになるのだが――

「で、昼食にしようと?」
「はい。あの様子では、まだまだ食べ足りないご様子ですし、丁度お昼が近いですから先に宿泊するホテルのチェックインを済ませて、そのままホテルのレストランで昼食にしましょう」

 どこか楽しげな様子で、これからの予定を話すアリス。身体を壊してからはベッドに伏せり、ずっと屋敷に閉じ籠もっていたので、こうして生身で出歩くのは随分と久し振りのことだった。それだけに楽しくて仕方がなかったのだ。
 車ではつまらないと言って、列車の旅を希望したのはアリスだ。高貴な育ちという話だったが、意外とアクティブなお姫様だった。
 観光とは別に目的があるとはいえ、一番この旅を楽しんでいるのはアリスだろう。それは間違いない。

(なんか、まだ隠している気がしなくもないけど……)

 アリスの行動に不審な点を感じつつも、太老は楽しそうな少女達の姿を見て、そこに水を差すほど野暮ではなかった。
 こんなことになってしまったが、元々この旅行はバカンスが目的だったのだ。

「太老兄様。どうかされたのですか?」
「あ、いや……楽しいか?」
「はい。太老兄様も一緒にアイスを食べませんか?」

 余り疑っても仕方がない。ひかりが楽しいならいいかと前向きに考える太老だった。


   ◆


 アレクの権能で迷宮と化したハムステッド・ヒース周辺は賢人議会が手を回し、地元警察と軍の協力によって立ち入りが制限され、一般人は近付けないように厳重な監視の下で封鎖されていた。
 太老の協力もあって迷宮に囚われた人々は無事に救出されたとはいえ、アレクの権能が解けたわけではない。ヴォバンの時のように権能を解析し強引に迷宮を解除する案もあったが、それをするとどんな影響が周囲に出るかわからないということで太老の案は却下された。
 ぬいぐるみの件を知っているだけに、アリスも迂闊に許可を出すわけにはいかなったのだ。

「フフッ、これは思わぬ収穫がありましたわ」

 そんな迷宮と化した公園を『魔女の目』を使い視覚を飛ばすことで、離れた場所から観察する小さな人影があった。
 歳の頃は見た感じ、ひかりと大差はない。十代前半と言ったところか? 白人の美少女だ。
 しかし少女の身に纏う雰囲気は、明らかに普通の人間と違っていた。黄金のように輝く金色の髪に、白いサマードレス。御伽話のなかに登場するお姫様や精巧に作られたアンティークドールのように、かなり目立つ背格好をしているのに道行く人々は誰一人少女に気付くこともなく、その横を通り過ぎて行く。
 それもそのはず。少女はただの人間ではない。それは妖精や高位の魔女が得意とする『隠れ身』の術だった。

「どうしたものかと思慮していたところに、あの方自らグィネヴィアの版図に飛び込んで来るなんて。東の最果ての国にまで足を運ぶ手間が省けました」

 グィネヴィアと名乗る少女は妖艶に微笑んだ。
 彼女にとって、それは思い掛けない出来事だった。好機と言っていい。
 どんな風に接触しようかと考えていた相手が、自分から海を越えてやって来てくれたのだ。

(行くのか、愛し子よ)

 グィネヴィアの頭に直接響く声。

「ええ、小父様。グィネヴィアはあの方にお会いし、どうしても確かめたいことがあるのです」
(だが、あの者の傍には巫女がついている)
「我々のことを警戒しているのでしょう。いえ、或いは接触するのを待っているのやもしれません」
(――ほう。そうとわかっていて、敵の懐に敢えて飛び込むか?)
「はい。アレクサンドル・ガスコインは姿を消し、この機会を逃せばまた余計な邪魔が入るやもしれません。これはグィネヴィアにとっても好機なのです」
(危険を冒す価値があると?)
「そう、グィネヴィアは考えます」

 声の主に敬意を払い、グィネヴィアはそっと頭を下げた。
 少女の覚悟を受け止め、声の主はそれ以上何も語らない。それを答えと受け取り、グィネヴィアは微笑む。
 やるべきことは一つ。両者の間に、もう言葉は必要なかった。





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