「ここは……」

 目が覚めたエリカが最初に目にしたのは、見慣れない空の色だった。
 黄昏をもっと濃くしたような幻想的な色合いの空に、エリカは思わず目を奪われる。

「あっ、目が覚めたみたいね。大丈夫? お姉ちゃん」
「……あなたは?」
「私は平田桜花。どう? 身体の方はなんともない?」
「え……」

 見知らぬ少女に言われるがまま身体の調子を確認し、悪い夢でも見ているかのようにエリカは困惑の表情を浮かべた。
 雷に打たれ全身は焼け焦げ、身動き一つ取れなかったはずだ。あの時、エリカは死を覚悟した。しかし今のエリカの身体は、どこからどう見ても怪我一つ負っていなかった。

「……どうして?」

 エリカからすれば気を失って目が覚めたら見知らぬ世界で、しかも命を落とすほどの傷が寝て起きたら完治していたのだから驚かずにはいられない。
 どちらが現実でどちらが夢なのか、その境界すら曖昧な感覚がエリカを襲う。

「夢? でも、そんな……」
「夢でも天国でもないよ。まだ記憶が混乱してるのかな? でも、その様子なら大丈夫そうだね。お姉ちゃん、名前は?」
「エリカ……エリカ・ブランデッリよ」
「エリカお姉ちゃんか。お腹減ってるよね? ちょっと待ってて食事を持ってくるね」
「え……あっ、ちょっと!」

 状況を掴めないエリカは引き留めようとするも、桜花はさっさと立ち去ってしまう。
 まだ困惑しながらもエリカはベッドから起き上がり、外の光に誘われるままバルコニーに足を運ぶと景色へ目を向けた。

「これは……」

 一面に広がる壮大な景色。地平線の彼方まで続く森と水に囲まれた世界。エリカがいるのは、世界の中心にそびえ立つ全高一キロを超す巨大な大樹の上だった。
 そこは全長百メートルを超す巨大な鉄の船『守蛇怪・零式』のなかに固定された亜空間――人の手によって造り出された人工の世界。
 正木太老の哲学士工房。この世のものとは思えない幻想的な景色が、彼女の前に広がっていた。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第2話『王の器』
作者 193






 天樹の皇居。四大皇家の一つ『神木』が所有する不可侵領域。そこは鬼姫直轄の経理部が仕事をする時に使っている別宅の一つだ。
 神木瀬戸樹雷――『樹雷の鬼姫』と恐れられている彼女の資産のなかには、表沙汰に出来ない秘密の資金が数多くある。
 そうした特殊な金の流れを管理することも、神木に籍を置く彼女達『経理部』の仕事となっていた。
 そのため、彼女達の仕事はどの部署よりも機密性が高く、秘密裏に行われなければならない。
 ここ天樹の上層エリアにある皇居はセキュリティも高く、そう言う意味で理に適った場所なのだ。

 ここ以外となると、後は皇家の船くらいしかない。
 実際、経理部・情報部の活動場所は、瀬戸の船『水鏡(みかがみ)』のなかであることが多い。神木に関する事柄を扱うのだから、当然と言えば当然だ。
 それに天樹は政治と経済を司る樹雷の首都であると同時に、樹雷の人々にとって『皇家の樹』が眠る神聖な場所だ。
 皇家の樹とは即ち、目に見える神だ。皇家の樹と共に樹雷は、その繁栄を極めてきた。

 ――樹雷の圧倒的な軍事力を支える守り神として。
 ――大海原を共に(かけ)る良きパートーナーとして。

 彼等、樹雷の民にとって皇家の樹とは、隣人であり友人であり敬愛すべき存在なのだ。
 それだけに皇家の樹が眠る聖域とも言える場所へ、土足で踏みいるような愚か者は樹雷の民にはいない。
 余所者があれば、それとすぐにわかる。不埒なことをすれば、待っているのは身の破滅だ。
 ここは宇宙で最も安全で、侵入者(スパイ)にとっては絶対に立ち入りたくない恐ろしい場所の一つでもあった。

「リンゴ、ゲンキナイ。ダイジョウブ?」

 ハートのようなカタチをした双晶状のクリスタルが、樹雷服に身を包む女性の周りを心配そうに飛び回る。
 それは魎皇鬼と同じクリスタルコアを与えられ、明確な意思を芽生えさせた第四世代の皇家の樹『穂野火(ほのか)』の端末体だった。
 そんな穂野火が心配そうに声を掛ける彼女は、立木林檎。穂野火の契約者だ。
 ふわふわと波打つ桜色の髪、そこに居るだけで絵になる可憐で優雅な佇まいは、彼女があの『竜木』の血縁者であることを証明していた。
 分家筋の『立木』とはいえ、樹雷四大皇家における『竜木』の持つ対外的な意味は大きい。特に外交面、経済や政治の多方面に渡り『竜木』の名を持つ彼女達は、樹雷の顔として外との交渉役を担っている。大和撫子を彷彿とさせる優雅な佇まいに、誰もが振り向く気品溢れる整った容姿、更には男心をくすぐる細やかな気配りもあって『銀河連盟お嫁さんにした女性ランキング』の上位は、ほとんど彼女達『竜木』の縁戚が独占していると言われているほどだ。
 彼女、立木林檎もその例に漏れない美貌と能力を兼ね備えた女性の一人だった。

「ごめんなさい、心配をかけたわね」
「タロウイナイ、サミシイ?」
「穂野火ちゃんには隠せないか……」
「ホノカモ、タロウスキ。リンゴサミシイト、ホノカモサミシイ……」

 シュンと落ち込む穂野火を見て「大丈夫よ」と林檎は優しく微笑む。
 心配させるつもりはなかったのだが、皇家の樹は感受性が高く、ちょっとした感情の機微にも鋭い。特に林檎と穂野火は契約の指輪を通し繋がっている。考えていることがなんでも伝わると言う訳ではないが、嬉しい・寂しいと言った感情の色は互いにわかる。
 それが穂野火にも伝わってしまったのだろう。穂野火にこれ以上、心配は掛けられない。
 と、林檎が気を引き締めた――その時だった。

「気になるの?」
「え……」

 不意に掛けられた声に驚き、林檎は声の方へ振り向く。
 気配に敏感な普段の彼女なら、相手がどれほどの手練れであろうと接近される前に気付いたはずだ。
 しかし今日の彼女は気もそぞろと言った様子で注意力に欠けていた。

「本当は太老くんについて行きたかっただろうし、気持ちはわかるけど」
「水穂さん、いつの間に!?」

 さっきの穂野火との話を聞かれていたことが余程恥ずかしかったのか、水穂の急な登場に林檎は珍しく慌てふためく。
 穂野火はそんな水穂の姿を見つけ、嬉しそうに『ミナホ、ミナホ』と彼女の周囲を飛び回った。
 林檎もまた、太老の大奥(ハーレム)の一人だ。あの『ハイエナ部隊』と称される経理部の長、『鬼姫の金庫番』と恐れられる一面を持つ彼女だが、好きな人の前では恋する一人の女に過ぎない。
 気になるのも当然だ。一緒について行きたかったというのも本音だろう。
 しかし、それが出来ないことは水穂に言われるまでもなく、林檎が一番良くわかっていた。それでも気になるのだ。

「これを持ってきたのよ。手伝ってもらおうと思って」
「これは?」

 ドサドサと無造作に机の上に置かれたファイルを一冊手に取り、林檎は目を通す。
 それは太老の仕事を補佐する侍従部隊――こちらでは女官と呼ばれる女性達の顔写真付リストだった。
 太老はああ見えて重要なポストを幾つも兼任している多忙な身だ。
 そのため、各方面に能力の秀でた仕事を補佐・代行する専属侍従部隊を持っていた。

「桜花ちゃんを太老様の補佐につけたのは水穂さんですよね?」
「他の誰か一人を選ぶよりは、桜花ちゃんの方がまだ周囲も納得するでしょう?」
「確かに……彼女を相手に私も強くは出れませんし」

 平田桜花――水穂の『瀬戸の盾』と並び称される『瀬戸の剣』の二つ名を持つ第七聖衛艦隊司令官『平田兼光(かねみつ)』と、兼光を凌ぐ武術の才と知略を兼ね備えた伝説の闘士『平田夕咲(ゆうざき)』の一人娘にして、周囲からは太老の妹ポジションと認識されている少女だ。
 一見すると太老に近い位置にいて優位に思えるかもしれないが、とある事情から桜花は子供の姿から成長しないという悩みを抱えており、それが太老との関係を進める上で最大の障害となっていた。
 太老は子供を大切にするが、決して手は出さないというポリシーを持っている。それだけに見た目九歳児の桜花がどれだけ頑張っても、本気にしてもらえないのでは意味がなく、太老に好意を寄せる女性達から桜花はライバルと見なされていなかった。
 それに見た目通りの年齢ではないとはいえ、子供を相手にムキになるほど彼女達は大人気なくない。ましてや太老は本当の妹のように桜花のことを可愛がっている。それがわかっているだけに、女性達は桜花に強く出れないというのもあった。
 だから、水穂は桜花を選んだのだ。異世界に赴く太老の補佐役に。
 他の誰かを選べば角が立つが、彼女なら反発も少ないだろうと考えて。

「でも、瀬戸様が悪い癖をだして、彼女達を焚き付けちゃったのよ」
「それは……」

 容易に想像出来る事態だけに何も言えない。こうなった経緯を知り、林檎は納得する。
 ようするに太老を裏でサポートもとい監視する人間を別に送り込むと言う話だ。
 その人選を水穂が任されたのだということは、話の流れから察することが出来た。

「瀬戸様のことですから、太老様と桜花ちゃんの隠し撮りをするつもりなのでしょうね」
「ええ、その上で他の()達の競争心を煽って、太老くんで遊ぶつもりなんだわ……」

 瀬戸のことをよく知る二人の考えは一致していた。
 半分は自分の悪癖を満たすため、もう半分は結論を先送りしている太老への嫌がらせだろう。
 結婚は人生の墓場というが、先達の苦労を知る太老が結婚に尻込みをするのもわからない話ではない。
 婚姻届にサインをしたが最後、自分も『被害者友の会』のメンバーになるであろうことを太老は自覚していた。

「それでは、水穂さんに人選を任せたのも……」
「私の手で、太老くんに引導を渡せって遠回しな催促じゃないかと……」

 なんだかんだで水穂は太老に甘い。それが今の結果を生んでいる。保護者なら、ちゃんと責任を果たせという遠回しなお節介だと水穂は受け取った。
 とはいえ、彼女達の人生は長い。地球に住む普通の人間なら一生百年と言った寿命でも、特別な延命調整を受けた彼女達の人生は何千、何万年と気が遠くなるほど長い。地球時間で数年、数十年など誤差の範囲だ。
 太老に好意を寄せ付いてきた女性は皆、この延命調整と生体強化を受けているため、寿命による時間切れを心配する必要はほとんどない。
 彼女達が納得の上で降りかかる諸問題さえ解決できるのであれば、後は当事者達の問題だ。
 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ね――という言葉にある通り、瀬戸もそのことはわかっているのだろう。
 だから、この件に関して普段は何も言わない。やり過ぎて手痛いしっぺ返しを食らうのが恐いというのもあるのだろうが……。

「それで、どうされるのですか?」
「瀬戸様の考えも一理あるのよね。あれでも以前よりはマシになったのだけど……」

 太老は鈍感の極みを行く男だ。遠回しなアプローチは逆効果でしかない。
 面と向かって告白するだけでなく、行動で示すくらいのことをしないと自覚させることは難しい。それでも決定打に欠ければ空振りに終わるのだから、太老の唐変木は病的なまでに筋金入りだ。一種の呪いとさえ思える。
 そんななか最近は自分に向けられる好意に対し、真剣に向き合えるようになっただけマシと言えた。
 結婚に関しても『ケジメはつける』と発言していることからも、本人なりに考えてはいるようだ。
 ただ、それでも足りない。あの調子では、百年経っても結論が出るか怪しいところだ。

 水穂はそれでもいいと思っていた。
 気付けば七百歳を超え、職場の仲間やアカデミーで同期だった友人は次々に結婚して家庭を持ち、行き遅れだの結婚はまだかだの散々と言われてきたのだ。今更、百年や二百年待つことくらい大した問題ではない。
 中途半端なカタチで結婚するよりは、太老の気持ちが固まるのを待つつもりでいた。
 その辺りは、太老を好きになった時点で覚悟は出来ている。家族との時間や故郷より太老と居ることを取ったという意味では、太老に好意を寄せる彼女達も気持ちは同じだろうと水穂は思う。ただ、やはり問題は太老の気持ちだ。

「切っ掛けは必要かもね」

 瀬戸の思惑に乗るのは嫌でも、切っ掛けは必要だと水穂は考えた。
 それが太老のためであり、自分達にも必要なことだと。
 結局、誰も言い出さないのは、ぬるま湯に浸かった今の甘い環境に慣れてしまっているからだ。
 居心地が良すぎるだけに、今の関係を崩したくない。そう考えている女性達も少なくないだろう。

「林檎ちゃんは反対?」
「いえ、それが太老様のためになるのであれば、ご協力します」

 林檎も水穂の考えに概ね同意だった。
 もっとも太老の気持ちが優先ではあるが、このままではズルズルいくことは目に見えている。
 だから、二人は手を結ぶ。太老と自分達の将来のために――

「でも、このまま瀬戸様の思い通りになるのは嫌よね」
「はい。私達を使ってご自分の悪癖を満たそうというのですから、それなりのリスクは知って頂かないと」

 この後、異世界で太老をサポートする人員を選出するための選考会――と言う名目のドンチャン騒ぎが一ヶ月に渡り、樹雷で催された。
 その費用はすべて計画の発起人である瀬戸へと請求され、本来は味方であるはずの立木林檎率いる『ハイエナ部隊』の最凶最悪の取り立てに彼女は涙を呑むこととなる。


   ◆


 サルデーニャ海の底に身を隠すように沈む一隻の船。食事と着替えを済ませたエリカは桜花の案内で、太老の待つ船のブリッジへと通された。
 あの世界もそうだが、この船も現実の物とは思えない。エリカはずっと困惑のなかにいた。
 幼い少女と話す黒髪の男が目に留まりエリカは逡巡するが、桜花の一声ですぐに目の前の人物がこの船の持ち主だと理解する。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんが目を覚ましたよ」

 桜花に呼ばれて振り返り、「ちょっと待ってくれ」と呼びかけに答える太老。
 零式と何かを相談している様子で『修理』や『期間』といった言葉が聞こえてくる。

「お待たせ」

 エリカの格好を見て「ふむ」と頷く太老。彼女が身に付けているのは、太老の侍従部隊が制服に使用しているメイド服だった。  エリカが着ていた『紅と黒(ロッソネロ)』の戦衣は焼け焦げ、とても着られるような状態ではなかった。
 さすがに桜花の服を着せるわけにはいかず、船に常備しているロングスカートの黒と白のメイド服を用意したのだ。

「うん、よく似合ってるじゃないか。やっぱり素材が良いからかな?」
「あら、お上手ですのね」

 太老の世辞とも取れる感想に、クスリと微笑むエリカ。男心をくすぐる色気に満ちていて、嫌味を感じさせない笑みだった。
 白く透き通った艶やか肌に、腰まで届く赤みがかった金色の髪。芸術品のように整った美貌とプロポーションは、普段から綺麗どころに囲まれ見慣れている太老から見ても、素直に『美しい』と言えるものだった。
 ブランデッリ家は貴族の称号を持つイタリアでも有数の名家だ。実家の屋敷には多くの使用人を抱えているため、メイド服その物にエリカが違和感を抱くことはなかった。
 実際、彼女も世話役の少女にメイド服を着せているくらいだ。だから、メイド服に袖を通すこと自体に抵抗感はなかったのだろう。とはいえ、用意された物を着ないという選択肢はエリカにはなかったのだが……。
 しかし、どんな服でも完璧に着こなして見せるのがエリカという少女だった。
 素材が良いので、逆に飾り付けの少ないクラシックなメイド服が、実によく彼女に似合っていた。

「お兄ちゃん……」
「いや、よく似合ってるなと思っただけで、決してやましい気持ちからじゃないぞ?」

 訝しげな視線を向けてくる桜花に、失礼なとばかりに反論する太老。太老も男なのだから、まったくそうした気持ちがないかと言えば嘘になるが、エリカに興奮とか劣情を抱いた訳ではない。今回に限って言えば、感心する気持ちの方が大きかった。
 彼女からは気後れや羞恥心と言ったものが一切感じられない。見られることになれているというか、実に堂々とした佇まいで自信と気品に満ち溢れていた。
 ふと『モデルでもやっていたんだろうか?』と太老が疑問に思うほど華があり、着こなし方が様になっていたのだ。

「初めまして。この船の艦長、正木太老だ」
「エリカ・ブランデッリです。この度は危ないところを助けて頂き、心より感謝します」

 両手で少しスカートを持ち上げ軽く横に広げ、淑やかに感謝の言葉を述べるエリカ。
 まだ状況をよく掴めていないが、命を救われたことだけは確かだ。それだけに、どんな思惑が相手にあろうと命の恩人に礼を欠かすことは出来ないと考えての行動だった。
 しかし思ってもいなかった丁寧な感謝をされ、太老は戸惑いの表情を浮かべながらエリカに普通に接してくれるようにとお願いする。
 そんな太老の反応に少し戸惑いながらも、エリカは一言「わかりました」と頷いてみせた。

(油断は出来ない。でも、悪人には見えないわね……)

 どんな方法を使ったのかはわからないが、瀕死の重症を快復させる秘術の対価は決して安くはないとエリカは考えていた。
 それだけに何を要求されるのかと警戒していたのだが、余りに普通な太老の態度にエリカは毒気を抜かれる。
 油断を誘うための演技かもしれないが、最初に警戒したようなことはなさそうだとエリカは少し警戒を緩めた。

「それで、身体の調子はどう?」
「はい。以前よりも体調が良いくらいで驚いています」
「それはよかった。で、大事な話なんだけど……ここに運ばれる前のことを覚えてる?」

 太老の問いに逡巡するが、エリカは正直に『はい』と答えた。
 ここで嘘を吐いたところで相手に警戒心を与えるだけでメリットは少ないと考えたからだ。
 それに礼には礼を持って応える。騎士として恩を仇で返すような真似はしたくなかった。

(問題は何を要求されるかね……)

 エリカ・ブランデッリはイタリアのミラノに拠点を構える魔術結社『赤銅(しゃくどう)黒十字』に所属する魔術師だ。
 イタリアの名門『七姉妹』の一つに数えられる『赤銅黒十字』は、テンプル騎士団の系譜に連なる由緒正しき結社。世界で初めて金融業を営んだ組織として知られ、現在でもエリカの叔父パオロ・ブランデッリが代表を務める財団は、幾つもの事業を展開している世界有数の企業として名を挙げていた。
 そんな歴史ある魔術師の家系に生まれ、幼い頃から魔術を学んできたエリカは弱冠十五歳にして大騎士の地位に就き、『赤銅黒十字』を代表する騎士に与えられる称号『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』の後継者候補として将来を有望された魔術師でもあった。
 だからこそ、騎士の誇りにかけて自分に恥じる生き方をエリカはしたくなかった。
 例え、ここで対価を求められたとしても騎士の誇りと精神を踏みにじるものでない限りは、自分に出来る範囲で相手の要求に応じるつもりでいた。

「悪かった!」
「……え?」

 なのに、突然目の前の男に謝罪され、エリカは困惑した声を上げる。
 感謝をするのは自分の方で、命の恩人に頭を下げられる理由は彼女には思い当たらなかったからだ。

「本当にすまなかった……。まあ、実際に見てもらえればわかるんだけど」

 エリカにもよく見えるように外の光景を映した空間ディスプレイを表示する太老。突然、目の前に現れた映像にエリカは驚く。
 しかし、もっと驚く内容は映し出された映像の方にあった。映像の場所はエリカもよく知っている場所だった。
 彼女が死を覚悟した場所。サルデーニャ島西部沿岸、神々の戦いがあった場所が画面には映し出されていた。
 しかし、その風景はエリカのよく知るものとは一変していた。
 まるで大津波の後のようだ。海岸に面した遺跡は跡形もなく吹き飛び、嘗て遺跡のあった場所には海の水が流れ込み、僅かに地上に出ていた遺跡部分は完全に海の底に沈んでしまっている。
 ここで何があったのかと逡巡するエリカだったが、すぐに神々の戦いを思い出す。

 ――どうして自分は生きている? 神はどこへ行ったのか?

 その答えを知るのは目の前の人物しかいない。エリカはそう確信した。

「まつろわぬ神は――ウルスラグナとメルカルトはどうされたのですか?」
「神って言うと、あの二体の高次元生命体のことか。一体は押し潰して、もう一体は発生したエネルギーポケットに呑み込まれて消えた」
「……押し潰した? エネルギーポケットと言うのは?」
「落下時の衝撃に備えてエネルギーフィールドを全開で展開してたから、その直撃をまともに受けて小さい方はプチッと……。大きいのは、さっきも言ったけどエネルギーポケットに呑み込まれた。エネルギーポケットってのはエネルギー干渉によって発生した次元の裂け目で、滅多に発生するもんじゃないんだが……今回は運がなかったんだな」

 聞き慣れない言葉ばかりで話の半分もエリカは理解できなかったが、一つだけわかったことは既にまつろわぬ神はいないということだった。
 この被害も神との戦いの痕跡と考えれば納得が行く。
 だとすれば――エリカは何かに気付いた様子で太老を見て、瞠目した。

「まさか、神を倒し……た?」
「え? うん、まあ……。あれを倒したっていうなら……交通事故みたいなもんだけど」

 これまでにない衝撃を受けるエリカ。神を殺す――その意味を知らない魔術師はいない。
 エリカは自然と膝をつき、胸の前に右手をあて騎士の礼を取っていた。魔術を志す者として偉大なる王に最大限の敬意を示す。
 何か目論見があるなどと太老のことを疑った自分をエリカは恥じた。そんなことをせずとも、彼が神を殺したのなら一言命じればいいだけのことだ。
 あれだけのことがあったというのに対価を要求しない。些事を気にしない。それはまさに王者の所業だ。

「えっ、ちょっ何を!」

 戸惑う太老の前で、エリカは我が身の愚かさを叱責する。最初に気付くべきだった。
 傷を治した力といい、あの広大な空間といい、この巨大な鉄の船といい、すべて人類が持ち得ない力だ。
 それはまさに神を神たらしめる至高の力。天上の神々を殺戮し、神から奪った権能を振い、魔術師達に『王』と崇められる人類の超越者。

 彼等のことを人は――『勝者(カンピオーネ)』と呼ぶ。





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