どうしてこうなった?
 正木太老の朝はいつも¢宸ェしい。
 朝起きて隣に幼女が寝ていても、メイドが添い寝していたとしても、それはよくあることだ。
 アリスとの会談のため、太老一行はイギリスへと海上から船で向かっていた。
 ここは太老の私室。守蛇怪・零式の船内に設けられた艦長室だ。何度も言うが太老の部屋だ。決して彼女(メイド)の部屋でない。

「えっと、リリアナ……なんで、ここに?」
「ご主人様を起こすのはメイドの仕事だと教わりました」

 間違ってはいない。間違ってはいないのだが、何故に添い寝をしているのか?

「だからと言って、なんで添い寝?」
「うっ……そ、それを私から言わせるのですか!?」

 顔を真っ赤にして狼狽えるリリアナ。
 気になったことを質問しただけなのに、自分が何故責められているのか太老にはわからない。
 添い寝も仕事の内とでも言うつもりか? 冗談はやめて欲しい、と太老は心底思う。
 しかし、リリアナの眼は真剣その物だった。
 伊達や酔狂でやっているとは思えない。何やら決死の覚悟すら感じられる凄みがある。

「あ、朝の勤めもメイドの仕事……なのでしょう?」

 朝のお勤め? 太老は首を傾げる。
 想像が付くことと言えば、主人を起こして着替えを手伝うことくらいか?
 秘書を兼任している場合、予定の確認なども行うことがあるが、リリアナはあくまでメイド見習いだ。こちらの世界に来てから、そうした管理は桜花とエリカの二人がやってくれている。余程のことがない限り、あの二人に任せておいて問題はないほどだ。
 後、リリアナに出来ることと言えば、朝食の支度くらいしか思い浮かぶことはない。こう見えて、リリアナは意外と家庭的で料理の腕も確かだ。何度か太老が口にしたその料理の味は、アリアンナに負けず劣らずプロ顔負けの味わいだった。
 そうしてあれこれ考えていると、リリアナの手が太老のズボンへと伸びた。

「――って、どうして服を脱がそうとする!? いいよ、自分で着替えられるから!」
「何故です!? わ、私だって、ちゃんと朝の勤めくらい出来ます! いつもエリカにやってもらっているのでしょう!?」

 確かに太老はあちらの世界で大勢のメイドを雇ってはいるが、着替えなど自分で出来ることは自分でするようにしている。ましてや、エリカにやってもらうなんて危険な真似……出来るはずもない。
 この歳になってまで誰かに着替えさせてもらうのが恥ずかしいというのもあるが、それ以上に猛禽類の如き瞳を持つ肉食系女子に、無防備に肌を晒すことの危険性を彼は幼い頃より熟知していた。
 リリアナがそうとは言わない。しかし、それでも女性に服を脱がされるのは恥ずかしい。
 ましてや、こんなところを誰かに見られでもしたら――

「くっ! やはり胸か! 胸の差なのか!?」
「なんの話だ! とにかく手を放してくれ! ちょっ、なんで下から!」
「エリカに出来て、私に出来ないはずがない! こ、このくらい私だって!」

 ――パオーン!
 勢い余って太老のズボンごとパンツをずらしてしまうリリアナ。
 そこには、今まで彼女が見たことのない物体が、凛々しくそびえ立っていた。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第13話『予期せぬ災厄』
作者 193






「お兄ちゃん。弁明があるなら一応きくけど?」
「俺は……無実だ」

 あの後、リリアナの悲鳴を聞きつけてやってきた桜花とエリカに一部始終を目撃され、太老はその場で正座をさせられ、桜花の説教を受ける運びとなった。
 リリアナが何故あんなことをしたのかまではわからないが、太老からすれば泣きたいのはこっちだと叫びたい。

「どうしてリリィとなんか。私に言ってくれれば、いつでもOKなのに……」

 エリカがそう口にした瞬間、桜花の殺気が益々強くなって太老は悲鳴を上げる。
 これ以上、桜花を刺激しないでくれとエリカに眼で訴える太老。それを察してか、エリカはサッと目を逸らす。
 もっとも、エリカも気にしていない訳ではない。このタイミングでそんなことを口にしたのも、ちょっとしたヤキモチが入っていた。

「太老様。朝食の準備が整いまし……あらあら」

 メイド服に身を包んだカレンが部屋に姿を見せる。
 話の感じからして先程まで朝食の支度をしていたのだろう。
 太老に声を掛け、部屋の様子を探るなり、カレンは何かを察したように言葉を紡ぐ。

「今朝はお楽しみでしたか?」

 にやけた口元を右手で押さえながら、意味深な言葉を太老に投げ掛けるカレン。
 一瞬なんのことかわからず呆けるも、太老はようやくカレンの言葉の意味を理解したのか、顔を真っ赤にして声を上げた。

「原因はお前か!」

 太老の叫びが艦内に響く。
 ハアと肩を落とす桜花。やれやれと言った様子で首を左右に振るエリカ。
 正木太老の朝はいつも≠フように騒がしかった。


   ◆


 エリカはその見た目からは想像も付かないほどに、よく食べる。
 朝から成人男性顔負けの食事をぺろりと平らげ、紅茶で一息つきながら開口一番、エリカは太老に質問を投げ掛けた。

「それで? どうして彼女がここにいるのか、そろそろ説明が欲しいのだけど」

 太老に質問をするなり、チラリと銀髪の少女に目を向けるエリカ。
 太老と出会った時と変わらぬ姿で、優雅に朝食後のお茶を楽しむアテナの姿がそこにあった。
 さすがはギリシャ神話を代表する女神のなかの女神と言ったところか? 何気ない動作の一つ一つに神秘性すら感じ取れる。
 そんなエリカの質問の意図を感じ取ったのか、太老は話し難そうに答えを返す。

「ああ、なんていうか……拾った?」

 エリカの眉間にしわが寄る。何か怒らせることを言ったか? と心配になる太老。
 ここはアテナのためにも、ちゃんと説明しないとと太老は話を続ける。

「何処も行くところがないって言うしさ。可哀想だろう?」
「可哀想って……彼女は、まつろわぬ神なのよ?」
「だから?」

 心底わかっていない様子で首を傾げる太老。
 魔術師のエリカからすれば、まつろわぬ神とこうして食卓を囲むこと自体ありえないことだ。
 そもそも神殺しとまつろわぬ神は不倶戴天の宿敵。戦いを宿命付けられた間柄だ。馴れ合うことなど、彼女達の常識からすればありえない。
 それに、どれだけ大人しくしてようとアテナが神であることに変わりはない。人類にとって脅威であることに違いはないのだ。

「本当にわかっているの? 彼女をここに置くということが、どういうことか?」
「わかってるさ。まつろわぬ神は、神殺しにとって宿敵だって言うんだろう?」
「……そうよ。そこまでわかっているのなら」
「でも、まだ何か悪さをしたわけじゃない。何もしてないのに退治するってのはな」

 そうだ。正木太老とは、こういう男だったとエリカは苦い表情を浮かべる。
 太老にとって、神殺しだとか、まつろわぬ神だとか、そういうのはどうでもいいのだ。
 重視するのは人柄。相手を気に入るか、気に入らないか、ただそれだけ。好きか嫌いかでしかない。
 好意には好意を、悪意には悪意を。少なくともアテナが敵意を向けない限りは、太老はアテナをどうこうするつもりはないのだと、このことからもわかる。
 そういう点では、やはり太老の感性は普通の人間と懸け離れている。
 良くも悪くも目の前の男もカンピオーネの一人なのだと、エリカは再認識することとなった。

「いいわ。アテナの件は納得してあげる。どちらにせよ、私にはどうすることも出来ないのだし……」

 何を言ったところで太老が考えを変えるとは思えない。どちらにせよ、アテナを止められるのは太老だけだ。なら、その考えに従う他ない。
 それにここには零式や桜花もいる。戦いになったとしても、太老が負けるところなどエリカには想像も付かない。
 しかし、それとは別の問題もある。

「でも、彼女をこのままイギリスへ連れて行く気?」
「そのつもりだけど?」
「……このことをプリンセスにはなんて?」
「いや、まだ伝えてないよ。一応、連絡はしたんだけど繋がらなくてさ」

 出発前にアリスに連絡をした太老だったが、どう言う訳かアリスと連絡が取れないでいた。
 あちらに行くことは既に伝えてあったので、まあ大丈夫だろうと、こうしてイタリアを出発したわけだが……エリカは太老のように楽観的にはなれない。明らかに騒動の臭いがした。
 今回のイギリス訪問は、アリスからの誘いで決まったこととはいえ、少し考えれば怪しいことこの上ない。
 カンピオーネは人類の守護者であると同時に天災でもある。
 賢人議会ほど大きな組織が、イギリスにカンピオーネを招くことの問題に気付いていないはずがない。
 勿論メリットもある。まつろわぬ神や神獣に対抗するためにはカンピオーネの力が必要不可欠な以上、カンピオーネと友誼を交わすことは組織にとって有益だ。
 必ずしも力を貸してもらえるわけではないが、いざという時の保険にはなる。
 しかし同時にデメリットもある。

 大きな力は時に災厄を招く。
 カンピオーネの存在するところに事件ありというくらい、彼等の行動には問題がついて回る。
 良くも悪くも彼等は他人の都合を考慮しない。自身の考えと勘を信じ、過程をすっ飛ばして結果を強引に手繰り寄せる達人だ。その行動力、考え方は常人には理解しきれない。故に何かとトラブルが尽きない。
 今回のことも、その例に漏れないだろう。まつろわぬ神を伴ってイギリスへと渡る。
 しかも相手に話が伝わっているのならまだしも、アテナのことは相手も知らないはずだ。

「やっぱり連絡しといた方がいい?」
「それはそれで……」

 エリカは答えられない。どちらにせよ、混乱を招くことは間違いなかった。


   ◆


「退屈ですわ……」

 イギリス・ロンドン。ハムステッドにある邸宅。
 四つの塔に囲まれた城のように大きな屋敷で、アリスは退屈な軟禁生活を強いられていた。
 幽体となって屋敷を抜け出し、太老と接触していたことがパトリシア・エリクソンにバレたのだ。
 エリクソンはアリス御用邸の女官長にして、アリスの秘書を担っている有能な女性だ。
 仕事に関しては文句の付けようがないほど完璧な人物なのだが、今一つ融通に欠ける。その厳格な性格が災いして、何度も婚期を逃しているほどの堅物だった。
 内緒でカンピオーネに接触していたのだから心配されて当然と言えば当然なのだが、そのくらいでアリスは諦めたりしない。その辺りはエリクソンも長年の付き合いから理解しており、屋敷全体に幽体を通さない結界を張り巡らせ、アリスが屋敷を抜け出したり出来ないように部屋の外には、監視役として腕の立つメイドを何人も配置していた。
 これにはアリスもさすがにお手上げと言った様子で、私室のベッドでダラダラと漫画を読み耽っていた。
 天の位を極めた魔女などと呼ばれてはいるが、アリス自身の戦闘力は然程高くない。精神感応への対策も恐らくしているだろうし、この警戒網を突破して屋敷を抜け出すのは難しい。それに既に手は打っている。ここで無駄な体力を使う気は彼女にはなかった。
 ベッドの脇に積まれた本は、太老からオススメされた日本の漫画だ。これが読み出したら意外と面白く、ここ最近は一日こうして漫画を読んで過ごす日も珍しくなかった。

「十歳とはいえ、イギリス紳士の風上にも置けませんわね」

 アリスが今読んでいるのは、魔法使いの子供が日本で先生となって活躍する日本の人気漫画だった。
 イギリス出身の主人公ということで共感を覚えて読み始めたものの、レディに対してデリカシーのない発言や、女生徒の服を無理矢理脱がしたり、誰かと構わずキスをするという所業に、さすがのアリスも苦言を呈する。とはいえ、内容はアリス好みで面白いものだった。
 外に対して憧れの強いアリスは、こんな風に自分も冒険をしてみたい。色々な物に触れてみたいという欲求が強い。元来の性格から好奇心旺盛で、エリクソンの目を盗んでは霊体となって屋敷を抜け出しているのも、そうした欲求を満たすためだ。
 しかし、貴族の令嬢。『白き巫女姫』の肩書きが、それを許してはくれない。それに快復に向かっているとはいえ、身体が弱いことに変わりはなく、周りが彼女の無茶を許してくれるはずもなかった。
 一度は寝たきりの状態にまで身体を壊したことがあるだけに、アリスも余り強くは出られないという事情もある。しかし、だからと言って外への憧れが消えることはなかった。

「そろそろ……ですわね」

 と言って、窓の外へと視線を向けるアリス。
 仕込みは上々。この鳥籠から抜け出すための手はずは既に整っていると言っていい。
 今更、軟禁されたところで結果は変わらない。エリクソンに太老との密談がバレることは最初から計算の内だった。
 そんななか、屋敷がバタバタと慌ただしくなる。

「姫様!」

 ノックもなしに勢いよく部屋の扉が開かれる。
 随分と慌てた様子で、そこから姿を見せたのは件の人物――ミス・エリクソンだった。
 息を切らせ、ここまで走ってきたのだろう。それほどに急を要する一大事が起こっているのだと予想が出来た。
 そして、それはアリスにとって待ちに待った吉報。
 退屈な日常に耐えながら、この時をアリスは待ち焦がれていた。

「あら? ミス・エリクソン。そんなに息を切らせて、何かあったのかしら?」
「姫様……それ、わかっていて言ってますよね?」
「なんのことかしら?」

 すっとぼけるアリスを睨み返しながらも、無駄と悟ったエリクソンはため息を吐く。
 アリスの企みに、最初に気付けなかった時点で負けなのだ。
 それよりも今は、目先の問題を解決することの方が重要だった。

「正木太老様が、姫様を指名で会談を希望されています」

 予定通りとばかりに、うんうんと上機嫌でエリクソンの話に頷き返すアリス。
 しかし次の瞬間、予想もしなかったエリクソンの言葉にアリスの表情は固まった。

「まつろわぬ神……女神アテナを引き連れて」
「……え?」

 そんなの予定にないとばかりに目を丸くして驚くアリス。
 まつろわぬ神? アテナと一緒に? どういうこと?
 アリスはエリクソンの言葉の意味が理解できず『嘘でしょ?』とばかりに訊ねるが、エリクソンの答えは変わらず、ただ無言で首を横に振るだけだった。

 まつろわぬ神と、魔王の襲来。

 同時刻――グリニッジにある賢人議会。
 そしてイギリス政府や、その報告を受けた女王は、戦々恐々とした思いを強いられることになる。





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