「お兄ちゃん。今、どの辺りなの?」
「今、ジブラルタル海峡を抜けたところ。明日の朝には、ジェノバ港に到着する予定だ」

 ジェノバ港は、リグリア海に面したイタリア最大の貿易港だ。現在、守蛇怪・零式が使用している赤銅黒十字のドッグもここにあった。
 守蛇怪クラスの船になると、停泊できる港が限られているというのもあるが、やはりその先鋭的な外観はどうしても人の目を引く。赤銅黒十字の所有するドッグを提供してもらっているのも、そうした好奇の目に極力さらされずに済むようにとのパオロの配慮もあった。
 面倒事は避けるに限るというのが、太老の考えだ。それに赤銅黒十字にしても、太老だけでなく零式まで敵に回してしまえば、イタリア艦隊の二の舞だ。王の船にちょっかいを掛けさせないための防止策でもあった。

「ジェノバに着いたら、ミラノに向かうんだよね?」
「それなんだけど、皆とは別行動を取ろうと思ってる」
「別行動?」

 てっきり、赤銅黒十字の本部があるミラノへ真っ直ぐ向かうものと思っていた桜花は首を傾げた。リリアナ達はまだ捕まっていないが、今のところ一番情報が集まっているであろう場所が、そこだからだ。
 それにパオロとは、今後のことを相談しておく必要がある。

「赤銅黒十字の方は、エリカに任せようと思う。正直、魔術師への対応は、エリカの方が慣れてるしな」
「えっと……それだと私は?」
「桜花ちゃんは留守番を頼めるかな?」
「また〜?」

 ブリストルでのことといい、そろそろ留守番に飽きてきた桜花は不満の声を漏らす。
 零式を放って置くことが出来ないのはわかるが、それでも退屈なことに変わりは無かった。

「アテナと零式を二人だけにする訳にはいかないだろう?」
「それはそうだけど……」

 零式だけでも不安なのに、アテナとセットでは何かあった時、止められる者が傍に居ないと大惨事になりかねない。その辺りのことは桜花もわかっているのか、不満そうにしながらも取り敢えず納得の姿勢を見せる。

「今度、必ず埋め合わせするから」
「絶対だからね! ふふ〜ん、何をやってもらおうかな」

 桜花の勝ち誇った笑顔を見て、これは高く付いたなと思いながらも、太老は必要経費だと自分を納得させた。
 今、零式は船体の自動修復に専念するため、船のコアで眠りに付いている。大人しく寝ていてくれればいいが、何時どんなことで目覚めないと限らないだけに、最大の不安材料を放置することは出来なかった。

「あれ? でも、船に残るのは私以外じゃアテナと零式だけなんだよね?」
「そうだよ」
「アリスお姉ちゃんと、グィネヴィアお姉ちゃんもお出掛けするの?」
「ああ。アリスには、他にやってもらうことがあるんで俺の付き添いだ。グィネヴィアは、記憶を取り戻す切っ掛けになればと思ってな。連れて行くことにした」

 こと魔術に関しては、完全に素人と変わらない太老が、その補佐としてアリスを同行させるのは納得が行く。普段のダメっぷりからはわからないが、あれでも『白の巫女姫』の名で知られる高名な魔女なのだ。
 賢人議会で公開されているカンピオーネやまつろわぬ神に関するレポートの多くは、アリスがフィールドワークで得た成果を元にまとめたものだ。そのため、こと魔女に関する知識や、神にまつわる様々な伝承など、アリスはエリカ以上に博識な一面を持っていた。
 しかし、グィネヴィアを連れて行く理由が今一つはっきりとしない。彼女の出身がどこかはわからないが、英国のブルターニュを拠点に活動しているという話を、桜花はアリスから聞いていた。
 イギリスとイタリアでは、同じヨーロッパとはいえ、随分と距離がある。
 太老が向かう場所に、その答えがあるのかと思い、桜花は尋ねてみた。

「お兄ちゃん、何処に行くつもりなの?」
「ナポリだ」
「ナポリ? え? なんで、そんなところに?」

 まったく予想のしなかった場所。思い当たる節が、桜花には一つもない。
 今まで話題に上がるどころか、ナポリなんて行ったことすらなかったからだ。
 そんなところに何があるのかと、桜花は不思議に思う。

「ルクレチアさんからの情報で、そこに魔女がいるらしい」
「魔女? それってアリスお姉ちゃんみたいな?」
「ああ、名はディアナ・ミリート。青銅黒十字に所属する魔女で、リリアナの魔女術の師匠だ」





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第24話『ナポリの魔女』
作者 193






 フランス南東部、イタリアの国境近くにある街、ブリアンソン。
 嘗ては国境を隔てる防衛の要所として発展した街で、現在では城郭を始めとした石造りの街並みが特徴の城塞都市として、人気の観光名所となっていた。
 標高千メートルを超す山々のなかにあり、傾斜を活かした起伏の激しい道が続く。
 そんな市道から外れた場所に、身を潜める少女の姿があった。リリアナだ。

「お待たせしました。リリアナ様」

 街で見繕ってきたのだろう。
 水やパンといった食糧の入った袋を片手に、カレンは木陰で息を潜めていたリリアナに声を掛けた。
 カレンの取ってきたパンを、早速二人で分けて食べる。何処に魔術師が潜んでいるかわからない以上、ちょっとした油断は命取りになる。今の二人に出来ることと言えば、こうして周囲を警戒しながら少しずつ前に進むことしかなかった。

「やはり、ここにも魔術師が入り込んでいるみたいです」
「手が回るのが思ったより早いな……」

 カレンの報告を聞いて、苦い表情を浮かべるリリアナ。
 本来であれば、とっくに国境を越えてイタリアへ入っている頃なのだ。
 それなのに二人が思っている以上に警戒の目が強く、未だ国境沿いの街で足止めを食らっていた。

「状況から考えて、既に手配書が回っていると考えるべきか」
「はい。この手際の良さから、恐らくはエリカ様が裏で糸を引いていると見ていいでしょうね」

 二人の逃走ルートを先読みし、的確に追っ手を差し向けてくる手際から考えて、間違いなくエリカの仕業だろうとカレンは考える。それに関してはリリアナも同意なのか、難しい顔をして唸っている。
 とはいえ、ここで足止めを食っている時間は二人にはない。既に予定より、かなりの時間を浪費している。それに時間が経てば経つほど包囲網は広がり、不利になっていくと考えていいだろう。

「ここは賭けに出るか……」
「リリアナ様、それでは?」
「ああ、飛翔術を使って一気に山を越える」

 出来る限り目立つ行動は避けたかったが、こうなっては仕方がないとリリアナは腹を括ることにした。
 問題は相手に動きを知られてしまうことだが、それは今ここで言ってもどうしようもない。
 既に追い詰められていると言って良い状況で、これ以上、余り時間は掛けたくなかった。

「では、私が囮になります」
「何を言ってる! そんなこと、任せられるはずがっ!」
「ですが、私はリリアナ様のように飛翔術を上手く使えません。これから先、足手纏いになることは明らかです」
「それなら、私がカレンを支えて飛べば……」
「二人分の体重を支えて山を越えるとなると、かなりの呪力を消耗するはずです。そんなところを狙われたら、さすがにリリアナ様でも危険なのではないですか?」
「それは……」

 カレンの言うとおりだった。それだけにリリアナは何も言えなくなる。
 飛翔術とて万能ではない。飛行中は方向の自由が利かないし、狙い撃ちにされる恐れだってある。それに二人分の体重を支えて飛ぼうとすれば、どうしても無理がでて余分に呪力を消耗してしまうことは明らかだった。
 万全を期すなら、どちらか一方が残り、敵の陽動に徹するべきだ。
 しかし、カレンを見捨てるような真似、到底リリアナに許容出来ることではなかった。

「逃げるだけなら、私だってどうにかしてみせます。リリアナ様は、ご自分の為すべきことを全うされてください」
「カレン……」
「リリアナ様のこと信じています。どうか、ご武運を――」
「待て、カレン! カレンッ!」

 身を隠していることも忘れ、走り去って行くカレンに声を張り上げるリリアナ。
 しかし、カレンが振り向くことはなかった。
 次の瞬間、街の方で火の手が上がり、喧騒とした人の声が聞こえてくる。

「カレン……すまないっ!」

 目尻に涙を浮かべながら、街とは反対の森のなかへ姿を消すリリアナ。
 その日、山の頂からイタリアへ向けて、一筋の光が飛び去るのが目撃された。


   ◆


 イタリアのジェノバ港に無事到着してから丸二日。
 太老とアリス、それにグィネヴィアの三人は、ナポリのガリバルディ広場にいた。
 五月の初頭ということもあって、広場には東洋人と思しき観光客の姿がチラホラと見える。そう言えば日本では大型連休の時期だったな、と太老が考えていると、人垣の中から一人の女性が手を振りながら近付いてくる姿が目に入った。
 ルクレチア・ゾラだ。今日は彼女に案内を頼み、ここで待ち合わせをしていた。

「待たせたな、太老」

 亜麻色の髪をなびかせ、男なら十人が十人振り返るような熟れた身体を、周囲に見せびらかすようにルクレチアは太老に抱きつく。
 周囲の男達の嫉妬を一身に受け、太老は少し畏まった様子でルクレチアの名を呼んだ。

「ルクレチアさん、そのくらいにして欲しいんだけど」
「何とつれない……二人の時は呼び捨てにしてくれと言っただろう?」

 よよよと泣き真似をしながら、太老の胸に顔を埋めるルクレチア。
 こんな風に美女に迫られれば、普通の男ならイチコロだろう。しかし、そこは太老だ。まったく動じた様子もなく、そんな太老の反応にルクレチアもからかい甲斐をなくしたのか、残念そうに距離を取った。

「小母様、私達のことを忘れてもらっては困ります」
「相変わらず失礼な子だ。こんな美人を捕まえて『おばさん』などと」

 どこか毒の入った挨拶を交す二人から、太老は寒気を感じて後ずさる。
 この二人は、いつもこんな感じなのだろうか?

「は、はじめまして。グィネヴィアです」
「ふむ、なるほどな……聞いていた通りか。はじめまして℃рヘルクレチア・ゾラだ。ルクレチアでいい」

 アリスの時とは対象的に、グィネヴィアに友好的なルクレチアを見て、太老もほっと息を吐く。
 実のところ、グィネヴィアとルクレチアは、これが初めての出会いではない。過去、ルクレチアがグィネヴィアと行動を共にしていたという話は、太老もルクレチアから話を聞いて知っていた。
 そのことから、失った記憶を取り戻す切っ掛けにでもなればと考え、ルクレチアに引き合わせることを考えたのだ。
 様子を見る限り、グィネヴィアに変化はなさそうだ。とはいえ、他に方法が思いつかないのも事実。まさかショック療法と言う訳にもいかない。
 古い知人と話をしているうちに何かを思い出すかも知れないし、そこは気長にやるしかないか、と太老は前向きに考えることにした。
 それよりも今は、ここにきた最初の目的を果たす方が先だ。

「ルクレチアさん。そろそろ案内をお願いしたいんだけど」
「そうだな。先方には、もう私達が今日行くことを伝えてある。案内するから付いてきてくれ」

 ルクレチアの案内で、スパッカ・ナポリと呼ばれる旧市街へと入って行く。
 先程までと違い観光客の姿は少なくなり、地元の人間とたまに擦れ違うくらいの細い道を抜けていくと、下町の風情が残る小さな商店街へと出る。その一角に目的の店、ディアナ・ミリートの営む古書店があった。
 ルクレチアの先導で店の扉を開くと――来客を告げる鐘の音が、カランと店内に鳴り響く。

「いらっしゃいませー」

 少し気だるそうな感じで、店の奥から女性の声が聞こえて来た。
 インクと古い本の臭いが充満する店内で、カウンターの奥から顔を出したのは童顔の美少女だった。
 リリアナの師匠で、ルクレチアの知り合いというから、てっきり妙齢の女性をイメージしていた太老は呆気に取られる。
 パッと見た感じグィネヴィアより少し上、十五、六歳と言ったところにしか見えない。

「はじめまして、正木太老です。ディアナさんですよね?」
「これは、ご丁寧にどうも。ディアナ・ミリートです。あなたが、お噂の……」

 挨拶をするなり何やら少し驚いた様子のディアナを、太老は訝しむ。
 彼女とは初対面のはずだ。なのに、この態度。
 どんな噂か気になって、太老はディアナに尋ねた。

「えっと、噂って……」
「いえ、大したことではありませんよ? 青い悪魔を従える最凶最悪の魔王とか、幼い少女や女神すら手玉に取る色情魔だとか、そんな噂ばかり聞いていたものですから、少し印象が違うなーと思いまして」

 もう、どこから突っ込んでいいのかわからないような酷い噂ばかりだった。
 自分で訊いておいてなんだが、絶対に突っ込まないぞ、と太老は心に誓う。
 こういう時は下手に突っ込むと碌な目に遭わないと、長年の経験で理解していた。
 しかし、そんな太老の代わりに、突っ込まずにはいられない人物がいた。アリスだ。

「よく噂には尾ひれが付くものですが、この場合は満更嘘と言う訳ではありませんしね」
「アリスに言われるのだけは、何か納得が行かない……」
「どうしてですか!?」

 そこだけは忘れず、ちゃんと突っ込みを入れる太老。
 普段が普段だけに、アリスの扱いは相も変わらず、ぞんざいだった。

「それで私に用向きというのは、やはりリリィとカレンのことでしょうか?」
「はい。実は、アリスの占いに協力してもらおうと思って」
「……なるほど。捜索の魔術ですか」

 すぐに太老の目的を察するディアナ。実のところ予想はしていたのだ。
 魔術は万能ではない。アリスに占いで二人の現在位置を占えないかと太老が尋ねたところ、リリアナとカレンを魔術を使って捜すには、二つの条件が必要との回答をはもらい、ここにきたのだ。
 その一つが、本人が長く愛用していた物。大切にしていた思い出の品が必要とのことだった。
 次に彼女達の親しい友人や家族、心を許している第三者の協力が必要だと、アリスは言った。
 一般人ではなく呪術耐性の高い一流の魔術師を魔術を使って捜索する場合、呪いを掛けるのと一緒で、位置を特定しようとしてもレジストされてしまう可能性が高い。そうすると占いの精度は落ち、位置の特定は難しくなるそうだ。
 それにリリアナの師匠であるディアナなら、リリアナの魔術の癖などを誰よりも熟知しているはずだ。彼女の協力が得られれば、かなりの精度でリリアナとカレンの位置を割り出せる可能性が高い。
 それに、ある程度の位置を絞り込めれば、太老には二人を確実に捜し出せる秘策があった。

「闇雲に捜してたんじゃ時間が掛かりすぎる。出来るだけ精度の高い情報が、今は必要なんです」
「一つ、お訊きしてもよろしいですか?」

 ディアナの質問に少し戸惑いながらも、太老は首を縦に振って返事をする。

「先日、二人を捕らえるようにと、どうして勅令を出されたのですか?」
「ああ、あれは……」

 運良く二人を捕らえることが出来れば一番だが、それは難しいだろうと太老も考えていた。
 そこで、まずは二人の安全を確保することを優先したのだ。
 魔王の勅令ともなれば、魔術師達は必死になって二人の姿を捜すだろう。しかし、傷つけることを禁ずるとしている以上、二人を追っている魔術師達は思い切った行動に出られなくなる。あのまま放置すれば、太老に取り入ろうとする者や、早まって二人を始末しようと考える魔術師が出て来ても不思議ではなかった。
 普通に命令したところで、皆を納得させることは難しい。太老が二人を庇えば、嫉妬や敵愾心から余計なことを考える者達も現れてくるだろう。だから太老は、冷酷無比な魔王を演じることで、二人を命の危険から守ろうと考えたのだ。

「それに、俺は二人を『無傷で捕らえろ』と言っただけで、他には何も言ってませんから」

 勘違いしたのは魔術師達の方であって、嘘は言ってないと言うのが太老の主張だった。
 自らの悪評を利用した見事な詐欺。アリスも、この話を聞いた時は呆れたほどだ。

「なるほど……事情はわかりました。本当に、変わった王様なのですね」

 少し戸惑いながらも、そう言って微笑みを浮かべるディアナ。
 正直、リリアナという後継者を育て上げ、既に一線を退いたディアナにとって、青銅黒十字やクラニチャールのことは些細な問題でしかなかった。
 それよりも気になっていたのは、リリアナとカレンの安否だ。
 もし太老が噂通りの人物なら、ディアナは二人を捜すことに協力するつもりはなかった。
 例え、そのことで魔王の怒りを買い、殺されることになっても、愛弟子を売ることなど出来ない。それが、ディアナのだした答えだ。しかし、そうはならなかった。
 やはり、実際に太老と会ってみてよかったとディアナは思う。ルクレチアからの頼みとはいえ、最初は断ろうとさえ考えていたのだ。
 しかし、彼女が太老と会ってみる気になったのは、前にリリアナが話してくれた四年前の事件を思い出したからだった。

「太老様の場合、変というより素直じゃないだけです。こういうところは、少しアレクサンドルに似ているというか……」
「そうだな。もう少し素直になれば、可愛らしくもあるのだろうが……」

 アレクに似ているだとか、可愛らしいとか言われても皮肉にしか聞こえない。
 ここで突っ込んでは負けだ、と太老は歯を食いしばって我慢した。
 しかし、そんな太老に純真無垢な追い打ちが入る。

「だ、大丈夫です。太老様が幼女趣味の変態でも、私は信じてますからっ!」

 ――グサリ、と太老の心臓を一突きする。グィネヴィアのその一言が、トドメとなった。
 最凶最悪と恐れられるカンピオーネと言えど、純真無垢な幼女には勝てない。
 それが、フラグメイカー最大の弱点でもあった。





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