――日本国・東京某所。
 ノートパソコンの液晶を眺めながら、何処か愉しげな笑みを浮かべる中性的な顔立ちの少女の姿があった。
 沙耶宮家の次期党首にして、正史編纂委員会・東京分室の室長。沙耶宮馨(さやのみやかおる)だ。
 紺色のスラックスとブレザーに白いカッターシャツと男のような格好をしているが、これでも名門女子校に通う現役の女子高生だ。
 いま彼女が着ている服は、教師や生徒会。更にはPTAまでもを丸め込み、特注で作らせた男子用の制服だった。
 そんな変わった性癖と趣味を持つ上司に仕える苦労人。それが――

「何か良いことでもあったんですか? 馨さん」

 彼、甘粕冬馬(あまかすとうま)だ。
 くたびれたスーツを着た冴えない感じの中年の男だが、これでも馨の懐刀と呼ばれるだけの腕を持つ正史編纂委員会のエージェントだ。
 忍の系譜に連なる一族の出身らしく呪術や忍術に長け、主に諜報活動を得意としていた。

「これだよ。これ」

 そう言って、甘粕にも見えるようにノートパソコンの向きを変える馨。
 嫌な予感を覚えつつも促されるままに視線をやり、やっぱりと言った表情で溜め息を溢す。
 パソコンに映し出されていたのは、賢人議会が発行しているカンピオーネに関するレポートだった。
 レポートには、太老がウルスラグナを降し、青い悪魔やアテナに続く眷属≠新たに増やしたと書かれていた。
 まつろわぬ神の恐ろしさをよく知る魔術師たちからすれば、顔を青ざめるような内容だ。楽しいニュースとは、とても言えない。

「これで、なんで楽しそうに笑っているんですか……」
「だって凄いと思わないかい? 神様を殺すんじゃなくて仲間にしてしまう神殺し≠ネんて聞いたことがないからね」

 興奮を隠せない様子で語る上司に、それはそうだろうと甘粕は思う。
 そもそもカンピオーネとまつろわぬ神は、戦うことを宿命付けられた天敵のようなものだ。
 少年漫画じゃあるまいし、戦いの末に友情が芽生え、仲間になるなんて展開はまずない。
 この世界の常識から言えば、太老のやっていることは明らかに異常だ。だが、それだけに馨の目には面白く映るのだろう。
 また馨の悪い癖が始まったと呆れたところで、ふと甘粕の脳裏に嫌な考えが過ぎる。

「まさか、私を呼んだのは……」
「うん。ちょっとイタリアに飛んで、噂の王様に会ってきてくれるかな?」

 さらりととんでもないことを口にする上司に「私に死ねと?」と思わず素で返す甘粕。
 その反応も当然だ。神や悪魔を従える魔王に会いに行けなどど、普通であれば死刑宣告に等しい。
 ヴォバン侯爵の例もある。余程の変わり者でなければ、喜んで魔王に会いに行く魔術師などいないだろう。
 いや、その変わり者が目の前にいたことを甘粕は思い出す。

「老人たちが五月蠅くてね。正木太老って、如何にも日本人の名前だろう?」
「まさか、日本に引き込めと? あっちの魔術師たちを敵に回すことになりますよ」

 既にイタリアやドイツに拠点を置く魔術結社の大半は太老を王と崇め、恭順を誓っているという話だ。
 特にヴォバン侯爵から解放されたドイツの人々の喜びは大きく、新たな王を歓迎しているという話が聞こえてくるほどだった。
 そんななかで日本が太老を自国に引き抜こうとすれば、欧州の魔術師たちも黙ってはいないだろう。
 確実に大きく反発してくる。国際問題となることは明らかだ。下手をすれば、魔術師による抗争へと発展しかねない。
 しかし、そんなことは甘粕に言われるまでもなく馨も理解していた。
 一部、五月蠅い老人たちがいるのは事実だが、彼等の我が儘に付き合って日本を危険に晒すことなど出来るはずもない。
 ましてや、誘いに太老が乗ってくるとは限らないのだ。下手に魔王の怒りを買おうものなら目も当てられない。
 しかし、それでも甘粕には行って貰わなければならない止む得ない事情が馨にはあった。

「勿論そんな無茶をお願いするつもりはない」
「では、どうしろと?」
「キミには彼女≠フエスコートを頼みたい」

 何かに気付いた様子で甘粕が振り返ると、いつからそこにいたのか?
 扉の前には艶やかな黒髪の少女が立っていた。
 歳の頃は十六、七と言ったところだろうか? 
 学生と思しき制服を身に纏い、肩には竹刀袋を提げている。
 こうして直接会うのは数年振りだが、甘粕は目の前の少女のことを良く見知っていた。

「……ご無沙汰しています。恵那さん」
「よろしくね、甘粕さん」

 日本の名家を代表する四家の一角、清和源氏の末裔である清秋院家の一人娘。
 それが、彼女――清秋院恵那であった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第31話『東からの来客』
作者 193






「この豆乳鍋というのは、なかなかに美味じゃな。それに、このごまだれ≠ニ言うのが実にいい」
「妾はポン酢≠ナあっさりと頂くのが好みだがな。素材本来の持ち味を殺すごまだれ≠ネんぞ、邪道よ」
「……この鍋に一番合うのはごまだれだ。ポン酢など、ただ酸っぱいだけであろう?」
「いいや、ポン酢こそが至高だ。御主こそ、見た目だけでなく味覚もお子様なのではないか?」
「お前等、喧嘩するなら食わせないぞ? 鍋は大人しく食え」

 眉間に青筋を立てた太老に睨まれ、お預けは困るとばかりに大人しくなるウルスラグナとアテナ。
 食事中の喧嘩は御法度だ。一度目は大目に見るが二度同じことを繰り返せば叩き出され、料理を口にすることは出来ない。
 そのため、あの阿重霞と魎呼でさえ、食事中は喧嘩をすることなく大人しくしていたほどだ。神とて例外ではない。
 特に鍋料理に関しては厳しいルールが柾木家にはあり、太老もそのなかで育ったのだ。
 鍋を美味しく頂くためであれば妥協をしない。その精神は太老のなかにも受け継がれていた。

「肉ばかりじゃなく野菜も食えよ。グィネヴィアもちゃんと食ってるか?」
「はい。美味しく頂いています」

 はふはふと息を吹きかけながら、白菜を食べるグィネヴィア。
 神祖と言っても見た目が中学生くらいの少女なので、その姿は実に愛らしい。
 太老を挟んでグィネヴィアと反対側の席をちゃっかりとキープしている零式も、慣れた箸使いで器用に鍋をつついていた。
 こうして見ると、子持ちの若いお父さんと言った感じだ。

「エリカ様、ご飯のお代わりはどうされますか?」
「頂くわ」
「あ、私の分も貰える? 大盛りで」
「はい。大盛りですね」

 エリカと桜花から茶碗を受け取り、ご飯をよそうアリアンナ。
 そのすぐ斜め向かいの席には、アリアンナとお揃いのメイド服を着たカレンとリリアナの姿があった。
 使用人と言えど、この家のルールでは共に食卓を囲むのが習わしだ。
 しかし、

「リリアナ様。余り箸が進んでいないみたいですが、お口に合いませんでしたか?」
「いや、そんなことはない。十分に美味しい。美味しいのだが……」

 チラリと周囲を見渡しながら、深い溜め息を漏らすリリアナ。
 共に食卓を囲んでいるメンバーを見れば、どれほどのご馳走が並ぼうとも食欲など湧いて来るはずもない。
 魔王に悪魔。更には神と神祖。遠足気分で国の一つや二つ、簡単に潰せるだけの戦力が目の前に集っているのだ。
 そのなかに自分がまざっているなどと、リリアナからすれば悪夢のような心境だった。
 しかし、これは現実だ。まだ夢の方が良かったと思えるが、これが現在彼女の置かれている環境だった。

「あれからもう一週間も経つんだし、そろそろ慣れた方がいいわよ」

 でないと身体が保たないと微妙に顔色の悪いリリアナを見て、エリカは言う。
 気持ちは分からなくもないが、こんなことで一々驚いていては、ここで生活することなど不可能だ。

「……私はお前と違って繊細なんだ」
「フフッ、そうよね。あんな乙女チックな小説が書けるくらいなんですもの。新作のタイトルは確か『王とメイドの許されない恋』だったかしら?」
「ぶッ! エリカ、お前それをどこで!?」

 誰にも見せていないはずの秘密の小説のタイトルをエリカに暴露され、狼狽えるリリアナ。
 続けて小説の内容を朗読するエリカを止めようと、リリアナは顔を真っ赤にしてテーブルに身を乗り出す。
 だが、食事中にそんなことをすれば当然――

「前にも言ったよな? 食事中に喧嘩をしたら叩き出すって……零式」
「はい、お父様」
「ちょっ、太老。待っ――」
「これは違うのです! 太老さ――」

 問答無用で足下に空いた穴にエリカとリリアナは落とされる。
 これが初めてなら弁明の機会くらいは与えてもらえただろうが、二人が喧嘩をして叩き出されるのはこれで二度目≠セった。
 さすがに二度目ともなると慣れた様子で、誰一人として動じることなく食事を続ける。
 そして、

「グィネヴィア様。お鍋をよそいましょか?」
「あ、はい。ありがとうございます」

 リリアナ秘蔵の小説をエリカに売った元凶≠ヘニコリと微笑み、何食わぬ顔でグィネヴィアに鍋をよそうのだった。


  ◆

 前回は山の中だったが、今回二人が転送されたのはサルデーニャ島から程近い海だった。
 いまは五月の中頃を少し過ぎたところ。島は少し早い海水浴を楽しもうと観光客で賑わう季節だ。
 海に転送されたのがこの時期だったのは、不幸中の幸いと言えた。
 しかし、

「酷い目に遭ったわ……」
「エリカ、お前の所為だぞ……」
「あら? そんな口の利き方を私にしてもいいのかしら?」
「フンッ、私が剣を捧げたのは太老様であって、お前ではない。同じ主君に仕えると言う意味では、同じ立場のはずだ」

 頭は冷えなかったみたいで、全身ずぶ濡れの状態で浜辺に上がると懲りずに言い争いを続ける二人。

「そうかしら? 私は太老の騎士であり愛人でもあるのよ。一方で、あなたはただのメイド≠ナしょ?」
「ぐっ……訂正してもらおう。ただのメイドではない! 剣や魔術も扱える戦闘メイド≠セ!」
「メイドなのは否定しないのね……。というか、それ誰の入れ知恵よ」

 太老とウルスラグナの戦いが決着して一週間。事後処理を終え、ようやく避難命令が解除されたばかりだ。
 当然いつもなら観光客で賑わっているビーチも人気がなく、二人の言い争いを気に留める者もいない。
 そう、いないはずだった。

「エリカ、気付いているか?」
「当然でしょ」

 リリアナの言葉に頷き、フンと鼻を鳴らすとエリカは叫ぶ。

「隠れているのは分かっているのよ! 出て来なさい!」

 そうして気配のする方角へと視線を向けるエリカとリリアナ。
 そんな二人からの鋭い視線を向けられ、岩陰から一人の少女が姿を現す。

「ふーん。恵那の気配に気付くなんてやるね」
「……日本語? あなた、何者?」

 腰元まで届く長い黒髪。竹刀袋を肩に提げた学生と思しき制服姿の少女に警戒を滲ませながら、エリカは尋ねる。
 少女の口から聞こえてきたのは、イタリア語ではなく日本語だった。しかし、修学旅行中の学生とは思えない。
 避難命令が解除されたばかりで、島の住民もまだほとんどが戻ってきていないのだ。
 ホテルも休業状態で、現在この島には観光客がほとんどいない。

「清秋院恵那。で、そっちの金髪の人がエリカさんで、銀色の髪の人がリリアナさんでしょ?」

 エリカの質問に答えながら、二人の名前も一目で言い当てる少女――恵那。
 最初から只者ではないと分かっていたが、名前を言い当てられたことでエリカは目の前の少女が自分たちと同じ裏≠フ人間だと確信する。
 その一方でリリアナは、エリカとは別のことで驚いていた。

「……清秋院?」
「知ってるの?」

 少女の名に心当たりがあったからだ。
 戸惑いを隠せない様子で呟くリリアナに、エリカは確認を取るように尋ねる。

「名前に聞き覚えがあると言った程度だがな。確か、日本を代表する魔術師の名家だ」
「ちょっと意外だけど、清秋院のことを知ってるのは当然か。リリアナさん、祐理と知り合いなんでしょ?」
「……祐理? 万里谷祐理のことか!?」

 恵那の口からでた名前に驚き、思わず大きな声で尋ね返すリリアナ。
 その名前は良く覚えていた。何しろ四年前、まつろわぬ神を招来するためにヴォバン侯爵の命令で集められた魔女や巫女たち。
 そのなかに、万里谷祐理という日本人の少女がいたからだ。
 事後処理にも関わっただけに、当時の被害者の名前と顔はよく覚えている。
 それにリリアナと祐理は同じ四年前の被害者だ。多少ではあるが言葉を交わした間柄だった。
 恵那がそのことを知っていると言うことは直接本人から聞いたか、当時のことを記した資料を目にしたかのどちらかしかない。
 そんなリリアナの考えを察した様子で、

「祐理は恵那の友達だよ」

 恵那はそう答える。

「だから王様やリリアナさんのことは祐理から話を聞いて、以前から知ってたんだよね。ずっと会ってみたかったんだ。こうして会えて、嬉しいよ」

 親しげに話し掛けてくる恵那からは、敵意のようなものは一切感じない。
 共通の友人を持つ知り合いに会えて、心の底から喜んでいると言った様子だ。
 だが、エリカは勿論のことリリアナも警戒を解いていなかった。
 恵那が肩から提げている竹刀袋。そこから感じ取れる気配に――覚えがあったからだ。

「その肩に背負っているものは何?」
「ああ、これのこと?」

 エリカの問いに対してニヤリと笑うと、恵那は肩に提げていた竹刀袋を手に取り、袋を縛っていた口紐を解く。
 すると、袋の中から鞘に入った大きな刀がその姿を覗かせた。
 そして、

「出番だよ。天叢雲」

 恵那が鞘から刀を抜くと、白銀の光を宿した刀身が現れる。
 その輝きに目を奪われ、ゴクリと息を呑みながらエリカに声を掛けるリリアナ。

「エリカ、この呪力は……」
「ええ、間違いないわ。あの武器――」

 ――神具よ。
 と、エリカは険しい表情を浮かべながらリリアナの問いに答えるのだった。





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